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排水溝につまったスライムを日々かたづけるだけの底辺職、なぜか実力者たちの熱い視線を集めてしまう  作者: 北川ニキタ


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25/67

―25― 商売上手

 夜のラグバルトの街を、オレは一人で歩いていた。

 ここ最近は何かと騒がしい日々だったけれど、今日は久々に『自分の用事』を片付けるために動いている。


「……確かこの路地を曲がった先、だよな」


 街灯がまばらに続く細い道を、やや急ぎ足で進む。周囲の建物は夜になるとほとんど人影もなく、しんと静まり返っている。石畳の隙間からは冷たい夜風が吹き込み、なんとなく背筋がひんやりした。

 やがて辿り着いたのは、見るからに怪しげな建物だ。他の家々が木や石で造られているのに対して、ここだけは黒塗りの板壁が続き、窓は重々しい格子で塞がれている。上には「カラス避けかな?」と勘違いするほど鋭いトゲが並んでいるが……それらはすべて『防犯対策』らしい。


「あった、あった。わかりづらい場所にあるせいで、毎回迷子になりそうになるんだよな」


 表札や看板は一切ないが、知る人ぞ知る秘密結社のアジト……とかではなく、実はただの倉庫だ。

 そう、今回の目的は商人から直接、コーヒー豆を購入するために出向いたわけだ。


「おーっ、待ってましたよセツの旦那! 夜遅くにご苦労さまです!」


 バタンと扉を開けて中に入ると、予想どおりカウンターの向こうにオッサンがいた。名を『バーラット』という。

 五十路に近い大柄な体格で、艶のある口ひげを携えており、にやりと笑うと金歯が光る。そのいかにも「商売上手です!」といわんばかりの顔つきが印象的だ。


「いや、バーラットさん。あんまり『旦那』呼びしないでくださいよ。オレ、そんな大層なもんじゃないんで」


 バーラットは、なぜかオレのことを「旦那」と呼ぶ。最初に会ったときに「お前さん、喋り方が落ち着いてるし、実はただ者じゃねぇだろ」なんて意味不明な理由を付けられて、そのまま定着してまった。


「へへっ、いいじゃねえか。旦那は旦那だ。さて、今日もやはりコーヒー豆ですか?」


「えー、そうなんですよ。コーヒー豆を追加で仕入れたいなと思ってきたんですが、お値段はいくらぐらいですか?」


 言いながら、倉庫の奥をちらりと見やる。木箱が山積みで、その合間に巨大な麻袋が積み上げられている。コーヒー豆以外にも、宝石やら薬草やらが入っていそうだ。

 すると、バーラットは勢いよく手を叩き、満面の笑みを向けてきた。


「何を言ってるんですか、旦那! 実はここ最近、旦那のおかげですんばらしく稼がせていただいてよ、旦那にはすげえ感謝しているんだぜ! だから、値段なんて気にせずにここにあるの、ドドン! と、無料で持ってってくれよ!」


 バーラットは「はっはっは!」と豪快に笑いながら、棚の奥から大きめの麻袋をずるずると引っ張り出してくる。それは一袋や二袋どころじゃない。ざっと見ただけでも十袋近くある。


「えっと……、流石にこんなにもいらないですよ。それにオレ、バーラットさんにお礼を言われるようなことした覚えないですけど」


「おいおい、なにを言ってるんだい、旦那! コーヒーの魅力に半信半疑だったオレに、その魅力を教えてくれたのはなにより旦那じゃねぇか! 今や、貴族たちの間でコーヒーがバカ受け!」


「えっ……いつの間にそんなブームになっていたんですね」


「火付け役はなんと、この国の皇太子殿下だとか。若ェのに凄いもんだよなあ。おかげさまで、安かった頃に大量に仕入れておいたコーヒー豆がなんと何十倍も高値になって捌けたってわけよ! もう笑いがとまらねぇぜ!」


「へえ……皇太子が? なかなかいいセンスしてるな」


 オレは貴族社会とは無縁だから皇太子についてもよくわからないが、オレと趣味があいそうなやつだ。


「そんでな、成功の立役者はなにより旦那じゃねぇか。だったらコーヒー豆くらい、いくらでも好きに持って帰っていいんだぜ! ほれ、全部くれてやるよ! この、ブァーッと積んである袋を!」


 本当に儲かったんだろう。よく見ると、バーラットの口ひげはツヤツヤで、右腕には高そうな時計がついている。そのうえ、今にもダンスしそうなぐらいノリノリだ。


「バーラットさん、気持ちは本当にありがたいんですが、普通にお金を払いますよ。別に、コーヒーの良さを伝えただけで、オレは特になにもしてませんから」


「お……そうなのか? 本当に遠慮しなくてもいいんだが、旦那がそういうなら……」


 バーラットが腕を組んで首をかしげる。

 高級なコーヒー豆を大量に持っていたら、それこそ目立ってしまいそうだし、ここは身の丈にあった立ち振舞をすべきだろう。


「それで、今の相場はいくらなんですか?」


「そうだな、今だと一袋『四十二アーヴ銀貨』ってとこだな……」


 えっ、随分と値が上がっているな。アーヴ銀貨は一枚で肉や野菜をそこそこ買える程度だから、四十二枚となるとざっと――食費……二十日分以上いけるんじゃないか。


「貴族たちが欲しがるせいで、値打ちが上がっているって言っただろ。これでも旦那のことを思って、適正価格より抑えているんだぜ」


 マジですか……。まさか、こんなにも高いなんて。


「なんでこんなに高いんですかね。やっぱり越境が大変なのが一番の問題なのか?」


 オレが不満げにつぶやくと、バーラットは頷きながらどっかり腰をおろす。


「ああ、コーヒー豆が盛んなオルトラ大陸との交易は大変だからなぁ。船で行くのにも何ヶ月もかかるし、ついたとしても砂漠や高地で移動が大変だからなぁ。そのうえモグラ魔峡谷なんて魔獣だらけの難所もある。要は命がけだってわけさ」


「なるほど……。コストがかかるのはわかりましたけど、こう何十倍にもなるのはエグいな。ならいっそ、この辺でコーヒーを栽培しちゃうとかどうだ? そしたら安く飲めるし、めでたしめでたし……って単純に考えてたんだが……」


「はは、やめときな。ここの気候じゃ、どう頑張っても質のいい豆はできない。こっちは雨がそこそこ多いし、冬場は冷え込むだろ? コーヒーは熱帯寄りの高地で育つもんだ。地温だの日照だの気温差だの、素人がぱっと始めて成功するわけがない」


「そりゃそうか」


 まあ、オレも前世で園芸なんて興味がなかったし、ガーデニングでミニトマトやバジルを育てられても、流石にコーヒーの木を育てた経験はもちろんゼロ。確かに専門知識がないのに挑戦するのは困難か。


「ほら、そういうことだからさ、もらっていってくれよ。むしろ、持っていってくれないと、俺のほうが申し訳ねえぐらいなんだよ。というのも、今じゃあ『バーラット商会』を立ち上げて、規模を何十倍にも拡大できるほど稼げちまった」


「え、商会? いつの間にそこまで……」


 まさかそんなにも稼いだとは、想像以上にバーラットさんは成功していたのかもしれない。


「なんだったら、俺が稼いだ額の半分を旦那にあげてもいいとさえ思ってるんだぜ。それくらい感謝してるんだよ。ま、その場合、旦那はうちの商会の幹部になってもらうけどな! 旦那と一緒に組めばこの世界を制することだって夢じゃねえと思ってんだ、俺は本気だぜ?」


「いやいや……それはちょっと大げさすぎですよ。オレ、本当にただコーヒーのいれ方を教えただけですよ。それに、オレは今の生活でも十分満足してますんで」


 バカ笑いするバーラットに対し、さすがにオレは引き気味だ。商会の幹部になって世界をとる、というのはどう考えても壮大すぎる。


「ははっ、相変わらず旦那は謙虚なんだからよ。ま、そういうことだから、受け取ってくれ。これは俺のお願いでもあるんだよ。旦那に少しでもお返ししねえと、オレの気が済まねえ。頼む!」


「そ、そこまで言われたら……まあ、わかりました。全部は無理だけど、一袋でもありがたいです」


「……いやいや、一袋なんて足りねぇ。全部もっていけ!」


「全部もっていっても飲みきれないですよ。一袋で十分です」


 そういうと、バーラットは名残惜しそうに、しかし嬉しげに、納得してくれたようだ。

 引きずり出していた麻袋の中から良質そうなものを一袋、ついでにロースト済みを少し入れた袋を手渡してくれる。


「ちぇっ、つれねぇなあ……。まあいい。まだまだ仕入れは続けるから、また集めておいてやるよ。そのかわり、旦那には今後もいろいろアドバイスを頼むぜ?」


「アドバイスって言っても、オレはコーヒーの入れ方ぐらいしか知らないですよ」


「いやいや、旦那がただ者じゃねぇことぐらいオレはわかっているんだぜ」


 そう言ってニヤリと笑う。はっきりいって過分な評価すぎる。


「まあ、思いついたら話しますよ。大したことはないかもしれませんが……」


「それで十分さ! 頼りにしてるぜ、セツの旦那!」


 バーラットは再び豪快に笑い、オレに手渡した袋をぽんと叩く。

 改めて重量を感じるが、ただでさえ高価な豆を無償でもらってしまっていいのだろうか――と思いながらも、熱い眼差しを向けてくるバーラットの顔を見ると、さすがに断れなくなる。


「それじゃあ、今日はありがとう。オレ、これくらいで帰ります」


「ああ、また来いよ。次はもっと珍しい豆を仕入れておくかもしれねえしな!」


 そんな掛け声を背中に受けながら、オレは夜道へ出る。

 いつもは食費何日分も払って買わなきゃならないコーヒー豆を、こんなに大量にタダでもらってしまった。バーラットとしては善意なんだろうが、オレとしては少し落ち着かない。


「……まあ、今は素直にありがたくいただいておこうか」


 コーヒー豆がもらえてうれしいという気持ちには違いないからな。

 そっと麻袋を抱え込み、鼻を近づける。かすかな香ばしさが漂ってきて、思わず笑みが漏れた。

 やっぱり、趣味に生きるって最高だ。

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