―13― 暗殺者
暗殺者という生業は、いつだって地味で孤独。
忌み嫌われる一方で、必要悪として重宝されもする。ときには強く恨まれ、ときには感謝される。
けれど、他人がどう思ってようが、わたしにはどうでもよかった。ただ仕事をするのみ。余計な詮索や感傷は排除する――それが、わたしの流儀だ。
今日もまた、新たな標的の依頼が届いた。
こんな辺境の街にわざわざ呼び出される依頼にしては珍しいが……報酬さえ相応なら、どこへだって足を運ぶ。
場所は古びた倉庫――しかも町外れにある、ほとんど人の気配がない区域だ。入口に立っただけで、埃っぽい空気が鼻を刺激する。こういう場所はいくらでも見慣れているし、暗殺者同士の取引、闇商人たちの商談、そういったやり取りに使われるにはうってつけだ。
「……まだ来ていないのか」
倉庫の中は薄暗く、木箱や麻袋が無造作に積まれている。窓から細い月光が差し込む程度で、ほとんど足元さえ見えない。
わたしは周囲を警戒しながら、奥へと進んだ。
――すると、遠くからかすかな気配を感じる。誰かが、わたしを待っている気配。それも、あえて名乗るつもりはなさそうだ。声をかけるよりも先に、その待ち人が闇の奥から姿を見せた。
「よく来てくれたね……黒鴉」
男の声はどこか冷たく低い。
まるで空洞の底から響いてくるようで、見た目こそスリムなシルエットだが、その声には奇妙な重みがある。顔はフードの影に隠されており、こちらからは見えない。わざわざ顔を隠すのは、つまりそういう筋の人間なのだろう。
「あんたが依頼人か」
わたしが一歩距離を詰めた瞬間、男はすうっと一歩下がった。暗殺者に近寄られるのは嫌なんだろう。
「そうだ。きみの噂はずっと耳にしていた。手際の良さと確実性……君ほどの腕の暗殺者は世界中を探してもそう見つからない」
わたしは無言で頷く。
わたしのことを褒めているのかもしれないが、正直どうでもいい。大事なのは、依頼された標的を確実に片付けること。
それ以外は……どうでもいい。
「さて、本題に入ろうか。今回、きみに依頼したいのはある男の始末だ」
男はそう言って、懐から紙片を取り出して投げ渡してくる。わたしが受け取ると、それは小さな写真だった。かなり粗い映りだが……隠し撮りされたものに違いない。
「……成人の男、見たところ、これといった特徴もないけど?」
写真には、優男とも言えず、かといって筋骨隆々というわけでもない、ごく普通の青年らしき姿が映っていた。すくなくとも、武術に長けているという雰囲気はまるで感じない。権力者の側近という風格もないし、ギルドでよく見かける有名な上級冒険者っぽさも皆無だ。
「ターゲットは『セツ』。ギルドのランクで言えばF級、つまり最底辺の冒険者だそうだ。通称……『どぶさらいのセツ』とも呼ばれているらしい」
「どぶさらいの……? それ、通称っていうよりただの悪口にしか聞こえないが」
わざわざそう呼ぶ意味がわからない。どぶさらいなどという仕事をしているなら、皆から軽んじられている程度の能力しかないんだろう。
「それが今回の標的なのか。つまりセツを殺せと?」
「あぁ、そういうことだ」
男ははっきりと肯定する。
腑に落ちない。このセツという男を殺すのに、わざわざわたしに依頼する理由がわからない。その辺りのごろつきに頼んでも依頼を達成してはくれそうだが。
とはいえ、考えるだけ無駄か。依頼主の事情なんて千差万別だ。詮索したってキリがない。
「この男を殺すだけでいいのか?」
「あぁ、そうだ。セツを抹殺しろ、それ以外は求めない。……受けてくれるか?」
「――報酬次第」
わたしが淡々と答えると、男はまた何かの書類を取り出し、こちらへ差し出してきた。明かりがほとんどない中、視線を凝らして内容を読み取る。そこには手付金と成功報酬の額が記されていた。
「…………は?」
思わず一瞬、声が漏れてしまった。指で金額をなぞりながら、裏を確かめる。桁をひとつ間違えているんじゃないだろうか――そんな疑惑が拭いきれない。
「……どう見ても、高すぎる。相手がただのF級冒険者なら、こんな額、場違いにもほどがある」
「懸念がある。彼は見かけ上、F級冒険者だが、実はなにか力を隠し持っているのではないかと疑っていてね。ただ、確証は一切ないのだがね」
「……ふうん」
つまり、この額はその不確実性も上乗せされているというわけか。
「もっとも、見た目どおり、雑魚な可能性も十分ある。なにもはっきりしないんだ」
なるほど。情報量が曖昧で、はっきりとした裏付けもない。
そんな人物をこれだけの額を用意して、暗殺を頼む。よほど、切羽詰まった理由でもあるんだろう。
まぁ、わたしはその辺の事情を深掘りしないのが常だ。余計な好奇心は不要。金のために動く、それだけ。
「依頼を受けよう。これだけの額をいただけるのだ。わたしとしても悪くない話だしな」
暗闇の中で、男が笑みを浮かべたような気配がした。
「受けてくれるのだな。では、頼んだ……黒鴉。手付金はその小切手を。成功報酬は、仕事をやり遂げた際に改めて振り込もう」
「了解。……これで契約は成立だな」
わたしは確認のために小切手を光へと掲げ、改めて額面を見つめる。
わざわざ偽造を仕掛けるような真似はしないだろうし、どうせ後で銀行なり換金所で確かめればいい。
「くれぐれも注意してくれ。相手はただの臆病者かもしれないが――もし本当に只者じゃないとしたら、きみといえど油断は禁物だ」
彼の言葉には、真偽のほどもはっきりしない警戒感が混じっている。だが、わたしはいつも通りだ。標的が強かろうが弱かろうが関係ない。殺すべき相手なら、仕留めるまで――それだけのこと。
「心得てる。……それじゃ、また」
踵を返し、月光に照らされた出口のほうへ向かう。男の姿はもう一度、闇の中に溶け込むように消えていった。
風のそよぎと、倉庫の軋む音が耳に残る。ひどく静かな夜だ――まるで今から暗殺計画を実行する者にはお似合いの静寂、といったところか。
「セツ……か」
わたしは薄暗い外へ踏み出しながら、手の中の写真をもう一度見下ろす。そこに写る男は、ごく平凡で弱々しく見える。これほど巨額の仕事がつくほどの秘密を、どんな顔して隠しているのだろう。
――それを見極めるのも、わたしの仕事のうちかもしれない。
「どれだけの力を持っていようと、関係ない。……さっさと片付けるだけだ」
そう呟いて、わたしは夜の街へと消えていった。




