共に、永遠に
結婚式当日。
エルシュは緊張した心を落ち着かせるために深呼吸していた。
その身は白いドレスで覆われており、銀色の糸で雪の結晶が散りばめられるように刺繍されていた。きっと太陽の下を歩けば、光に反射して美しく輝くようになっているのだろう。
今は冬の季節なので、身体を纏うように白い外套を羽織っている。こちらには金色の糸でドラグニオン王国の国章である竜が描かれていた。
どうやらこの竜は雌で、リディスが着る外套には雄の竜が刺繍されているらしく、番を意味するものとして描かれているようだ。
エルシュの頭には銀色の王冠が載せられており、白い髪は編み込むように結い上げられ、リディスの瞳と同じ濃い青色の花が髪飾りとして飾られていた。
「……ふぅ」
何度目か分からない溜息を吐いていると、背後から気配が感じられたためエルシュはぱっと顔を上げる。
「──エルシュ様、お茶をお持ちしました」
そう言って、目の前に温かな紅茶が淹れられたカップを置いてくれたのはフィオンだ。
彼女はダドリウスの件のあと、本来ならば厳しい罰か極刑を受けなければならない可能性もあったのだ。
だが、エルシュは今回の件にフィオンは無理矢理に従わされており、彼女の意思はなかったと言い切り、自分が今後はしっかりと手綱を握るので彼女の罪を軽くしてほしいとリディスとジークに訴えたのである。
そこでリディスが提案したのは、一度フィオンを侍女見習いへと降格させることだった。
下積みの者として働き、その働きぶりがちゃんと周囲に評価されれば、再びエルシュの専属侍女になることを許したのである。
その言葉を受けたフィオンは頭を床に擦り付けながら泣いて喜び、エルシュとリディスに永遠の忠誠を誓い、侍女見習いとなることを受け入れたのだ。
しかし、物覚えが良く、仕事が出来るフィオンはたった二か月で周囲に自分を認めさせる程の実力を発揮し、約束通りに再びエルシュの専属侍女へと戻ってきたのである。
さらに薬と毒に詳しい上に、ある程度の武術が使えるため、エルシュの護衛と毒見役も受けるようになっていた。
最初はダドリウス派だったことに周囲から反感を持たれていたようだが、それも彼女の仕事ぶりや生真面目で優しい性格によって払しょくされるようになり、エルシュは密かに安堵していた。
また、フィオンの弟もダドリウス達の手から助け出され、現在は侍従見習いとして王城で働いており、姉弟が仲良さげに会話している姿もたまに見られるようになっていた。
「ありがとう、フィオン」
「いえ。……エルシュ様」
「何かしら」
エルシュはカップを手で持ち上げつつ、小さく首を傾げる。
「この度は、ご結婚おめでとうございます。……これからも、フィオンは誠心誠意、エルシュ様と陛下にお仕えしていきたいと思います」
「まぁ……。ふふっ、ありがとう、フィオン」
突然の祝いの言葉に驚いたが、エルシュは穏やかな表情を浮かべて頷き返す。
「立て込んでいる式事が終わったら、また皆で雪合戦をしましょうね」
エルシュが悪戯っぽくそう告げるとフィオンは目を丸くして、そして楽しそうに苦笑した。
王妃という身分で、自ら雪合戦をする者は他にはいないだろう。だが、そんな自分に向けてリディスも王城の者も何か言ってくることはない。
もちろん、子ども達とこっそり行っているので、大人には秘密なだけだが。
「では、楽しみにしていますね」
「ええ」
フィオンは失礼致しますと言ってから、控室から下がっていった。
エルシュは温かい紅茶を一度口に付けてから、喉の奥へと流す。温かさが身体に染み込んで行き、先ほどよりも少しだけ緊張が解けている気がした。
……でも、顔が硬いって思われてしまうかも。
相変わらず、笑うことは苦手だ。たまに笑った時は相手が目を見開いて、一大事だと言わんばかりに王城内に触れ回るほどに、エルシュの笑顔は貴重とされているらしい。
内心ではいつでも笑えるようになりたいと思っているので、最近はこっそりと笑顔の練習をするようになっていた。
カップを一度、机の上に置いてからエルシュは自らの両手で頬を摘まんで、軽く引っ張ってみる。
頬の筋肉が硬いせいで、上手く笑えていないのかもしれないため、ほぐすように何度か頬をむにむにと触っているとすぐ傍で小さな笑い声が漏れ聞こえた。
驚いたエルシュは手を止めて、慌てながら立ち上がる。扉の前に立っていたのは礼服に身を包んでいるリディスだ。
白を基調する礼服は背の高いリディスにとても似合っており、清廉さの中に威厳も含まれているように見えた。
髪はいつもよりも丁寧に梳かれており、後ろへと流すように整えられている。
銀色の仮面はいつもと同じものであるはずだが、光で反射しているように見えるので、きっとこの日のために磨かれたのだろう。
「リ……リド様っ。見ておられたのですか……! 部屋に入ってきたのならば、声をかけて下さいっ」
「ふっ……。すまない、そなたが笑顔を作ろうと練習している様が面白くも可愛らしくてな」
エルシュが頬を膨らませるとリディスはふっと笑みを溢してから、顔を近づけて来る。
あっ、と声を溢すよりも早く、リディスの口付けがエルシュの唇へと降ってきていた。柔らかな唇はエルシュの顔を楽しむようにゆっくりと離れて行く。
「……良い顔をしているぞ」
「かっ……からかわないで下さい……」
悪戯が成功したような、だが色気のある顔が目の前にあるため、エルシュは全身が火照るのを抑えきれなくなってしまう。
きっと、今の自分の頬は赤く染まっているに違いない。両手で頬を抑えながら、リディスから視線を逸らすと彼は楽しそうに笑みを浮かべた。
「まあ、そういう表情は私以外の者には見せたくはないけれどな」
そう言ってから、リディスはエルシュへと左手を差し出してくる。彼の左手の薬指には銀色の指輪がはめられていた。
もちろん、エルシュの左手の薬指にはめられているものと同じ指輪である。
そろそろ外へと続く露台へと出て、国民達に結婚式の始まりを告げる挨拶をする時間なのだろう。エルシュは大きな手に自分の右手をそっと重ねた。
耳を澄ませば、露台の外へと続く場所から歓声らしきものが聞こえてくる。自分達が姿を現す瞬間を国民が今か、今かと待っているのだろう。
ぎゅっと握りしめられた手に反応するようにエルシュが顔を上げると、そこには頼もしくも優しげな表情があった。
初めて会った頃に見た、憂いを含めた陰りは一つも浮かんではいない。
もし、進む先でリディスの表情が曇るような事があれば、自分はそれを拭えるように支えていきたい。仮面の下からでも、リディスがずっと笑みを浮かべ続けられるように。
「……共に生きてくれるか、エルシュ」
「ええ。リド様が望む道がある限り、私は永遠にお傍におります」
エルシュが静かに微笑むとリディスも同じように幸福に満ちた表情で微笑み返してくれた。
露台へと続く、開け放たれた大きな窓の向こう側は明るい光で満ちている。そこへ自分達は歩いて向かうのだ。
これからも、想像出来ないほどの困難と感情が生きている上で、たくさん待っているのだろう。
それでも、繋いだ手の温度を感じ取ることが出来るのならば、何も怖いものや悲しいものはないのだと、そう確信出来るのだ。
共に生きると選んだ未来に向けて、独りぼっちだったエルシュとリディスは、確かに二人となり、一歩ずつ明るい方へと歩み始めたのだった。
完
この度は「銀花の姫は竜の吐息に色付く」を読んで下さり、ありがとうございました。
元々、公募に出していたものでしたが、こちらでたくさんの方に読んでもらえて嬉しく思います。
気楽な感想など、楽しみにしています。
また、皆さまのお目にかかれるようにこれからも精進したいと思います。
読んで下さり、ありがとうございました!




