竜の力
「えっ、エルシュ姫っ!?」
ジークの驚くような声を無視したまま、エルシュは走りながら両手をダドリウスの頭上めがけてかざした。
想像したのは先が尖った氷の結晶だ。もう、何かの形を細かく想像する時間はなかった。
少しでいい。魔法陣の範囲に入ってしまえば、消されてしまうと分かっている。
だからこそ、少しだけでもダドリウスの意識を散らすことが出来るならば──。
素人目による判断だが、どうやらダドリウスが立っている中央の場所は魔法陣の効力が機能していないらしい。
でなければ、魔法陣を発動させているダドリウス自身もそのまま闇の中へと引きずり込まれてしまうだろう。
エルシュは深呼吸をしながら、意識をダドリウスの頭上へと集中させた。
「……陛下、私が……合図をした瞬間に氷をダドリウス殿下の足元へと落とします」
「なに……」
ダドリウスには聞こえないようにエルシュはリディスのすぐ傍で耳打ちする。
「その際に生まれた隙を狙って下さい」
「……分かった」
リディスの一言はエルシュに信頼を寄せてくれている証だ。それが嬉しくて、笑みが浮かびそうになるのを押しとどめてから、再び意識を集中させた。
氷の結晶は人の大きさ程までに形成されていったが、一歩でも間違えればダドリウスの頭に落ちてしまうだろう。
狙うものはダドリウス本人ではなく、彼の意識だ。
……正確さを研ぎ澄まさなければ……。
今日一日だけでかなりの頻度で雪華の力を使ったため、疲労によって身体がふらついてしまう。
だが、リディスを守ると決めたのは自分だ。その決意だけがエルシュの身体を真っすぐと立たせてくれていた。
そして、エルシュはその瞬間を見極めたように叫んだ。
「──落ちなさい!」
エルシュが叫んだ合図に従うように、氷の結晶はダドリウスの鼻先をかすめつつ、彼の足元へと突き刺さるように落ちていく。
「う、あっ!?」
ダドリウスは氷の結晶が突然、目の前に落ちてきたことに対して大きく驚き、身体を後ろへと仰け反らせる。
彼がリディスに向けてかざしていた右手は振れ動き、体勢が少しずつ崩れていった。
その瞬間をリディスは見逃さなかった。
ぶわりとリディスの身体からは熱のようなものが発生し、はっきりと見えない何かがダドリウスと魔法陣を取り囲んで行く。
リディスによって力が押されているとダドリウスが気付いた時にはもう遅かったようだ。温かくも何故か眩しさを感じるリディスの竜の力は、ダドリウスを包み込むように完全に閉じ込めた。
「……化け物と言われようが、呪われていようが私は生きる。この国の王として、リディス・ドラグールとして、老いて死ぬまで立ち続けてみせる……!」
リディスが言い放った言葉を最後に、ダドリウスを囲んでいた竜の力は顕現し、稲妻のような光の柱を天井に届くほど伸ばしていく。
その眩しさにエルシュは自らの右腕を盾にしながら、目を閉じた。
しばらくの間、目を閉じていたエルシュはやがて、感じていた力が静まったことを察して、恐る恐る瞳を開いてみる。
視線を前へと向ければ、エルシュが振り落とした氷の結晶とダドリウスが形成していた魔法陣はすでに消え去っていた。
そして、床の上には気を失ったように倒れているダドリウスの姿があり、彼の右手に装着していた黒い石の腕輪は何故か粉々に砕け散っていた。
「……」
作られたような静けさがその場に漂う。
終わったのだ。
打ち勝ったのは、リディスだ。
それを自覚した瞬間、エルシュの身体はぐらりと揺れた。
「エルシュ……」
こちらへ振り返ろうと身体の向きを変えていたリディスと、目を閉じる前に視線が重なる。
だが、もう声を発することさえ出来なかったエルシュはそのまま身体の軸を失い、膝を折り曲げながら前のめりに倒れていく。
「っ! エルシュ!」
リディスの焦った声が聞こえたが、それでも言葉を返すことが出来ずにエルシュの意識は遠のいていった。




