冷たい玉座
「なんで……動けるんだ……! あの魔法は……僕にしか、解けないはずなのに!」
黒い渦が渦巻く魔法陣の中心で、ダドリウスは胸元を両手で鷲掴みにしながら、唇を強く噛んでいた。
「……魔法に飲まれているねぇ」
ジークが聞こえるか聞こえないかの声量でぼそりと呟く。
「……ドラグール家には魔力とは別に、竜の力を合わせ持って生まれて来る者がいるのは知っているだろう。魔法は元を辿れば竜が人間に知識を与えたことから始まったと言われている。つまり、竜の力は魔法を凌ぐ力を持っているということだ。魔法の国に留学していたというのに知らないのか?」
「そんなことは知っている……! だが、竜の力なんて、王家を担ぎ上げるためのおとぎ話だろうが! 僕はそんな力は持っていない!」
喚くように応えるダドリウスにリディスは肩をすくめていた。
「それはお前が正統継承者ではないからだ。……竜の力を持つ者は直系にしか生まれない」
リディスはエルシュが形成していた氷の檻の前に立つと、指先で氷の鉄格子を軽く弾いた。
瞬間、鉄格子は粉々に砕け散っていき、すぐさま霧散していく。まるで反響するように、並び立っていた氷の檻は一瞬にして消え去ってしまった。
自分以外の人間が雪華の力で作った氷を消し去る瞬間を見てしまったエルシュは驚きによって目を瞬かせてしまう。
どうやら竜の力というものは詠唱も道具も何も必要がないまま、その力を想像通りに具現化することが出来るらしい。
すると、ダドリウスは何かに気付いたのか軽く目を瞠り、そして表情を歪ませつつ、嘲笑するような笑い声を上げ始めたのである。
「ははっ……! 仮面で一体、何を隠しているかと思えば……。本物の竜の鱗だって? あははっ……! 冷徹王の正体はとんだ化け物じゃないか!」
リディスの顔に生えている竜の鱗を指さしては、おかしくてたまらないと言わんばかりにダドリウスは腹を抱えて笑い続ける。
やはり、ダドリウスは竜の力に隠された呪いについて何も知らないのだ。だからこそ、あのように嘲りの笑みを浮かべることが出来るのだろう。
エルシュは唇を噛んでいたが、それでも目を逸らすことなくリディスの背中を支えるように視線を送り続けた。
「ああ、皆、騙されて可哀そうに……。こんな化け物の王に傅かなければならないなんて、運の尽きとも言うべきか!」
笑い声を止めることのないダドリウスだったが、そんな彼を無視しつつ、ジークが謁見の間全体に結界を張り始めていた。
先程までとは違う、何かを包み込むような感覚が反響し合っているように感じられる。
ダドリウスが使おうとしている魔法をどうにか食い止めるために、気休めでも結界を張っておかなければと多重に重ねているようだった。
「今、ここで化け物を討ち取れば、僕は英雄になれるかもしれないね。誰もが僕に恐れをなし、崇めるだろうよ!」
「……やはり、お前に玉座は渡せないな」
ダドリウスの言葉に終止符を打つように、溜息交じりにリディスが呟く。
「王というものは決して恐怖や武力で臣下、民を支配してはならない。……その意味が分かるか?」
「なに……?」
「恐怖は新たな恐怖を呼ぶ。武力が新たな武力を呼ぶように。だからこそ、支配による治世を望むお前に玉座を渡すことなど、尚更出来ない」
一歩、リディスはダドリウスへと近づいた。緊張が少しずつ張り詰めていく。
「だが、玉座というものは常に冷たい。それはたった一人では座れない程に冷たく、孤独なものだ。それこそ、自分以外の誰かがいることで、やっと存在出来るのが玉座というものだ」
迷うことなく、一歩を踏み出してくるリディスにダドリウスは少しだけ仰け反っていた。
エルシュはリディスの背中しか見えていないため、彼が今どのような表情を浮かべているのかは分からないが、それでも空気から察することは出来ていた。
「喉元に剣を突き立てられても、毒を飲まされても、呪われていても──何事もなかったように、ずっと立っていなければならない。誰かの上に立つということは、そういうことだ。それゆえに、改めてお前に問おう」
そして、リディスはぴたりと足を止めた。
「その覚悟を背負う器が己にあるというならば、お前が私に向ける刃を受けて立つ」
リディスの言葉に、ダドリウスの顔は醜く歪められていた。まるで初めて親に叱られた子どものようにも見えるがそこに純粋さなどは微塵もない。
「……化け物が玉座に座っていたと知れば、どれほどの国民が恐れおののくだろうね。立っているのは立派な王ではない。ただの、惨めで醜い化け物だ。──お前は、人間じゃない。化け物だ! だから、そこを僕に譲れ! 玉座ごと、地に落ちてしまえ!」
ダドリウスは叫びつつ、右腕をリディスの方へと向ける。その光景に思わず駆け出してしまいそうになったエルシュをフィオンが小さい身体で押さえ込んだ。
「……そうだ」
化け物だと言われて、リディスからは肯定するような言葉が紡がれる。
「だからこそ、王とは孤独なものだ。それでも、その孤独の中に……自分の存在を許してくれる者が一人でもいるならば、抗わずにはいられないんだ」
その言葉にエルシュははっと顔を上げる。リディスから告げられたのは、彼がこの先を生きたいと願う強い意思だった。
リディスは両手をダドリウスの方へとかざす。
瞬間、温かい風と冷たい風が接触しては反発しあう空間が形成され、その中心でリディスとダドリウスが己の力を使い、せり合っていた。
ばきり、と響いた音はきっと、ジークが謁見の間全体に張っている結界が割れた音なのだろう。それでもジークは両手を空中へとかざしてから、結界を張り直している。
すぐ傍にいたフィオンは大きい力のせり合いを怖がっているらしく、いつの間にかエルシュの足元にしがみついていた。
フィオンの身体を両腕で守るように抱きしめながら、エルシュはリディスの方へと視線を向ける。
ばちばちと火花が空中を舞っては消えていく。並べられていた卓や椅子は反目し合う二つの力によって壁際まで吹き飛ばされていた。
ダドリウスが作った暗黒魔法の魔法陣はゆっくりと広がっていき、もう少しでリディスに届いてしまいそうだった。
……駄目っ!
そう思った瞬間、エルシュは抱いていたフィオンを離し、リディスの傍まで迷うことなく駆け抜けていた。




