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魔獣

 

「はっ……。なるほど、ね……」


 そう呟いたのはリディスと同じように床上に倒れているジークだ。彼は魔法使いだが、この現状を打破するための魔法を知っているのだろうか。


「これは……。束縛魔法の一つ……身封じの魔法だね。しかも、魔力が高い、人間ほど……効果が抜群な高位魔法……」


 呼吸がしにくいのか、ジークは床に這いつくばりながらも魔法について冷静に分析していた。ジークの言葉通りなのか、ダドリウスはにやりと悪戯が成功したような笑みを浮かべる。


「残念だったねぇ? 僕を遠ざけるために留学させることまでは上手くいったけれど、それは僕にとって幸運だった。だって、わざわざお前達を屈する(すべ)を身に着けに行かせたようなものだからね」


 ダドリウスは楽しくて仕方がないと言わんばかりに笑い声を上げてから、今度はエルシュの方へと冷めたような、熱を込めたような瞳を向けて来る。


「エルシュ姫。僕はね、この手に掴めないものは何もないと思っているんだ。だから……君もそこの男の目の前で、奪わせてもらうよ」


「っ……」


 ダドリウスは世界の中心は自分だとでも思っているのだろうか。その言葉に反応を返さず、エルシュは無表情のまま睨みつける。


「いいね……。その表情、僕は好きだよ。……汚してしまいたいくらいに」


 冷たいものが背中に流れたのは何度目だろうか。

 込み上げて来る不気味さは一体、何だろうか。


「そこに這いつくばって、全てが変わっていく様を見ているといい、リディス・ドラグール。お前が持っていたものをこの僕が覆す様を」


 ダドリウスは嘲るような声色でリディスに向かってそう告げると、今度は状況を飲み込めずに混乱している者達の方へと視線を向けた。


 その場に居るのは諸外国の外交官や要人、そして自国の貴族ばかりだ。誰しもが驚きと恐怖、そして不審がるような瞳をダドリウスへと向けている。


「今宵はいかがでしたか、紳士淑女の皆さま方。これにて、リディス・ドラグールの治世は終わりとなります。そして──」


 ダドリウスは再び、右手を頭上へと挙げた。その手首には親指ほどの大きさの丸い石が連なっている腕輪がはめられている。



「ダドリウス・ファヴニルの即位式をご覧いただこう」



 彼がそう言い切った瞬間、右手に装着されている黒い石の腕輪が鈍く光り始める。


「……来たれ、来たれ、来たれ。その者は我が眷属。そして、見せよ! その忠誠を!」


 ダドリウスの叫びにも似た呪文のような言葉と共に、謁見の間の中央には大きな魔法陣が突如として出現する。


「そんな、馬鹿なっ……!?」


 そう叫んだのは背後で動くことが出来ないジークだ。彼の瞳はあり得ないと言わんばかりに丸くなっており、口が開いたままになっている。

 ジークはすでに、ダドリウスが何を行っているのか分かっているらしい。


「何が起きて……」


「うわぁっ……!?」


「きゃぁぁっ!」


 謁見の間の中央に突如として激しい力が発生したことで、周囲に居た者達は次々と後方へと飛ばされていた。

 まるで突風にも似たその風はそれまで綺麗に並べられていた卓を吹き飛ばし、全てをかき乱すようにめちゃくちゃにしていく。


 エルシュの耳には空気が切り裂かれる音と共に、恐れが混じった人々の叫び声が聞こえていた。


 だが、何故か謁見の間の扉は開かないようになっているらしく、我先に逃げようとしている人達が出入り口となる扉の前でお互いを押しやりながら固まっていた。


 ……どうすれば……!


 現状を把握していると思われるリディスとジークは動けないままだ。その間にも、ダドリウスが次の言葉を発した。


「──顕現せよ!」


 吐かれた言葉に従うように、謁見の間の中央に浮かび上がっていた魔法陣から発生する風が一気にその場を吹き抜けていく。

 エルシュが一度、目を瞑ってから再び開いてみれば、そこには信じられない光景が映っていた。


 例えるならば、おとぎ話に出てくるような可愛らしいものや美しいものではない。

 魔法陣の中央から這い出て来たのは三つの頭に対して、一つの身体を持っている犬にも似た生き物だった。


 ぶわりと風と共に匂いが鼻を掠めていく。その匂いは残飯や廃棄物が溜まった場所から生まれた異臭のようだった。


「何でそんな恐ろしいものを召喚……というか、使役しちゃうかなぁっ!?」


 後方からジークの情けない声が響いて来る。彼はこの犬のような生き物のことを知っているらしい。

 犬に似た生き物は三つある頭を使って、三方向に向けて威嚇し始める。


 その視線に恐怖したのか、方々から引き攣るような叫び声が上がっていた。


「魔獣……! 魔獣だ!」


「食われるぞ!」


 魔獣とは普通の動物とは違って、生まれながら魔力を持っている獰猛な生き物のことだ。

 森の中や街道によく出没し、旅人や商人を襲うため、それぞれの国には魔獣を討伐することを専門とした組織まで作られている。


 もちろん、比較的に安全である王都で魔獣の姿を見ることはほとんどないため、貴族達が怯えるのは当たり前の反応だろう。

 エルシュも魔獣を実際に目にしたのは今回が初めてだった。


「ねぇ、どうして扉が開かないの!?」


「おい、この扉を開けろ!」


 何か意図的な力によって、謁見の間の扉は開かないようになっているらしい。


 それならば給仕が使用していた細い扉の方はどうかと視線を向けたが、その場所にも人が固まっており、扉が開かないことを意味していた。


 そういえば、この夜会では帯剣が許されておらず、謁見の間に入る前に所持していた武器類は全て別の部屋に預けてこなければならない規則となっていたことを思い出す。

 そのため、誰も扉を壊せずにいるようだ。


 武器を持っている近衛騎士達は扉の外で待機しているはずだ。しかし、謁見の間の騒ぎを知らないのか、それとも何かの仕掛けによって扉を開けることが出来ないでいるようだ。

 

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