夜会
謁見の間で行われる祝宴の夜会は自分が想像していたよりも、煌びやかで華やかと言えるものだった。玉座へと通じる通路には幅広い真っ赤な絨毯が敷かれていた。
開いた中央を囲むように、円形の卓がいくつも並んでおり、その上には豪勢で眩しい料理やお酒が入ったグラスが置かれていた。
それらの料理やお酒に舌鼓を打ちつつ、諸外国から来た外交官や大臣達はドラグニオン王国の貴族達とお喋りに興じていた。
たまにちらりとエルシュの方を見ては薄っすらと笑い、そして再びお喋りを続けるということが多数の貴族に見受けられるので、恐らく自分のことを王妃としてふさわしいか見定めている視線なのだろうと受け取っておくことにした。
……夜会に参加するなんて、久しぶりだわ。
頭上のシャンデリアには室内を明るく照らす光が灯っており、目を瞑ってしまいたくなるほど眩しく感じられる。
自分が華やかな場所にいることが現実だと分かっていても、その眩しさにはまだ慣れなかった。
滞りなく夜会が行われているが、実は裏ではジークが頭を抱える問題が発生していたらしい。
当初は大広間の方で祝宴の夜会を行う予定だったが、一週間前に大広間の窓ガラスが数枚割れてしまうという奇妙な事態が起きたため、急遽として謁見の間に変更されたのである。
窓ガラスを交換しようとしたが手配が間に合わず、結局は謁見の間で行われることになったが、未だに窓ガラスが割れた理由は判明していないままらしい。
宰相であるジークと財務大臣が余計な予算がかかると言って怒っていたので、窓ガラスを割った犯人は捕まれば彼らに雷を落とされることになるだろう。
だが、そんな騒ぎもあったが、祝宴の夜会は今のところ順調に進んでいるようだった。
玉座に座っているリディスとその隣の席に座っているエルシュのもとには途切れることなく、挨拶を述べに来る貴人達の列が出来ていた。
挨拶が終わった者は早々と料理が並べられている卓へと戻り、再びお喋りに興じるか、もしくは音楽隊が奏でる曲に合わせてダンスを踊るようだ。
視線を向ければ、広間の中央では多数の男女が手を取り合って、優雅にダンスを踊っている姿が見受けられた。
……私も念のためにダンスの練習はしたけれど、陛下と躍る機会はあるのかしら。
夜会の進行についての話は聞いているが、それでも自らダンスを踊る様な項目はなかった。
今のところ途切れることなく挨拶に来る者達がいるため、そのような暇はないだろうとエルシュは密かに安堵していた。
練習ではそれなりに踊れるようになったが、やはりリディスが相手だと緊張してしまいそうだ。それを覚られたくはないので、躍る機会がなければその方がいいのだ。
リディスに祝辞の挨拶を述べに来る者達の中にはエルシュが生まれた国であるアルヴォル王国からの外交官も来ていた。
名も知らない外交官だが、リディスとエルシュの結婚が両国間にさらに良い関係をもたらすことを願っています、と言った型にはめたような挨拶をしてきたが、それでもエルシュが姉であるロサフィの代わりとして嫁いだことを知っているようで、去り際には同情するような瞳を向けてきていた。
自分はリディスに嫁いで良かったと心の底から思っているので、同情されるいわれはないのだが、それでも周りから見れば身代わりだと思われているのかもしれない。
外交官は半年後の結婚式には外務大臣と共に再び出席すると告げていたが、その際には自分をドラグニオン王国へと送り出してくれたことに対するお礼を一言くらいは言っておいた方がいいだろう。
嫌味として受け取られないようにしなければと心の中で考えていると、自分の足元に少しだけ影が差し込んできたため、エルシュはぱっと視線を上へと向ける。
「……」
何となく予想は付いていたがエルシュは心の中で構えながら、感情を込めていない視線でダドリウスを見据えた。
「やぁ、リディス国王陛下、エルシュ姫。お祝いに来たよ」
ダドリウスは白い外套を羽織り、その下には濃い青の布地の正装を着て、目の前に立っていた。髪は綺麗に整えられており、見た目だけは物語の王子様のようにも見える。
リディスへの軽口が許されているわけではないが、直す気はないのだろう。ダドリウスはにこにこと楽しそうに笑いながらリディスに言葉を続ける。
「とりあえず、即位して一年、おめでとうとでも言っておこうかな?」
「……皮肉と嫌味が混じっているように聞こえるが気のせいか?」
リディスは視線を逸らさないまま、小さな溜息を吐きながら答えた。
「わっ……。素直に祝辞を述べているだけだと言うのに、酷い疑いようだなぁ」
「素直に喜べない性質で悪かったな」
リディスは周囲に聞こえないように声を落として、ダドリウスの言葉に応えているが、まだ挨拶が終わってはいない者達が彼の後ろには控えている。
そろそろ交代して貰った方がいいだろうとエルシュが横から口を挟もうかと思った時だ。ふいにダドリウスの顔がこちらへと向いたのである。
「エルシュ姫もご機嫌うるわしゅう。そのドレス、似合っているね。まるで雪の妖精のようで美しいよ」
「……お褒めの言葉、ありがとうございます」
リディスからでさえ、ドレス姿についてはまだ言葉を貰っていないと言うのに、ダドリウスから受けてしまえば、何となく居心地の悪さを感じていた。
恐らく、リディスへの当てつけでわざとやっているのだろう。
「うーん……。綺麗に着こなしている姿もいいけれど、僕としては少し乱れたところも見たいなぁ、なんて──」
「ダドリウス」
ダドリウスの言葉を妨げるようにリディスは鋭い声を放った。
「挨拶が済んだならば、下がれ。他にも挨拶をするために参列している者がいるだろう。見て分からないのか」
仮面の下から、突き刺すように向けられている視線は牽制しているのか、細められている。厳しい表情を浮かべるリディスに対して、ダドリウスは肩を竦めながら短い溜息を吐いた。
「えー? ……仕方ないなぁ。それじゃあ、またあとでご機嫌伺いにでも来ようかな」
「来なくていい」
ぴしゃりと言い放つリディスは視線で早く去れと言わんばかりに冷たい雰囲気を醸し出していた。
リディスに諫められたダドリウスはそのまま背中を向けるかと思われたが、突然ぐいっとエルシュに近づいて来る。
そして、彼はエルシュだけに聞こえる声で静かに呟いた。
「ねぇ、エルシュ姫。君が今、その場所から見ている景色──僕の隣で見せてあげようか」
「……」
どこか確信しているような言葉にエルシュは微かに目を見開く。ダドリウスは予想通りの反応だと言うように口元に弧を描いてから、やっと踵を返して、その場を去っていった。
……どうして、ダドリウス殿下はあれほどまでに、自信を持っているのかしら。
まるで王位は自分のものだと確信している上で、その隣にエルシュが座らないかと誘って来ているように思えたのだ。
リディスから自分へと乗りかえろと言っているようにも聞こえて、エルシュは顰めそうになる表情を何とか抑えた。
今は諸外国からの要人もやって来ている。ここでむやみやたらに感情を前面に出すことはしない方がいいだろう。
「……エルシュ。ダドリウスに何か言われたのか?」
声を抑えながら、リディスがこっそりと耳打ちしてくる。やはり、先程の言葉はリディスには聞こえていなかったようだ。
「あの……」
エルシュが念のためにリディスにダドリウスから告げられた言葉の内容を伝えようとしていたが、次に挨拶をしにくる者が目の前へと現れたため、話は中断してしまう。
リディスにまた後で伝えると視線で会話してから、エルシュは姿勢を正した。視線を外す瞬間、リディスが何か言いたげな瞳を向けていたが、それに応えることは出来なかった。




