嫌な奇遇
久しぶりに自らの足で訪れた図書館の周辺は、他の廊下と比べるとかなり静かだった。
その静けさに心地良さを感じつつ、エルシュは侍女のオルアだけを伴い、護衛達には扉の外で待つようにと言い置いてから図書館内へと入った。
図書館に一歩入ってみれば、王城で働いている者達の喧騒とは程遠い場所にあるように感じられた。
それは恐らく防音に優れた壁によって囲まれているため、図書館の外から聞こえる音を遮断してくれているからだろう。
エルシュは貸出の手続きをしてくれる司書が控えている業務用の台の上へと返却する本を置いてから、返却の手続きを済ませて貰った。
「……そういえば、式典に参加する国の特産物を把握しておきたいと思っていたんだったわ」
図書館に足を運んだので、ついでに新しく借りる本を探したいとオルアに伝えると、それならば司書に頼って、適した書物を調べて持って来てもらおうということになり、暫くの間、待つことにした。
図書館の椅子に座って、待っていようかと思っていた時だった。
「──おや、同じ場所で二度も会うなんて、奇遇だね」
一度、耳に入れてしまえば忘れられない程に鋭く尖った言葉がエルシュに向けられたのである。
後ろに振り返るよりも先に、背後に誰がいるのかを察したエルシュはすぐに距離を取るように下がりながら振り返る。
その間にもオルアがエルシュの盾になるように一歩、前へと出た。
「へぇ、今日はちゃんと侍女を連れているんだ。まぁ、普通はそうだよね」
「……こんにちは、ダドリウス殿下」
わざと話を遮るようにエルシュは挨拶を無表情のまま言い放った。
ダドリウスは先日と変わらず、エルシュをまるで見定めるような視線で上から下までを見下ろしてから、ふっと鼻で笑っていた。
何かおかしいところでもあっただろうかと思うよりも先に、この人間には関わりたくはないという意思が強く芽生え始める。
……まさか、二度も図書館で顔を合わせることになるなんて。
エルシュはオルアの陰で唇を噛みつつ、つい欲張って図書館に長居してしまったことを後悔した。
「ここ最近、部屋に籠り切りだと聞いていたけれど、元気そうだね? まぁ、式典が近いから、無理をしないようにね」
「……お心遣い、ありがとうございます」
労う言葉をかけられたはずなのに、どうしてこれほどまでに嫌悪のようなものを感じてしまうのだろうか。
「僕も式典には参加するつもりだから、当日は宜しく頼むよ。……ああ、夜会の際には是非、僕ともダンスを踊ってくれるかな?」
まさかの誘いにエルシュは石のように固まりかけてしまう。
オルアが盾となってくれてはいるが、彼女も王家の血が流れているダドリウス相手にどう対処すればいいのか迷っているようだ。
エルシュはダドリウスに気付かれないように数度、息を吐いてから真っすぐと視線を向ける。
「お誘い頂き、嬉しいのですが……。今回の式典と夜会は、嫁いで来てから初めての大きな式事でございます。貴族の方々や他国からお出で下さった方々への挨拶をしなければなりませんので……」
「ああ、それもそうか。王妃様は忙しい身だよね。残念だけれど、また次の機会にダンスの相手を頼むとするよ」
今の返答で納得してくれたらしく、思っていたよりも彼はすんなりと引き下がってくれた。
だが、もし次の機会があったとしても、彼のダンスの相手だけはどうにか言い訳を並べて、拒否をしたいのが本音である。
もちろん、表情に不機嫌さを出すわけにはいかないので、エルシュは無表情のまま一礼をするだけに留めておいた。
「それでは用がありますので、これで失礼致します」
正直に言えば自分に危害を加えようとしている上に、リディスの王位を狙っているダドリウスとこれ以上関わりたくはないというのが本音だった。
……護衛二人は外で待機させてしまっているし、オルアはただの侍女だもの……。
もし、手を出されそうになれば、自分一人で対処しなければならないだろう。
図書館は水気禁止とされているが、ダドリウスに害されそうになった際には遠慮なく雪華の力を使って、反撃するつもりではいる。
……静かな図書館と言っても、人がいないわけではないわ。
利用者はまばらだが席に座って、こちらの様子を不安そうに眺めている者も見受けられる。
それもそうだろう。
何せ、現国王の王妃と現国王の従兄弟であり、王位を狙っていると囁かれている者が対立するように睨み合っているのだから。
オルアがダドリウスをエルシュへと近づけないように牽制してくれているが、彼は一歩ずつ近づいてきていた。
「そんなに急ぐこともないんじゃないかな? 今、本を司書に取り寄せて貰っているなら時間があるだろう? 少しだけ話そうよ」
「いえ、結構です。……オルア、司書の方に本はあとで借りに来るって伝えてくれる?」
「えっ……。ですが……」
オルアはその場から離れることを躊躇っているようだ。エルシュはオルアの肩にそっと手を触れてから、頼んだと伝えた。
彼女は渋々と言った様子で、少し早足で歩きつつ、先程頼んだ本を探してくれている司書の元へと向かった。
オルアという盾が無くなった今、エルシュは改めてダドリウスと対峙していた。
「つれないなぁ。……僕としては、君ともっと仲を深めたいと思っているんだけどな」
「そうですか。ですが、残念ですね。私はそのように思っていないので」
「ははっ……。銀花の姫は本当に頑なだなぁ」
「……何ですか、その銀花の姫って……」
「もちろん、君の呼び名だよ。白髪で肌の色も白い上にいつも無表情で、氷像のように色がない。それに氷雪を操ることが出来る力を持っているんだってね? だから、銀花の姫。ぴったりだろう?」
「……」
確かに自分は氷像のように固まった表情をしているが、さすがに「銀花の姫」という呼び名まで貰うとは思っていなかったため、思わず顔を顰めてしまいそうになった。
エルシュはあえて、何も答えないまま、後ろへと一歩ずつ下がっていく。
……このまま入口に向けて、走ってしまおうかしら。
図書館内で走ることは厳禁とされているが、今は非常事態だ。王妃が走るとは何事かと咎められるかもしれないが、この場を乗り切るためには意地でも逃げるしかないだろう。
「……ダドリウス殿下、おしゃべりはそのくらいに。ここは図書館ですよ。私語は慎まれるべきです」
エルシュは逃げるための準備を心の中で構えつつも、それをダドリウスに覚られないようにと平静を装った。
「そうだね。……それじゃあ、どこか二人でゆっくりと話せる場所に移動しないかい? もう少し、君と話をしてみたいんだけれどなぁ」
「お断りいたします」
間を開けずにエルシュはそう言い放った。図書館内には妙な緊張感が走っていき、他の利用者達も口を挟むことが出来ずにいるようだ。
「冷たいところもいいね。……まぁ、そういうところが惹かれるんだけれど。そこまで拒絶されると、無理矢理にでも君を溶かしてしまいたくなるね」
最後に呟かれた言葉を耳にしたエルシュは背筋に冷たいものが流れていく気がした。
嫌な予感がしたエルシュは素早く身を翻す。ダドリウスに背を向けて、出入り口の扉に向かおうと一歩を踏み出した時だ。
「待ちなよ」
そう言って、ダドリウスが自分に向けて、右手を伸ばしてから左肩に触れてきたのである。
驚きと恐怖によって声を上げるよりも早かったのは、予想外とも呼べる声だった。
「痛っ……!?」
叫んだのはダドリウスだった。エルシュ自身はダドリウスに触れられたという感触は確かにあったが、彼の手を弾き返したのは紛れもなく自分の肩だったのである。
何が起きたのか分からず、エルシュはただ瞳を瞬かせるしかなかった。
それでもダドリウスの手には痛みが走ったらしく、顔を醜く顰めては獣のように唸っていた。どうやら、余程痛かったらしい。
……もしかして。
そこで思い出したのは、リディスが自分にかけてくれていた魔法のことだ。
その魔法はエルシュを害そうと触れた者を弾き返す効果があると聞いており、エルシュの身体全体に防御の結界が張ってある状態らしい。
それが目の前で発揮されたということは、ダドリウスが誘うような言葉を述べつつも、心の中では自分を害そうとしていた証拠と言えるだろう。




