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密かな悋気

 

 その夜は結局、リディスの寝室で共に寝ることになったのだが、自分が眠っているうちにリディスが護衛と侍女に伝言してくれておいたおかげで、翌朝は大きな騒ぎは起きずに済んでいた。


 エルシュの朝の支度をしに来た侍女達は微笑ましそうな視線を向けながら、世話を焼いてくれたが、当のエルシュはリディスの傍にいられない寂しさで部屋を抜け出したことが周知になってしまったことを恥ずかしく思っていた。


 それでも嘲笑してくるような者はおらず、誰もがエルシュの具合が良くなってよかったと言っていたらしい。


 自分が部屋の中に囲われていた理由を公にすることは出来ないため、快復祝いの言葉をかけてくれる王城の者達には申し訳ないと思いつつも、心配をかけたことに対する言葉だけを返すことにした。


 その日からは以前と同じようにリディスと共に起きて、食事を摂り、時間を過ごし、共に眠るという日常へと戻っていった。


 ダドリウス派との探り合いが続く緊張下で、エルシュがリディスの傍で過ごしたいということを伝えると、ジークは少しだけ目を見開き、そして穏やかに頷き返してくれた。

 彼は立場柄、「守らなければならない」という役割を持っているが、何故か快く了承してくれたのだ。


 ジークはリディスとエルシュの好きなようにすると良いと言っていたが、その表情は嬉しさが含まれていた。

 それでも身の安全は守らせてもらうということで身辺の護衛を増やすと共に、エルシュの身体に直接的に防御魔法をかけることにしたようだ。


 この防御魔法というのは、エルシュに悪意を持った者が身体に触れるとたちまち弾き返すもので、結界と呼ばれる魔法の壁を身体に纏わせた状態に近いらしい。


 その魔法を最初は、魔法使い宰相と呼ばれているジークがかけようとしていたが、リディスがジークを押しやり、自分がやると言って、自らの両手をエルシュにかざしながら魔法を使ったのである。


 リディスは竜の力とは別に魔力も同時に持っており、幼い頃からジークに様々な魔法を習っていたらしい。特に身を守ることに特化した魔法を覚えさせられたと教えてくれた。


 初めて魔法というものを受けたが、身体が何となく温かい空気に包まれたような気配がしただけで見た目では違いは分からなかった。


 エルシュに魔法をかけてくれたリディスは、身体に異常が起きていないか少し不安げに確認してきたが、その後ろでジークが「悋気とはまさにこのことかなぁ」と一人で笑いを噛み締めていたのは秘密にしておくことにした。



・・・・・・・・・・



 リディスと共に過ごす日常に戻って数日、そして式典と夜会まであと三日に迫って来ていた日だった。


 その日は三日後の準備に備えており、午前中は式典と夜会で着る際のドレスや装飾品の最終確認を終わらせて、午後からは式典の参加者の名簿をおさらいするように眺めていた。


「……」


 だが、ふっと顔を上げた瞬間に集中力が切れてしまい、エルシュは深い溜息を吐いた。


「エルシュ様」


 すると頃合いを見計らっていたのか、すぐにフィオンが声をかけてくる。


「少し休憩をなされてはいかがでしょうか。そちらの名簿を眺め始めて、すでに一時間半ほどが経っております」


 先日、リディスへと毒を盛った件の犯人はまだ見つかってはいないが、エルシュの希望でフィオンにはそのまま側仕えを続けてもらっていた。

 ここ最近は萎縮するような態度は見られないため、少し気持ちが落ち着いたのかもしれない。


「あら、もうそんなに時間が経っていたのね」


 昼食を食べ終わってから名簿をおさらいしていたが、いつの間にか時間が経っていたらしい。


「はい。……それで陛下が、時間があれば一緒に休憩時間を過ごしたいと仰っていましたが、お返事はどのように致しましょうか」


「陛下もお時間が取れるの?」


 リディスも同じように忙しくしているはずだが、お茶を一緒に飲む程の時間が取れるのかと首を傾げるとフィオンは少しだけ表情を柔らかくしてから頷き返した。


「三十分ほど時間を空けるので、ご一緒したいとのことです。……陛下の侍従の方にお話を聞きましたが、エルシュ様と少しでも時間を合わせようと必死に仕事を片付けていらっしゃったらしいですよ」


「……まあ」


 フィオンは特にからかうような口調ではなく、穏やかな笑みを浮かべながらそう言ったため、エルシュは持っていた名簿で少しだけ顔を隠すことにした。


「……それならば、ご一緒させて頂きますって伝えてくれるかしら。あ、でも先に図書館に借りていた本を返却してくるわ。確か今日が返却日なの」


「かしこまりました。では、そのようにお伝えしておきます」


 フィオンは頭を下げてから、先にリディスの侍従に伝えるべく、その部屋から出て行った。


 エルシュはフィオンを見送ってから、机の上に置いておいた本へと視線を移す。

 図書館から借りていた「王室全書(おうしつぜんしょ)」という本で、王家の人間として振舞うべき行儀作法や言葉遣い、また気遣いの心得と言ったものが記述されている。


 三日後の式典と夜会に備えて、勉強するために侍女に借りてきて貰っていたが、今日はその返却日なので早く返却しに行った方がいいだろう。


「私が本を返却しに行ってまいりましょうか?」


 エルシュの呟きを聞いた侍女のオルアが声をかけてくれたが、エルシュはすぐに首を横に振った。


「いえ、私が自分で返却するわ」


「では、お供いたします」


「それじゃあ、アンジュはフィオンが戻って来た時のために、部屋で待機しておいてくれるかしら。すぐに戻ってくると思うし」


 エルシュは机の上に置いていた分厚い本を手に取ってから、入口の扉の傍に控えていた侍女に言付けておくことにした。


「はい、かしこまりました。いってらっしゃいませ」


 アンジュは頭を軽く下げてから、エルシュを見送る。


 扉の外にはエルシュを守るための、武装した護衛が二人立っており、その二人に図書館へと本を返却してからリディスの執務室へ向かうと告げると二つ返事で頷いてくれた。


 それでも、帯剣した者は図書館の中には入れない規則なので、図書館の入口付近で待機してもらうことになるが、エルシュにとっては心強く感じられた。


 ここ最近は部屋に籠りっぱなしだったので、廊下ですれ違う文官や侍女達に挨拶をすれば、すぐに嬉しさと安堵が込められた表情で挨拶を丁寧に返してくれた。


 リディスとジークの意向だったとは言え、エルシュが自室から出なくなり、あまり姿を見せなくなったことを王城で働く者達はそれぞれ心配していたらしい。


 だが、リディスに毒が盛られたことを知っているのは一部の人間だけであるため、表向きにはエルシュが部屋に籠っていた理由は忙しさによって体調を少し崩していた、という話としてジークによって仕立て上げられているとのことだ。

 彼は情報操作も得意らしい。やはり、見た目によらず切れ者のようだ。


 エルシュは図書館への道すがら、王城で働く者達に気さくに話しかけては、無理をしないように体調に気を付けて欲しいと一言添えてからその場を立ち去る。


 貴族や他国の要人が訪れる式典が三日後に控えていることもあり、やはり誰しもが緊張によって表情が強張っているように見えたが、エルシュが挨拶をした時は和やかに言葉を返してくれたため、少しだけ安堵した。


 自分よりももっと忙しい人間はたくさんいるだろう。王城の医務室には働きすぎによって倒れた者や胃痛によって苦しんでいる者が次々と運ばれているとジークが教えてくれた。


 しかし、忙しさもあと三日で終わるため、早いこと式典の日になって欲しいと望む者も多数いるらしい。

 

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