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崩れ去る安らぎ

 

 エルシュ達が座っている木陰は薔薇によってアーチ状に作られている場所で、そのおかげで日差しが直接差し込むことはなかった。風も通っているし、涼しく過ごすにはかなり快適な場所である。


「まぁ、当日までが面倒だが過ぎれば少しは落ち着くだろう。それまでの辛抱だ」


 そう言って、リディスはさっそくエルシュが淹れた紅茶を飲むべく、カップを手に取ってから、口へと含んだ。

 エルシュも同じように紅茶を飲もうとカップに手を伸ばした時だった。


「エルシュ」


 名前を呼ばれたエルシュはぱっと顔を上げる。そこには何故か、戸惑うような表情をしたリディスがいた。


「はい、何でしょうか」


「……そなたは私のことを嫌っている、というわけではないよな?」


「え? 昼間から、口説いていらっしゃるのですか?」


 真面目な顔をしていたので一体どうしたのだろうかと思ったが、リディスから告げられる言葉にエルシュは目を丸くしてしまう。


「いや、それならばいいんだ。……だが、その紅茶は飲まない方が良い」


「……どういうことですか? お味が合いませんでしたか?」


「そういうことではないが、念のために飲まないでくれ」


 リディスはいつもよりも険しく、そして気難しいことを考えているような表情をしていた。


 エルシュはリディスの反応にどう応えればいいのか分からず、眉を中央に寄せたまま訝しげに紅茶へと視線を落とす。


 特に何の変哲もない普通の紅茶にしか見えない。この茶葉は自分で選んだものであるし、ほとんど新品と言っても良い物だ。

 それに以前、リディスにも出したことがある紅茶でもある。


 エルシュが考えを巡らせていることに気付いたのか、リディスが少し困ったような表情をしてから答えを教えてくれた。


「……どうやら、この紅茶には毒が入っているようだ」


「……。……毒っ!?」


 リディスの言葉を理解することに時間がかかったエルシュは自らの口を押えながら、目を大きく見開いた。一瞬にして血の気が引いていき、身体の感覚が失われていく気がした。


 毒、それがどういうものなのかを理解しているため、エルシュの頭の中は真っ白になってしまう。


「へ……陛下っ! 今、紅茶を……」


 エルシュは椅子をその場に倒しながら、すぐにリディスの傍へと駆け寄った。しかし、リディスは慌てることなく、こちらが逆に驚くほどに冷静なままだ。


「私なら大丈夫だ。こう見えて、小さい頃から毒には慣れさせられている。……それに竜の呪いも関係しているのか、ある程度の毒を含んでも効くことはない」


「で、ですが……!」


「エルシュ」


 リディスは立ち上がり、エルシュの両肩に手を添えて来る。

 その手の温度は確かなもので、リディスが生きている証拠だというのに、エルシュは状況が飲み込めないまま、表情を崩していた。


「大丈夫だ。……それよりもこの毒を誰が仕込んだのかということを調べなければ。エルシュ、この紅茶や茶器を用意したのは誰か教えてもらってもいいだろうか」


「それは……」


 リディスは落ち着けと言わんばかりにエルシュの肩を優しく叩いて来る。


 だが、毒を飲んだと言っている以上、リディスには解毒剤となるものが必要になるのでは、と焦らずにはいられなかった。


「茶葉を選んだのは私ですが、茶器は厨房からフィオンが運んできてくれたものです」


「フィオンというと、そなたの専属の侍女だったな」


 リディスはその姿が周囲にないか、軽く見渡しては確認しているようだ。


「ですが、あの子は毒を入れるような子では……」


「分かっている。フィオンだけを疑っているわけではない。この場所に運んでくるまでの過程を考えれば、毒を入れる隙はどこでもあるからな」


「……申し訳ございません」


 エルシュは力無く、その場に座り込もうとしていたのをリディスの両腕によって支えられてしまう。


「私が……もっと、注意をしていれば……」


「そなたのせいではない。……そろそろ、仕掛けて来る頃だろうと思っていたからな」


「仕掛けて……?」


 虚ろな瞳でエルシュがリディスを見上げると彼は力強く頷き返した。


「確証はないが、恐らく毒を仕掛けてきたのは私の従兄弟であるダドリウスだろう」


「……」


 ダドリウス、それは先日顔を合わせたリディスの叔父の息子でもあり、王位継承権を二番目に持っている男だ。


「……ダドリウス殿下は、王位を……」


 それ以上を言葉にすることが出来ず、エルシュは口を右手で押さえた。

 呼吸を何度も繰り返してはどうにか落ち着こうと試みる。


 目の前で顔色を窺ってくるリディスは自分に降りかかる毒牙に慣れているような様子を見せているが、それでもエルシュの心臓は大きく鳴り響いていた。


「だが、それは昔から言われていたことだ。……どんな手を使われようとも、王位をあいつに渡す気は更々無い」


 何かを強く決意したような瞳から、熱と呼ぶべき何かが降り注がれる。ただ分かるのは、リディスは心の中に揺るぎない何かを持っているだろうということだけだった。


「エルシュ。……恐らく、私を狙って来る者がこれから更に増えるだろう。……暫くの間は一緒にいない方がいいかもしれない」


「え……」


 どういう意味なのかと、訊ねることは出来なかった。リディスは仮面の下で悔しさと悲しさが混じったような表情を見せたからだ。


「私と共に居れば、狙われる頻度は高くなるだろう。……そなたを危険に晒すわけにはいかない。だからこそ、信頼のおける者達にそなたの護衛を任せたいと思う」


 まるで最初から計画していたような言葉をリディスは目の前ですらすらと綴っていく。いつか、ダドリウスからの刺客が来ることを予測していたような物言いだ。


「……ダドリウスの件が落ち着くまで、待っていてくれないか」


 縋るような瞳が降り注がれても、エルシュは何も答えることが出来なかった。今、言葉にして告げられているものの意味は分かっているというのに、頭に入ってこなかったのだ。


 毒、ダドリウス、刺客──。


 それまでリディスと過ごす時間は安らかなものだったというのに、崩れ去るような音が聞こえて始めてきた気がしてならなかった。


 エルシュの身体は完全に力が抜けていく。もう、何も考えられないほどに全てが真っ白に染まっていく。


「っ!? おい、エルシュ!」


 リディスが自分の名前を呼んでいるというのに、現実を繋ぎ止めるための意識の糸は鋭い刃で両断されたように突如として、切れたのだった。

 

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