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008 サキュバスが女を襲う、そんな世界があってもいい

 



 マギカは思う。


(あいつ絶対に勇者なんかじゃないって……)


 数ヶ月前に旅を始めてから、ずっとそうだった。


(いや、確かに剣の腕はなかなかよ。そこは認めるわ。でも勇者ってほどじゃない、あいつが言ってる“勇者パワー”なんてものが発動したところを見たことがないし)


 フレイグはよく『勇者斬り!』と言って敵を斬りつけるが、ただの剣を振り下ろしているだけである。

 あと『勇者煙幕!』と言いながら砂を投げたりもする。

 はっきり言ってせこいのでやめてほしいとマギカは常々思っていた。


「そもそもあのエクスカリバーって剣、本当に聖剣なのかしら……」


「マーギカさんっ」


「うわぁっ!? ファーニュっ、いきなり来るのやめてよ」


「えぇー、いいじゃないですかぁ。私とマギカさんの仲なんですしっ」


 ファーニュと呼ばれた少女は、宿の外で考え込むマギカの背後から抱きついて大きな胸を背中に押し付けた。

 白いローブに、ふわりとした栗毛のロングヘア、そして穏やかなそうな表情――いかにも“修道女”と言った感じのスタイルである。

 実際、彼女の持つスペルは治癒であり、見た目のイメージ通りの能力だった。


「いや、仲とか言われても……その、ただの友達、でしょ?」


「ただの友達……ですか?」


 しょんぼりと肩を落とすファーニュ。

 マギカの胸に、ひどく罪悪感がこみ上げてくる。


(別に私は変なこと言ってない、わよね? たまたま旅で一緒になって、たまたま最初の頃にかばったりして、たまたま仲良くなっただけで……まだ、まだただの友達だし……)


 そう言いながらも、マギカの心臓はバクバクと高鳴っていた。

 彼女はこれまで何度も、旅を放り投げて逃げようと考えた。

 今のメンバーじゃ魔王どころか四天王に勝てる見込みもないし、今後、勇者の力が急に覚醒するような雰囲気でもなかったからだ。

 しかしマギカがそんな空気をかもしだすたびに、ファーニュは彼女に近づき、それを阻止してきた。

 ……体で。


(風呂に侵入されること10回。朝起きたら裸で隣に寝てたことが8回。トイレに入り込まれたことが3回。そして唇を奪われたことが1回――さすがにこれ以上は、ここらでビシッと言うべきなのよね、私のほうから! だって、私、そういう趣味じゃないし……)


「マギカさん、なにかよくないことを考えていませんか?」


「べ、別にそんなことは……」


 ファーニュはマギカの前に回ってくると、今度は正面から抱きつく。

 そしてぐいっと顔を近づけ、唇に人差し指を充てながら、妖艶に微笑んだ。


「我慢したって、なにもいいことはありませんよ?」


「な、なななっ、なにを、私がなにを、我慢してるって言うの……?」


「本当はまんざらでもないくせに、ふふっ」


 そう言って、唇を寄せるファーニュ。


「んっ、んんーっ!?」


 手をばたつかせながらも、引き剥がしたりはしないマギカ。


(この子……絶対に聖職者じゃないでしょおおおっ!)


 自分より年下の少女に翻弄されるうちに、脱走の考えは薄れ、遠のいていく。




 ◇◇◇




 一方その頃、大陸の果てに存在する魔王城にて――


「ガハハハッ! ティタニアのやつも大したことねえなぁ!」


 四天王の一人、イフリートが豪快な笑い声を響かせていた。

 玉座に腰掛ける彼は、身長250センチの巨大な男で、常に体に炎を纏っていた。

 だが彼が攻撃の意思を持たない限り、その炎は周囲を焼き尽くすことはない。


「インディヴァード、だったか? 自慢の腹心だったらしいが、あっさりやられちまって、しかも戻ってきてねえらしいじゃねえか!」


「その通りダナ、イフリート! ティタニアなんかヨリ、お前のほうがスゲーゾ!」


「ガハハハハッ! ノーヴァ、お前もそう思うか! オレ様もそう思うぞ! ガハハハハッ!」


「ギャハハハハハッ!」


 イフリートと親しく話すノーヴァは、一つ眼の赤いコウモリのようなモンスターであった。

 二人は旧知の仲らしく、上司と部下というよりは、対等な友人として語り合っている。


「対するオレ様の作戦はあまりに完璧! ま、ティタニアほど速効性(・・・)はないが、確実に効いている」


「ユウシャ、ムノー! ユウシャ、ムノー!」


「そうだ、勇者は無能なんだ。今のところはな。だが甘く見ていい相手じゃねえ」


「ソレ、ずっと前から言ってるヨナ! なにが根拠ナンダ? オレにも教えてくれヨ! ナ! ナ!」


「そうか知りたいか。ならそろそろ教えてやってもいいかもしれねえな……実はな、この書物に書かれていたんだ」


 イフリートは玉座のどこかから、ずるりと本を取り出す。


「これは……なんダ? 絵と文字がいっぱい書かれているゾ! オレが苦手なやつダ!」


「ガハハハハッ! これは漫画というやつでなぁ、近頃人間の世界で流行り始めてるらしい!」


「人間!? イフリート、お前、人間の本なんて読んでるノカ!? 捨てロ! 今すぐ捨てロ!」


「まあ待てノーヴァ。認めたくない事実だが、人間というのはオレ様たちよりも数が多く、その分だけ知恵も働く。学ぶことも重要なんだ、なんたってオレ様は知能派だからな! ガハハハハッ!」


「ギャハハハハッ! そうダナ、イフリートはチノーハだったナ!」


「ノーヴァ、お前がいればなお最強だ! 最強のインテリチームだ!」


「インテリ! インテリ! オレらインテリ! ギャハハハハッ!」


「ガハハハハッ……というわけで、オレ様はこのレトリーなる著名な作家が記した書物から一つの事実を得たんだ」


「なにがわかったンダ?」


 イフリートはキメ顔で言い放つ。


「勇者は、追い詰められると覚醒する」


「覚醒……どういうことダ?」


「髪が逆立ち、金色になり、オーラを放つようになり、戦闘力が向上する。あと手から色んなビームを出したりするようになる」


「なんだよソレ……めちゃくちゃかっこいいじゃネーカ!! ミタイ! オレ、それミタイ!」


「オレ様だって見てみてえよ! でもよお、勝つためには、そうさせないことが重要なんだ」


「なるホド」


「だからオレ様は考えた。できるだけピンチに追い込まないように、じわじわと勇者を追い詰めていくんだ。そのためには、ある程度有能な仲間をあいつのそばに置いておく必要がある。そして同時に、サキュバスとしての技能を駆使して、勇者を骨抜きにさせるわけだ」


「そうカ、それであのサキュバスを送り込んだんダナ!」


「ああそうだ、今はファーニュと名乗っているが……あいつは元々ファーニュだった人間と入れ替わっている」


「元の人間はどうなったんダ?」


「ガハハ……聞きたいか?」


 邪悪な笑みを浮かべるイフリート。

 ノーヴァもさすがに萎縮して、ぶるりと体を震わせる。


「聞きてえヨ……イフリート、お前がどんな恐ろしい手を使ったのか気になってしょうがネエ!」


 それでも好奇心のほうが勝った。

 ノーヴァにそう尋ねられると、得意げにイフリートは語る。


「心して聞くんだぞ、ノーヴァ」


「あァ、お腹にきゅっと力をいレテ、気合を入れたゾ!」


「よしならば話そう。オレ様はまず、帝国の田舎に広大な土地を買った」


「おォ、なんだかチノーハっぽい始まりかたダナ!」


「そこに家を建てた。五人は暮らせる立派な家だ」


「このご時世に持ち家があるなンテ、ただ者じゃねえなイフリート!」


「ガハハハッ、あまり褒めるな照れる! そしてだ、そこに家畜を連れてきて、畑も耕したわけだ」


「完璧じゃねえカ! オレも住んでみたイゾ! 老後の住処はそこで決まりダナ!」


「まあ早まるなノーヴァ。そしてオレ様は、ファーニュという女に接触した」


「ついに来たナ、どうなっちまうンダ……ゴクリ……」


「オレ様はファーニュをこう脅した。『貴様のために田舎に広大な土地と家を用意した。この土地が惜しくば今すぐ勇者を裏切れ!』とな……!」


「オイ、待てよイフリート!」


「どうしたノーヴァ」


「ソレ……全然脅せてネーゾ! むしろ大喜びで首を縦に振るやつダゾ! いや、というか美味しい話すギテまず疑われるやつじゃネーカ!」


「もちろん女は二つ返事で了承した」


「人間の欲望は底なしダナ! だがイフリート、もっとうまいやり方があったんじゃねーノカ?」


「いいかノーヴァ、戦いにおいて重要なのはな――“不要な敵を作らないこと”だ」


「……ハッ!」


「このスパイ作戦は、田舎で暮らすファーニュ本人か、その家族がチクっちまうと一発でおしまいだ。だがファーニュは自らの意思で寝返った。ゆえに我らは、常にあのサキュバスから情報を得られている。今後も、他の四天王より有利に立ち回ることができるだろう」


「そういうことカ……そういうことだったノカ、イフリート! やっぱスゲーヨ! 最高のチノーハだ、お前ハ!」


「ガハハハハハッ! そうだろう、そうだろう! オレ様の作戦は完璧だ!」


「ギャハハハハッ!」


 イフリートは、今度は別の用紙を玉座の下から取り出し、ノーヴァに見せつけた。


「これがあのサキュバス――ファーニュから送られてきた報告書だ」


「おォ、すげーなコレ! ウッヒョー! フロに一緒に入っタリ、トイレに入ってきタリ、裸で寝タリ、キスまでしてんじゃネーカ! これゼンブ、勇者にやったノカ? こんなコトされタラ、オレだってイチコロで目がハートになっちまうゾ!」


「ガハハハハッ! お前の場合、目がハートになったら体全体がハートになりそうだな!」


「ギャハハハハハッ! 違いネエ! 違いねえよイフリート! 何でオメーはいつもそんなに面白いことがいえるンダ!」


「知能派だからな! ウィットに富んだトークぐらいお手の物だ!」


「ウィット!? トーク!? 使う言葉モすげーヨ! ゴイってやつダ! ゴイが溢れテル! イフリート、お前は天才ダ! お前なら絶対ニ、次の作戦もうまく行くゾ!」


「確かにオレ様は天才かもしれんが、ノーヴァがいてこそ初めて完璧になる! 期待しているぞ、ノーヴァ!」


「まかせトケ、イフリート!」


「ガハハハハッ!」


「ギャハハハハッ!」


 二人の笑い声は、絶え間なく部屋に響き渡った。




 ◇◇◇




「た……ただいまぁ……」


「ただいま戻りましたぁー♪」


 マギカとファーニュが宿に戻ってくる。


「お前たち、どこに行っていたんだ。ずいぶんと長かったな」


 怪訝そうな顔をして、勇者フレイグは二人を迎えた。


「マギカちゃん、大丈夫? 見るからにげっそりしてるけど……」


 お供の一人、シーファがマギカに駆け寄った。

 シーファはフレイグの幼馴染で、短剣を武器に戦ういわゆる“暗殺者タイプ”の前衛であった。


「んー、確かに顔色が悪いですね。これは治療が必要かもしれません。マギカさん、私が介抱しますから、部屋まで連れていきますねー」


「えっ……待ってファーニュ、私、さすがにもう……」


「なにを怯えた顔をしているんですか? 平気ですよぉ、ただぁ、優しくぅ、手取り足取りぃ、疲れをほぐすだけですからぁ♪」


「絶対にそれだけじゃ終わらな……あ、あぁ、待って……誰かこの子を止めてぇ! 私はもう限界なの! 腰が! 腰が悲鳴をあげてるの! もうこの際フレイグでもいいからっ! あ、あぁっ、あーっ!」


 半ば引きずられるように、部屋から出ていくマギカとファーニュ。


「ファーニュのやつ、やけに顔がツヤツヤしてたな。あの二人はいつも部屋でなにをしているんだ?」


「さあ……ボクにもわかんないや」


 首をかしげるフレイグとシーファ。

 あらゆる歯車が見事に噛み合わないまま回る中、勇者たちはその翌日、帝都に凱旋したのであった。




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