069 GameOver - 14へ行け
ハルシオンは、いつまでもマーリンとの再会に浸っていたい気分だったが、そうも行かない。
一体何が起きて、どうなって、なぜ自分はここにいるのか。
それを知らなければ、純粋に彼女と抱き合えるこの現実を喜ぶことはできないから。
「何から、聞けばいいのかな……」
胸に埋めていた顔をあげ、ハルシオンはマーリンに尋ねた。
マーリンはその潤んだ上目遣いの表情を見て、『うっわ私の恋人かわいすぎ……』とつい口走りそうになる。
だが、太ももをぎゅっと握ってどうにか耐えた。
「な、何でも聞いてくれていいわよ。もう仕上げだもの」
「なら……私は、どうして生きているの?」
「死んでるのよ。私も、ハルシオンもね」
マーリンはきっぱりと言い切った。
しかしハルシオンにとっては解せない答えである。
「でも、こうしてハルシオンと抱き合ってるよ?」
そう、二人は確かに触れ合っているのだから。
「命は死んだら魂になる、肉体を失った魂は天国に召される。それは神が決めたルールよ。でも私は天才魔術師。行儀よくルールを守るほど、上品に生きてないの」
「結局、どういうこと?」
「単純に、天国に行かないようにしただけよ。死ぬ前から、人間の寿命だけじゃ時間が足りないと思ってたから、研究は進めてたの」
寿命から逃れるための、魂の固定化。
それは実用化できるほど、安定したスペルではなかった。
ハルシオンに刺され、命を落としたマーリンは、とっさにそのスペルを使って自分の霊をこの世界に固定したが――それは一種の博打のようなものだったのだ。
運が悪ければ、マーリンはあっさり消えて、サーヤが生まれることもなかっただろう。
「もっとも、本当は生きたままハルシオンを助けるつもりだったんだけど……想像以上に魔王との融合が進んでいて、急遽調整することになったんだけどね。ごめんなさい、ちゃんと助けられなくて」
悔しげに唇を噛むマーリン。
ハルシオンは首を横に振った。
「こうやって抱き合えるだけで、私は夢みたいに幸せだよ。ひどいこともたくさんして、本当は、こんな資格なんて無いはずなのに……ありがとう、マーリン」
「優しいわね、ハルシオンは」
「それはマーリンの方だよ」
どちらも、300年間ずっと、後悔を抱いて生きてきた。
あの日、間違えなければ。
あの日、あんなことをしなければ。
思った所で、実際はどうしようもなかったのだが――それでも悔やまずにはいられなかったのだ。
今日が訪れるまでは。
「それじゃあ――私とハルシオンが触れられるのは、魂同士だからってことなの?」
「そこがややこしい所なんだけど、この空間だとね、魂は肉体を持った生命と同じように振る舞えるの。魂そのものが質量を持ったって言えばいいのかしら。だから、ハルシオンはベッドにだって眠れるし、服だって着ることができる」
「子供も……作れる?」
ハルシオンのその言葉がサーヤのことを指していることは、マーリンにもすぐわかった。
「そう、ね。勝手なことして申し訳ないと思ってるけど」
「謝らないでいいの」
ハルシオンは、マーリンの背中に回した手に、ぎゅっと力を込める。
「そこは、素直に嬉しいから」
「私としても、そう言ってくれると嬉しいわ」
普通の営みではないし、マーリンが勝手に作ってしまったけれど、サーヤは二人の子供だ。
正気に戻ったハルシオンが受け入れてくれるかどうかは、マーリンの懸念の一つだった。
それが無事解消されて、ほっと一安心である。
当然、頬も緩む。
「次、聞いてもいい?」
「何でも聞いてって言ったじゃない」
「なら……ここは、どこ? マーリンが作った空間なの?」
「そうなるわね。魔力を使って作り出した、元の世界からほんの少しずれた場所に作り出した、『魂と生命が共存できる場所』。サーヤが旅に出るまでは、山奥で見つけた“魔力溜まり”に作ってたんだけど、あの子の旅が始まると同時に、サーヤの体の中に場所を移したのよ」
「さらっと言ったけど……体の中って?」
「知っての通り、あの子は普通の人間じゃないわ。魂魄と、魔王の継承者の間にできた子供だもの。この世界に存在する13個の神器を体内に収め、かつこの街を宿してもなお、余裕があるぐらい、広いキャパシティを持っている」
「偶然……じゃあ、ないよね」
「もちろん。必要だったのよ、それだけの許容量が。そして、この街と神器を持ってこれたのは、副産物に過ぎない」
そう言って、マーリンは窓から外を見た。
ハルシオンも彼女の視線を目で追う。
いつもは穏やかな日差しが差し込むこの空間の“空”に、どす黒い暗雲が立ち込めていた。
よく見れば、雲からは無数の触手が伸び、不気味に蠢いている。
「っ……魔王!?」
ハルシオンは体をこわばらせた。
それは間違いなく、彼女を長年苦しめてきた元凶だったからだ。
「うまくいったみたいね」
「これが狙いだったの?」
「ハルシオン亡き後、次の継承者は魔王の血を引くサーヤになる。けれどサーヤは魔王の器として作られた体じゃない。適応できない体を、魔王は支配することができないはずよ」
「つまり……魔王はここに、封じ込められている。だけど、私の方にまた来たりしないかな……」
「あれはしょせん、ただのシステムに過ぎない。一度は死んで魂だけになったハルシオンに取り憑くような融通はきかないわ。対象を見失えば、ああやってさまようしかないのよ」
「じゃあ、これで戦いは終わったの?」
「いいえ――そろそろ来るんじゃないかしら」
「来る?」
首をかしげるハルシオン。
マーリンは不敵に微笑みながら、空を見て言った。
「神様よ」
◇◇◇
魔王を撃破したサーヤは、帝都に降り立った。
「サーヤっ! 大丈夫? 怪我は無い!?」
「黒いもやもやがサーヤちゃんに入って行ったけど、大丈夫なの?」
真っ先にサーヤに駆け寄ったのは、ティタニアとセレナだった。
「お師匠さまは大丈夫だって言ってたんですけど……何だかお腹のあたりがもやもやする気がします……」
サーヤは不安げにお腹をさする。
そうしている間に、ファフニールとニーズヘッグ、そしてシルフィードも到着した。
「ご主人様! 魔王には勝てたのか?」
「見てる限りだと思ったよりあっさりだった」
「体はもう無いんだし、倒したと思いたいけど……何か不安だな」
「きっと、大丈夫だと思います。全部、お師匠さまの予定通り……の、はずですから」
マーリンは最終的にどうしたいのか。
サーヤにはそれが知らされていないため、やはりちょっぴり不安だった。
ハルシオンを救えたのかも、彼女にはわかっていない。
(戦いが終わったなら、教えてくれればいいのに……はっ、もしかしてハルシオンさんを助けられたから、それどころじゃないとか? なるほど、そうかもしれません! だってお師匠さまは、ハルシオンさんのことが大好きなんですもん。300年ぶりに再会したら、それはもう嬉しくて、他のことを忘れてはしゃいじゃうに違いありません!)
特有のポジティブ思考で、一人納得するサーヤ。
するとさらに、イフリートやフェンリル、銀狼たちに、勇者一行。
キャニスターやグランマーニュ、冒険者たち、そしてアレンまで、サーヤを取り囲むように集まってきた。
誰もが、帝都を救ってきた彼女の身を案じているのだ。
「まさか魔王様の正体が、あのような不気味な存在だったとはな。オレ様にも見抜けなかったぞ」
「オレにも全然わかんなかったゼ!」
「やれやれ、手間をかけさせるね。どうして僕が直接調整しなくちゃならないんだか」
「しかし、本当に大丈夫なのか? あの黒い物体を体の中に取り込んだようだが。いざという時は――」
「キャニスター、いざという時どうにかできる力が俺たちにあるか?」
「それはそうだが……」
兵士の多くは疲弊し、勇者や四天王もぼろぼろだ。
もしサーヤが魔王に乗っ取られるようなことがあれば、今度こそ間違いなく世界は終わるだろう。
「あ、あの、あなたは……」
一人戸惑うサーヤ。
だが他の人間たちは、一切疑問を持たずに、サーヤに言葉を投げかける。
「今ばっかりは、サーヤの体に宿る光の力を信じるしかないな」
「だね。勇者がどうとか関係なしに」
フレイグとシーファもボロボロではあるが、ファーニュの治療のおかげで傷の大半はもう残っていない。
「しかしおっかしいなあ。魔王の血を引いてるはずなのに、支配されないなんてことある? 設定ミスかな?」
アレンは人混みを縫うまでもなく、すり抜けてサーヤに歩み寄った。
「私にもできることがあるといいんだけど……」
「マギカさんは十分にがんばりましたよぉ。お願いですから、もう無茶はしないでくださいっ」
「……わかってるって。私も、自分の限界ぐらいは」
マギカの手足は戻ったものの、魔力、体力ともに消耗が激しい。
ファーニュの肩を借りて立っているのが精一杯だった。
本来なら、ベッドで横にしておくべき状態である。
「エクスカリバーの嬢ちゃん。オレらにはよくわかんねえが、戦いが終わったら、今度こそ宴会には参加してもらうからなあ?」
「無駄な血を排除する。不純物を取り除く。うーん、あとは神器も取り込んでるって言ってたっけ。そのあたりが課題かな」
「そうだぜ、カリバーの兄貴。やっぱり主賓がいねえとなあ」
「神器の作り直しも必要か。そっちは追加するだけだから楽だけど」
黒髪の、サーヤよりも少し年上の少年――アレンは、あっさりと彼女の目の前までたどり着いた。
まるで世界が分裂しているような感覚だ。
この少年とサーヤだけが、同じチャンネルに存在している。
あとの人々は、何か、違う景色を見ている。
だから何も気づかずに、サーヤに激励の言葉をかけ続けているのだ。
「急に現れて……あなたは、誰なんですかっ!?」
後ずさりながらサーヤが言うと、アレンは意外そうな顔をした。
「さっきから誰かに話しかけてると思ったら、僕にだったの? おっかしいなあ。この状態で駒に認識されることなんてある?」
「何を言って――」
「神器の影響かな。まあ、どうでもいいや。どうせ書き換えるんだし。じゃあ、おじゃましまーす」
アレンが手を伸ばす。
サーヤはとっさに飛び退いて避けようとしたが、アレンとの距離は変わらない。
絶対座標ではなく、相対座標により移動しているからだ。
サーヤが移動すれば彼も動く。
そして手を伸ばせば、その分だけ近づく。
接触から逃れる術は――無い。
「つ……ぅ……」
ずぶずぶと入り込んでいくアレンの手。
サーヤは引き剥がそうと手をのばすが、なぜかすり抜けて触れない。
まるで幽霊のようだ。
だが、入り込まれている感覚はあった。
痛くはないし、苦しくもないものの、気持ちの悪い、むずむずするこそばゆさのような感覚がある。
そして少年の体はそのまま、サーヤの中に入ってしまった。
ぱちくりとまばたきを繰り返すサーヤ。
すると、彼から逃げていたという事実が消えたかのように、彼女は元の場所に戻っていた。
「な……ななっ、何なんですか、さっきからぁ……!」
さすがに涙目になりながら、お腹をさするサーヤ。
一体、自分の体の中はどうなっているのか――違和感が無いのが逆に気持ち悪い。
ここで周囲の人たちは、ようやく彼女の異変に気付いた。
「サーヤ、泣きそうになってるけどどうかしたワケ?」
「ティタニアさんは見えなかったんですか? さっき、黒い髪の男の子がわたしの前に来て、触られたかと思ったら体の中に入り込んだんです!」
「ウチは見えなかったけど……セレナはどう?」
「いや、私もわからない。レトリーは見えた?」
「いえ、ぜんぜん」
他の誰に聞いても、少年の存在を覚えている者は誰もいなかった。
つまり、見えていたのも、認識していたのもサーヤだけ。
『サーヤ、体の調子はどう?』
「あ、お師匠さま! 大丈夫です、異常はありません。でも――」
見えない誰かと会話を始めたサーヤに、視線が集中する。
もっとも、マーリンの存在はみな知っているので、変だとは思っていないが。
『誰かが体の中に入ってきた、でしょう? 問題ないわ、狙い通りだもの。ようやく本命が釣れて万々歳ってところね』
「本命……?」
『釣りでもよくあるでしょう? 小さな魚を採って、それを餌にしてさらに大物を狙うの。サーヤのおかげで魔王を捕らえた。その魔王を求めて、飼い主がまんまとやってきた……そういうことよ』
「じゃあ、今の男の子が……魔王を作った、張本人。神さまなんですか?」
『でしょうね。ああ、男の子だったんだ。そう、性別って概念もあるのね。だとすると、創造主の世界は案外、私たちのこの世界と似ているのかもしれないわね』
「お師匠さま、わたしはこれからどうしたらいいんですか?」
『元凶を消さなければ悲劇は終わらない。魔王が消えてもまた、別の何かが生み出されて物語は繰り返される。そのためには――サーヤ、あなたの力が必要よ。少しだけ時間を頂戴な。あと、周りの人たちにもそのまま待機してもらってて。すぐに出番が来るから』
「……わかりました。本当に、今度こそ、それが最後なんですね?」
『ええ。それが終わったら、お母さんとでもママとでも好きに呼んで』
「ママはハルシオンさんって決めてますから。お師匠さまはお母さんです」
『やっぱり恥ずかしいわ……でも約束だものね。きっと、ハルシオンも喜んでくれるわ。というか、今の時点でとっくに喜んでるもの』
「ハルシオンさん、そこにいるんですかっ! よかったぁ……助けられたんですねっ」
『ああ、そこも知らせてなかったわね。その通りよ、無事に魔王と切り離して、今は私に抱きついてる……って、痛いわね、別にいいじゃない。恋人ってことはみんな知ってるんだから』
「ふふ……早く会いたいです」
『それも戦いが終わったらってことで――おっと、こっちに来たみたい。じゃ、また後でね』
「はい、お師匠さま!」
マーリンとの会話が途絶える。
「賢者は何と言っていたのだ?」
イフリートが尋ねると、サーヤは顎に人差し指を当てながら、彼女との会話内容を語った。
◇◇◇
アレンは、その地に降り立った。
魂の改ざんを行うつもりが、なぜか物理領域に立ち入ったことを疑問に思いながら、周囲を見渡す。
「どこの誰だか知らないけど、好き放題にルールを破ってくれてるなあ」
ポケットに手を突っ込み、気だるそうに前に進む。
見上げれば、“魔王”が空をふよふよと漂っていた。
「あんなとこにいるし。この手の不手際は評価が落ちるから止めてほしいんだけど。ったく、もっとガチガチに縛っておくべきだったかなあ。下手に天才なんて作るからこうなったんだ」
「随分と傲慢に偉そうなことを言うのね、神さまって」
「……仄めかしてはいたけど、生きてたのはやっぱり本物か」
「ええ、マーリンを名乗る何者かだと思った?」
「そっちの方が意外性があってシナリオとしては面白いかな、と思ってたよ。ところで、君は僕の名前を知っているかい?」
「さあ?」
「いいや、知っているはずだよ。当たり前に、僕はここにいないけれど、全員の中にいるんだから」
アレンは笑う。
マーリンはため息をつくと、軽く目をつぶって意識を集中させた。
ハルシオンは彼女の腕にしがみつきながら、不安げにその顔を見つめている。
「……はぁ。そうね、アレンって言うのね、あなた。確かに、常識として頭の中に刻み込まれているみたい」
「それが僕が創造主である証だよ。さて、それがわかったところで、道を空けてくれないかな。僕はこの世界を正常に戻さなくちゃならない」
「何言ってるの、あなた。私はそのためにここにいるのよ? あなたが創造主だって確かめられたのなら、むしろ逆に、道を譲ることはできないわ」
「わかんないやつだなぁ……僕はさあ、君を見逃してあげるって言ってるんだよ。こんな領域を作って、ルールを破って魂だけで生き延びるなんて、自己進化としては行き過ぎたケースだ。管理者として削除する必要性がある。けれど、君とハルシオンのハッピーエンドを見たいっていう層もいるからさあ。というか僕、自分が作った命と対等に話してる時点でだいぶ痛いやつじゃない?」
「そういう認識なのね、あなたは」
「逆に聞くけどさあ、たとえば自分が書いた小説のキャラクターがいるとする。そのキャラクターが勝手に動き出して、本来はバッドエンドに終わらせるはずの物語を、ハッピーエンドに変えちゃったらどうする? 納得いかないでしょ。それが世に出す前なら、書き換えるよねえ? 自分が望む形に。僕にはその権利がある。だって神なんだから。創造主なんだから! っていうかむしろ、ありえないんだよ、それが。いくら創作物の幅が広がって、世界や命を作れるようになったと言ってもさあ、僕の意思に反して君たちが動き出すなんてこと!」
「ありえなくても、こうして実際にあっている以上、現実を認めるしかないわ」
「……そうだね、君の言うとおりだ。そして君たちもまた、現実を認めなければならない。所詮は作られた命だっていう現実をね」
アレンはマーリンに手をかざす。
見えない力が渦巻き、放たれようとしていた。
「僕の慈悲を拒むのなら。消えろよ、出来損ない」
それは、この世界に存在する生物であるかぎり、絶対に抗うことができないまさに神の力。
触れれば消える。
体も、命も、魂も。
しかしその力を前にしても、マーリンは毅然としている。
アレンは訝しみながらも、力を放出した。
「……何で」
だが、何も起きない。
「何でだよ、どうして消えないっ!」
「この世界には、13個の神器があったわ。それはいわば、神の欠片。その権限の一部を散りばめた、文字通り神の一部。その13個を束ねると、神がどういう存在なのか、おぼろげに見えてきたのよ」
「解析したって言うのか……でもそれだけじゃ不完全なはずだ!」
「その間は、私の頭脳で埋めたわ。だって天才だもの」
「だが……君が持っているのは、神器だけ。それは所詮、僕の一部であって、僕の力を無効化することなんてできない!」
「ええ、だからね、私は300年かけて――作ったの」
「何を!?」
「14番目の神器を」
「そんなことが……神でもない、この世界の住人がっ!? 何なんだ、14番目の神器って、一体!」
声を荒らげるアレンに、マーリンは高らかに言い放つ。
「神縛器サーヤ」
「それは……つまり……あの少女そのものが……!」
「そうよ、神をこの世界に縛り付けて、逃げられなくするための器だったの」
アレンは全てを悟った。
要するに、戦うとか、戦わないの問題ではなく――干渉し、改ざんしようとサーヤの中に入った時点で、すでに勝負は決していたのだと。




