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067 DivineLaw - 傀儡、狂乱す




 世界が終わっていく姿が見えた。

 もう壊されるような想い出は残っていないが、それでもいくらかの寂寞はある。

 それは、隅っこに転がった塵を固めたような些細なものだけれど、わずかに残る“自分らしさ”を求めて、今日も彼女はそれをかき集める。

 玉座に腰掛け、もはや姿を偽る必要も無いので、300年前から変わらない少女の姿で。

 銀髪の乙女は、壊れゆく帝都を見つめる。


『うわぁぁぁああああああああッ!』


 ティタニアが叫ぶ。

 必死でタイタンの腕を受け止めようとするも、彼女の力では絶対に敵わない。

 不思議だった。

 かつては人を殺すことに躊躇もせず、どこまでも残酷になれたティタニアが、なぜ今はそうまでして人間たちの暮らす街を守ろうとするのか。

 あのサーヤという少女の影響で、神の見えざる手インヴィジブル・カーストの効力が消えたにしても、不可思議である。

 けれど同時に、ハルシオンは身に覚えがあるような気もしていた。

 自分もかつて、似たような感情を抱いた事が無かったか、と。

 今となっては後悔しか無いけれど。


『あちしの修行の成果を! すべて出しつくすんだぁぁぁあああああっ!』


 シルフィードは必死でウィンディにあらがっている。

 二人は拳をぶつけ合う。

 するどシルフィードの腕が、痛々しい音とともに歪んだ。

 それでも彼女は止まらない。


 かつてシルフィードは、憎悪で生きていた。

 ハルシオンは少しだけシンパシーを感じていた。

 けれど、今は違う。

 シルフィードは真っ直ぐに、前だけを見て、たぶん誰かの背中を追いかけている。

 その瞳に宿る光は、かつての闇よりも強く、尊い。

 もっとも、心が折れなくても体は壊れるし、何より――

 その気になれば心だって折れることを、ハルシオンは知っている。


 ぐずぐず。

 ぐるぐる。

 ぞわぞわ。

 うじゅうじゅ。


 嗚呼。

 “どうしようもない”という、その感覚が、常に体の内側から湧き出てきてしょうがない。

 ハルシオンは彼に、こうまでして“私”が“私”である必要があるのかと幾度となく問うたけれど、返事は無かった。

 わかっている。

 理由はない。

 必要性もない。

 けれどその方が、おもしろいのだろう。


『やらせはせん! 我はこの世界で、あいつらと一緒に平穏に生きていくと決めたのだ!』


『ぬぉぉおおおおおっ!』


『行ケ! やっちまエ、イフリート! お前ならどんな敵にだって勝てるはずダ!』


 抗う。

 吹き飛ばされる。

 抗う。

 砕かれる。

 抗う。

 折られる。

 抗う。

 潰される。


 幾度となく繰り返されるのは、一方的な蹂躙だ。

 もはや切り札たる“罠”も存在せず、四天王たちは消耗したその身ひとつで戦わねばならない。

 勇者たちは満身創痍、兵士たちは最初から戦力にならないし、帝都を囲む城壁の内側から、その戦いの様子を眺めることしかできない。


 未来は見えている。

 残るは滅びだ。

 滅びれば、次は絶望の時代がやってくる。

 絶望の時代を経て、人は再び隆盛する。


「そして、私はようやく死ねる」


 それが何百年後か、何千年後かは知らないけれど、そういう筋書きになっている。

 だからハルシオンは笑っている。

 嬉しいに決まっている。

 事が進めば進むほど、世界が滅びれば滅びるほど、自分が魔王という役目から開放される瞬間が近づいていくのだから。


「死ね、死んじゃえ。抵抗しないでよ、とっとと負けを認めてよ。そんなに私を苦しめたいの? 私なんて苦しめて出てくるのは呪詛の言葉と血と黒いぐじゅぐじゅぐらいなのに。そんなにいじめて楽しい? ねえ、楽しいの? ふふふ、はははははっ……どーせ誰もいないんだから。どーせどうしようもないんだから。終わっちゃえ。ぜんぶ、早く、消えて無くなっちゃえ」


 絶望しかない。

 希望は自らの手で断ち切ったから。

 そうなるよう、あえて、そういう筋書きにされたから。

 諦めても世界は続く。

 泣いても喚いても無理だから、できるだけ笑うようにしているけれど、そっちの方がみじめだって気づいたときにはもう遅かった。

 へらへらするしかない。

 どうしようもない、どうしようもない。


『あちし、雑魚の相手はもう飽きちゃったかな』


『ウチも同感。ねえ、とっとと潰しちゃった方がいいと思うんですケド』


『ちょうど我もそう思っていたところだ。よし、消すか』


 神鎧たちの胸部装甲が開く。

 内側から、神臓が姿を表す。

 それはこの世の理を無視して、神鎧を動かすエネルギーを供給し続ける、“ご都合主義の塊”だ。

 どうやって作ったとか、どういう理屈だとか、考えてもしかたない。

 それは、“そういうもの”として、あるいは“どうしようもないもの”としてここに現れたのだから。


 エネルギーが収束する。

 それはいわば、神砲エクスカリバーの強化版と言ったところだ。

 そこにそれぞれの属性を付与し、破壊力を高めている。

 人間風情が作った都を破壊するには、過剰すぎる威力である。


 神臓がひときわ大きな光を放つ。

 ウィンディの胸からは、大地をえぐり、全てを塵に変える嵐が。

 タイタンからは、触れた物質を溶かして消滅させる毒の濁流が。

 ヘルからは、二度と溶けることのない、絶対零度を越えた冷気の奔流が。


 地面でうずくまる四天王たちは、それを見上げることしかできない。


『やめて、そこにはサーヤたちがっ!』


『あちしたちじゃ止められないのか……!』


『傷一つ与えられんとは、我は何とちっぽけな……』


『言うな、フェンリル! そして諦めてはならん! オレ様たちの戦いはまだここからだッ!』


『おいイフリート、それじゃ打ち切りみたいになっちまってるゾ!?』

 

 彼らは口々に叫ぶも、もちろん神鎧が止まるはずは無かった。

 兵士たちは絶望をその顔に貼り付け、キャニスターとグランマーニュは諦めに目を細め、フレイグはシーファを抱き寄せる。

 治療中のファーニュは横になったマギカに重なるように抱きついて、マギカは彼女の背中を抱き寄せる。

 宿から外の様子を見ていたレトリーは、セレナの手をそっと握った。

 彼女らしくない行動にセレナはふっと優しく笑うと、最期にベッドで眠るサーヤの方を見る。

 先ほどまで安らかな表情でそこに眠っていたサーヤは――すでに、いなかった。


 セレナの視線がサーヤの姿を探す。

 室内にはいない。

 ならば外に?

 扉だって開いていない、もちろん窓から出ることだってできないはずだ。

 けれど念の為、窓から外を見てみると――

 光り輝くオーラを纏い、平然と帝都の空に浮かぶサーヤの姿があった。


『綺麗……』


 神々しささえ感じる。

 それはつまり、ハルシオンからすれば忌々しく、苛立たしい存在ということである。

 サーヤは、開いた手を天にかざして、大きな声で叫ぶ。


『超壁拳――アイギィィィィィィイイスッ!』


 手のひらから放たれた金色の力場が、帝都全体を包み込む。

 直後、神鎧たちは同時に力の濁流を放った。

 三方向から迫る絶対破壊。

 触れれば、人は魂もろとも霧散し、粉砕され、腐敗する。

 命以外の物質とて同じこと。

 何もかもが例外なく消し飛び、少なくともこの帝都において、生存者など一人も残るはずもなかった。

 そういうことになっていた――はず、だった。


 だが、力場は帝都を飲み込めない。

 むしろ逆に、サーヤの作り出した壁に吸収され、消えていく。


 ハルシオンは玉座から立ち上がり、目を見開き驚愕する。

 “彼ら”も驚いた。

 ありえないからだ。

 止められない力を放ったのに、この世に存在する生命体が、三体分を、同時に防ぐなどと。


『ああ……サーヤだ……サーヤが、目を覚まして……あぁっ、何あれ、あのオーラみたいなの! 天使じゃん! もはやサーヤは天使じゃん! ウチ、全力で祈るから、その代わりにウチを抱いてーっ!』


『サーヤはやっぱりすごいな……あちしはまだまだだ。もっともっと強くなって、ああいうオーラみたいなの出せるようにならないとな!』


『驚いた……あのような真似までできてしまうのか、あの少女は』


『ガハハハハハッ! オレ様は信じていたぞ、必ず女装娘ならばどうにかしてくれるとな!』


『だから最後まで諦めなかったのカ!』


『当然だ、なぜならオレ様は――』


『知能派、だからナ!』


『そういうことだ! ガハハハハハッ!』


『ギャハハハハハハッ!』


『笑っている場合か、まだ戦いは終わっていないのだぞ!?』


 そう、フェンリルの言う通り――神鎧の攻撃を一度防いだだけで、神鎧そのものはまだ健在なのである。

 ウィンディ、タイタンも、そしてヘルも、全員がサーヤを明確な敵として認識し、睨みつけている。


『厄介なやつが来ちゃったけど……』


『ウチらの敵じゃないし』


『あれだけの防壁を展開したのだ、次に我らの攻撃を受け止めるだけの力は残っていないはず!』


 彼らの言葉を聞いて、サーヤは『ふっ』と微笑んだ。


『それはどうでしょうね』

 

 いつになく自信に満ちた笑み。

 その表情に宿るものは、勝利の確信のみ。

 すなわち――“ありえない”ことはまだ続く、ということだ。


『みなさん、伏せててくださいね!』


 サーヤは再び天に向かって手をあげると、力を集中させ――


『正拳、エクスカリバァァァ――』


 ボヒュゥッ! と天に向かって、巨大な光の束を放つ。

 大きく、高く、そして眩いそれは、雲を貫き空を抜け、果てなき宇宙の闇を照らすほど高くそそり立っていた。


『大ッ! 輪ッ! ざぁぁぁああああああんっ!』

 

 銀色の髪の少女はそれを、まるで剣のように薙ぎ払う。

 フオォンッ! と、それは巨大な外見から想像できないほど速く、鋭く、そして静かに――神鎧を真っ二つに両断した。

 神壁アイギスとぶつかりあって、“バチッ”と音を鳴らすことすらない。

 切れ味の鋭いナイフで柔らかな果実を切り分けるように、あまりに簡単に、絶対的脅威を破壊する。

 神鎧たちの神臓は上下真っ二つに切断され、当然、白金剛の体も軽々と切り離されて――ずしんと、上半身だけが、静かに地面に落ちた。

 四天王たちの表情に笑みが浮かぶ。

 一方で、帝都でその様子を見ていた人々は、喜ぶ前に、現実離れしたその光景に、その力に、ぽかんとした表情を浮かべていた。


『もう、すごすぎてわけがわかりませんね』


『でも思えば、サーヤちゃんって最初からそんな感じだったわね』


 セレナの言葉に、レトリーは『確かに』と苦笑した。

 まあ、少し時間を空けて、人々がその現実を飲み込むことができれば、すぐに歓喜の渦が帝都に広がっていくのだろう。


 だが、サーヤが斬ったのは神鎧だけではなかった。

 あまりに強大すぎる力は、ただ振りかざすだけで、目に見える物質のみならず――“世界”そのものを両断してしまったのである。

 元より、そこにほころびが存在したことも、原因の一つなのだろう。

 何にせよ、斬りつけられ、傷を負った空間は、傷口のようにぐぱっと開いてしまう。

 隠れていたはずの未踏領域と、サーヤたちのいる通常領域は、想定外にも繋がってしまたわけだ。


「ハルシオンさんッ!」


 その声は、ハルシオンに直接(・・)聞こえていた。

 そう、繋がった先にあるものは――魔王城だったのだ。


 どこにでもあって、どこにもない。

 そんなサーヤの故郷と同じような存在だった魔王城は、この世界に限りなく近いが異なる空間に存在したのである。


「リベンジマッチを申し込みます! あなたを、助けるために!」


 サーヤは、一度は自分を殺した相手に対して怒りも憎しみも無く、ただ真っ直ぐに、素直に、そう呼びかけた。

 再び腰掛けていたハルシオンは、玉座の肘掛けに腕を置き、指先で唇に触れる。


「もう逃げ場はありませんよ。出てこないのなら、こちらから行きます!」


 その、穢れを知らない――絶望を知らない――何だかこの世界が素晴らしいものだと勘違いしていそうなサーヤを見ていると、ハルシオンは酷くイライラした。

 ガリッ、と親指の夢を噛む。

 否、ハルシオンは親指そのものを噛み、傷口から流れ出た“黒いワーム”を舌先で転がした。

 血をもっと凝縮して、えぐくしたような味と匂いがする。

 それを感じていると、不思議とハルシオンの気持ちは落ち着いていった。

 自分がどういう存在なのか、思い出せるから。

 そして口角を釣り上げ、ニタァ――と寒気がするような笑みを浮かべると、立ち上がり、手を前にかざし、口を開く。


「わかった。じゃあ私は、二秒前のあなたに会いに行こうかな」


 ハルシオンの見る景色が変わった。

 色彩が失われ、灰色になる。

 風は止み、音は消え、何もかもが止まっている。

 ここは二秒前の、本来なら過ぎ去った時間なのだから当然である。

 時間軸を自由に行き来する――いわば四次元的なその力の存在は、三次元の世界に暮らすハルシオンには、本来ならば絶対に扱えるものではなかった。

 すなわち、神の見えざる手インヴィジブル・カーストのうちの一つである。

 

 ハルシオンはゆっくりと玉座から立ち上がり、その姿がぶれた(・・・)かと思うと、次の瞬間には魔王城の外に、そして次は帝都の空中に浮かぶサーヤの目の前に移動した。

 これも他の力同様に、理屈や理由などない。

 自由な座標の移動を許されているからこそ、できる動きである。


 そしてハルシオンは、止まったまま動かない“二秒前のサーヤ”の胸に手を当て、そこでぴたりと止まった。

 そして考える。


「心臓を潰したのに蘇った。この子がマーリンを名乗る誰かに作られたということは、人間の理屈なんて通用しないのかな。なら今度は、こっちを――」


 ハルシオンは、サーヤの顔を鷲掴みにした。

 それだけでは指の長さが足りないので、軽く力を入れて、指を伸ばす。

 ゴキッ、ゴキャッ、と骨が折れるような音を鳴らしながら、心地よい叫びたいほどの痛みに頬の筋肉をひくひくと痙攣させ、手を変形させたのだ。

 伸びた指は、サーヤの後頭部にまで達していた。

 このまま力をいれれば、彼女の頭は、まるで熟れすぎたスイカのように破裂するだろう。

 だから、ハルシオンは躊躇なく、その手に力を込めた。


「さようなら」


「――いいえ、“こんにちは”ですよ」


 手に、力が入らない。

 何人たりとも邪魔も干渉もできないはずのこの場所で、なぜこのようなことに。

 管理者権限。

 ウィザードモード。

 あるいはエディットモード――いわばそういう環境なのだ、この“二秒前の世界”は。

 ハルシオンだけが動くことを許可され、そこで起きた結果は、“0秒世界”において“すでに発生したこと”として過去を書き換えられる。

 文字通りの神の領域。

 そんな場所で、この世界で生まれ、この世界の理で生きる何者かが、動いて、ハルシオンの手首を掴み、妨害することなど――


「こんなこと、できる、はずが……」


「そうは言われても、できてますから」


 にこりと笑うサーヤは、ハルシオンの手を引き剥がした。

 この世界に干渉しただけではない、単純な力においても彼女は魔王を凌駕している。


「“なぜか”って顔をしていますね」


「物語の登場人物が、本の中身を書き換えたら誰だって驚くに決まってるじゃない!」


「……んん? よくわかりませんが、わたしが動ける理由なんて簡単です」


「なら聞かせてよ、その理由を」


 ハルシオンはサーヤの手を振りほどく。

 そのまま掴み続けることもできたが、サーヤはあっさりと彼女を開放した。

 そして答える。

 

「お師匠さまの力――そして、気合と根性ですッ! はあぁぁぁぁぁあああああッ!」


 サーヤが体に力を込めると、彼女の全身を覆うオーラが世界中に広がっていく。

 そして色彩の失われた世界は鮮やかに色を取り戻し、運命の書き換えを強制的に終了させた。


「魔王がサーヤの目の前に!?」


 ティタニアは声をあげ驚いた。

 他の者達も同様に、突如として帝都上空に現れた、漆黒のローブを纏った銀髪の女性に、驚きを隠せない。

 それも当然だろう、二秒前の世界での出来事を知っているのは、サーヤとハルシオンだけなのだから。


「見てのとおり、もうわたしにあの“運命の書き換え”は通用しません」


「……そう。そっか。ふふ、ふふふふふっ、今さらそういうことするんだ。今さらになってそんな奴が現れるんだ、私の前に!」


「300年間、あなたが苦しみ続けてきたことは知っています」


「知っている? 私のことを? ふざけないでよッ! マーリンでもあるまいし私のことなんてわかるわけがないでしょうがあぁぁぁあああッ!」


 ハルシオンは叫び、変化した手を前にかざすと、黒く渦巻く魔力の塊を射出した。

 サーヤはそれを拳で叩き潰そうとしたが、腕を前に突き出し触れた瞬間に気付く。

 いくら上空とはいえ、ここで炸裂すれば地表まで巻き込んでしまう。

 そこで彼女は握った拳を横にひねり、潰すのではなく、逸らす(・・・)ことでハルシオンの攻撃を防いだ。


 漆黒の弾丸は弾かれ、サーヤの後方の空へと飛んでいく。

 数秒後、何もせずともそれは爆発し、その区域の空間を歪ませるほどのエネルギーを発散した。


「うひゃあああっ!?」


 すっかりサーヤの戦いに夢中になっていたシルフィードは、横殴りの風に尻もちを付いた。

 鍛えられたモンスターである彼女ですらその有様だ。

 帝都の兵士たちは、遥か遠方から吹き荒れる爆風に、物にしがみついて吹き飛ばされないようにするので精一杯だった。


「マーリンはどこ? マーリンは生きてるの? だったらどうしてマーリンは私を迎えに来てくれないのっ、私を抱きしめてくれないのぉぉおっ!」


「何か事情があるんですっ!」


「嘘よ。嘘に決まってる! 私が殺した! マーリンは私が、この手で!」


「へっ? あれっ、そうなんですか!?」


 突然知らされる事実に、動揺するサーヤ。


「でもわたし、生きたお師匠さまと会ってますし! たぶん幽霊とかでもないです。触ってますから。お師匠さまのことですし、きっと何か怪しげなスペルとか使って生きてたんですよ、きっと」


「だったら……余計にどうして私に会いにくてくれないの?」


「そ、それは……確かに。あのお、お師匠さま? やっぱり一回出てきて、ハルシオンさんとお話した方がいいと思うんですがー!」


 サーヤは、無理を承知でマーリンを呼んでみる。

 すると意外にも、彼女から返事があった。

 しかも、“周囲に聞こえる形”で。


『無理よ。今のハルシオンと私が話しても意味が無いもの』


 ハルシオンは小さく「ぁ……」と声を出すと、目を見開いたまま固まった。

 そして両頬に手を当てると、肌を紅色に染めながら、口元に笑みを形作る。


「お師匠さま、やっぱりハルシオンさん喜んでますよ。ちゃんと顔を出して話した方が――」


『見てなさい』


「へ?」


『あれが、魔王と完全に融合するってことよ』


 マーリンの言葉通り、サーヤはハルシオンを見つめる。

 彼女の呼吸は荒くなり、肌に薄っすらと汗を浮かべ、瞳はうつろになっていく。


「マーリンだ……マーリンの声……ああぁ、マーリン、どこ? マーリン、どこにいるのぉ? 私、待ってたよ。私、私ぃっ、マーリンのことをずっと待ってたよぉ! 助けに来てくれたんだねっ、本当に生きてて、私を迎えに来てくれたんだねぇっ! マーリン、マーリン、マーリンマーリンマーリンマーリンッ!」


 ハルシオンが喜んでいるのはサーヤの目から見ても明らかだった。

 その喜び方が異様である。

 純粋な歓喜だけでなく、何か別の――歪んだ感情がそこに混ざっているような気がした。

 そしてどうやら、サーヤのその予感は的中していたようである。


「愛してるよマーリン、大好きだよマーリン! 私を抱きしめて! 私を愛して! 私を気持ちよくして! 300年前みたいにっ! 愛し合おうよ! 腕をずぶずぶって入れあって! 愛し合おう! お互いに体を切りつけあって! 血を流すの! 痛くするの! それが、それが絶対にいい! 気持ちいいよっ、マーリン、マーリぃぃぃぃいいいンッ!」


 ハルシオンは狂気を孕んだ表情でのけぞり叫ぶと――その両手に、力を集めた。

 黒い魔力がぐるぐるとうずまき、収束する。


「ハルシオンさ――」


 そして、サーヤがその名を呼ぶより早く、ハルシオンが両手に溜めた力は暴発した。

 そう、彼女は自らの手で、自らの頭を吹き飛ばしたのだ。


「……っ!?」


 サーヤは意味不明な彼女の行動に怯えすら抱きつつも、急いで高度を下げ、爆風から帝都を守るために防壁を展開した。

 ハルシオンは灰色の爆煙に包まれ、その姿を見ることは叶わない。

 だが風に流され、徐々に煙幕は晴れていく。


「何よ、あれ……」


「……あんなものが、中に」


 窓から外を見上げるセレナとレトリーが、絶句する。

 ハルシオンと対峙するサーヤも似たような反応だった。


「お師匠さま、あれが……魔王、なんですか?」


『そうよ』


 ハルシオンの頭は吹き飛んだ。

 どことなくサーヤと似ている顔も、銀色の髪も消え失せ、首の傷口からは血――ではなく、黒くうねるワームのような、見るからに邪悪な物体がいくつも這い出ていた。

 サーヤからは、それがハルシオンの“中身”というよりは――彼女の体に寄生(・・)する何かのように見えていた。


『人とモンスターを争わせるためのシステム。悲劇を演出するための舞台装置。クソッタレの、悪い意味でのご都合主義の塊――それが、魔王なのよ』


 マーリンは怒りに声を震わせながら言った。




 

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