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065 Friends - ちっぽけだからこそ




「ロード・トゥ・タルタロス――それ、ウチのとっておきだから簡単には抜けらんないよ?」


 ティタニアはそう言ってほくそ笑む。

 イグニートの腕を飲み込む紫色の沼――それは言うなれば極域呪文コンバージェンススペルとでも呼ぶべき代物だった。

 ティタニアはかつて、広域を毒で冒す星域呪文(プラネタリアスペル)を使用したことがあるが、それを凝縮し、範囲を狭めた分だけ威力を高めたのだ。

 それはいわば、毒の底なし沼。

 しかも触れただけで体から力が抜け、沼自体が奥へ奥へと引き込んでいくおまけ付きだ。


『このような小細工で、オレ様を止められると思うなあぁぁぁぁぁッ!』


 イグニートが吼える。

 彼はそれを小細工と呼んだが――事実、その腕はいまだ直接毒には触れていない。

 腕を包み込む神壁アイギスが、バチバチと火花を散らしながら接触を防いでいた。

 ゆえに、爆発の勢いを利用すれば、腕を引き抜くことなど容易いはずだった。


 だが、その“罠”が帝国側にとっての切り札であるとするのなら、その程度で終わるはずがない。

 それはイグニートにもわかっていた。


 避難施設そのものが罠だと意識させないために、あえて誘導するような素振りは見せず、直前でフレイグにわざと奇襲を仕掛けさせた。

 建物内部に人間と同じ形で、なおかつ同程度の体温を持つ“袋”を、イフリートとシルフィードが協力し無数に配置していた。

 おそらく、それ以外にもその建物が避難所であるとアピールする手段はいくつか用意してあったのだろう。

 それでも賭けだったはずだ。

 実際に避難民たちが隠れている施設は帝都のどこかにあるはず。

 “熱による感知”の可能性を考慮して、フェンリルの氷のスペルで外部から体温を感じ取れないように細工はしているかもしれない。

 だとしても、イグニートの攻撃に巻き込まれて、前線の戦士たちが倒れる前に、避難民だけが死に絶える可能性は十分にあったのだから。


 おそらく、四天王たちにとってはそれが、わずか一日で用意できる限界だったはずだ。

 単純な火力を求めるより、細々とした細工の方が手間がかかるもの。

 ならば用意できる罠はせいぜい一箇所。

 その一箇所に、全てを注ぎ込む――


「小細工かどうかは、あちしのスペルを受けて決めろぉっ! ジェノサイド・ダウンバーストッ!」


 もはやそれは風というよりは、“空気の隕石”であった。


『ぬぅっ!?』


 見えない力がイグニートを頭上から押しつぶし、さらにぞぶりと彼の体を沈めていく。

 右腕は肩まで沼に飲み込まれ、もはや腕の力だけで引き抜くのは不可能な状態だった。


『チッ、下等生物ごときに力を見せてやるのは癪だが、仕方あるまい。背部バーニアで――ん?』


 イグニートは背部にエネルギーを回す。

 だがバーニアの反応は鈍い。

 その様子を見てフェンリルは口を開いた。


「我はそれをエドマと名付けた。纏わりついたその氷は、簡単には溶けんぞ」


 イグニートのバーニアの噴出口を塞ぐように、氷が付着している。

 フェンリルの言ったように、それはただの氷ではない。

 彼と銀狼たちの力をありったけ注ぎ込み、凝縮した、限りなく溶けにくい氷だ。

 そのせいで、バーニアはうまく作動しなかったのである。


『犬風情が、神の炎を止められると思っているのか!?』


「思ってはいない。我も身の程はわきまえている、いくら群れの力をあわせても、止められるのはせいぜい数秒程度(・・・・)。だが――我の役目としては、それで十分だ」


 戦場において、その数秒はあまりに致命的である。

 炎でバーニアに付着した氷を溶かす間にも、イグニートの体は沼に沈んでいっているのだから。


『くっ、さらに沈んで――どこまで続いているのだ、この不気味な沼はぁっ!』


「どこまでもに決まってんじゃん。あんたは星の真ん中まで堕ちてくの」


『そうは――いくものかぁぁぁああああああッ! 燃えたぎれオレ様のハート! そして全てを焼き尽くせ! この世界の未来のために!』


 ゴォウッ! とイグニートの体から噴き出す炎が強まる。

 それは毒沼ですら蒸発させ、彼が腕を引き抜くのを助けた。


「なーに正義の味方みたいなこと言ってんだか」


『オレ様は正義だ! 紛れもなく! 誰の目から見ても! 正しさはオレ様の手の中にあり、この世界が歩むべき道はオレ様の勝利の先にある!』


 よどみなく、イグニートは間違いなく彼自身の正義を信じていた。


(でもそれってさあ、“魔王”のあり方とも別だよね)


 ティタニアは考える。

 どうにもこのデカ物を、魔王が作り出して送り込んできたとは思えないのだ。

 継承される魔王という概念。

 それを生み出し、操る、さらに上の何か――その存在を感じる。


 だが感じたところで、今は目の前の敵と向き合うしかない。

 このままではイグニートは、すぐに沼から脱出してしまうだろう。

 そこで、一人の男が立ち上がった。


「この星の命を奪い尽くした先にあるものが、正しい未来であってたまるものかああぁぁぁぁッ!」


 満身創痍のフレイグだ。


「フレイグ、僕も一緒に!」


「ああ、支えてくれシーファ!」


 彼はシーファに支えられながら、サーヤの作った神器の先をイグニートに向ける。

 そして、再び光の帯を放った。


「吹き飛べえぇぇぇぇええええッ!」


『邪魔をするな蚊蜻蛉めがッ!』


 空いた左腕で、それを受け止めるイグニート。

 ほとんど効果はない。

 だが気は散るし、左腕で体を支えなければ、シルフィードの風魔法の“重さ”に逆らうのは難しい。

 確実に、フレイグの勇気のおかげで、沼から脱出するまでの時間は稼げていた。


 一方その頃、物陰ではファーニュがマギカの治療を終えていた。


「……本当に行っちゃうの、マギカさん」


 ファーニュは寂しそうに語る。

 マギカの胸はきゅっと締め付けられた。


「行くしか無いでしょ、みんな必死なんだから」


「私、マギカさんが死んだらぁ……」


 泣きそうに声を震わせるファーニュ。


「寂しい?」


「後を追って死にますぅ」


 本気のトーンである。

 いささか重い愛だが、マギカは笑って受け止めた。


「そりゃ嬉しいわね」


「だって、えっちは生きてシたほうが気持ちいいと思います」


 全てを台無しにする言葉に、がくっと肩を傾けるマギカ。


「……あ、あんたねぇ。ま、一回ぐらいはあんたに勝ちたいし、ちゃんと無事に戻るわ。安心して」


「はい……でも、この絵面を見たらとてもじゃないけど安心できないんですけどぉ」


 ファーニュの心配そうな視線の先――マギカの体は、かろうじて無事だった大砲にすっぽりと収まっていた。


「どうせ最初はこうする予定だったんだし」


「ほ、本当にやるんですね」


 着火する兵士も、さすがに戸惑い気味である。


「馬鹿げてるけど、それ以外に私も方法が思いつかないのよ!」


「わかりました、行きます。3、2、1――」


「えっ、カウント早くない!?」


「マギカさん……どうかご無事で」


「まだちょっと心の準備が――」


 ファーニュは両手を握り、祈ることしかできない。

 そして――


「発射ッ!」


 ズドンッ! と重たく空気を震わす音とともに、マギカはイグニートに向かって射出された。


「いぃやぁああぁぁあああああーっ!」


 飛んだあとに言い出しても遅いのだが、やはりいやなものはいやなのだ。

 しかしここは空中、もはや後戻りすることはできない。

 この無謀で無茶な作戦において、マギカが生き残る方法はただ一つ。


『死体に群がる小蝿ではあるまいし、四方八方から寄ってくるなッ!』


 振りかざされたイグニートの左腕を真正面から受け止め、“力”で勝つことだ。


「私だってできればやりたくなかったわよ! でも――やんなきゃ、ファーニュといちゃいちゃできないでしょうがッ!」


 とりあえず今のところ、マギカが生き残りたい理由はそれだ。

 彼女と出会うまでは、色々と人生プランや将来の夢を思い描いていた気もするが、別にそれを諦めたわけじゃない。

 上書きされただけだ。

 それよりも尊いと思える、新たな感情に。


「空は青く、ゆえに海は青く、だから星も青い。そう――“青”は全て。青こそが全智! ゆえに我が魔は全てを“再現”する!」


『スペルか! だが見くびりすぎだ、人間! オレ様が左腕しか動かせないからと、甘くみているんじゃあないのか!?』


 イグニートの左腕が燃え上がる。

 最初に放った“ビッグバンブレイカー”、それと同等のエネルギーが腕に集中していた。


「俺のことを忘れるなァッ!」


 フレイグはなおも光の剣を連射する。

 イグニートは『チィッ』とうざったそうに彼を一瞥したが、すぐに視線をマギカに戻した。

 今はうざったいだけの存在など後回しだ。

 気は散るが、この女を叩き落としてさらなる絶望を相手に与える、それが最優先である。


『いかなる力を使おうとも、この世の範疇に収まるのなら、オレ様の炎と防壁を突破することは――』


だから(・・・)こうすんのよ!」


 マギカの握った拳が、炎を纏う。

 いや――その炎は巨大すぎて、もはやマギカの方が炎の付属品に見えるほどだった。


「ブルーマジック――ビッグバンブレイカーッ!」


『オレ様の技だとぉっ!?』


 マギカは、イグニートの攻撃を直で受けた。

 それはすなわち、コピーが完了したことを意味する。

 彼女の作り出した神壁アイギスは、発動限界時間に達することなく、イグニートに破壊された。

 つまりまだ、マギカには魔力が残っているのだ。

 その全てをつぎ込めば、ギリギリではあるが一発ぐらいは大技を放つことだってできる。


『ならばこちらもッ、ビッグバンブレイカァァァァァッ!』


 マギカのビッグバンブレイカーを、イグニートのビッグバンブレイカーが受け止める。

 ぶつかりあう力と力。

 立つのも困難になるほどの振動が、帝都全体に伝わっていく。


『ぬおぉぉぉおおおオッ! 拮抗しているだと……!? だがっ、所詮は猿真似に過ぎん、本家本元であるオレ様に届くものかァッ!』


「ふんぐぅああああぁぁあああああッ!」


 マギカの腕は何箇所も裂け、大量の血が溢れては蒸発するのを繰り返していた。

 彼女自身が感じる痛みも相当なものだろう。


「行け」


「行けぇー!」


『行っけえぇぇぇええええッ!』


 フレイグとシーファも、マギカの援護を続ける。


『くぅっ、邪魔をするな、道具に頼らねば戦えぬ雑魚がァ!』


 確かにマギカのそれは劣化コピーだ。

 それでも押し負けていないのは、集中を乱すフレイグの存在のおかげかもしれない。


 だが、それは元より人が扱える力ではない。

 マギカの腕に限界が訪れる。

 傷が生じるだけでなく、もはや形までもが歪みはじめ、スペルを継続するのは困難になっていた。


『ガハハハハハッ! やはりそうなるか! 人の身で扱える力ではないのだ、オレ様の力は! じきに腕が吹き飛ぶぞ!』


「どうせファーニュが治してくれる! だから腕の一本や二本ぐらいぃッ!」


 マギカの右腕が千切れる――そして彼女は続けて、左腕でスペルを支えはじめた。


『怖いもの知らずか、この女!?』


「ったり前でしょうが、生きるか死ぬかの瀬戸際だってのに! 死んだら終わりなのよ、楽しいことも幸せなことも気持ちいいことも全部、生きてなきゃやってらんないのよぉッ! だったら、多少の痛みや苦しみにぃ! ビビってられるもんですかぁぁぁああああ!」


『貴様らの魂は逝くべき場所に向かうだけだ! それが正しき結末なのだ!』


「正しいとか間違ってるとか知るかぁッ! 私は私がやりたいことをやるッ!」


 左腕が吹き飛ぶ。

 マギカはさらに、右脚でスペルを継続した。


『腕だけでなく、脚までもぉっ!? 達磨になるつもりか!』


「手足が無くとも頭で、口で、体で、あんたの腕が吹き飛ぶまで私は止まらない!」


『ガハハハハハハハッ! いくら身を犠牲にしようとも、オレ様には届かぬ! 無駄な足掻きだ、女ぁ!』


 右脚が吹き飛ぶ。

 最後は左脚で。

 だがそれも、そう長くはもちそうになかった。

 すると――マギカの隣に、すぅっと大男が、腕を組みながら現れる。


「ならばここで、真打ち登場と行こうか」


『イフリートッ!? フン、オレ様より温度の低い炎で一体どうなると言うのだ!』


「ガハハハハハハッ! オレ様の炎は心の炎! 心が燃え上がるほどに温度は上がり続ける! このハートバーニングに限界など無いッ!」


「ギャハハハハハッ! やってやレ、イフリートォッ!」


「おうよ、とっておきをブチかまそうではないか! マギカよ、退けい! ここからはオレ様が引き受けぇぇぇるッ!」


「ぐ……わ、わかったわ……頼んだわ、よ……」


 マギカのスペルが途切れると、彼女の体は地表に向かって落ちていった。

 手足が無いのではそのまま衝突するだけだが、シルフィードが風のスペルでクッションを作り出し、さらに安全域まで彼女の体を贈り届ける。

 そこにファーニュが駆け寄り、すぐさま次の治療が始まった。


『オレ様は貴様のことを誰よりもよく知っている。だからこそ断言できる、貴様の攻撃ではオレ様の防壁は突破できないと!』


 向かい合うイグニートとイフリート。

 イフリートからは、イグニートの左腕の腕が歪んでいるように見えた。

 それは防壁が乱れている証拠である。


「そうだな、これがただのスペルならば不可能だったろう。しかし――」


 イフリートが右腕を振り上げる。

 その皮膚には、びっしりと魔法陣らしきものが刻まれていた。


「オレ様は全ての力を、罠ではなく、この腕に注いだ。そう、今こそオレ様の限界を超える時!」


 極域呪文コンバージェンススペル――他の四天王たちが罠として利用したものを、イフリートは自らの腕に仕込んでいたのだ。


「“ブレイザー”の上が“ブレイカー”だと言うのならば、オレ様はその上を行こう!」


『オレ様の上を行くスペルなどぉっ!』


「存在するのだ! ビッグバン・カタストロフィィィッ!」


 宣言通り――先ほどまでのビッグバンブレイカーよりも激しく、強く、巨大な炎が、イフリートの腕から放たれた。

 再び左腕で受け止めるイグニート。


『ぬぅぉおおおっ!?』


 彼は初めて、困惑の声をあげた。

 あまりに重たい。

 この力は、想像を遥かに超えている。


『なぜだ……計算上では、いくらお前たちが力を束ねようとも、オレ様には勝てないはずだったのにぃ……!』


「ガハハハハハッ! 何が計算だ。オレ様たちのハートはなぁ、数字で表せるものではないのだッ!」


『それが可能だからこそ、オレ様は神鎧なのだ! うおぉぉおおおおおおおッ!』


 イグニートもただでは食い下がらない。

 さらに出力を高め、右腕が沈みゆくのを許容して、力を左腕に注ぐ。


『向きも、状況も、全てがオレ様に不利すぎるッ!』


「言い訳カ? かっこ悪いナ、オマエ!」


『バカにするなァ! オレ様は、誰よりも、かっこいいに決まっているだろうがぁッ!』


「そんなはずがない。この世で一番かっこいいのは、このオレ様――イフリートだからなァッ! ガハハハハハ! ガハハハハハッ!」


『ぬ……ぐ……ぐぅっ、馬鹿なぁ……馬鹿なあぁぁぁぁぁあああっ!』


 イグニートの炎が、イフリートの炎に飲み込まれていく。

 ついにイグニートの限界がやってきたのだ。

 ビッグバンカタストロフィがひときわ大きな光を放ち、まるで太陽のように、暗くなりだした世界を照らす。

 激しい爆発音が鳴り響き、あたり一帯は煙で包まれ――世界に、静寂が訪れた。


「……倒したの?」


 ティタニアがつぶやく。

 イフリートやイグニートの姿はまだ見えない。


「あちしたち、勝ったのか……?」


 シルフィードが、不安げに言った。

 正真正銘、全ての力を使い果たした。

 これ以上の戦闘続行は不可能である。


「イフリート! 返事をしろ、イフリート!」


 フェンリルが呼び替える。

 すると――返事があった。


『ガハハハ……ガハハハハハハハッ!』


 イフリートによく似た、帝都全体に響くような笑い声が。

 そして放たれた炎が、あたりを覆う煙を吹き飛ばした。


『防壁を突破し、オレ様の体に傷をつけたことは、よくやったと褒めてやろう。しかしここまでだ』


 ゴォォオオオオオッ!


 天高く昇る火の柱が、毒沼を、空気の塊を、何もかもを吹き飛ばす。

 イフリートはそんなイグニートの目の前で、膝をついていた。


「嘘だし……あんだけやったのに、無傷……?」


 ティタニアが見る限り、イグニートは傷を負っていない。


『オレ様には自動再生機構が搭載されている。多少の傷はこの通り――すぐに元通りだ』


 イグニートは左腕を見せつけて言った。

 よく見れば、そこにはわずかな亀裂が入っていたが、それもすぐさま埋まる。


『どれだけお前たちが全力を注いでも、これが限界なのだよ。腕の防壁を破壊し、一瞬で再生できる程度の傷を与えるのがせいぜいなのだ! 思い知ったか、下等生物ども。ガハハハハハハハハッ!』


 轟く嘲笑。

 その声は、兵士だけでなく、四天王たちにも大きな絶望を与えた。


『貴様らのその表情! それが見たかったのだ! 爽快! 愉快! 痛快! ガハハハハハッ! それ、もう終わりだ。まずはオレ様に傷を与えた敬意を表して、貴様から消してやろう――イフリート!』


 振り上げられる腕。

 もはやイグニートは舌なめずりをすることもなく、ためらいなくそれを振り下ろした。


「イフリートぉっ!」


 シルフィードの声が響く。

 力を使い果たしたイフリートには、反撃の術はない。

 彼は諦めたように、その場に立ち尽くしたままイグニートの拳を見つめた。

 そして――


『――ん?』


 その腕は、命中する直前で、ぴたりと止まる。


『何だ……動け。動けッ! なぜ止まるのだ、オレ様の腕ぇ!』


 イグニートがどれだけ力を込めようとも、その腕は動かない。

 イフリートは、歯を見せて、にやりと笑った。


「戦いが始まる前、オレ様は言ったはずだ。『お前には足りないものがある』と」


『だからどうしたぁ! そのような強がりが何だと言うのだ! オレ様が足りない? この、誰よりも美しく何よりも強靭な肉体を持ち、この世界を正しき方向に導く正しき精神を宿したオレ様に、何が足りないと!?』


「それは――」


 そして彼はしたり顔で、人差し指をイグニートの顔面に突きつける。


ノーヴァ()だ」


 イグニートは気づいた。

 いつもイフリートの近くにいたはずの、あの赤いコウモリ――その姿が見えないことに。


『――ハッ!? あのコウモリはどこに行った? どこで、何をしているぅッ!』


「オレはここだゼ、ここにいるゼェェェェェッ!」


 くぐもったような声が聞こえた。

 限りなくイグニートに近い位置だ。

 だが周囲には見当たらないし、体温の反応も無い。


『何だと!? どこから聞こえるのだ、この声はぁっ!』


 戸惑うイグニートに、イフリートは告げる。


お前の中(・・・・)だ、イグニート」


『中……? まさかっ!?』


 自らの左腕を見つめるイグニート。

 すでに傷は消えているが、ほんの前まで、確かにそこには亀裂があった。


『あのわずかな隙間から、中に入り込んだと言うのか!?』


 そう――イフリートの拳がイグニートの防壁と装甲を突破した瞬間、煙と炎を突き抜けて、ノーヴァはその体内へ侵入していたのだ。

 そして、中身を片っ端から食い散らかしていた。


「すげーナ、ここハ。セーミツキカイってヤツ? がびっしり詰まってるゾ。ぶっ壊しがいがあるってもんダ! ギャハハハハハハッ!」


『やめろ……やめろっ、オレ様の体の中を荒らすんじゃあない! それは貴様のような虫けらが触っていいものではないのだ!』


「ふん……足りぬものは友だと言ったが、それだけでは無いようだな」


 イフリートは腕を組み、イグニートの顔を見上げる。


『ふざけるな……』


「お前には、オレ様のようなエレガントさが足りない。ガハハハハハハッ!」


「ギャハハハハハハッ!」


 笑いながら、ついにその心臓部――神臓に到達するノーヴァ。

 彼は容赦なく、その光り輝く球体に噛み付いた。


『ふざけるなぁぁぁああああああああああああああッ!』


 イグニートは慟哭する。

 それは断末魔だ。

 神臓は破壊され、動力源を失ったイグニートは膝をつき、声も途切れた。

 そして瞳の光も弱まり――そのまま、動かなくなった。




 

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