064 BooBeeDoo - 助演女優賞ぐらいは貰ってもいい
「うっ……撃て、撃てえぇぇえええええッ!」
部隊の隊長が叫んだ。
すでに砲身には火薬と砲弾が込められている。
大砲から少し離れた場所に立つ兵士が手を前にかざす。
彼らは魔術師ではないが、微量の魔力を手のひらから放つことで、砲身内に仕込まれた着火用の装置が作動するのだ。
ドォォオンッ!
並べられた大砲が、一斉に炎の巨人に向かって火を噴いた。
迫りくる鉄球を前に、イグニートは防御態勢を取る必要すらなかった。
なぜなら体に触れる前に、その熱気に砲弾が溶かされ消えてしまうからだ。
そしてイグニートは右手を部隊に向ける。
その指先が変形し、大砲よりも口径の大きな砲門が現れた。
『消し飛べ、ナパームボム』
どろどろの溶岩をそのまま球にしたような光熱の砲弾が、連続して5発放たれた。
「は、早くっ! 次を撃つんだあぁぁああっ!」
迎撃のため、次弾装填を急がせる。
しかし砲門の清掃し、火薬と砲弾を込めて――と、そう連発できる代物ではない。
「あれを撃ち落せぇっ!」
「うおぉおおおおおおッ!」
無論、他の部隊の兵士たちも銃を持ち、冒険者たちは投石機やスペルで攻撃を加えている。
それどころか、イグニートの背後からは――
「フェイタリィトキシック! どろどろに溶けちゃえぇっ!」
「ストォオオオムナックルゥウウッ!」
「ビッグバンブレイザーッ!」
四天王たちも全力でイグニートに攻撃を仕掛けていたし、
「アイスミサイルだ、お前たちも合わせろッ!」
フェンリルを含む銀狼の群れも、無数の氷の弾丸を相手に浴びせていた。
それでも――敵はびくともしない。
なすすべもなく、大砲部隊に火球は迫り、また無意味に命が奪われようとしている。
しかし、兵士たちが死を覚悟したその瞬間、彼らの眼前を半透明の防壁が覆った。
「神……壁……アイギス……ッ!」
重傷のマギカが、力を振り絞って発動したものである。
『まだ動くか、魔術師の女! その意気だけは認めてやろう! しかしその程度の防壁が無意味だと学ばぬ愚かさは――』
「防ぐ……つもり、なんて……っ」
アイギスは斜めに展開されている。
マギカとて二度も同じ過ちは繰り返さない。
防ぐのではない、必要なのは逸らすことだ。
『この際、帝都がどうなっても構わん。命を最優先にしろ』
戦いの直前、そう告げたグランマーニュの言葉を実践するために。
そしてマギカの思惑通り、イグニートの放った弾丸はアイギスに当たり、炸裂せずに向きを変えて部隊の後方へと飛んでいった。
地面に着弾。
ゴォォオオオッ! と天高く伸びる炎の柱が、空を貫く。
『ガハハハハハ! なるほど、ただの愚者ではなかったか! しかしそれもオレ様の優しさがあってこそ。ナパームボムは本来、連射するものだぞ?』
ガシャンッ! とイグニートの左手の指先までが変形する。
今度は両手を周囲に向けて、誰も彼もを燃やし尽くすつもりだ。
「ガオォォオオオオオンッ!」
――その時、上空で咆哮が響いた。
『……何だ?』
イグニートが見上げると、そこには赤い龍が羽ばたいていた。
本来の姿に戻ったファフニールである。
彼女はそこから急降下すると、その鋭い歯でイグニートの首元に食らいついた。
「グアアァァァアアアッ!」
攻撃が届かなくても、単純な“パワー”や“質量”を使えば多少の妨害はできるだろうという考えだ。
事実、ナパームボムの発射の阻害には成功していた。
その間に、本来は後方で待機しているはずだったファーニュが、前線まで駆けてくる。
彼女は地面を這いずるマギカの体を抱き上げた。
「バカ……あんた、なに、して……」
「こんな戦いじゃ、どこにいたって同じですよぅ。死ぬ時は、一緒です!」
「ファーニュ……」
以前からわかっていたことではあるが、ファーニュは本当の本当に、マギカに対して本気なのだ。
彼女が目に浮かべた涙が何よりもその証明であった。
「かわいらしいマギカさんをこんな風にするなんて絶対に許せません」
まずはスペルで応急処置を施し、その後、建物の影にマギカを移動する。
イグニートの初撃を受けた彼女は、片足を喪失し、火傷も激しく、顔の半分が爛れ、髪も焦げて皮膚がむき出しになっていた。
それでも愛おしいと思えるのは――ファーニュ自身も、それでマギカに対するの自分の“本気”を改めて思い知る。
物陰で治療が行われる最中、ファフニールはイグニートの妨害を続けていたが――彼女は気づいていた。
(ちくしょう、あたし遊ばれてる……!)
急降下で突進しても、相手はよろめくことすら無かった。
平然と受け止め、今は威嚇し、絡みついてくる小動物と戯れているようなもの。
かろうじて、十秒ほどの時間は稼げたが、相手が本気で出せば一秒と保たなかっただろう。
「ギャアオォォオオオオオオオンッ!」
それでも主のいるこの街を守るため、必死で全力を尽くす。
しかしイグニートは、ついに飽きた。
砲門が開いたままの右手をファフニールの腹に当てると、ゼロ距離でナパームボムを発射する。
ドドドドドドォッ!
指先から無数に放たれる弾丸はファフニールの体を貫通し、彼女の体に風穴をあけた。
そしてナパームは空の彼方で、品性のない花火のように炸裂し、黄昏の空を赤く染め上げる。
「ガ……グ、ガ……っ」
ファフニールの体から力が抜ける。
するとイグニートはその頭を鷲掴みにして、無造作に地上の兵士に向かって振り上げた。
『同士討ちも趣があっていいぞ、ガハハハハハハッ!』
ゴオォォオオオッ!
ファフニールの巨体が、まるでハンマーのように高く振り上げられる。
すると叩きつけられる直前、イグニートの目の前の地面が盛り上がった。
「グオォォオオオオオオオオオオンッ!」
そして地面が裂け、地下から今度は黒い龍が現れる。
ニーズヘッグは大きな口を開くと、ファフニールを掴む腕に食らいついた。
『奇襲なんぞもう飽きたわ!』
イグニートの膝がニーズヘッグに叩きつけられる。
さらにガゴンッ! と膝が開くと、そこから炎渦巻くドリルが現れた。
鋭い先端が龍の腹に突き刺さり、グジュルルルルッ! と血肉を撒き散らしながら体を穿つ。
「グギャオォオオオオッ!」
ニーズヘッグの苦しげな声が響いた。
それでも彼女は、イグニートの腕を放さない。
『飽きたと言っているだろう、わきまえろ下等生物ッ!』
ドリルがさらに変形し、無数の針が現れる。
そのまま回転することによって、ニーズヘッグの傷はさらに広がった。
口からも力が抜け、体が浮き上がる。
吹き飛ばされた先は、投石機による攻撃を続ける冒険者たちの上だった。
邪魔が消えた所で、再度イグニートはファフニールの体を兵士たちに向けて叩きつけた。
『圧死も悪くはないぞ、下手に生き残るよりはなぁ! ガアハハハハハァッ!』
上機嫌に笑うイグニート。
だが地面にぶつかる直前、腕に掴んでいたはずの巨大な龍がふっと消えた。
ニーズヘッグも同様に、投石機部隊を圧潰することはない。
幻やスペルの類ではなく――ただ人型になっただけのことだ。
無論、腹部の傷はそのまま残っており、二人とも満身創痍だが。
「思い通りに……なるかっての……」
「ざまーみろ……ごふっ……」
『……つまらん。何とつまらん相手なのだ、貴様らはァッ!』
感情をむき出しにして、激昂するイグニート。
『弱いのならば! 抵抗する術すら持たぬのなら! せめてオレ様を楽しませるのが道理ではないのか、なあッ!』
あまりに理不尽な理屈である。
そんな馬鹿げた問答に付き合う者はいない。
「何でくらわねえんだよっ!」
「文句言ってる暇があったら体を動かせ!」
「だけどよぉ!」
「フッ! ハアァッ! 俺の風ならば、必ず届くはずだッ! 今度こそジェットになってみせろ、俺えぇェッ!」
「ほらあいつを見ろ、絶対に効いてねえのにひたすら攻撃してるだろうが!」
「あいつは変態だろ!?」
「じゃあ俺たちも変態になるしかねえんだよぉッ!」
ただただ、ひたすらに敵に抗い続ける。
無駄だとわかっていても。
「いい加減にっ! ちょっとぐらい効くべきだしぃッ!」
「サーヤとの訓練の成果! 食らえっ! 食らえ食らえ食ぅらええぇぇぇッ!」
「あれがオレ様のコピーなどと認めたくないものだな!」
「そうダそうダ! あんな品性の無い人形がイフリートなわけないゼ!」
「攻撃の手を止めるな、我ら群れの力を見せよッ!」
『わふわふっ!』
無論、四天王とて同じだ。
他の参戦者たちと違うのは、彼らの攻撃は、防壁にまで届いているということだ。
イグニートはここまで『矮小な存在』と見下し、気にすることすら無かったが、さすがにこうもしつこく攻撃されると目障りである。
『耳元を飛び回る羽蟲のような存在だな、貴様らはァ!』
「羽蟲の毒って危険なんだケド」
『オレ様にとっては、触れる前に燃え尽きる存在に過ぎん!』
「その割にイライラしちゃってまあ。人形のくせに、性格悪すぎだし」
『貴様らを矯正する立場にあるオレ様が、なぜ対等に言葉を交わさねばならないのだあぁぁぁあああッ!』
まるで怒りをぶつけるように、拳を振るうイグニート。
四天王たちは散開し、それを避けた。
「お前たちは一旦下がっておけ、ここから先は我の戦いだ!」
「わふっ、ですがっ!」
「わふん、ここは従っとこうぜマーナ」
「わふわふ、誰が欠けても私たちの敗北なのですよ」
「わふ……わかりました、お気をつけくださいフェンリルさまっ!」
イグニートの攻撃に巻き込まれぬよう、銀狼の群れたちは一旦帝都から離れていく。
しかし彼はそれを見逃さなかった。
『弱者から屠り、数を減らすのは戦いの定石よなあ!』
跳躍し、背中を向ける群れに飛びかかる。
「いちいちやることが卑怯なやつだな!」
シルフィードはそう愚痴ると、空気を圧縮して、イグニートの背中に放つ。
それは着弾した瞬間に爆ぜ、ハンマーで殴られたような衝撃を与えた。
だがやはり、彼を止めるには至らない。
「ラグナロク・アウェイクニング!」
フェンリルは詠唱を完了させ、スペルを発動する。
全身を氷の鎧が覆い、彼の戦闘力は――パワー、スピード共に大幅に向上した。
「うおぉぉぉおおおおおおおッ!」
しかし、イグニートの拳は、振り下ろすその動きだけで嵐を巻き起こすほどの速さだ。
どれだけフェンリルが強化されようとも、間に合うわけもない。
『くだらん三文芝居だな、狼どもがッ!』
なぜかイグニートは苛立たしげに、銀狼の群れを叩き潰した。
パリィンッ――そして、群れが映し出された氷が砕ける。
『猪口才な、このオレ様を欺くとはな!』
「……やはりな」
フェンリルは不敵に笑った。
そして彼は、本物の群れを探すイグニートに襲いかかる。
『こそこそ隠れよって。だが今度こそ捉えたぞ、駄犬ども!』
「いいやもう遅いんだ、あいつらは一人として欠けずに離脱する!」
『いいや、オレ様に早いも遅いも無い! この距離でも消し飛ばしてみせようではないか! ビッグバン・ブレイ――』
「往生際が悪いと言っているのだ!」
フェンリルは高速でイグニートの体の上を駆け上がり、握られた右拳に食らいついた。
『軽い、あまりに軽いぞ! その程度では!』
「一人で軽いんなら――」
ティタニアがサソリの尻尾をイグニートの拳に突き立てる。
装甲には届かないが、アイギスとの間にバチバチと雷光が走り、防壁は確実にすり減っていた。
「あちしたちも加わればいいだけのことッ!」
シルフィードは、風の力と、サーヤに鍛えられた身体能力――その二つを組み合わせた拳術で、小さい身体から重量級の一撃を放つ。
「四天王に不可能など無い! 主にオレ様とノーヴァのおかげでなッ!」
「オレは応援してるだけだけどナ!」
イフリートも巨大な拳に掴みかかり、その動きを阻害する。
『チィッ!』
一切のダメージは無いが、イグニートは銀狼の群れを狙うのを断念せざるを得なかった。
さすがに四天王全員が力を束ねれば、攻撃を止めるぐらいはできるのだ。
まあ問題は、その程度が限界ということなのだが――
『どこまでも不愉快な奴らが、吹き飛んでしまえェッ!』
イグニートが軽く腕を振り払うと、四天王たちは全員が飛ばされ、地面に叩きつけられる。
砂煙をあげながら、その中に倒れる彼らに向かって、イグニートはさらに両指計十門の砲口を向けた。
『羽蟲を堕とすにはいささかが豪勢だが、そうさせたのは貴様らだ。後悔するんじゃないぞ、ガハハハハハハハッ!』
ズドドドドドドドォッ!
指先から連発される炎の砲弾。
それらは容赦なく四天王たちに降り注ぐ。
彼らのいた場所を、一瞬にして炎が埋め尽くした。
逃げ場が無いほどの火の海である。
カチッ、カチッ。
乾いた音が鳴る。
『ふん、弾切れか』
どうせすぐにイグニートの神臓が装填するので、さしたる問題ではない。
だが攻撃の手を緩めるつもりはなかった。
『生命反応は消えていない。あの火の海の中でも奴らは生きている。ならば――』
イグニートは胸部装甲をガコン! と開き、放熱板を展開する。
『オレ様の必殺の一撃で、跡形も残らず焼き尽くしてやろう! 食らえ、ブレストフレイムッ!』
ボッ、ゴォォォオオオオオッ!
放熱板が一瞬にして炎に包まれると、そこから超高温の熱光線が発せられた。
それはただの光線ではない。
地面に当たると、その場所をドロドロのマグマへと変えてしまう。
『ガハハハハハハハッ! 見よ、星が原初の形へと戻っていくぞ! 人に、モンスターに、命に汚される前の尊き姿に!』
そのマグマは、触れたものをすべて消失させる死の流体。
炎によって周辺には満足な量の酸素すら残っておらず、もはや生命が存在できる空間では無くなっていた。
『これぐらいで十分……いや、過剰なほどだろうな』
イグニートの放熱板が収納され、胸の装甲が元の形に戻る。
そして彼は再び、兵士や冒険者たちの方を向いた。
下手に割り込んでも邪魔だと判断したのか、大砲や投石機による攻撃は一時的に止まっていたが、イグニートの敵意の対象が変わると再開する。
「撃て、とにかく撃てぇっ!」
「手を止めるなよ、無駄だと思ったら負けだ!」
『健気だな、どうせみな、四天王たちと同じ末路をたどると言うのに』
「勝手にぃ、あちしらをぉ、殺すなーっ!」
『何……?』
シルフィードがズボッと地面から顔を出した。
続けてティタニアやフェンリル、イフリートも這い出てくる。
『地面深くに潜って逃げていただと? だがそのような余力は――』
「一度倒したからって……二度と動けないわけじゃない……ふふ……げふっ」
「一応、あたしも……手伝ったからな。ごふっ」
血を口の端から流しながら、ボロボロのドラゴンたちは言った。
『先ほどの龍の片割れか! どいつもこいつも死にぞこないだらけではないか。なぜ素直に死のうとしない? 長い時間を苦しもうとする!』
イグニートがそう主張するのは、四天王がみなボロボロだからだ。
ニーズヘッグの機転のおかげで助かりはしたが、影響はゼロではない。
常に全身が炎で包まれているイフリートですら、高温による火傷で苦しげな表情を見せているのだ。
他の面々――特に氷を操るフェンリルは、もはや立っているだけでも精一杯である。
そのせいか、あるいは返事をする必要が無いと判断したのか、イグニートの言葉には誰も答えない。
『そうか、やはり――知能派のオレ様は知っているぞ、生命というものは、不思議なことに他者の命に固執するものなのだと。帝都には多くの民がいた、だが今、地表に見えるのは戦士としての覚悟を持ったものばかり。どこかに逃しているのだろう、貴様らが守りたい者たちを!』
先ほど同様、答えはない。
だが今度の沈黙は、先ほどとは違う。
図星だから――“答えたくない”から答えないのだ。
それを見抜かぬイグニートではない。
『ガハハハハハ! オレ様の指摘が的確すぎて、ぐうの音も出ないようだな! そうか、やはりそうだったか。貴様らを折るには、雑魚から殺して数を減らすのが一番! その認識はどこまでも正しかったわけだ! ならば――さあて、一番数が多いのはどこか。そこから潰してやろうではないか』
イグニートは頭部を左右に振り、何かを探すような素振りを見せる。
すると投石機から放たれた岩が、頭部に向かって飛んだ。
当然、当たりはしないのだが、軽くいらっとしたのだろう。
『邪魔をするな』
イグニートは軽く彼らを蹴飛ばした。
「うわあぁぁああああっ!」
風圧だけで投石機はバラバラになって吹き飛び、周囲にいた人々もそれに巻き込まれる。
『オレ様は、貴様らが折れた姿を見てみたいだけなんだ』
今度は大砲部隊に拳を向ける。
先ほどのように四天王に止められることを警戒してか、それは素早く、軽いジャブのようなパンチだった。
ただそれだけで、大砲も投石機同様吹き飛び、兵士たちも高く飛び上がって、地面に叩きつけられる。
それだけで絶命した者も少なくはなかった。
『ガハハッ! そうか、最初からこうしていればよかったのだな』
「あちしたちがそう簡単に倒れると思わ――」
ヒュゴォッ!
目にも見えない速度で、シルフィードに蹴撃が直撃する。
いや、100メートルを超す巨体が放つ蹴りだ。
無論、近くにいた者も巻き込まれ、まるで消えるようにふっとんだ。
次の瞬間、そこにいたはずの彼らは、意識を失ってぐったりと倒れるか、壁に叩きつけられて磔にされるか――どちらにせよ、無様な姿を晒していた。
『だが、これはこれで味気が無いものだ。全力を出し、それに全力で抵抗する者たちを見て、その無力さを愉しむ……これが戦いの醍醐味というものではないのか。そういう意味では、オレ様の楽しみを邪魔できた時点で、下等生物としては十分に勝利したと言えるのかもしれないな。ガハハハハハッ!』
一人笑いながら、ゆうゆうと帝都の隅に近づくイグニート。
目の前にある施設、その地下には、数多の“体温の反応”があった。
先ほどの銀狼の鏡像を見抜けなかったのは、そのせいだ。
彼らは氷を操る。
つまり、偽物の鏡像を作るにしても、自分たちの姿を自然に溶け込ませるにしても、体、あるいは周囲を氷で包み込む必要があった。
結果、イグニートはその体温を正しく追跡することができなかったのだ。
逆に、この施設の地下に避難している人々のように正常に熱を放っていれば、たとえ目で見ることができなくとも、その位置を知ることが可能である。
『だが……妙だな。ここに避難した人間どもがいるのなら、オレ様なら罠の一つでも仕掛けておく。それすら無いのか? あれがこの世界の全力だったのか? ならばなんとつまらない――』
「闇を浄化せよ、エクスカリバー・ディザスターッ!」
『ふ、姿が見えないと思えばやはりか!』
イグニートは、足元の施設から放たれた光線を片手で受け止めた。
その建物の中にいるのはもちろん、フレイグだ。
彼の隣には、シーファもぴったりとくっついている。
どうやらあまりに巨大なイグニートを目の当たりにして、彼女は少し怯えているようだった。
「まだまだぁっ! 行けっ、出ろっ! あいつを倒せぇっ!」
「がんばって、フレイグ!」
「うおぉぉおおおおおっ!」
『はっ――』
必死に神器を連発するフレイグを見て、イグニートは失笑した。
これが奇襲か。
これが最後の切り札か。
あまりのちっぽけさに、哀れさすら感じる。
『それ以上みじめな姿を晒すな、人間』
「あ……」
「――フレイグっ!」
慈悲と言わんばかりに、イグニートは人差し指から放つナパームボム一発で、二人のいる建物を吹き飛ばした。
フレイグはシーファを抱きしめ、かばいながら、爆風の直撃を受けた。
煙が晴れるのを待つまでもなく、次の攻撃が飛んでこないということは、もはやフレイグが剣すら握れない状態であることは明らかであった。
イグニートは再び避難施設と向き合うと、拳を振り上げる。
「やめて……」
意識を取り戻したティタニアが、地面を這いずりながら言った。
「それだけは、やめて……っ!」
小さな声だが、イグニートには聞こえている。
『ガハハハハハッ、淡白な死より、やはりそこにドラマがあった方が盛り上がるな』
「そんな……遊びで殺していい人たちじゃないし……」
『そうか。ならば、だからこそオレ様は無情に殺そう。理不尽に奪おう。それが道筋を外れた者たちに与える罰だ』
「いや……やめてえぇぇええええええっ!」
『ガハハハハハハハァッ! 大切な者の命が奪われる瞬間を、指をくわえて見ているがいいッ!』
ゴオォォオオッ!
拳は振り下ろされ、施設を叩き潰す。
そこにいる人々の命もろとも、すべてを奪ってゆく。
そして避難施設はいつの間にか、どす黒いドロリとした沼に変わり、イグニートの拳はずぶずぶとそこに飲み込まれていった。
「――かかったし」
ティタニアはわざとらしい演技をやめて、彼女らしく、歯を見せてあくどく笑った。




