063 Broken - どうしようもない
かつて世界一の軍隊と名高かった帝国軍。
だが魔王軍の隆盛により人類が衰退した今、当時ほどの力は残っていない。
文字通り、帝都は人間にとって最後の砦だ。
本来、ここに到達された時点で、敗北は決まっているような場所なのだから。
それでも――当時の名残とでも言うべきか、世界に誇れる戦力の一部はまだ残っていた。
その最たる例が、帝国軍魔術師部隊である。
世界中から特に強力なスペルを持つものだけを集め、育てられた、まさに最高峰の戦力。
勇者のお供に選ばれる以前、とある地方で冒険者をしていたマギカも、魔術師部隊への入隊を目標にしていたほどであった。
何度か試験を受けたことがあり、その度に『君のスペルには汎用性が無さすぎる』と言われて断られたのだが、まさか彼女も、それがきっかけで勇者と旅に出て、ファーニュと出会うことになるとは思いもしなかっただろう。
それはさておき、重要なのは帝国にはそういった精鋭が集う部隊があるということだ。
四天王を除けば、帝国が従える中では最強とも呼ぶべき彼らは、当然のように最前線に出ることが決まっていた。
「いいか、お前たちの役目は、あのイグニートから帝都を守ることにある。攻撃のことは一切考えないでいい、守ることだけだ」
「お言葉ですがキャニスター様――」
魔術師部隊の隊長は、金色の長い髪をかきあげ、キャニスターに言い放つ。
「以前から申し上げておりますが、私たちがいれば勇者など必要なかったはずです。皇帝陛下直々の命令ですので今日まで大人しくしておりましたが、今回ばかりは言わせていただきたい」
「自分たちを攻撃に回せ、と?」
「わかっておられるのですね。でしたら――」
「それはできないな」
「なぜです!?」
キャニスターは人差し指で眼鏡をくいっと持ち上げると、間を置いて口を開いた。
「私もわかっているよ、君たちの優秀さは。だからこそだ。四天王は確かに強力な力を持っているが、彼らはいささか、“守る”ことに向いていない。わかるか? 比較した結果ではない。我が帝国が誇る最強の魔術師部隊、その実力を評価した上で、適材適所に配置した結果なのだよ」
「……そうでしたか。いや、申し訳ありません。私としたことが、キャニスター様に生意気な口をきいてしまいました」
「気にすることはないよ。君たちの働きには、皇帝陛下も期待していらっしゃる。どうかその最強の力で、帝都を守ってくれ」
「御意に」
隊長の返事を聞くと、キャニスターは詰め所を出ていく。
すると、彼の姿が見えなくなった途端に、隊長は表情を悪辣に歪めた。
「チッ、あの無能眼鏡が。心にも無いことを」
豹変した彼を見ても、彼の部下である魔術師たちが驚く様子はない。
むしろこちらの方が本性のようである。
「隊長、命令にしたがうおつもりですか?」
「あいつはともかく、皇帝陛下の命に背くことはできない」
「ですがっ! ようやく敵が帝都に直接攻め込んできたのです。今まで“防衛”の名目で待機させられていた我らにとっては、実力を示すチャンスではないですか!」
「それぐらいはわかっているに決まっているだろう! ふん……要は、守ってみせればいいのだろう? イフリートだかイグニートだか知らないが、私たちから見れば等しく雑魚だ。たやすく防ぎ、余力を攻撃に回せばいい」
「できるのですか?」
「できないと思っているのか?」
隊長の高圧的な視線を向けられ、たじろぐ魔術師。
その様子を見て満足気に微笑む隊長は、両手を広げ宣言した。
「私たちは天才だ! 才能に恵まれ、努力も怠らず、今日まで力を磨いてきた! ならば不可能など無いはずだ! そうだろう、皆!」
『うぉぉおおおおおおおおお!!』
隊長の力強い宣言に、魔術師たちは湧いた。
野太い歓声を浴び、隊長自身も心地よさそうにうっとりと目を細める。
◇◇◇
部屋を出たキャニスターは、少し離れた場所で足を止めると、頭を抱えて「はぁ」と大きくため息をついた。
隊長の声は、しっかり室外にまで届いている。
「自信は武器だ、だが度を超すと弱点になる。やる気を出すのはいいことだが――」
別に彼らを馬鹿にしているわけではない。
キャニスターは彼なりに、本心から心配しているのだ。
「仮に防衛に集中したとしても、その役目をまっとうできるのか……彼らの夢想が現実になってくれれば、それに越したことはないのだが」
キャニスターがそうやって不安を口にするのは、“ありえない”とわかっているからかもしれない。
◇◇◇
時は過ぎ、刻一刻と決戦が迫る。
セレナは両親やレトリーとともに、宿で料理を作り、差し入れとして街の人々にふるまった。
「セレナちゃんの手料理ぃ? 本当に食えんのかこれ」
「あんまり失礼なこと言ってると蹴飛ばしますよ」
ギルドのベテランたちは、こんな時でもいつも通りだった。
いつもはうざったく感じるのだが、今ばかりは安心してしまう。
「なあ、エクスカリバーちゃんはどうなったんだ?」
「そういや怪我して動けねえって言ってたな」
「魔王に直接攻撃されたみたいで。意識は失ってますが、命に……別状はありません」
セレナは嘘はついていないが、そう言い切るにはあの出来事はショッキングすぎた。
「そうか、そりゃよかった」
「ならエクスカリバー兄貴が目を覚ました時、笑って迎えられるように俺らも頑張らないとな」
「あと、打ち上げの宴会のためにな!」
「ははははっ、違いねえ!」
「まったく……」
ため息をつきながらも、セレナの口元は緩む。
「はいトム、あなたにもあげる」
「……ありがとう」
階段に腰掛け、冴えない表情のトムは、やたら素直だった。
「今日はジェットだって言わないのね……」
「そんな状況でもないだろう」
「そりゃそうだけど……逆に気持ち悪いっていうか……」
「俺は生まれ変わったんだ。もう、あのときのようなパンツを追い続ける疾風のジェットではない……ただのトムだ。俺は堅実に生きると決めたんだ」
それはとても良いことなのだが、やはり何だか気持ち悪い。
(まともなのが気持ち悪く見えてしまうなんて、日頃の行いって大切なのね……)
そんな血も涙も無いことを考えるセレナ。
そんな彼女の後ろを、ファーニュが駆け足で通り過ぎていった。
セレナはその背中を視線で追う。
向かう先では、準備を急ぎすぎたせいで木材が倒れ、怪我人が出ているようだった。
「……サーヤちゃん、本当に大丈夫かな」
サーヤはファーニュがつきっきりで見ていたが、状態は安定しているため、今は一人で宿に寝かしてある。
魔王はサーヤが死んだと思い込んでいる以上、再び狙うことは無い――と思いたいが、やはり不安なものは不安である。
戦いが始まったら、両親やレトリーは地下施設に避難するそうだが、セレナだけは宿に戻るつもりだ。
どうせ、サーヤと帝国は一蓮托生なのだから。
着々と準備が進む帝都。
陽は頂点を通り過ぎ、次第に地平線に向かって傾きはじめる。
すると、空の色が茜に染まるよりも早く、帝都を囲んでいた炎の檻が消えた。
そして北側の空がぐにゃりと歪むと、そこからゆっくりと、赤い巨人が下りてくる。
頭は一つ、腕は二本、脚も二本の人型神鎧。
そのがっしりとした体は真紅に染められ、体の何箇所からかゆらめく炎が溢れ出していた。
その神鎧――イグニートは腕を組み、仁王立ちすると、じっと帝都を見つめている。
距離があるため正確な大きさはわからないが、帝都からでも見えるということは、ゆうに100メートル近くはあるのかもしれない。
定刻にはまだ早い。
しかし残された時間は少ないぞ、と告げるように。
帝都に緊張が走る。
待機していた大砲、投石機部隊、そして魔術師部隊はイグニートの居場所を見て配置を換えた。
大砲部隊と一緒にいるマギカも、彼らについていく。
それぞれ違う場所にいた四天王たちやファフニール、ニーズヘッグも姿を現し、魔術師部隊よりも前――城門の外で遠くに見えるイグニートを待ち受ける。
隊長は彼らが横を通り過ぎていくとき、その敵対心を隠しもせずに睨みつけたが、モンスターたちはまったく気にしていない様子だった。
周囲にフレイグとシーファの姿は無い。
彼らはまた、別の役目を与えられているようだ。
黄昏時を一時間後に控え、両者の態勢はすでに整っていた。
とはいえ、帝都の中ではまだ慌ただしく動いている者はいるが、彼らの働きで戦況が変わるかと言われれば、答えはノーだ。
つまり、あとは時が来るのを待つだけ。
緊張からか、口を開く者はごくわずかだ。
いつもは多くの人で賑わう帝都は、不気味なほどに静まり返っている。
戦いの前にあれだけ余裕を見せていた魔術師部隊の隊長にさえも、若干の緊張が見て取れる。
しかし、その胸中に渦巻く野心は萎えず。
機を見て攻撃に転ずる――そう心に決めていた。
やがて、空の色が変わりはじめる。
イグニートが宣言した、黄昏時がやってくる。
北に立つ赤い巨人の、組んだ腕がほどかれた。
「来る……!」
最前線で待ち受けるティタニアが呟く。
それと同時に、全員が戦闘態勢に入った。
数十人の魔術師部隊も手を前にかざし、いつでも防壁を展開できるよう詠唱を済ませておく。
『人間どもよ、滅びの時間だ』
その声だけが、帝都に響いた。
そしてイグニートは、ずしりと一歩前に踏み出す。
そのまま二歩目、三歩目とスピードを上げながら加速し、ある程度の助走を付けると――
『イグニッション』
背中から爆発的に炎を噴き出し、その姿が消えた。
後方に広がる炎は背後数キロに渡りあらゆるものを焼き尽くし、灰と、赤熱した大地しか残っていない。
誰が想像するだろうか。
あの巨体が、“消えた”と錯覚するほど素早く動くなどと。
あの距離が、一瞬で詰められるなどと。
まばたきする間に、自分の目の前にまで迫っているなどと――
「ぼ、防壁展開ぃぃぃぃぃッ!」
魔術師部隊の隊長は、裏返った声でそう叫ぶ。
隊員たちは一斉にスペルを発動させ、幾重にも重なる防壁が生成された。
しかしイグニートはお構いなしに、加速のパワーをすべて腕に注ぎ込み、振り上げた拳を叩きつける。
『ビッグバン・ブレイカァァァァァァァアアッ!』
炎を纏う真紅の拳は、防壁に接触し――まるで薄い紙でも破るように、あっさりと貫通した。
一切の抵抗は感じない。
速度やパワーが落ちることもない。
何枚重ねようと、人類最強であろうと、そんなものは神の名を冠する彼には届かない。
防壁と拳が接触する直前、マギカはその力量差を目で見て感じ取り、反射的に駆け出していた。
走りながら詠唱を完了させ、“間に合わない”と判断すると、多少の魔力消費増加は仕方ないと割り切り、少し離れた場所から、魔術師部隊を守るようにスペル“ブルーマジック”を発動する。
「神壁アイギスッ!」
それは神鎧が搭載する防壁と同じもの。
人の身で扱うには少々魔力の消費が重いが、理屈の上で言えば、神鎧のあらゆる攻撃を止められる最強の防壁――であるはずだった。
しかし、イグニートの拳はそれすらも貫通する。
多少の威力の減衰はあったかもしれないが、それは目視できるほどの差じゃない。
圧倒的無力さを、身をもって思い知らされる。
「あ――」
そして炎の拳は、無情にも魔術師部隊に直撃した。
ゴガガガガガガガガガガガァッ!
設置地点は、言うまでもなく跡形もなく消失。
さらに、まるで地面に爆薬でも仕込んでいたように、拳から放たれた炎は帝都を真っ二つに両断する。
それでもなお、その一撃に込められたパワーは収まらず、帝都の南門を破壊した上に、さらに彼方の大地まで――大陸そのものをへし折った。
「う……うぅ……ぁ……」
爆風に吹き飛ばされたマギカは、体中に傷を負い、瀕死の重傷で大砲部隊の前に転がる。
言うまでもなく、魔術師部隊は全滅。
死体はおろか、灰すら残っていなかった。
その状況の中で、マギカがかろうじて生き残ったのは、奇跡――ではなく、直前にシルフィードが、彼女を風のスペルで吹き飛ばしたおかげだった。
帝都に満ちていた緊張は絶望に変わる。
『ガハハハハハハッ! 摂理に逆らう愚かなる命ども。戦いはまだ始まったばかりだぞ?』
同胞の命はおろか、戦意すら喪失した戦士たちの顔を見て、イグニートは上機嫌に笑った。




