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060 Heart to Heart - 祭の後/後の祭

 



 祭りが終わると、すぐさま片付けが始まる。

 その日のうちに全てを撤去するわけではないが、翌日に回せない片付けというのもあるものだ。

 そしてある程度それが終わると、大人たちの宴会が始まる。


 もちろんサーヤは手伝おうとしたが、セレナやティタニアに止められてしまった。

 決して宴会から遠ざけようとしているわけではない。

 すでに酔っ払ったギルドのおじさんたちが、サーヤに酒を飲ませるべく「ぐへへ」と笑いながら近づいて来ていたが、彼らはセレナが追っ払っておいた。

 サーヤを止めたのは、準備に尽力してくれた彼女に少しでもゆっくりしてもらうため。

 本人はまったく疲れていないのは明らかなので、ほぼ自己満足に過ぎないのだが、それでも一から百まで彼女に頼りっきりというのは、大人として情けないのである。


 そんな経緯で、一人宿に戻ってきたサーヤ。

 珍しくひと気の無い店内にちょっとした寂しさを感じながらも、お言葉に甘えて体を休めるため、彼女は部屋に向かった。

 ぎしぎしと、木の床をきしませながら廊下を歩く。

 この宿で暮らすようになってからしばらく経ったが、すっかり我が家のように慣れてしまった。

 一応、宿を”借りている”という体なので、いつか出ていかなければ――と最初は思っていたのだが、セレナも、彼女の両親も、魔王との戦いが終わってもサーヤを泊まらせるつもりのようなので、実質我が家と言い切っても差し支えのない場所である。


 師匠と二人で、小さな村で暮らしてきたサーヤにとっては、ここは第二の故郷のようなもの。

 この場所で様々な人と出会い、様々な経験を積んで、ちょっぴり大人になった――そんな気がしている。

 そしてこれからも、きっとサーヤが本当の大人になるまで、大切な人たちと一緒に暮らしていくのだろう。

 その時は、師匠やハルシオンもそこにいると、サーヤは嬉しい。

 となると部屋が足りなくなるというか、宿というよりはアパートメントみたいな状態になってしまうが、セレナの両親は笑いながら「まあいいんじゃないか?」と許容してしまいそうである。


 先日話したように、イフリートやフェンリルは帝都を出ていってしまうだろう。

 それでもたまには顔を見せると言っていたし、彼らがいなくとも、他の面々だけで十分に賑やかで、騒がしくて、楽しい毎日を過ごせるに違いない。

 どこまでも前向きなサーヤは、そんな未来を確信していた。


 廊下の奥、サーヤの部屋の前に到着する。

 ドアノブに手を置くと、彼女はぴたりと動きを止めた。


「……誰か、いるんですか?」


 板を一枚隔てた部屋の中に、さっきまで無かった”気配”を感じる。

 聞くまでもなく、誰かがそこにいた。


「誰かいるなら、返事をしてください」


 二度目の問いかけ。

 無論、返事などあるわけがない。

 この時点でサーヤは、相手が味方ではなく、自分に対して害意を持つ存在だと判断した。

 そして同時に――発せられる異様な空気から、それが誰なのか、ほぼ確信に近い予想ができていた。


「入りますね」


 一応、そう前置きをして、サーヤは扉を開く。

 ギィ――と、軋む蝶番。

 耳の奥を震わすその音の存在が、やけに強く感じられる。

 張り詰めているのだ。

 サーヤはその殺気でもなく、敵意でもなく、部屋に満ちる、ただただ冷たい空気に、いつになく緊張していた。

 自ずと手に力が入る。

 手汗がにじむ小さな手のひらが、鉄のドアノブをぐにゃりと歪ませた。

 気にせず、部屋に足を踏み入れると――銀色の髪が、夜の闇の中、静かに揺れていた。


 窓が開いている。

 彼女(・・)はそこから侵入したのだろうか。

 そして、サーヤが来るのを待って、ベッドに静かに腰掛けていたのか。


 否、そうではない。

 なぜならサーヤはこの宿に入った時点で、屋内に誰もいないことを確かめていたからだ。

 特別、警戒していたわけではなく、常に建物の大きさぐらいの範囲なら、あらゆる生物の気配を感じ取ることが可能である。

 それが誰もいない場所に、たった一人佇んでいるのなら、なおさらに。


 つまり彼女は、サーヤがドアに近づく直前にここに現れた。

 そして窮屈さ、あるいは息苦しさを感じて、窓を開いたのかもしれない。

 その行動に表れているのは、”余裕”。

 敵対する人類勢力、その中でもずば抜けて高い力を誇るサーヤを前にしても、彼女の心は揺るがない。


 ゆっくりと首を回し、黒いローブを纏う銀髪の乙女はサーヤのほうを見る。

 その余裕ゆえに、彼女はその顔にマーリンの面影を見ても、一切動揺することはなかった。


「はじめまして、だな――あー……いや、驚かず、静かに敵意を向けているということは、私が魔王だって知ってるってことか。なら、変に気取る必要も無いのかな」


「フェンリルさんに聞きました」


「口が軽いね、所詮は犬か。ならいいよね、こっちの口調で」


「ハルシオンさん、ですね」


 サーヤがその名を呼ぶと、彼女は初めて感情を表に出した。


「へえ、知ってるんだ」


「お師匠さま――賢者マーリンに聞きましたから」


 サーヤはハルシオンの前に立ち、そう言った。

 賢者マーリン――ハルシオンはかつて自らが愛した女性の名を聞いて、「くふっ」と肩を震わせ笑う。


「面白い冗談を言うのね、あなたは」


「冗談なんかじゃありませんっ! わたしは、お師匠さまが持っていたあなたの一部と、お師匠さま自身の一部をかけあわせて、お師匠さまが自分のお腹で育てた子どもなんです。だからたぶん……あなたの、子どもでもあります」


「ふっ……ふふふ……っ」


 ハルシオンは右手で顔を多い、指の隙間からぎょろりと開いた瞳を見せながら、天を仰ぐ。


「ふふふふふっ、ははははははっ、あはははははははははははははははははっ!」


 そして大きな声で、狂ったように笑った。

 笑って当然だ。

 狂って当然だ。

 ハルシオンにしてみれば――“自分が殺したはずの恋人”が、“実は生きていて”、しかも“自分との間に子どもを作っていた”と、この少女は語っているのだから。

 笑うに決まっている。

 嗤うに決まっている。

 死ぬほど、死ぬほど――それは面白いからではなく、心の底から、不愉快だと思ったから。


「はははははははは――」


 だからハルシオンの笑い声は突如としてぴたりと止まり、


「ふざっけんじゃねえぇぇええええええええええッ!」


 一瞬にして、殺意の満ちた怒号へと変貌した。

 ゴオォォオウッ! と発せられる気迫により、室内にサーヤが両足で踏ん張らなければ吹き飛ばされるほどの、暴風が巻き起こる。

 もちろんそれほどの威力だ、木造の宿が無事で済むはずもなく、床も壁も天井も、一瞬にして粉々に吹き飛んだ。

 そして次の瞬間――サーヤがまばたきする間に、何事もなく、それは元に戻っていた。


「い、今のは……」


 戸惑うサーヤをよそに、ハルシオンは語る。


「ふざけないでよ、マーリンが生きてる? 馬鹿みたい。生きてるわけがないのに。私がぁ! あの時にね! 命をかけて、マーリンが私を助けようとして、魔王を殺して、戻ってきたあの時に、殺したの! ティルフィングを突き刺して、何度も何度もめった刺しにして、いくらマーリンでも絶対に助からないように念入りにねェ!」


 先ほどぶちまけたおかげで、幾分か怒りは収まったようだが、感情の高ぶりは抑えきれていない。


「お師匠さまが死んだ……? そんなわけありませんっ、実際、わたしはお師匠さまに育ててもらったんですから!」


「偽物よ。マーリンを名乗った、偽物。確かにあなたという存在を生み出した時点でその名を名乗る資格はあるんだろうけど、私にとってはただただ、挑発だとしか思えない。だってそいつは私の名前を知っている。私の正体を知っている。その上で、マーリンを名乗っているんだから」


「違います、本当に本当の、300年前から生きてる賢者マーリンなんですっ! ハルシオンさんのこと、愛してるって言ってましたし、あなたを助けたいとも言ってました! あれは絶対に嘘なんかじゃありませんっ!」


「だったら連れてきてよ」


「そ、それは……」


「本当にマーリンが生きてるなら、私の前に連れてきてって言ってるの。愛してるんなら、助けたいんなら、直接会うのが一番でしょ?」


 至極、まっとうな反応であった。

 サーヤも決して嘘を言っているわけではない。

 しかし彼女は存在も含めて、何もかもが常識はずれだ。

 初対面で、敵同士で、それが語らうだけでどうにかなるはずもなかった。


「お師匠さま……見てるんですよね。お師匠さまっ! ハルシオンさんの言う通りです。やっぱり、会って、直接話すのが一番だと思います! だからお願いです、出てきてくださいっ! お願いします、お師匠さまっ!」


 急に虚空に向かって呼びかけだすサーヤ。

 彼女は真面目にやっているつもりだったが、ハルシオンからしてみればその行動は滑稽でしかたない。


「ふふふ……何それ。私を馬鹿にしてる?」


「そうじゃありませんっ! 本当にお師匠さまはいるんです! 今もどこかでわたしのことを見ていて、ハルシオンさんのことだって……そうですよね、お師匠さまっ!」


「だぁかぁらぁさぁ……出てこないんなら、会えないんなら、嘘と一緒だって。私だってわかってるよ、マーリンが私を愛してくれていたことぐらい。だからわかっちゃうんだよ、本当にマーリンが生きてて存在するんなら、私を抱きしめにきてくれる。あの人は、馬鹿みたいに、愚かに、それが無茶だってわかっていても、私を助けようとしてくれる。だから――私はこの手で、あの人を殺すしかなかった」


 ハルシオンはゆっくりと、ベッドの縁から立ち上がった。

 そして凍りついた瞳で、同じ銀色の髪を持つサーヤを見下ろす。


「お、お師匠さま……お願いします……お師匠さまぁっ……!」


 何度呼びかけても、マーリンからは返事すらない。


 相手は魔王だ。

 ハルシオンは、その存在に乗っ取られている。

 おそらく、意識は残った状態で、何らかの方法で逆らえなくされているのだ。

 だから――ここでマーリンが出てきても意味がないということは理解できる。


 だが、サーヤは思う。

 そこにハルシオンの感情が残っているのならば、マーリンの実在という事実が、彼女の心を揺るがし、突破口を開くことができるのではないか、と。

 そして同時にこうも考えるのだ。

 この余裕、この圧倒感――突破口が無ければ、万が一にも、敵う相手ではない、と。


 筋力ではない。

 魔力でもない。

 肌で感じられるものではなく、あくまで気配でしかないが、そういう途方もない、どうしようもない力を彼女は秘めている。

 サーヤはそんな予感がしていた。


「本当は、神鎧の出番も無かったの。もちろん、私が出るまでも無かった。帝国は滅びて、人類はわずかな生存者が残るのみになるはずだった。そして数百年後――その生き残りが勇者と呼ばれる存在になって、闇に包まれた世界に光を取り戻す! それが……私が死ぬまでのシナリオだった」


「ハルシオンさん、あなたは……」


「ただただ無でありたい。私は操り糸に逆らえないのに、いつまでも私だったから、心を殺す意外に方法は無かった。なのにどうして、お前のような想定外が、せっかく凍りつきそうだった私の心を、起こしてしまうのか――」


 ハルシオンが、ゆっくりと手を前に出す。


「期待もあったのかもしれない。そんな可能性を夢見ていたのかも。だから今日まで待った。けれど、何も起きなかったじゃない。やっぱり、期待するだけ、裏切られるだけじゃない。ゼロがゼロになるんじゃない。期待の分だけ上昇して、その落差の分だけ叩きつけられる。痛い。ひしゃげて、潰れて、血が流れて、痛い」


 死んだ瞳が、サーヤに仄暗い感情を向ける。

 彼女は背筋に、これまで感じたことのない強い寒気を覚えた。

 反射的に体が動く。

 床と壁が吹き飛ぶほどの強さで地面を蹴り、瞬時にハルシオンに殴りかかる。

 サーヤの拳は相手の頬を捉え、命中し、そのまま頭が吹き飛ぶほどの強さで振り抜いた。

 そうしなければ、死ぬと思った。


 そして――気づけば、サーヤもハルシオンも宿の壁も、殴りかかる前の状態に戻っていた。


「えっ?」


 呆気にとられるサーヤ。

 そんな彼女に、もう一つ、受け入れがたい事実が突きつけられる。


「それって……」


 ハルシオンの手のひらには、ピンク色の臓物が乗っていた。

 サーヤはゆっくりと、自分の胸元を見る。

 赤い。

 赤い空洞が、ぽっかりと開いている。


「二秒前に、あなたの心臓を奪い取ったの」


 二秒前は、サーヤが殴りかかるより前だ。

 どういうことか理解できない。


「そういう運命になったの。神の見えざる手インヴィジブル・カーストによって」


 だがなぜか、彼女の記憶に、身に覚えのないその瞬間が残っていた。

 自分は無抵抗で、ハルシオンはゆっくりと胸に手を当て、沈ませ、心臓を抜き取る。

 そんな、信じがたい光景が。


「さようなら。かわいくて、とっても不快な異物さん」


 ハルシオンはそう言って、サーヤの心臓を握りつぶした。

 赤い液体が弾ける。

 返り血がハルシオンを汚す。

 同時に少女の体は、糸が切れたように床に倒れ――

 そのまま、動かなくなった。




 

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