053 わたしたちのみらいについて
「とんでもないですね……」
兵士はあんぐりと口を開きながら、積み上がる岩の山を見上げた。
「まったくだべ。帝都に出てきてからおんどろくことばっかあっだけどぉ、こればっかりはおらもたまげたなぁ」
彼の横に並ぶ、方言でなまった兵士も、似たような感想を抱いた。
「兵士さーん、このあたりでいいですかー?」
「ええ、そこに置いといてください」
「こんだけありゃあ十分だべな」
「キャニスター様も大満足でしょう」
「じゃあここに……よいしょ、っと」
サーヤが抱えてきた岩の山を置くと、ズシィィンッ――と帝都周辺を揺らすほど衝撃が広がる。
近くで見守る兵士たちは揺れるだけではすまず、軽く体が跳ね上がっていた。
「あれ……どれぐらい重いんでしょうね」
「想像もつかねえでなあ。おら1万人ぐらいあるんじゃねえべか?」
「余計に想像できませんね。そういえば、こちらではよく広さを表現するとき“帝都1個分”みたいな言い方しますが、あれもよくわかりませんよね」
「んだ。ブリスコ山1個分って言ってくれた方がわかりやすいべな」
「どこですかそれ。余計わかりませんよ……」
駄弁る兵士の横で、岩の量をチェックするサーヤ。
見ただけで十分な量があることは明らかだが、基本的に彼女は真面目なので、確認は怠らない。
「これでキャニスターさんに頼まれた岩は全部ですね。次は砂……ですか。期限にはまだ余裕がありますが、今日中に終わらせちゃいましょう!」
バビュゥーン! と再び帝都を離れていくサーヤ。
吹き荒れる風が、兵士たちの髪の毛を逆立たせる。
「改めてとんでもないですね……」
「帝都1個分の速さだべ……」
その直後、サーヤと入れ替わる形で、大量の丸太を担いだシルフィードが現れた。
彼女は兵士たちの目の前で、周囲をキョロキョロと見回す。
「……んー? ねえそこのデコボココンビ、サーヤがどこ行ったか知らない?」
「サーヤさんなら、そこの岩を置いてもう次の場所に向かいましたよ」
「えぇーっ!? せっかく追いつけると思ったのにぃ! くうぅ、うかうかしてらんないな。パワーはともかく、スピードぐらいは追いつきたいぞー! 木材置き場はこっち?」
「逆だべな」
「ああそっか、こっちか」
シルフィードも、ずしんと丸太を地面に置く。
それも相当な量で、人間なら運ぶどころか、担ぐことすらできない重さだ。
しかし前もってサーヤのアレを見ていたからか、インパクトを感じない。
もっとも、彼らが驚くか驚かないかなど、シルフィードにとってはどうでもいいことだ。
サーヤに追いつくため、一秒すらも惜しむ彼女は、すぐさま次の木材集めのために、普通の人間ならば目視できないほどの速度で駆け出した。
生じた風が、兵士たちの頬を凪ぐ。
「これがブリスコ効果だべか……」
「なんですかそれ」
「大きな帝都を見た後だと、あれだけ広大だと思ってたブリスコ山が狭く感じられる現象だべ」
「あるんですか、そんなのが」
「今おらが考えた」
「……暇ですね」
「だべなぁ」
兵士二人は、ただ見張っているだけだった。
一応、サーヤとシルフィードが祭りのために集めてきた材料を守る役目はあるのだが――実際はほぼ見ているだけ。
数分に一度、二人のうちのどちらかが戻ってくるので、幸い退屈せずには済んでいたが。
「平和なのは性に合いませんね」
「物騒なことを言うべな。あんた、目は赤いし肌も黒いし、変わった見た目をしてんだべなあ」
「あなたこそ、何ですかこの口調は」
「ブリスコ弁だべな」
「そうですか……聞いた所、田舎からわざわざ出てきて帝国軍に入ったようですが、なぜ残らなかったのです?」
「滅びちまったからなぁ」
「……」
「生き残った村人何人かで帝都にたどり着いて、そこで食い扶持を稼ぐために兵士になったってわけだべ。おかげで農家だった時よりは稼げてるべな」
「……そうですか」
「あんたはどうして帝国軍に入ったべか?」
「以前の私は、自分が実力のある天才だと思っていました」
「そりゃあいいことだべな。人間、自信はあったほうがいい」
「ですがへし折られましたよ。あまりに圧倒的な力を持つ者が、この世には存在するのですから」
「ほー、何だかすごい世界の話だべなあ」
「弟たちも私と同じ結論に達して、今は身の程をわきまえて、食い扶持を稼ぐために帝国軍に協力させてもらっています。というか、ほぼ強制でしたが」
「人間ってのは、食わなきゃ生きてけないべ」
「ええ、あらゆる生き物がそうです。ですが、そういう小さな生活も悪くありません」
「だべな。おらは一緒に逃げてきた村の人間と一緒に暮らしてるけんど、今じゃすっかり家族だべ。家に帰って『おかえりなさい』って言われるだけでも幸せだべさ」
「羨ましいですね。私の家なんて、似た顔をした弟たちが辛気臭く迎えてくれるだけですよ」
「それでも、悪くはないべさ」
「ですね……悪くない。こんな日々が続けばいいと、本気で思ってしまっている」
二人して空を見上げる兵士たち。
どこまでも続く爽やかな青を見ていると、人と魔物の戦いのことなどすっかり忘れてしまいそうになる。
「なああんた……」
「なんですか?」
「名前、何ていうんだべか?」
そう聞かれて、彼は「ふっ」と軽く笑うと、口元を緩めながら言った。
「インディヴァード、といいます。どうです、邪悪そうな名前でしょう?」
◇◇◇
シルフィードは額に汗を浮かべながら、最後の丸太の山を運ぶ。
すでに疲労は限界まで達していたが、彼女はそのスピードを緩めない。
「ふんぬううぅぅぅぅぅううううっ!」
すでにサーヤは今日のノルマを余裕で終え、明日のノルマまで達成して、帝都の近くで待っているはずだ。
運んだ量にも、回数にも、大きな差がある。
それが悔しくないと言えば嘘だ。
そりゃあ悔しいし、いつか越してやりたいと思っている。
だが同時に、超えるべき壁が存在する現状が、嬉しくてしょうがなかった。
「ぬんどりゃあぁぁぁああああああっ!」
ドスンドスンと地面を足の形に凹ませながら、一歩で数十メートルは前に進むシルフィード。
風のスペルは一切使っていない。
単純に、身体能力だけを使って、彼女は丸太を運搬していた。
今までは、自分を馬鹿にするドワーフたちを見返すためだけに自分を鍛えてきた。
たぶん、今もそれは変わっていない。
魔王軍という具体的な目標が無くなったため、行き先を見失ってはいるが、それでも“強くなる”という目的は残されている。
しかし、“サーヤという壁を超える”という目的は、それとはまた別の場所にある。
シルフィードの、シルフィードによる、シルフィードのためだけの目標。
誰かに馬鹿にされたくない――それも正しい動機だ。
だが彼女が新たに得たその心のエンジンは、今まで以上の力を自分に与えてくれる。
形が違うから? こちらの方が優れているから?
そうじゃない。
きっと、今は“見返してやる”と、“サーヤを越えたい”の二つのエンジンがあるから、こんなに前向きになれているんだろう。
ここまで必死になれるのは、今だけだ。
だから今のうちに、どんだけ無茶をしても、できるかぎり自分を伸ばしておきたかった。
寝ている暇すら惜しいほどに。
こんなことをサーヤに言えば、『休憩も訓練ですっ!』と怒られてしまうだろうが。
一方で、シルフィードはこうも思うのだ。
壁があるから嬉しい、だけじゃない。
壁がサーヤだからこそ嬉しい、と。
彼女に追いつきたいと思うのは、必死になって前に進もうと思うのは、そりゃあ強くなりたいとか、勝ちたいからというのもあるが――
単純に、顔が見たい。
そんで、お話したい。遊びたい。
そういう欲求なんじゃないかと、シルフィードは最近思うようになってきた。
要するに、ティタニアとかファフニール、ニーズヘッグあたりの気持ちがよくわかる、という話であって――
「ゴォールッ!」
ずしぃんっ! と丸太を所定の場所に置くと、シルフィードはへろへろと、待ってくれていたサーヤに近づく。
そして“ぽふん”と、彼女の薄い胸に顔を埋めた。
「おつかれさまです、シルフィードさんっ」
サーヤは優しく抱きとめて、頭を撫でてくれた。
本来、ライバルと定めた相手にこんなことをされれば、『こんちくしょうめ、あちしを舐めてやがるなこいつぅ!』となるところなのだが、今のシルフィードはむしろ逆だ。
落ち着く。
癒やされる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「かなり無茶をしたみたいですね……」
「あちし……サーヤに……追いつきたかった……から……」
「実際、何回かは追いつかれようとしてましたね。前よりスピードも、体力も、かなり伸びてるみたいです。びっくりしました」
「まだまだ……だから……」
「わたしもうかうかしてられません。がんばって訓練しないとですねっ」
「サーヤが……がんばったら、はぁ……あちし、追いつけないじゃん……」
「追いつかれないようにがんばるんですから、当然じゃないですか。シルフィードさんは強いですが、わたしは負けるつもりはありませんよ?」
「……きししっ」
「んふふっ」
何となく会話が途切れる。
シルフィードはサーヤから体を離すと、白い歯を見せながら笑った。
「あんがと。いい感じで復活できた。どうする? 仕事も終わったし、訓練でもするか?」
「ダメです。今日はもう休みましょう」
「休息は訓練のうち?」
「そういうことです」
サーヤは休憩用に置かれたシートの上に腰掛けると、自分の太ももをぽんぽんと叩いた。
膝枕をするつもりらしい。
シルフィードは特に逆らわず、彼女の足に頭を置いて横になった。
「気持ちいい空だなー」
「ですねぇ、快晴です」
「んー……なあ、サーヤ」
「何ですかー?」
「魔王さま、たぶん近い内に仕掛けてくると思う」
「そうでしょうね」
「あちしは、サーヤが勝つと思ってる」
「わたしには何とも言えませんが、勝つつもりですよ。そして、お師匠さまのところにハルシオンさんを連れて行くんです」
「そのあと……どうするんだ?」
「どうする、というのは?」
「魔王さまとの戦いが終わったら、一区切りつくと思う。その時、サーヤはそのまま帝都に残るのかなと思って」
「……えっと、あー……そうなんですね」
「んん?」
「いえ、シルフィードさんたちにとっては、大きな区切りなんだな、と思って。逆に聞きたいんですけど、シルフィードさんはどうするつもりなんですか? やっぱり、元の故郷に帰っちゃうとか?」
「あちしは……サーヤんとこに残りたいな、と思ってたんだけど」
「そうですか! ならよかったです。せっかく賑やかになったのに、みんないなくなったら寂しいですもん」
「……きししっ」
「な、何でここで笑うんですか?」
「いーや。魔王さまとの戦いが終わったら、あちしはここに残れないのかなとか、サーヤはいなくなるのかなとか、色々考えてたのがバカらしくなってさ。そうだな。別に変わんないんだよな、サーヤは」
シルフィードは、しみじみとそう言った。
正直に言えば、サーヤもあまり考えていなかった。
戦いの後のこと。
戦いが区切りになること。
変わりゆく世界のことを。
(そういえば、お師匠さまは、ハルシオンさんを助けるためにわたしを送り込んだのかもしれないんですよね……)
改めてサーヤは考える。
(知らないだけで、戦いが終わったら、わたしにも何か変化がおとずれるんでしょうか……)
世界は平和になって、賑やかな世界にマーリンやハルシオンが加わる。
そしてさらに平和な世界が続く――そんな風にのんきに考えていたのだが。
実は、そうでもないのかもしれない。
そんな、ちょっぴり大人っぽい悩みが、サーヤに芽生えようとしていた。




