047 世界の果てまでサーヤFly!
シーファは神器を手に、周囲をキョロキョロと見回す。
(……どうしよう、取れちゃったよ)
あまりに予想外の自体に、困惑を隠せない。
いつの間にか気配を消すことも忘れていた彼女は、たまたまマギカに守られているファーニュと目があった。
絡み合う二人の視線。
ファーニュはシーファが手に持った兜と、近くに倒れる銀狼を見て、こてんと首を傾げた。
この距離だと声も届かないし、何より音で他の敵に狙われる可能性もあるので、シーファはボディランゲージで今起きたことを彼女に伝える。
(背後からこっそり近づいて、ガッと兜を掴んで外したら、簡単に取れて、狼が倒れちゃったの!)
大ぶりで必死に伝えるシーファ。
するとファーニュは、なぜかぽっと頬を赤く染めて恥じらうような仕草を見せた。
口の動きを見るに、『シーファさんってばそんなに激しいことを……』と言っているような気がする。
(あ、伝わってないなこれ……)
まあ伝わらずとも、見れば状況はわかる。
「ぐうぅ……さすがに、魔力が、もう……っ!」
神壁アイギスを展開し続け、マギカには限界が迫っていた。
結局、一度も攻撃に転じることができず、相手を受け止めるのだけで精一杯だった。
せめて最後に一発ぐらい、どでかいのをお見舞いしてやりたかったが――
「ごめん、ファーニュ……そろそろ、私、ダメみたい……っ!」
今も防壁は健在だが、強化された牙の威力はそれを貫通するほど強力だった。
すでに頭部の半分ほどが防壁を突破しマギカに迫っており、食らいつかれるのは時間の問題である。
そこに、背後で守られていたファーニュが近づく。
「バカっ! あんた何やってんの!?」
「えいっ」
ファーニュは銀狼の頭に手を伸ばし、兜をすぽっと外した。
銀狼は防壁に弾かれ、吹き飛び、力を失いぐったりと地面に横たわる。
「……は?」
呆然とするマギカをよそに、ファーニュはもう一体の銀狼の兜も外した。
「えーいっ」
これまたすぽっと外れ、銀狼はノックアウト。
それを見てあんぐりと口を開くマギカに、ファーニュはぐっと親指をたてた。
「な……そんな簡単に外れる……もん、なの……?」
「みたいですねぇ。シーファさんが最初にやったみたいですよぉ?」
ファーニュの指した方を見ると、シーファは早くも二体目の兜を外しているところだった。
「なんてこと……盲点だったわ……」
「これなら傷付けずに助けることができますねぇ」
「簡単すぎて釈然としないけど、楽に越したことは無いわ!」
その事実を皆に伝えようとするマギカ。
だがティタニアやフェンリルは、マギカたちの姿を見て、すでにそれを知っていた。
「さすがに嘘でしょ……」
それでも半信半疑だったが、こちらに突っ込んでくる銀狼の攻撃を体を傾け交わしながら、尻尾の先端で器用に兜を引っ掛ける。
それだけで外れる兜。
そして倒れる銀狼。
「うーわぁ、拍子抜け」
「ふっ、我は嬉しいがなッ!」
フェンリルもティタニア同様、遅い来る仲間たちの攻撃をかわしながら、地面から突き出す氷の槍で兜を引っ掛け、外していく。
スポポンッ! と外れ、宙に舞い、地面に打ち捨てられる神器たち。
しかし一方で、必死に剣を振り回すフレイグと、銀狼たちを閉じ込めることに全力を注ぐイフリートは、まだそれに気づいていない。
「うおぉおおおおっ! まだだっ! まだ行ける! 俺の光の力はこんなもんじゃ――」
「フレイグ、止まって!」
シーファはフレイグの背後からそう呼びかけるが、必死な彼は声に気づかない。
戦闘前にも震えていたように、フレイグは実際、かなりビビっていた。
こうして実際に四天王クラスの強敵と対峙するのは初めてなのだからしょうがない。
だが彼の光の刃がぶん回されている限り、兜を外すために銀狼たちに近づくこともできない。
「フレイグ、ストッープ!」
シーファは彼の背後からぎゅっと抱きつく。
「……はっ!? シ、シーファ、何をやってるんだ。ここは戦場だぞ!?」
するとフレイグの動きが止まり、一気に耳まで赤くなった。
「戦場だから僕だって必死なの!」
同じくシーファも真っ赤である。
ひとまずこれでフレイグの暴走が止まる。
もちろん、銀狼たちの動きにも余裕が出て、自分たちを閉じ込めるイフリートに殺到するわけだが――
「飛んで火に入る夏の虫って知ってるカ? お前たちのことを言うんだゼー!」
ノーヴァはその口で彼らの兜を咥えると、次々と取り外していく。
もちろん群れはすぐに異変に気づき、ノーヴァに食らいつこうとするが、
「そんなんで捕まえられると思わないことだナ!」
体が小さい上に素早く、常に空を飛んでいる彼を捕らえることはできない。
さらに、フェンリルに比べると比較的熱に強いティタニアまでもが、炎の檻の中に自ら突っ込み、加勢する。
「あっちちち……イフリート。服が燃えた分、後で請求させてもらうし!」
「ガハハハハ! 自分で突っ込んでその横柄さ、嫌いではないぞ!」
尻尾と手足を器用に使い、瞬く間に数を減らしていく操られた銀狼たち。
あまりに簡単な対処法がわかってしまった今、その数が0になるのは時間の問題だった。
◇◇◇
地上での戦いが落ち着きつつある中、空中ではサーヤとシルフィードの激しい戦いが繰り広げられていた。
「煉拳レーヴァテインッ!」
サーヤの拳から炎が噴き出す。
「キッシシシシシィッ!」
もはや笑い声か“鳴き声”かわからない声を上げながら、シルフィードは渦巻く風でその炎全てを吸い込んだ。
そしてそれをこねて丸めて持ち上げて、炎をまとった風の球体に変え、サーヤに投げつける。
普通に考えればガードすべきところだ。
壁拳アイギスならば防ぎきれるだろう。
しかしサーヤはなおも攻めた。
「嵐拳、ストームブリンガァァァァァァアッ!」
風には風を――渦巻く空気の流れを腕にまとわせ、飛来する球体を全力で殴りつける。
チリチリと熱気がサーヤの拳を焼く。
吹き荒れる嵐がサーヤの腕を切り刻む。
だが――サーヤの小さな体が、その巨大な風の球体に飲み込まれることはない。
彼女の力が勝ったのだ。
「そおぉりゃあああぁぁああっ!」
跳ね返り、今度は逆にシルフィードを襲う。
「きしっ! キシシッ! キッシシシシシイィィィッ!」
すると彼女も風をまとった拳でそれをぶん殴り、サーヤと同じ方法で打ち返す。
「まだまだですっ!」
「きししぃっ!」
互いに腕がボロボロになりながらも、空の上で風の球体を打ち返し合う二人。
拳が相手の放った風とぶつかり合うたび、激しい空気の振動が、ヒュォォオオオッy! とまるで風の神が咆哮するように響き渡る。
「ふんッ!」
「きしっ!」
「はあぁっ!」
「きしししっ!」
失敗したら即人生終了の、死のドッジボール。
球速は二人が拳を突き出すたびに速くなり、さらに二人の距離も縮まっていく。
しまいには、サーヤとシルフィードの距離は球体を挟んでほぼゼロになり、
「てええりゃあぁぁああっ!」
「きっしししししぃっ!」
二人は両側から同時に、拳を叩き込む。
すると空中で球体がひしゃげ、耐えきれずに、まるで風船のように爆ぜた。
ゴオオォッ! ゴガガガガガァァァアッ!
風の動きが地上からでも視認できるほどの、すさまじい爆発。
広がる防風に巻き込まれた山の頂上付近が、まるで刃物で切り取られたように消し飛ぶ。
その爆心地にいながらも、サーヤとシルフィードの戦いは止まらない。
今度は直接の殴り合いが始まった。
シルフィードの拳は常に風を纏い、掠めただけで肌に切り傷を残す。
それは丈夫な体を持つサーヤであっても例外ではなく、おそらく彼女以外ならば、触れただけで風に巻き込まれミンチにされるほどの威力なのだろう。
加えて、身体能力の向上も著しい。
元からシルフィードは速さに自信のあるモンスターだった。
そのスピードがさらに数段階引き上げられ、今や打ち合いの速さならばサーヤを凌駕するほどだ。
「きしししぃっ!」
相変わらず、まるで模倣したようなテンプレートな笑い声をあげながら、高速で拳を繰り出すシルフィード。
「多元拳、ナナツサヤノタチィッ!」
対するサーヤも、ほぼ同時に繰り出される連続拳で対応する。
だが拳がニアミスするたびに、彼女は風によるダメージを受ける。
さらに攻撃と攻撃の間をすり抜けて、シルフィードの殴打がボディを狙う。
とはいえ、スピードに特化している影響か、その一撃一撃は比較的軽い。
もっとも軽いと言っても、人間ならば軽く消し飛ぶ程度の威力はあるのだが、常時“壁拳アイギス”で強化している今のサーヤにはあまりダメージは無かった。
また、まともに真正面から拳同士がぶつかりあえば、押し勝つのはサーヤの方だった。
そう、スピードでは神器を装備したシルフィードが勝っているが、パワーではサーヤの方が上なのである。
だからシルフィードは常に、サーヤの拳を受け止めるのではなく、受け流すような手法を取っていた。
「ふっふっふっ! はあぁぁぁああっ!」
ひたすら気合の入った掛け声をあげながら、無心で拳を繰り出すサーヤ。
大振りの攻撃は容易く避けられてしまうし、かといって速度重視の攻撃では、神器によって強化されたシルフィードに傷は負わせられない。
互いに決定打に欠けた状況。
いや、微小なれどサーヤに傷を負わせているシルフィードの方が若干優位だろうか。
ゆえに、シルフィードは無理はしない。
このまま続けていれば、ダメージの影響で少しずつサーヤの動きは鈍っていく。
速度の差がさらに広まったのなら、そこで命を奪ってしまえばいい――そんな考えが、サーヤには透けて見えていた。
(どうにも、シルフィードさんらしくない思考ですね)
戦いながら、サーヤは考える。
シルフィードは基本的に、好戦的な性格をしている。
仮に力が拮抗した戦いがあったとして、“待てば勝利が転がり込んでくる”という状況になった時――おそらく、あえて攻め込んで、自らの手で勝利をもぎ取ろうとするだろう。
(フェンリルさんの話によると、シルフィードさんはこの篭手に操られているはずです。こうしてやりあってみた限りでは、体の動きはシルフィードさんそのもの。けれどどこか、彼女らしくない部分が見えかくれしています。たとえば――)
不利な状況であっても、サーヤは落ち着いて対応する。
シルフィードが右の腕を前に繰り出す。
彼女はそれが相手にインパクトすると同時に、素早く腕を引いて次の攻撃運動に移る。
その間、隙と呼べるようなものは一切生じない。
そう――目で見た限りでは。
「シィッ!」
サーヤは息を吐き出し、細く鋭い一撃を繰り出す。
その“手刀”で狙うのは相手の脇腹だ。
軽く体をひねる、のけぞる、傾ける――シルフィードには回避の方法がいくらでもあるはずだった。
だが不思議なことに、サーヤが放った攻撃は、まるで吸い寄せられるようにシルフィードの脇腹に命中する。
「く、ふっ!?」
シルフィードは驚愕し、命中した部位を手で押さえながら後退する。
サーヤは顎に手を当て、不思議そうな顔をしながら、そんな彼女の様子を眺めていた。
だがすぐさまシルフィードは体勢を立て直し、風で加速しながら迫ってくる。
接近し、振り下ろされる拳――サーヤはそれをあえて避けず、軽く首を傾けて被害を軽減させる方法を取った。
そしてサーヤは同時に、シルフィードの頬にカウンターの拳を叩き込む。
「が、ふっ!?」
またもや驚きながら、後ろに吹っ飛ぶシルフィード。
その反応が、サーヤは不思議で不思議でしょうがなかった。
「わたしは最初から、シルフィードさんはその神器がどういうものなのかは知らない、あるいは無理やりつけられたんだと思ってました。たぶん、それはただしくって、悪いのは魔王さんです。それは間違いありません。ここで問題になるのは……なら、今シルフィードさんの体を操っているのは誰なのか、ということになります」
「きしっ……きしししっ……きししししぃっ!」
サーヤの語りに耳を傾けず、突進するシルフィード。
素早く繰り出される怒涛の連撃。
しかし、先ほどまで互角に打ち合っていたのは嘘のように、それらは命中しない。
そしてあろうことか――サーヤは大振り気味のハイキックを放ち、スパァンッ! とシルフィードの側頭部を叩いた。
防御すら間に合わない、見事なクリーンヒット。
再び困惑しながら、空中できりもみ回転するシルフィード。
「間違いなく言えることは、あなたはシルフィードさんじゃないってことです。それがどうしてか、わかりますか?」
そう尋ねるサーヤの口調には、いつもより感情がこもっていない。
それは、彼女なりの怒りだった。
友人となったシルフィードを操り、こんなことをさせたこと。
そして何より――“シルフィード”という命に宿った自我を尊重せず、身体能力、体に染み込んだ戦い方、そういった上辺だけを利用しようとする浅はかさ。
それらに対する怒りが、サーヤの心に氷のような冷たさをもたらしている。
「キシシシシィッ!」
なおも話を聞かずに突っ込んでくるシルフィード。
今度は全身に風を纏い、いかなる反撃も許さないつもりのようだ。
だがサーヤには関係なかった。
雑に、ただ力任せに繰り出される攻撃を全て避け、腕を風で切り刻まれながらも、それを貫いて腹部のど真ん中に拳を一発。
「ぐ……かっ……!?」
ズドン、と重い音が天空に鳴り響く。
“く”の字に曲がり、口を開いて痛みに呻く彼女に、サーヤは冷静に告げた。
「だって今のあなたには、彼女が努力で修正した“弱点”が、そのまま残っているんですから」
サーヤとシルフィードは、幾度となく拳を交えてきた。
そのたびにシルフィードはサーヤに敗北し、新たな弱点を指摘され、次までにそれを改善すべく、必死で訓練をしてきた。
シルフィードのすごいところは、翌日にはそれを修正できているところだ。
サーヤと過ごしたほんの二週間程度の時間で、彼女は見違えるほど強くなった。
それは身体能力が向上したからではない。
シルフィードが、経験を元に、自分の頭を使って、どうやったらより強くなれるかを研究したからこそ。
「あなたが誰だか知りませんが、はっきり言って、元のシルフィードさんよりも弱いですよ」
あくまでサーヤの体感ではあるが、彼女は間違いなくそう感じていた。
そして、それを証明するように、獣のように殴りかかってくるシルフィードを翻弄するサーヤ。
ついには真正面から顔を鷲掴みにし、聖拳術を発動させる。
「邪拳――アロンダイトッ!」
黒い渦をまとった腕は、シルフィードの体から急激に力を奪った。
邪拳アロンダイトーーそれはある意味で、正拳エクスカリバーの対極を成す聖拳術。
サーヤその善性ゆえにあまり使うのが得意ではない拳術だったが、今の彼女にならば自在に扱うことができた。
もちろん、彼女は『気合のおかげですね!』ぐらいにしか考えていないのだが。
だがそれも一時的なもの。
神器から絶え間なく力を供給されるシルフィードは、すぐに体の自由を取り戻すだろう。
「せやあぁぁぁぁああああッ!」
だからサーヤは、顔を掴んだまま、地上に向かって急降下した。
シルフィードが風の力を操ることができたのなら、すぐに落下は止まっただろう。
だが、今の彼女はスペルもうまく制御できなければ、体も自由に動かせない。
よしんば落下途中で動けるようになったとしても、もはやその加速は止められない。
サーヤは速度を緩めることなく、シルフィードの頭を、顔面から地面に叩きつけた。
無論、神器による耐久力の上昇を加味した上での攻撃ではある。
だが、10歳前後にしか見えない女の子が、同い年ぐらいの女の子にやる所業ではない。
「う……うわぁ」
思わずティタニアはそう呟いた。
だが、ぼーっと見ているわけにもいかない。
そんな容赦のない攻撃を受けてもなお、シルフィードの指先はぴくりと動いている。
まだ戦いを続けようとしているのだ。
真っ先に気づき、かつ距離の近かったティタニアとフェンリルは、シルフィードに飛びかかるように近づき、大慌てで篭手を両手から引き抜いた。
「ええぇっ、それって簡単に外れるんですかーっ!?」
サーヤは驚き、大声をあげる。
当然の反応であった。
その様子を見てティタニアはほっこりしている。
「銀狼たちの神器も取り外す事ができた。少女よ、礼を言うぞ」
「いえいえ、こちらこそお役に立てて何よりですっ」
「……んー」
二人のやり取りを聞きながら、ティタニアは顎に手を当て考え込む。
「どしたんですか、ティタニアさん」
「『女装です』って言わなくていいのかなと思ったのよ」
「……はっ!?」
指摘されて初めて気づいたらしく、サーヤは目を見開いた。
まあ実際のところ、サーヤが女ということは誰もが知っているし、女だったとしても、彼女の功績が消えるわけではない。
だから、あえて女装という設定にこだわる必要もないはずで――
「女装ですっ!」
「何だ、それは。持ちネタか?」
「いいえ、わたし、男なんです! 見ての通り!」
「どこからどう見ても女だし、メスの匂いもするぞ」
「メスの匂いっ!?」
「フェンリル、あんた何てもん嗅いでるワケ!? サーヤのメスの匂いを嗅いでいいのはウチだけだし!」
「そう言われても、銀狼というのは鼻のいい種族で……」
「いいから塞ぎなさいっ! そんないやらしいものを嗅がないでっ!」
「あっ、待て、鼻を塞ごうとするな! というか触ろうとするな! お前っ、毒がっ、触ったら感染するのではなかったのか!?」
「いっそそれでもいいと思ってるし!」
「我を殺すつもりかっ!?」
戦いが終わって気が緩んだのか、ティタニアとフェンリルは平和にじゃれあっている。
サーヤは二人のやり取りがよくわからなかったので、ひとまずシルフィードの体を抱き起こすことにした。
ひっくり返して顔を見ると、幸い、傷らしい傷は残っていない。
「喜ぶべきか、恐れおののくべきなのか……微妙なところだな」
「傷が残ったら、それはそれで責任を取らせることができる」
「ニーズヘッグ、お前の発想はいつも邪悪だな」
「定評がある」
「ファフニールに、ニーズヘッグ! 服がボロボロじゃないですか、体は大丈夫ですか!?」
二人のドラゴンは、際どいところが見えそうで見えない恰好になっていた。
彼女たちは元から裸を好むので、本人は特に気にしていないようだが――
「ああ、別にこれは銀狼にやられたわけじゃないからな」
「なら、どうしてそんなことに……」
「サーヤの攻撃の衝撃波で」
「あ……」
「いやあ、まさかサーヤに脱がされちまうとはなぁ!」
「これは責任を取ってもらう必要がある」
二人は瞳を怪しく輝かせ、サーヤの両腕に抱きつく。
そしてわざとらしく、破れて半分ほど露わになっている胸をむにゅりと押し付けた。
サーヤはシルフィードを抱き上げているので、逃げることができない。
「ふっふっふっ、対価はご主人様の体でもらおうか」
「くくく……野外プレイも悪くない」
邪悪な笑みを浮かべながら、サーヤに迫るドラゴンたち。
するとサーヤは、菩薩のごときスマイルで言った。
「わかりました。何をされるのかはわかりませんが、それで二人が満足するなら好きにしていいですよ?」
笑顔が光を放ち、どす黒い悪の感情を浄化していく。
「……ふぅ。こんなご主人様相手には、強引さに定評があるドラゴンでも手は出せねえな」
「まさか邪悪の化身と言われたこのニーズヘッグが、罪悪感なんてものを感じるとは……」
「……? えっと、何というか……どんまいです」
やけに落ち込んだ様子の二人を、ひとまず慰めるサーヤ。
彼女がやり取りをしている間にも、イフリートが「ガハハハ!」と笑い、ノーヴァもつられて「ギャハハハ!」と笑ってみたり、なぜか一人だけファフニールたち以上に服の破れたマギカがファーニュに襲われていたり、損傷は軽微だが際どい部分が破れたシーファが、フレイグの視線を受けて恥ずかしそうに体を隠していたり――と、様々なイベントが発生していた。
そのどれもが、戦いが終わった安堵から生まれたもの。
サーヤも彼ら同様に張り詰めていた気を緩ませ、すっかりリラックスした表情を浮かべていた。
だが、ふと地面に投げ捨てられた篭手――すなわち“神器ドミネーター”を見た瞬間に、その目つきに鋭さが戻る。
(今、あの篭手……)
微かにだが、動いたような気がした。
風の影響かもしれないし、偶然そう見えただけかもしれない。
だが、一度“怪しい”と感じてしまうと、不穏な気配を発している気がしてくる。
思えば、銀狼たちの兜といい、ただ引っ張るだけで外れるというのもおかしな話だ。
取り外しやすいということは、取り付けやすいという意味でもある。
つまり機能性を重視してそういった仕様に作られていた可能性も十分に考えられるだろう。
だが、“取り外しやすい設計”にした理由は、もうひとつ考えられた。
つまり――外すことが前提の装備ということ。
サーヤがその結論に達すると同時に、篭手がひとりでに動き出す。
勢いよく空中に浮かび上がったかと思うと、ある地点でぴたりと止まり、不可視の力場を周辺に展開した。
「みなさん、まだ終わってません!」
声を荒らげ、周囲に響かせるサーヤ。
異変に気づいた面々は、ほぼ同時に空を見上げ、篭手を注視する。
すると、銀狼から取り外され、そこらに投げ捨てられていた兜も浮遊しだした。
そして篭手に近づいていったかと思うと、変形し、合体する。
他の兜も同様に、それぞれ違う形になって、一体化していった。
やがてそれは人のような形をした、1体の鎧となる。
「あれは……神鎧ではないか!」
イフリートが声をあげると、神鎧は自ら名乗る。
『神鎧ドミネーター、第一変形を完了しました。これより、“ニエ”登録が完了した生命体を使用しての第二変形に移ります』
いかにも機械的な、冷たく無機質な声。
ドミネーターの宣言の直後、地面に倒れていた銀狼たち――そしてシルフィードの体が、ゆらりと立ち上がった。
「シルフィードさんっ!?」
「お前たち、意識を――いや、違う。これはっ!?」
そのまま、ふわりと浮き上がる。
そしてゆっくりと、まるで糸にでも吊られているように、ドミネーターの方へと集まっていく。
「フレイグ、銀狼たちが引き寄せられてるみたいっ!」
「どういうことだっ! あの動く鎧は何をしようとしているっ!?」
「これってぇ、もしかしてぇ……」
「“ニエ”って、“贄”ってことでしょ。あいつ、自分が操った連中を取り込もうとしてるのよ!」
そう、ドミネーターにとって支配した相手はパーツにすぎない。
仮に神器を取り外され、支配が解けたとしても、今度はその肉体を利用して己を強化するのだ。
「そんなふざけたことはやらせませんっ!」
サーヤはシルフィードの体を両腕で抱き、必死で止めようとする。
フェンリルも同様に、皮膚を咥えて、吸収を阻止しようとした。
それを見て、他の四天王やドラゴンたちも動き出す。
だが――どれだけ力を入れようとも、サーヤが全力を出したとしても、彼らの体は動き続けた。
腕力の問題ではない。
まるで最初から、一つになることが定められているように。
『妨害は、無意味です。直ちに諦め、神のご意思に身を委ねてください』
「断る! それが神の意思だというのなら、俺の光の力は神以上だ! うおぉぉおおおっ、エクスカリバー・デスティニースラァァァッシュ!」
「が、がんばれフレイグーっ!」
フレイグは剣を抜いて、ドミネーターに向けて全力で振り下ろす。
まばゆい光の刃が、変形フェーズの真っ只中で無防備な神鎧を襲った。
「暑苦しいノリは苦手だけど、今ばっかりはあいつに同意だわ!」
「マギカさん、やっちゃいましょう!」
「ええ、やってやろうじゃない! 空は青く、ゆえに海は青く、だから星も青い。そう――“青”は全て。青こそが全智! ゆえに我が魔は全てを“再現”する! ブルーマジック・ミラーリフレクションッ!」
マギカが放つのは攻撃のためのスペルではない。
本来、敵の攻撃を反射させて、反撃するためのスペルだ。
だが、一定以上の威力の攻撃を受けると壊れてしまうという欠点があった。
そんな数枚の鏡が、ドミネーターの周囲を取り囲む。
フレイグの放った刃の威力はあまりに強大だ。
本来ならばその鏡は、たやすく砕かれ――いや、溶かされてしまうはずであった。
しかし、それは光。
つまり最も鏡が反射しやすい特性を持つ攻撃。
耐えられる熱に限界はあれど、数回なら反射させることができる。
ドミネーターは無防備な状態とはいえ、かつて戦った神鎧ヴォーダ同様、神壁アイギスを常に展開している。
ゆえに光の刃は防壁に触れた瞬間、拡散した。
周囲に展開された鏡がそれらの光の刃を反射させ、ドミネーターに無数の攻撃を浴びせる。
再びアイギスに阻まれたのなら、三度反射。
三度阻まれても、四度反射。
光が弱まり消えるまで、それは数十回続き――焼き尽くされたドミネーターの周囲は、真っ白な煙に包まれた。
「どうだッ!」
「さすがに無傷ってわけにはいかないでしょ」
思いつきだとするならば、なかなかのコンビネーションだ。
「さすがにあれを喰らったんじゃ……ウチらでも危なかったかもね」
「我ら四天王に挑む資格はあったといわけか」
「ガハハハハハッ! あんなもの、大人しく食らってやるほど、オレ様たちは甘くないがな」
「そうだゼ、イフリートはスピードだって一流なんだからナ!」
勇者たちが放った、誰もが認める、決定的な一撃。
しかし――一方で、一度でも神鎧と交戦した者は、心のどこかで気づいていた。
まだ、終わりではないと。
「イフリート、どうしよっか。ウチらにできること、あると思う?」
「ある、と言いたいところだが――」
「何だ二人とも。まだ決着は付いていないというのか?」
「オレの見立てじゃア、あいつはたぶん無傷だゾ」
「そんなバカな、あれだけの攻撃を受けておいて――」
煙が晴れる。
ノーヴァの言葉通り、その向こうから現れたのは、無傷のドミネーターだった。
「まさか……神器を装備した彼らより、さらに強力な相手なのか……! いや、だがサーヤの力があればっ!」
フェンリルはサーヤに期待の目を向けたが、彼女も険しい顔をしていた。
「彼女でも駄目なのか……?」
「ダメっつーか、間に合わないよね」
取り込まれた者がどうなるのか、サーヤにもわからない。
だがドミネーターの手足や肩付近では、むき出しになった歯車が、何かを砕きたそうに不気味に回っている。
少なくとも、そのままの形でくっつけて終わりだとか、そんなことは無さそうである。
かと言って、今の力が開放されたサーヤでも、シルフィードが吸収されるまでにドミネーターを破壊することはできない。
そもそも、普通に戦ったとしても、そう簡単に勝てる相手では無いだろう。
なにせ、ドミネーターは、神鎧ヴォーダのような、地中で眠っていた骨董品とは違う。
魔王が今回の戦いのために繰り出してきた、紛れもなく最新鋭の神鎧なのだから。
「何とかならないのかっ! どうにかして止められないのかっ、誰かッ!」
フェンリルが必死に叫ぶ。
シルフィードはまだ距離があるが、最も近い位置にいた銀狼はあと数秒で取り込まれてしまいそうだった。
(倒すのは間に合わない。かと言って待っていればそのままシルフィードさんたちは取り込まれてしまう。でも――取り込む速度は、そんなに早くない)
サーヤは考える。
どうやれば、誰も取り込まれずにあの神鎧を倒すことができるのか。
きっと、周囲にいる彼らは、自分にできることは考えられる限り考えたはずだ。
その結果、どうしようもなかったから、サーヤに頼るしかない。
彼女に今向けられている視線は、そういう意味の期待に違いない。
(時間さえあれば倒せるかもしれない。でも時間をかけられない。短時間でたおす? いや、違います。そうじゃないんです)
自分にしかできないことは何があるのか。
常人離れした、馬鹿げた身体能力と、聖拳術でできること――
(そうです――取り込まれるまでの時間を、稼げばいい!)
それに気づいた瞬間、サーヤは一旦抱きついていたシルフィードから離れ、地面に両足を付ける。
そしてありったけの力を込めて、ドミネーターに向かって突進した。
「迅拳、クラウソラスッ!」
さらに聖拳術を発動。
もはやどのあたりが“拳”術なのかはわからないが、さらなる加速力を得てドミネーターにしがみつく。
そしてそのまま――神鎧とともに、遠く彼方まで吹っ飛んでいった。
「サーヤっ!?」
「女装娘、どこへ行こうと言うのだッ!」
驚愕する四天王にはもう聞こえないが、一応サーヤは答えておく。
「この星の裏側までですーッ!」
冗談でも何でも無く――サーヤは本気で、限りなくここよりも遠い場所、すなわち“星の裏側”を目指していた。




