044 銀狼再起ファイル
その日は、とても平和だった。
サーヤが目を覚ますと、両隣で全裸のニーズヘッグとファフニールが寝ている。
すっかりその姿も見慣れたサーヤは、二人の体を揺らす。
が、起きない。
ドラゴンのくせに寝起きが悪い。
いや、ドラゴンだからなのか――ともかくサーヤは「仕方ないですねぇ」と眠そうな顔で言うと、ファフニールと唇を重ねた。
すると彼女は途端にぱっちりと目を開き、爽やかな笑顔で「おはよう」と告げる。
「起きてましたね?」
「いいやぁ、お姫様は王子様のキスで目覚めるもんだ」
「わたしが王子様なんですか?」
「だって女装なんだろ?」
「それはそうですが……むむむ」
女の子なので、かわいいと言われたい気持ちもあるのだ。
続けてサーヤは、ニーズヘッグとキスをする。
するとニーズヘッグはサーヤの体を両手でがっとホールドし、激しく舌を入れようとするも――単純に腕力で敗北し、普通に逃げられてしまう。
「何をされようとしたのかはわかりませんが、身の危険を感じました!」
「ちっ、惜しい……」
「お前、朝から元気だな」
ニーズヘッグは平常運転である。
「なにはともあれ、おはようございます」
「おはよう、ご主人様。というわけでおはようのキスがしたい」
「さっきしたじゃないですかぁー!」
それでも「足りない」と主張するニーズヘッグに唇を重ねて。
続けて「あたしも欲しい」と言い出したファフニールにもして。
さらに「もう一回したい」と言い出すニーズヘッグをスルーして、サーヤは部屋を出た。
「おはよー、サーヤちゃん」
「おはよう、サーヤ」
同じテーブルに座り、歓談していたセレナとティタニアは、サーヤを見て微笑んだ。
その向けられる視線の“熱量”には、いささか大きな差があるが。
「おはようございますっ!」
サーヤは元気に返事をして、ティタニアの隣に陣取った。
他者と触れ合えない都合上、彼女の隣にはサーヤがいた方が都合がいいのである。
そしてニーズヘッグとファフニールも同じテーブルに陣取る。
「おはようございます、みなさん」
優雅に朝食を運んでくる、メイド服姿のレトリー。
こうして普通に働いている分には、まっとうな人間に見えるのだから不思議なものである。
口さえ開かなければ普通に美人なのだが。
「神は人に二物を与えない……か」
「お嬢、何で私を見ながらそんなこと言うんです?」
「そりゃあんたを見てたらそう思ってたからよ」
「ファフニールさん」
「どうしたレトリー」
「やっちゃってください」
「お、いいのか? じゃあ遠慮なく……」
立ち上がるファフニール。
彼女から逃げるように、セレナは座ったまま後ずさる。
「ちょっ、待ちなさいよっ! 朝よ! 今、朝なのよ!?」
「朝じゃなかったらいいのか?」
「いいんですか?」
「良くない! 良くないけど! というかファフニール、あんたこんな罰ゲームみたいな扱い方されていいわけ!?」
「別に楽しいならどうでもいいな」
「この快楽主義者どもめぇー! あぁっ……やめてっ、押し倒さないでっ、顔を近づけないでっ!」
「大丈夫だって、悪いようにはしないからさ」
「悪い顔をしながらそんなことを言われても説得力が……ふぐっ! むーっ! んーっ!」
床に押し倒され、ファフニールに唇を奪われるセレナ。
じゅぞぞぞぞっ! じゅるぅっ! じゅぼぼぼぼぼぼぉっ!
激しい音が食堂に鳴り響く。
あまりに教育に悪い絵面である。
ティタニアはサーヤを抱きしめ、視界を塞いだ。
すでにダークサイドに堕ちているニーズヘッグとレトリーは愉しそうにその様子を観察している。
「朝から楽しそうねぇ。セレナに友達が増えて、私嬉しいわぁ」
「そうだな、店も賑やかになって俺も嬉しいぞ!」
セレナの両親は、特に止めることもなく、レトリーに変わって料理を運んでくる。
神経が図太いのか、はたまた天然なのか。
ともかくファフニールを止められる者はここに誰もいない。
セレナの唇は蹂躙され、貪り尽くされ、ファフニールが「ぷはぁっ!」と満足げに口を離すと、ちょうど朝食の準備は終わったようだった。
◇◇◇
「イフリート様、朝食の準備が出来たぞー!」
ツヤツヤとした肌のファフニールが宿の外に顔を出し、イフリートに声をかける。
彼はすっかり近所の子供の人気者になっていて、今も両肩に少年と少女を乗せ、「ガハハハハ!」と笑いながら楽しませている。
ノーヴァも「オレのスピードについて来れるカ!?」などと言いながら、子供たちと追いかけっこをしているようだ。
「すまないな、食事の時間らしい」
「えー、炎のおじちゃんもう行っちゃうの?」
「もっと遊ぼうよー!」
「オレ様は人気者だからな、他にも会いたがっている奴らがいるのだ。どうか他のファンにオレ様を譲ってやってくれないか」
「ファンならしかたないね!」
「ファンだもんね!」
「ガハハハハ! 物分りのいい子たちだ。なあに、寂しがることは無い。明日――いや、今日の夕方にでもまた会えるかもしれないからな! それではさらばだ!」
「ギャハハハッ! じゃーナ!」
子供たちに手を振り、別れを告げるイフリートとノーヴァ。
「相変わらず面倒見が良いんだな、イフリート様は」
「強さとは、必ずしも力だけとは限らない。オレ様のファンが増えれば増えるほど、それはオレ様の強さが高まることと同じだ」
「人脈ってことか」
「いいや違う。ファンの声援でオレ様の気が高まる」
「すげーナ、イフリートは! 炎だけじゃなくそんな力まで手に入れてたのカ!?」
「ふっ、以前から持っていたぞ。表に出さなかっただけでな」
「能あるコウモリは爪を隠すってやつだナ! やっぱソンケーできるヤツだゼ、イフリート!」
「だろう? ガハハハハハッ!」
「ギャハハハハハハッ!」
「仲の良さも相変わらずだな……」
楽しそうに笑う二人を前に、苦笑するファフニール。
そのまま宿の中に戻ろうとしたのだが、遠くから小さく、悲鳴のような声が聞こえてくる。
彼女は耳をぴくりと動かし、そちらの方角を見た。
イフリートとノーヴァも気づいたのか、同時に視線を移す。
「何だ、物騒な声がするな」
「あれは……」
イフリートが目を凝らすと、遠くから何かが近づいてくるが見えた。
あれは大きな狼だ。
体は銀色だが、体中が傷だらけで、自慢の毛並みはいたるところが血で汚れて赤黒く変色している。
足取りもおぼつかず、目つきも虚ろ。
もはや体力は尽き果てており、執念だけで歩いているような状態だった。
「あれ、フェンリルじゃねーカ! どうしてアイツがここに居るんダ!?」
「フェンリル、その傷はどうしたのだっ!」
イフリートが駆け寄ると、フェンリルは力尽き、倒れた。
地面にぶつかる寸前に、その体を抱きとめるイフリート。
「誰か治療できる者は……」
「イフリートさん、フェンリルさんがどうかした……うわっ、何ですかその傷っ!?」
外の様子を気にして顔を出したサーヤは、ぐったりとしたフェンリルを見て驚愕する。
「女装娘、誰か治療できる者は近くに居ないのか!?」
「えっと――あ、そうだ。ファーニュさんを連れてきますっ!」
そう言い残して、サーヤの姿が消える。
彼女はものの数分でファーニュを抱えて戻り、すぐさま治療は始まった。
◇◇◇
『わふんっ、フェンリル様! 見てください、雪だるまを作ったんですよ!』
『わふわふっ、マーナはいつまで子供っぽい遊びで喜んでるんだ。フェンリル様が困ってるじゃねえか』
『それは……』
『わふ、フェンリル様も暇になると雪だるまを作って遊ぶことがありましたな』
雪原での暮らしは、何かと暇だ。
狩りを終えて必要な食糧を確保してしまうと、暇になることがしばしばある。
そんな時、フェンリルも雪だるまを作ることはあった。
あとはかまくらを作ってその中でくつろいでみたり、雪のベッドの上で寝転んでみたり。
当時の暮らしは、今に比べるととてものんびりとしていた。
豊かさでは魔王軍に参加した今の方が上だが、それでも、今では失われた大事な何かがそこにあったような気がする。
今以上に魔王軍で高い地位を手に入れたら、この世界における雪の大地を増やして、そこで暮らしてみたい――そんなことを考える程度には、故郷を愛していた。
別に、『過ちだ』と悔いているわけではない。
モンスターに仇なす人類を滅ぼすべく、魔王軍に参加するのは当然だと思った。
誰も反対しなかった。
参加したからには、上に行きたかった。
仲間たちに贅沢をさせてやりたかったからだ。
それは実現した。
魔王城で広い部屋を与えられ、外敵に狙われる事もなく、飢えに怯える必要もない。
『幸せだったか?』
そう問われれば、フェンリルは迷いなくこう答える。
『ああ、幸せだった』
長としての責務は果たした。
間違ったことはしていない。
真面目に、真剣に、四天王の役割もこなしてきた。
だったら、何が間違っていた?
軍に参加したこと?
四天王になったこと?
真面目に働いてしまったこと?
わからない。
自分なりに一生懸命、できることはやり尽くしてきたはずなのに。
結局の所、全ては運なのだろうか。
頑張るだけ、無駄だったのだろうか。
今だってそうだ。
仮に生き延びて、サーヤに会えたとして――助けを求めて、どうして彼女が敵である自分に手を貸してくれるというのか。
よしんば助けてくれたとしよう。
だが仲間たちはもう居ない。
誰も居ないというのに、自分だけ生き残ったところで何の意味が――
◇◇◇
ダブルベッドを二つ繋げた上に、フェンリルは横たわっていた。
ファーニュの治療のおかげですでに傷はふさがっており、意識を取り戻すのは時間の問題だった。
室内で彼の目覚めを待っているのは、サーヤ、セレナ、ティタニアの三人だ。
イフリートが居ないのは部屋の広さの問題で、すぐに駆けつけられるよう部屋の外で待機していた。
もちろん、治療のために連れてこられたファーニュや、彼女を追ってきたフレイグ、シーファ、マギカ、そして普段から宿にいる面々も建物内にいる。
魔王の忠誠を誓っていたはずのフェンリルが、重傷を負って帝都に来るなどただ事ではない。
様子からして、助けを求めてここに来たようだが――
「う……うぅ……」
フェンリルがうめき声をあげると、室内の三人は同時に反応した。
立ち上がり、ベッドに駆け寄り、顔を覗き込む。
彼はゆっくりと瞼を開くと、サーヤの顔を見て――ほっと息を吐き出した。
そこに敵意は感じられない。
「我は……生きているのか……」
「治癒のスペルでなんとかですけど。まだ体は本調子じゃないはずですから、無理にうごかないでくださいね」
「人間にそのような心配をされるとはな。だが、体力も気力もまだ戻っていない。大人しくしているしかないようだ」
「本当に犬が喋ってる……」
「小娘、犬ではない。銀狼だ」
「普段からわふわふ言ってんだから犬みたいなもんでしょうに」
「ティタニアか。この前も思ったが……やはり、表情が柔らかくなっているな」
「おかげさまでね。毒気が抜かれたのよ。あとは体からも毒が抜けてくれればいいんだけど」
「自分でそんな事を言うとは、変わったな。ああ……その様子なら、とっとと魔王様を裏切って、こちらに付いておくべきだったのだろうな」
「あんたらしくもない発言ね」
「そう言いたくもなる。なにせ我らの群れは……全滅してしまったのだからな」
心底悔しそうにフェンリルは言った。
そして歯を食いしばり、瞼を下ろし、彼らの最期の勇姿を思い出す。
「何があったか聞かせてもらえませんか」
「助けたんだし、私たちにも知る権利はあると思うわ」
「最初から話すつもりだ。そのために、恥を忍んでここまで生き延びたのだからな」
フェンリルは、自分が目撃した全てを語った。
魔王が与えた神器により、シルフィードが操られてしまったこと。
仲間の銀狼たちも同じ状態になっていたこと。
自分を助けるために、正気の仲間たちが散っていったこと。
そして追われながらも、命からがら帝都までたどり着いたこと――
「そんな。シルフィードさんが、操られたなんて……」
「操られただけではない。神器の力で、さらに強力な力を得ているはずだ。現に、我よりも弱かった銀狼たちが、我を凌駕する力を手に入れていたのだからな」
「四天王クラスが量産されるってワケ」
「聞いてるだけで希望が消えて無くなりそうね」
「じゃあやっぱり、あれは魔王が……いや、シルフィードさんが仕掛けたものだったんですね」
そう言って、サーヤは窓から外を眺めた。
彼女の言っている物は、向きからしてそちら側には見えない。
だが遠くの空に生じた異変は確認できた。
「何が起きているというのだ?」
「二時間ぐらい前に遠くに巨大な竜巻が現れてさ、じわじわ帝都に近づいてきてるってワケ」
「二時間……? 待て、我はどれぐらい寝ていたのだ!?」
「五時間ぐらいカナ。もう昼は過ぎてるしー」
「そんなに長時間――しまった、もっと先んじて危機を知らせるつもりだったというのに!」
「変わんないんじゃないかしら。どっちにしたって、私たちにできる備えなんて、サーヤちゃんとティタニアとかイフリートが戦えるかどうかぐらいだし」
「だったら、我は何のために……」
「いや、それは生き残るためなんじゃないの? そのために、あんたにおんぶに抱っこだったあの連中も命を張ったんだろうし」
それは理解している。
だがそれ以上の意味が無ければ、フェンリル自身が納得できなかった。
反論の言葉を口にしようとした彼だったが、扉が開く音に遮られる。
「みなさんお待ちかネ、オレが戻ったきたゼー!」
イフリートが扉を開き、ノーヴァがパタパタと羽ばたきながら室内に入ってきた。
「お前は、イフリートの付属品の、ノーヴァだったか?」
「付属品じゃネー! オレはイフリートのダチだ!」
「はいはい、そういうのいいから。で、偵察はどうだったワケ?」
「あア、あいつらやっぱ竜巻と一緒に進軍してるみたいだゾ! あのチビが偉そうに先陣を切って、その後ろを兜をかぶった銀狼どもがゾロゾロ付いてきてやがっタ!」
「ぞろぞろ……? ノーヴァよ、その銀狼の数はわかるか?」
「20はいたと思うゾ」
「20、だと? 5ではなく、20!? まさか、魔王様は……我を助けてくれたみなまで駒として……ッ!」
フェンリルは眉間に皺を寄せ、強く憤る。
「魔王様……いや、魔王め! あれはもはや忠義を誓うべき王などではない、ただの暴君だ! 憎しみを撒き散らす暴力装置だ! あぁ――なぜ、なぜ、なぜこのようなことに! やはり我が犠牲になるべきだった! 我だけが助かるべきではなかった!」
魔王の残忍さに対する怒りと、自身の不甲斐なさに対する怒り。
入り混じったその二つの感情を、隠しもせずにぶちまける。
「我は、どうしたらいい? どうしたら償える、どうしたら報えるっ!? このような、不甲斐ない長が……恥知らずの愚か者が、どうしたら……!」
セレナもティタニアも、かける言葉が見つからない。
そんな中、サーヤは明るい声で彼に告げた。
「よかったですね!」
場違いな言葉に、フェンリルは固まる。
「よかった……だと?」
「はい、わたしはそう思います」
「何が、良かったというのだ? 全員、あのわけがわからない神器とやらに操られているんだぞ!? 魔王の人形となって、意思を奪われ、この街に暮らす――否、この世界に暮らすあらゆる命を脅かそうとしているのだぞ!?」
「でも、生きてるんですよね」
サーヤは、嘘偽り無く、悪意も恐怖も無い純粋な眼でフェンリルを見つめ――
「だったら、全員助けられるってことじゃないですか」
かわいらしく笑いながら、そう言った。
面白いと思ったらブクマや、下のボタンから評価いただけると嬉しいです!




