033 花はそれを過ちと嘆き、魔女はそれを奇跡だと微笑む
しばし百合ん百合んな過去にお付き合いください
赤い長髪にエナン帽。
男性の目を否が応でも引きつけるメリハリのある身体にローブを纏い、カツカツとブーツを鳴らしながら歩く女性。
それは300年前――かつて存在した魔導国家ジェミナスの首都、アストラルを練り歩く賢者マーリンの姿であった。
マーリンは、実に才能に溢れた魔術師だった。
300年前の世界では、個々に与えられた特殊能力――いわゆる“スペル”が特に優れている者を魔術師と呼ばれていたが、彼女はその最高峰である“賢者”の称号を得ていた。
というのも、一般的にスペルというのは、“一つの事象に関する干渉”を行う能力だ。
下半身でのみ風を操れたり。
毒を自在に操ってみたり。
傷を癒やしてみたりと――便利ではあるが、自由自在というわけにはいかない。
だがマーリンは違った。
彼女はもはや“想像を具現化する”と言ってもいいほど多彩なスペルを扱うことができたのだ。
ゆえに魔導国家ジェミナスは、マーリンを非常に厚い待遇で保護し、ある種の象徴として祀り上げていた。
「ったく、何よあのエロオヤジ共は。いつもいやらしい視線で私を見てくれてさ。アストラルだの、純潔な魂を大事にするだの言いながら、自分たちは汚れ放題じゃない……!」
そんなマーリンは、憤っていた。
時代は神器戦争真っ只中。
三つの神器を持つジェミナスは、唯一帝国と互角に戦えていたが、それでも長引くほどに人々は貧しくなっていく。
だというのに、上の連中は彼らの陳情を見もせずに破り捨て、贅沢の限りを尽くしているのだ。
象徴たるマーリンがそれを抗議しても、誰も聞いてはくれない。
女風情に何ができる、と笑い飛ばされるだけだ。
かと言って実力行使に出れば、不敬罪によって、神器の圧倒的な力で消し飛ばされるだろう。
たとえマーリンであっても、である。
「そもそも神器を戦争に使おうって考えが間違いなのよ。あれは各国の抑止力としてただ保管しておくだけでよかった。実際、これまでは何百年もそうしてきたはずなのに、あのバカ共が……!」
苛立つ彼女は、大股で町を練り歩く。
そしてとある通りの前に来た時、ふいに足を止めた。
薄暗い路地の向こうに並ぶ、“商品”の数々。
「キィ、キィ」
「グルルルゥ……」
獣めいた声を上げる彼らは、いわゆる“モンスター”と呼ばれる存在であった。
マーリンはそれを見て、何を思ったか目を細める。
モンスターは太古の昔から、人類の敵だった存在だ。
特に理由は無いが、モンスターは人を襲い、人はモンスターを狩って生きてきた。
そういうものだったのだ。
しかし神器戦争が始まってから、拮抗していたパワーバランスは崩れた。
領土にはびこるモンスターたちは神器によって焼き払われ、一部の、知能の高いモンスターたちは、こうして奴隷として捕らえられ、売買されるようになったのだ。
特にジェミナスでは、モンスターの取引が盛んだった。
ジェミナスには、魔術師とそれ以外の人間の間に、圧倒的な格差があった。
魔術師は勝ち組、それ以外は奴隷のような扱い。
それが、この国の“常識”だったのだ。
魔術師以外の人間は、生きていくだけでも困難な国――それでもしがみつかなかければならない人間はいくらでもいる。
今は戦時中だ、そう簡単に他国に亡命できるはずもなかった。
ゆえに、彼らは奴隷を求めた。
底辺である自分たちよりもさらに下の“奴隷”を求めることで、少しでも良い暮らしを送ろうとしたのである。
そんな理由で、ジェミナスでは頻繁にモンスターの売買が行われ、通りを歩けば、首輪を付けて動物のように扱われる人型モンスターを見ることも少なくはなかった。
(弱肉強食。醜い光景ではあるけれど、そうなるのも定めよね)
マーリンは別に、その制度にケチを付けるつもりはなかった。
モンスターに家族を殺された人間だってたくさん見てきた。
逆もまた然りであろうが、かといって同情するような立場でもない。
(同種族である人と人ですら殺し合う。だったら異種族である人とモンスターが殺し合い、奪い合うのも道理よ)
マーリンはそのまま通り過ぎようとした。
だが――ふと、一匹のモンスターと目が会ってしまった。
「……」
くすんだ銀色の髪。
透き通るような青の瞳。
白い肌。
尖った長い耳。
そして、痩せこけた体。
いかにも高く売れそうな、人に近い形をした彼女は――じっと、何を訴えかけるでもなく、マーリンを見つめている。
(なんで私を見るのよ……奴隷に興味は無いんだけど)
しかし彼女に見られていると、金縛りにでも合ったように足が動かなくなった。
なんとなく目を逸らしていたマーリンだが、試しに視線を合わせてみる。
どくん。
胸が跳ねる。
青い瞳に吸い込まれるような気がした。
(……私。何、どきっとしちゃってんのよ。そういう趣味無いから!)
マーリンは視線を外し、息を吐き出し、前に進もうとした。
その時――彼女の前に、一人の男が現れた。
両手の指に大きな宝石の付いた指輪をごろごろと付け、派手な装飾が施された衣服を纏った、いかにも成金趣味な男だった。
彼は下品な表情で、顎に手を当て、品定めをするように顔を近づける。
「う……」
そのまま立ち去ろうとした。
なぜならそれは、このジェミナスという国では、毎日のように、当たり前のように繰り広げられている光景だからだ。
彼女一人をどうにかしたところで、それは偽善ですらない。
自己満足、あるいは自分の欲望のために他者を踏みにじる行為だ。
(無視しろ、無視しろ、無視しろ……)
言い聞かせるように頭の中で繰り返す。
そして立ち去る直前、最後の最後に、魔が差してしまって、マーリンは今にも買われそうな少女のほうを見た。
彼女は――やはり無言で、無表情に、マーリンを見つめていた。
男が商人に声をかけている。
後ろに待機する従者は財布を手にしている。
値段交渉だろうか、指で数字を現す男。
商人は考え込みながら、別の数字を提示する。
マーリンは歯を食いしばった。
それが見捨てるための覚悟なのか、それとも駆け出すために力を込めているのか、彼女自身にもわからなかった。
そして、最終的な決断は――
(ああもうっ、やりたいと思ったことを我慢するのは私らしくないわ!)
そんなりポリシーによってくだされた。
マーリンは走る。
走って、走って、その勢いのまま男と商人の間に割り込む。
その勢いのまま、スペルで何もない場所から金貨のたんまり入った袋を取り出し、その場に叩きつけた。
「この子、買うわ!」
きょとんとした顔で、マーリンを見つめる男と商人。
男としては、ここは割り込まれて怒ることなのだが――相手があの賢者マーリン。
しかも、これだけの額を提示されては、言葉など出てくるはずもなかった。
◇◇◇
勢いで物事を進めた時によくありがちなことなのだが――
「なんで私、この子を買っちゃったんだろう……」
マーリンはその直後、落ち着いたあとに後悔していた。
そもそも魔術師である彼女に奴隷を購入する必要は全く無いし、そうなると周囲は『あっ、マーリンさんってば嗜好用に買ったんですのね』という目で見られるわけだ。
嗜好用とはつまり、あんなことやそんなことをするための相手であって――
「別にそういう趣味じゃないのよぉー!」
歩きながら、頭を抱えるマーリン。
その少し後ろをちょこんと歩く銀髪の少女は、不安げに彼女の顔を見上げた。
「……あ」
目が合う。
気まずくなる。
「いや……だった……?」
寂しそうな顔でそう言われると、きゅっと胸が締め付けられる。
「ち、違うわ……えっと、違うから。その、嫌ではないの。嫌ではなくて……その……買ったからには、絶対に幸せにしてあげるわ」
「しあわせに……?」
「そう、幸せに」
なんだこのプロポーズみたいな文言――言ったあとでマーリンはそう思ったが、もはや修正不可能である。
少女は首を傾げ、そんな彼女に訪ねた。
「私は、奴隷じゃ、ない?」
「奴隷にするつもりは無いわ。そうね……まあ、私の仕事を少し手伝ってもらうかもしれないけど」
「お仕事、手伝う」
「ところで、あなたは――なんで私のことをじっと見ていたの?」
少女は屈託ない笑みを浮かべ、答えた。
「きれいな人だな、と思って」
ぼっ、と真っ赤に染まるマーリンの顔。
胸がぎゅううぅっと強く締め付けられ、彼女は思わずそこに手を当てた。
「どうしたの? 熱、あるの?」
ぺたりとマーリンの額に手を当てる少女。
すると胸の動悸はさらに加速し、制御不能な領域へと突入していく。
彼女はバッ! と少女と距離を取り、シュビッ! と背中を向けて、シュババッ! と早足で歩きだした。
「と、とにかく行くわよ! 私の家で、体を洗って、ちゃんとした服を着せてあげるから!」
誤魔化すようにそう言って、前を歩くマーリン。
少女が着ているのはボロボロの布切れ。
髪も体も汚れ放題で、青あざだって残っている。
だからマーリンの言っていることは決して間違いではないのだが――それが照れ隠しであることは、誰の目にも明らかであった。
「はいっ」
少女は嬉しそうに返事をして、とてとてとマーリンの後ろを小走りでついていく。
彼女が“きれい”と言ったのは、決してマーリンの外見だけではない。
目を見て、表情を見て、“心”もきれいだと思ったのだ。
そして――『この人が私を買ってくれたらいいな』と思った。
願いは届いた。
そのとおりになった。
そして、マーリンは少女が想像した通りの人のようだ。
これが、嬉しくないはずがなかった。




