030 お符で呼んでも来ない方の賢者
サーヤはむくりと上半身を起こし、きょろきょろと周囲を見た。
覚えのある場所、部屋。
ここは、サーヤが借りていたセレナの実家である宿の一室である。
彼女は目をごしごしとこすり、布団から出てベッドを降りた。
床に両足をつくと、いつもより少し体が重いような気がする。
数時間眠った程度ではこうはならない。
サーヤが覚えているのは、神鎧と戦っていたところまでだ。
そのあと、どうなったのかを知りたいのだが、生憎周囲に人の姿は無かった。
なのでひとまず部屋から出て、廊下に顔を出してみる。
「……あ」
セレナとばっちり目が合った。
彼女は水を張った桶とタオルを両手で抱えている。
「サーヤちゃん、起きてたの!?」
「はい、おはようございます」
「おはよう。かなり無理したみたいだけど、体はどうもない?」
「おかげさまで何ともないです。ところで……わたし、どれぐらい寝ていたんですか?」
「三日も寝てたわ。もう、心配したんだからっ」
怒り気味に言うセレナだが、その顔には嬉しさが滲み出ている。
彼女の優しさに安堵を覚えつつ、サーヤはセレナと部屋に入った。
サーヤはベッドに腰掛ける。
セレナは桶をテーブルに置いて、サーヤに近づいた。
そして額に手を当てる。
「……ん、熱は無いみたいね」
「聖拳術の使いすぎで消耗しただけだと思います。三日も寝たのは久しぶりですが、エネルギーは満タンなので大丈夫です!」
「久しぶりって、始めてじゃないんだ……」
「お師匠さまの修行ではよくあることです」
「どんだけ過酷なんだか。まあ、そのあたりの事情は、体を拭きながら聞きましょうか」
セレナはそのために、部屋を訪れたようだ。
サーヤは快く首を縦に振り、服を脱いで、ベッドの上でセレナに背中を向けた。
「もしかしてセレナさん、わたしが寝てる間もこうして拭いてくれてたんですか?」
「そうよ。あの変態ドラゴンたちには任せられないし、ティタニアさんも『裸はまだ無理だし!』って逃げちゃったから」
「変態? まだ無理?」
「サーヤちゃんが知らなくてもいい話の世界よ」
「世界は奥ぶかいです……」
「奥というか横道というか……はい、背中は終わり。今度は前を向いて」
「前は自分でできますよ?」
「ここまでやったんだから、私が最後までやるわ」
「いえ、でも前って……」
「どうせ寝てる間にしたんだから恥ずかしがる必要はないでしょ。ほら、向いた向いた」
「あーれー!」
半ば強引に、セレナと向き合うサーヤ。
セレナは特に気にする様子もなく、淡々と体を拭いていく。
「セレナさんと接しているとですね」
「うん」
「お姉ちゃんがいたらこんな感じなのかな、と思うんです」
「奇遇ね、私も妹がいたらサーヤちゃんみたいなのがいいと思ってるわ」
「そうだ! セレナさんのこと、お姉ちゃんと呼んでもいいですか?」
「別にいいけど……あいつらに怖い顔されそうな気がするわ……」
特にニーズヘッグあたりがヤバそうである。
あとレトリーが興奮で死ぬかもしれない。
「お姉ちゃん!」
「なぁに」
「呼んでみただけです! んふふっ」
「そんなに嬉しいの?」
「はい! わたし、一人っ子だったので」
「そっか……ここに来る前は、お師匠さまって人のところで暮らしてたんだよね?」
「お師匠さまとは、生まれてからずーっと一緒です」
「ご両親は?」
「わかんないです。家にはお師匠さまとわたしが居て、村には十人ぐらいおじいさんやおばあさんがいましたが、それ以外の人とは会ったことがなかったので」
「その、お師匠さまって人が親ではないの?」
「違うと思います。だったら、お母さんって呼んでるはずですし」
「そうね……でも、サーヤちゃんに修行をつけてたってことは、その人も強いのよね……」
「お師匠さまはとーってもつよいですよ!」
サーヤは胸を張って、自慢げにいった。
そのしぐさ一つ見ても、彼女が師匠のことが大好きなことが伝わってくる。
「ところでお姉ちゃん。もしかしてなんですけど……」
「どうしたの?」
「わたしって、実は、割とつよかったりするんですか?」
きょとんとするセレナ。
対するサーヤは不安げであった。
「いや、あれだけ暴れておいて、自分が弱いとか思ってたの?」
「神鎧には負けそうでしたし、ジェットさんなんかもわたしが子供だから手加減してくれているのかと……」
「トムは間違いなく全力よ」
「じゃあやっぱり……」
「ええ、サーヤちゃんは強いわ。あの魔王軍四天王すら上回るぐらいなんだもの、たぶん今の人間の世界では最強なんじゃないかしら」
「わたしが……最強……」
呟いてみるが、いまいち実感が沸かないようだ。
だがはっきりとわかることが一つだけあった。
「つまり、お師匠さまは超最強ってことですね!」
「ま、まあ……そうなるわね」
「やっぱりお師匠さまはすごいです。この世界にはまだまだ未知なる強者もいるようですし、まだまだわたしも強くならなければ!」
ガバッ、と立ち上がり、闘志を燃やすサーヤ。
しかし全裸である。
「はいはい、それはもう少し休んでからね。あと今サーヤちゃん全裸だから、あのドラゴンたちをリスペクトしないで。ね?」
「わかりました」
おとなしく座るサーヤ。
彼女も、あの恥じらいのないドラゴンたちには少しばかり思うところがあるようだ。
「それにしても、最強のサーヤちゃんよりも、さらに強い師匠……正体が気になるところね」
「お師匠さまはお師匠さまですよ?」
「うーん……はい、腕あげてー……名前は知らないの?」
「だからお師匠さまです。んふっ、くすぐったいです……」
「わきと横腹が弱いのね。そういや寝てるときも反応してたわ。っと、そうじゃなくて、本名をね……」
「お師匠さまなんです」
「本名が?」
「はい」
「本気で?」
「マジです。オ・シショー・サマと聞いています。『アクセントは2文字目に付けるのがポイントよ』と呼び方を伝授されました」
「どう考えても偽名だし……!」
「そうだったんですか!?」
「いやそうでしょ……生まれてきたときから一緒だったみたいだし、やっぱりその人がサーヤちゃんの母親なんじゃないの? 母親であることを明かせない事情があったとか」
「でもお師匠さまは髪は赤色ですし、顔もそんなに似てないような……」
「じゃあさ、似顔絵とか書いてもらってもいい? もしも有名人なら、顔を見たらわかるかもしれないし。あ、でも絵を書くのは……」
「わたし、お師匠さまに『画家になれる』と絶賛されたことがあるんです」
再び「えっへん」と胸を張るサーヤ。
よほど自信があるようだ。
体を拭き終えると、服を着て、セレナが持ってきた紙とペンを握りしめるサーヤ。
テーブルに向き合う彼女はかなり必死だったが――
(ペンの持ち方が完全に素人……そして使ってる色の割合が明らかに人間を描くそれじゃない。不安だわ)
見ているセレナには不安しかない。
そして彼女の予感は命中した。
「できましたー!」
自信満々にサーヤが見せつけてきたその絵に向かって、セレナは一言。
「呪詛の塊?」
「お師匠さまの顔です!」
「歪んだりんご?」
「だからお師匠さまの顔ですー!」
「ごめんなさいサーヤちゃん、いくら私でもこれを人間の顔として認識するのは無理だわ……」
「そ、そんなに言うほどですか……? キリッとした目つきとかそっくりだと思ったんですが」
(目? 目はどこにあるの? もしかしてそのカエルの卵みたなのが目!?)
完全に混乱したセレナ。
「わたしの絵……下手、なんですかね……」
彼女の芳しくない反応を見て、サーヤは肩を落とした。
(しまった、言い過ぎた。サーヤちゃんはまだ子供なんだもの、ちゃんと完成させられたことを褒めてあげないと!)
まあ間違いなく十歳にしてはド下手と呼べるレベルではあったが、セレナは自分を諌め、すぐにフォローしようと言葉を探す。
だがどんなに頭をひねっても、その絵を褒めるためのワードは浮かんでこない。
当然、上手ではない。
色使いからして綺麗でもなければ美しくもなく、可愛くもない。
かっこいい……も違う。
強いて言えば『あまりに邪悪』が一番ふさわしい言葉だが、それではまたサーヤを傷付けてしまう。
頭をひねりにひねり、考えに考え、最終的にセレナがたどり着いたのは――
「サーヤちゃん、レベルが高すぎて私にはわからないけど、きっと、画家とかに向いてる絵だと思うよ……」
師匠と同じ答えであった。
そう、サーヤの絵を見た人間は、誰もがその結論にたどり着いてしまうのである。
「本当ですか……?」
「うん、すっごく前衛的で、挑戦的で、刺激があって、いいと思う」
「よかったです……今度、お姉ちゃんの似顔絵も書きますね!」
「あ、ありがとう」
頬を引きつらせながらも、どうにか笑顔を作るセレナ。
どんな邪神地獄絵図が生まれるか、ある意味で楽しみであった。
しかし、ひとまず危機は乗り切った。
結局、サーヤの師匠の顔を知ることはできなかったが、もとよりそれは彼女のプライベート。
無理に明かすようなことではないのである。
サーヤ本人は『元気だ』とアピールしているが、まだ病み上がり。
あまり長時間話すのもよくないだろうということで、セレナは再びサーヤをベッドに寝かせようとした。
偶然、前を通りがかったレトリーが部屋に入ってきたのは、そんなタイミングのことだった。
「サーヤさん、おはようございます」
「おはようございます! このたびは、ご心配をおかけしました」
「ご丁寧にどうも。ですがサーヤさんが目覚めないと、いつまでもセレナお嬢の元気が出ませんから。こちらこそ目覚めてくれてありがとうございます、ですよ」
「お姉ちゃん……そうだったんですか」
「いや……そうというか……違うわけじゃないけど……」
赤くなるセレナに、レトリーはにやにやが止まらない。
「へぇー、いつの間にか“お姉ちゃん”とか呼ばれてるんですねぇ。いいですねぇ、お姉ちゃん。色々とはかどりますよぉ」
「はかどらせるなー!」
「ふふふー、素直じゃないお嬢ですね。ところで、そのテーブルに置いてある基本のなってないド下手な絵は誰のものですか?」
レトリーは何気なく――あまりに自然に、地雷を踏んだ。
「あっ……」
「ド下手……?」
サーヤの表情が凍りつく。
「絵を生業にしている者としては、それは見過ごせないですね。本人がいたら、軽く絵のいろはをレクチャーしたいところです。で、どなたですか?」
うるみ始めたサーヤの目を見てもなお、レトリーは止まらなかった。
彼女は宿のメイドであると同時に、帝都でも徐々に知名度をあげつつある、レトリー先生でもあるのだ。
「わたし……です。わたしですけど……そんなに、下手ですか……?」
「はい、どうしようもなく下手ですね」
「レトリーっ!」
「セレナお嬢はお座りください。ここは私の領域です」
「お姉ちゃんやお師匠さまは『画家になれる』って褒めてくれたんですけど……」
「そんなの、うまく褒める言葉が見つからなかったから適当に言っただけですよ」
「ひうぅ……」
「うわあぁ……」
目に涙を浮かべるサーヤに、今にも泣き出しそうな彼女を見て慌てふためくセレナ。
「いいですかサーヤさん、あなたは基本がなってないのです。下手な人というのは、コツさえつかめば一気に上達するもの。ここは私と一緒に、この女性の顔を完成させてみるというのはどうでしょうか」
「顔だって、わかるんだ」
「私ぐらいになるとですね。それでサーヤさん、どうしますか?」
レトリーの問いかけに、負けず嫌いのサーヤが、首を縦に振らないわけがなかった。
こうして2時間に及ぶ、レトリー先生の絵画教室が始まり、サーヤだけでなくセレナも巻き込まれ――
ついに、それなりに“見れる”師匠の似顔絵が完成したのであった。
◇◇◇
「見てください、これ!」
サーヤは完成した似顔絵を、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、セレナの両親に見せている。
「うめえじゃねえか!」
「すごいわねぇ、今度はおばさんを書いてくれる?」
二人は嬉しそうにサーヤと言葉を交わしている。
セレナとレトリーは食堂の椅子に腰掛けて、そんな彼女の姿を眺めていた。
「さすが10歳は吸収が速いですね。あんなに早く上達するとは」
「はぁ……疲れたわ。別に私まで参加する必要なかったでしょうに」
「セレナお嬢もなかなか画家でしたからね。あんなハリネズミみたいな父親の似顔絵が世の中に放出されなかっただけありがたいと思ってください」
「ハリネズミって、ちょっと頭がツンツンしてただけじゃない!」
「いえ、お嬢の絵、胴体が顔の半分しかありませんでしたよ?」
「顔の特徴を強調した方が上手に見えるって聞いたことがあったから……」
「そういう聞きかじった知識で、適当にテクニックを模倣するのが一番マズいやりかたなんですよ」
「うぐ……」
セレナがショックを受けていると、宿の入り口が開く。
「元気な子供たちだったな!」
「めちゃくちゃ引っ張られちまったゾ!」
「だが、かわいいと言われてまんざらでもない顔をしていたではないか。オレ様は前からそう思っていたがな!」
「イフリートだって、筋肉を褒められて喜んでたじゃねえカ。ま、オレもそう思うけどナ!」
「つまり、オレ様たちはこの街の子供たちのアイドルということか」
「パワーだけじゃなくてカリスマまで持ってるなんテ、やっぱイフリートはすげーナ!」
「だろう? ガハハハハハ!」
「ギャハハハハハハッ!」
入ってきたのは、先ほどまで外で子供たちと遊んでいた、騒がしい二人組である。
ティタニアよりよっぽどモンスターらしい外見をしているにもかかわらず、彼らはいち早く帝都に馴染みだしていた。
「あの二人が子供に人気……つまりイフ×ノヴァ本を出したら、小さい子供たちにBLを布教できるのでは……?」
「あんたたまに魔王より邪悪ね……」
「あっ、イフリートさん! ここに泊まってたんですね!」
「ガハハハハハ! 目を覚ましたか女装娘! オレ様とノーヴァだけではなく、ティタニアも宿に部屋を借りさせてもらっている」
「ティタニアさんもですか! じゃあ、これからもずっと仲良くできますね」
「モンスターと仲良くなりたいなんテ、ほんとに変わったやつだよナ」
「オレ様たちも、それに影響されてか、普通に人間の子供と遊べたわけだからな」
「確かニ、ミョーな話もあったもんだゼ」
「妙、ですかね。モンスターだって人間だって、言葉が交わせるなら、仲良くできることだってある。そういうものじゃないんですか?」
「そう単純ならいいのだが……ん、女装娘、その手に持っている絵は……」
「あ、これですか?」
サーヤは描いた師匠の似顔絵を、イフリートとノーヴァに見せた。
「わたしのお師匠さまなんです。レトリーさんに教えてもらって、似顔絵を書いてみましたっ」
「うまいじゃねーカ! なあ、イフリート」
ノーヴァに聞かれても、イフリートはその絵をじっと見たまま、顎に手を当てて固まっている。
「イフリート?」
「その顔は……師匠ということは、まだ生きていたのか」
それは数百年生きてきた彼だからこそ、似顔絵と、記憶の中の顔が一致したのだ。
とはいえ、ずいぶん昔の記憶なので、少々ぼんやりしているが――血のように赤い髪が一致しているのなら間違いない。
「賢者マーリン」
イフリートが発したのは、今を生きる人間にとっては“歴史上”の人物の名前であった。




