029 くくく……お前がさっき倒したあいつは四天王の中でも最強……!
魔王城、玉座の間――薄暗く、並べられた燭台の明かりだけが照らすその場所に、魔王ランゾードと、残る二人の四天王の姿があった。
「くくく……ティタニアが死んだようだな。よくやったと褒めてやろう」
ティタニアとイフリートの寝返りはすでにランゾードの耳に届いている。
報告があってからほどなくして、四天王の二人が呼び出され、勇者にメッセージを伝えることになった。
「しかしイフリートとティタニアは四天王の中ではただの雑魚に過ぎん。残る疾風のシルフィード、終氷のフェンリルの二人は、あやつらほど甘くはないぞ」
紹介されて、「キシシ」と悪ガキのように笑うシルフィードと、とりあえずキメ顔を作るフェンリル。
疾風のシルフィード――見た目はサーヤと変わらないぐらいに見える彼女は、それでも100歳は過ぎている。
とはいえ、他の四天王たちが数百歳であることを考えると、かなり若い方ではあるのだが。
髪は桃色で短く切りそろえられており、目つきは非常に好戦的、口元に浮かぶ笑みも悪ガキっぽい。
一方で終氷のフェンリルは人型ではなく、体長3メートルほどの白銀の狼であった。
いわゆる“魔狼”と呼ばれる種族だ。
顔つきは鋭く、目元の傷がこれまでくぐり抜けてきた修羅場の数を思わせる。
「さらに残酷に、容赦なく、人類を追い詰めることだろう。勇者、貴様以外にもどうやら戦える人間がいるようだが――それだけで止められるとは思わないことだ」
浮かび上がるフレイグの顔に向かって、ランゾードは高圧的に話している。
その体はローブで包まれており、四天王でも顔すら見たことがなかった。
声は男性のものではあるが、それも本当の声か怪しいものである。
『相手がどれだけ邪悪なモンスターであろうとも、このエクスカリバー・カスタムと勇者の力があれば恐れるものは何もない!』
「相変わらず威勢がいいな、勇者」
『四天王を突破し、お前の首が見えてきたからな』
「ふはははははっ! 甘く見られたものだ。よしんば四天王を全て撃破して我に挑んだとしても、貴様のような雑魚では歯も立たぬ」
『それはどうかな?』
相変わらず、勇者という役に酔いしれているフレイグ。
彼はいかにも演技がかった、かっこつけた声で言い放つ。
『闇を感じるんだ』
「闇? 我が放つものか」
『いいや、違う。もっと大きな闇だ。俺の勇者としての力が、その存在を察知し、警鐘を鳴らしている。魔王との決着が近づいたことで、『油断するな』と、“次なる脅威”の存在を俺に報せようとしているのかもしれない』
「……ふっ、面白いことを言う。まるで我がその闇に操られているかのような言い方だな」
『そう言っているんだ、魔王ランゾード!』
『魔王を倒したら大体裏ボスが出てくるっていうお約束だもんね……』
諦めたように、近くにいるシーファがぼそりと言った。
『つまり、俺はお前のような前座に負けることはできないんだ! 必ずや、このエクスカリバー・シャイニングで貴様の首を取り、真なる平和をこの世界にもたらしてみせる!』
「滑稽な道化だな。我に勝てると思い込んでいるあたり、自分の力というものがわかっていないらしい。だがよかろう、そこまで啖呵を切るのなら、こちらも遠慮せずに全戦力をつぎ込めるというもの。じきに人の世は地獄へと変わる。覚悟しておくのだな、勇者よ!」
そして、浮かび上がる勇者の顔が消え、会話が終わる。
すると前回と同じように、魔王は黙り込んだまま動かなくなった。
シルフィードとフェンリルは、しばしランゾードの前で様子を伺っていたが――
「んじゃ、あちし帰るねー」
堪え性のないシルフィードが先に、玉座の間を去っていった。
しかしランゾードはなおも動かない。
四天王など視界にも入っていないと言わんばかりに、黙り続ける。
「……それでは、我も戻らせていただきます」
忠誠心の高いフェンリルも、頃合いを見て立ち去る。
玉座の間に一人残されたランゾードは、それでもなお、虚空を見つめたまま動こうとはしない。
(大きな闇……か)
体は動かずとも、頭はまだ動いている。
(勇者フレイグか。あの人は気づいてるのかな。いや、違うよね。気づいてるはずがない。そこまで逸脱してないから)
シルフィードとフェンリルが玉座の間から遠く離れる。
従者の姿も無い。
そこで始めて、彼女は身にまとうローブを外した。
ローブによってまるで数メートルの大きさがあるかのように見えていたが――実際のランゾードは、人間とさほど変わらないサイズだ。
銀色の長い髪に、青い瞳、白い肌。
“魔王”という悪の権化から連想できる姿からはかけ離れた、美しい二十代前半の女性――それがランゾードの真の姿である。
「神鎧ヴォーダを撃破したのは、サーヤという少女だったよね。ずいぶんと調子よく侵略が進むから、頃合いだとは思っていたけれど――」
彼女は空中に、ヴォーダ経由で入手したサーヤの画像を表示する。
そしてその顔をじっと見つめ、目を細めた。
「彼女が神の遣わした調停者だと言うのなら、なんて悪趣味な。しかも、トドメを刺したのはあの“ティルフィング”。ああ、こんなの当てつけに決まってる。けど、そうだとすれば、討たれるのが私の定め、なのかな。ふさわしい末路だとは思うけど」
俯き、自嘲ぎみに笑う。
「そして私が死ねば、また次の魔王が生まれるの。散った花は元には戻らない。散らしたのは私。原因を正しても無駄。ならどうせ、私に失うものなんて何も無いんだから……沢山、沢山、道連れにしないとね。いっぱい殺して、いっぱい……台無しにしないと。せめて、少しでも」
その瞳に宿るのは、黒い亡念。
生を諦めた死者の抱く、歪んだ憎悪。
◇◇◇
玉座の間から出たフェンリルは、シルフィードを追いかけた。
しかし“風”を司り、かつ神出鬼没な彼女を見つけるのは一筋縄ではいかない。
四天王であり、同時に“群れ”の長でもあるフェンリルは部下にシルフィードを探すよう命じ、ようやく見つけ出した。
「熱心だな、シルフィード」
そこは魔王軍の訓練所。
玉座の間から出たシルフィードは、ここに直行していたようだ。
「なーに、フェンリル。もしかしてあちしと手合わせしてくれんの?」
「誰がするものか。貴様と練習試合をして潰された幹部がどれだけいると思っているのだ」
「あちしは練習でも手を抜きたくないだけなの! きししっ」
「練習で味方の戦力を削いでどうするというのだ……まったく、相変わらずドワーフのくせして雑なやつだな」
フェンリルの言葉に、シルフィードの表情が凍りつく。
直後、彼女は瞬時にフェンリルに接近し、その首元に風の刃を纏った手刀を押し付けた。
「あちしのことドワーフって言った?」
「ああ、言った」
「きしっ、きししししっ! あちしがドワーフって言われるの嫌いだって知ってるよね? 死ぬ? 死んじゃう?」
「死なんよ、我は」
フェンリルは動じない。
いつの間にか、シルフィードの手は凍りついている。
確かに速度では彼女に分があるものの、フェンリルとて四天王だ。
トータルでの戦闘能力に大差は無いのである。
「きしししし……さすがだねフェンリル。ねえ、やっぱり手合わせしない? 幹部連中より四天王同士のが絶対に楽しいって!」
「しないと言っているだろう。ただでさえイフリートとティタニアがいないんだぞ? これ以上、四天王が減ったらどうするつもりなんだ」
「別に魔王軍がどうなったってあちしの知ったこっちゃないし」
「貴様はそれでいいかもしれんがな……」
「フェンリルはしがらみがあって大変だね」
「しがらみと思ったことはない。我らはみな、ファミリーなのだからな」
魔狼には群れで行動する習性がある。
その例に違わず、フェンリルにも共に行動する家族たちが存在した。
彼はその集団における頂点なのだ。
つまりは大黒柱――稼ぎ頭でもあった。
フェンリルは魔王に忠誠を誓っているが、責任の重いその地位に自ら望んで就いたのは、仲間たちを養うためでもある。
「それでだシルフィード、我と手を組まないか?」
「なんでー?」
「サーヤという少女の存在――正直、我一人では手に余る。ましてや、地形を歪めるほどの化物の存在もあるとなってはな」
「いいよ、そういうの。あちしは強いやつと戦いたいだけだから。サヤでも化物でも誰でもばっちこーいって感じだよ?」
「サヤではない、サーヤだ。いいだろう、強者と戦うのはお前に任せてもいい。だが普通に戦いを挑んだだけでは、邪魔も入るだろう? そのお膳立てをしたいと言っているのだ」
「なんでフェンリルがあちしにそこまでやってくれんの?」
「それは……」
俯き、言いよどむフェンリル。
彼の脳裏によぎるのは、先ほどのランゾードの言葉であった。
『イフリートとティタニアは四天王の中ではただの雑魚に過ぎん。残る疾風のシルフィード、終氷のフェンリルの二人は、あやつらほど甘くはないぞ。さらに残酷に、容赦なく、人類を追い詰めることだろう』
心意気としては、当然だろう。
二人がやられて、『残る二人はあやつらより弱いぞ……!』と言う魔王などいない。
だが実際のところ――
「イフリートとティタニアはかなり強かった……少なくとも頭脳を駆使した謀略という点については、我らより上だ」
「あちし頭いいよ? イフリートも『ガハハハハ! お前は頭のいい子だな!』って褒めてくれたし」
「完全に子供に対する扱いではないか……!」
そういうことなのだ。
シルフィードの戦闘力の高さは誰もが知るところではあるが、いささか猪突猛進すぎるきらいがある。
「まさかフェンリル、あちしの頭が悪いとか思ってない? こう見えても100年は生きてるんだから、サーヤとかいう子供を罠にはめるぐらい楽勝だもんねー!」
「ではその罠とやらを聞かせてくれないか」
「まずは手紙を送るでしょう?」
「ほう、手紙か」
「中にはね、『100万金貨あげるからここまで来て!』って書いておくの。そしたら100万金貨みんなほしいから、サーヤが一人で来るでしょ?」
「ああ……」
「そこであちしがタイマンで戦って、見事撃破! イエーイ!」
「……」
「イエーイ!」
「……」
「ほらフェンリルも。イエーイ!!」
「言うか! やはり馬鹿ではないか貴様は!」
「あー、バカって言った! バカって言ったやつがバカなんだぞー!」
「馬鹿は馬鹿だ! そんな見え見えの罠にひっかかるヤツがいるか!」
「えー、あちしだったら喜んで行くけどなぁ」
「だから馬鹿だと言っているのだ!」
もっとも、サーヤはそれに引っかかったのだが。
「じゃあフェンリルはどーすんのさー」
唇を尖らせて問うシルフィード。
「それを我らが考えると言っているのだ。今はまだ策が思いついているわけではないが、時間をかけ、ファミリーの知恵を結集すれば、必ずや良い作戦が浮かぶ」
「ふーん……家族とかそういうのあちしよくわかんないや」
「理解できぬならそれでもいい。だが、一人で先走らないでくれ」
「つまんないなー、やっと強いヤツと戦えると思ったのに。でもまあ……我慢したほうが美味しいもんね、そういうのって。きしししっ」
血肉湧き躍る戦いを想像し、シルフィードは目を見開いて上機嫌に笑う。
だが『作戦を考える』とは言ったものの――フェンリルには不安しかなく、胃がキリリと痛んだ。




