021 犯人は「百合に挟まるつもりはなかった」と供述しており
サーヤの頬に当てられたティタニアの手。
見つめ合う二人。
続く沈黙。
ただその場面だけを切り取れば、なんだかロマンチックな光景に見えないでもなかった。
もっともティタニアはサーヤを殺すつもりなのだが。
「……なんで死なないワケ?」
平然と自分の手を触るサーヤを前に、ティタニアの声が震える。
「なんでと言われましても、普通は触ったって死んだりしませんよ」
「普通じゃないから言ってるんじゃない! ウチ、これでも四天王なんですケド!?」
「魔王の四天王……どうしてあなたが、わたしが受け取った手紙の指定した場所にいたのか……」
「くっ……さすがに気づいたんだ。そうよ、あんたは――」
騙され、人質にされるためにここに呼び出された。
そんな残酷な真実を当人が告げる前に、サーヤが口を開いた。
「ティタニアさん、金欠なんですね?」
「違うしっ!」
「わかります。1億金貨ってすごい額ですもん。ほしいですよね!」
「だから違うっつーの!」
「はずかしがることはありません。わたし、そういうのに理解がありますから。給料がやすくて、休みもすくない……ブラック企業って言うんですよねそういうの!」
「いや……そこはちょっと否定しづらいケド……!」
「聞いたことがあります。ブラック企業にはいった人は、なかなか自分の働く会社がブラックだとみとめられない、と。でもつらいものはつらいから、1億金貨を手に入れて魔王軍をぬけようと!」
「してなぁぁぁぁいっ! してないから! ぜんぜん、まったく!」
「じゃあなんでここにいるんですかっ!」
「あの手紙の差出人がウチだからに決まってんでしょ!」
「なん……ですと……!」
ショックを受け、後ずさるサーヤ。
「ふふ……色々と面倒なやりとりもあったけど、やーっと気づいてくれたカナー?」
「あなたが1億金貨くれるんですか?」
「やらねえしっ!」
「魔王軍っていいひとたちだったんですね!」
「だから違うっつってんでしょ!? あんたどこまで人を疑わないのよ、マヂでムカツクんですケド! こうなったら……さらに強烈な毒で殺してやる!」
ティタニアが全身に力を込めると、服を突き破り、背中から六本の節足が姿を現す。
さらに臀部からは紫色の毒々しく、太いサソリのような尻尾が生えてきた。
「この足であんたの体を拘束して、この尻尾で純度の高い毒を注ぎ込んであげる!」
「……」
「どーしたの? あまりに恐ろしくて声も出せないのカナ?」
「か……」
「か?」
「かっこいい……!」
サーヤは目をキラキラと輝かせ、ティタニアに羨望の眼差しを向けている。
一方でティタニアはがくっと崩れ落ちる。
「あんたねぇ……!」
「阿修羅を彷彿とさせる腕の数、そして雄々しい尻尾! どこかダークヒーローを思わせるそのビジュアル、ほんとーにかっこいいです! 握手してください!」
「しねーし! ってうわ、動き速っ!? ああぁ、だから握るなっての! 触るなってのぉー!」
「尻尾も触っていいですか……?」
「わざわざ触らなくても突き刺してやるってんの!」
勢いよく頭上から振り下ろされる尻尾を、パシッと簡単に受け止めるサーヤ。
「ありがとうございます。うわあ、思ったよりツルツルしてるんですねー」
「あんたっ、それ触ってもなんともないワケ!? てかっ、んっ、やめなさいって! んはっ……尻尾はっ、敏感なのが常識でしょうがっ! そもそもウチ、触られたこと……っ」
「ひんやりしてて気持ちいいですね!」
「あんたの手は温かくて柔らかいっつーのぉ!」
ティタニアは混乱していた。
サーヤが自分を触れるという事実にも、そして久しく感じていなかった他人の感触、体温にも。
(なんでウチ……こんなにドキドキしてるワケ? こんな小娘に、触られてるだけで……ああ、でも……誰かと触れ合えるなんて、夢みたいで……)
考えたくなかった。
考えないようにしていた。
だが触られると、どうしても思い出してしまう記憶がある。
「あ、あれっ? ティタニアさん、なんで泣いてるんですか……?」
「はぁ? ウチ、泣いてないし……ウチが、泣くワケ……っ」
どんなにごまかしても、こぼれ落ちる涙は消せない。
必死で手の甲でぬぐったって、その雫は繰り返し頬を濡らした。
「なにか、つらいことを思いだしたんですね」
今度はサーヤが彼女の頬に手を当てる番だった。
片手では拭いきれない涙を、小さな手のひらがすくっていく。
「あんたのせいだ」
ティタニアは震える声で言った。
「あんたが、ウチに触ったりするから。毒が効かないなんて、ワケわかんないことするから……」
「ごめんなさい、体質なもので」
「謝るなっ!」
「へっ!?」
「嬉しいんだっての! やだけど、こんな小さいコに触られて喜ぶ自分がやなんだけど、触れる相手がいるのがこんなに嬉しいなんてっ!」
「今まで……誰もさわれなかったんですか」
「母親は、ウチを抱いて死んだって。だから、こんな、誰にも愛されないウチが役に立てるのは、魔王様の元で、なにかをぶっ壊すことだけなんだって……そう思ってたのに……なんで、触れる人間なんてものが存在すんのよぉ……! ふざけんなぁっ!」
「うわっと!?」
八つ当たりするように、サーヤを抱きしめるティタニア。
サソリの足まで使ってがっちりホールドされると、もう逃げられない。
……いや、脱出しようと思えばいつでもできたが、サーヤにそのつもりはなかった。
彼女が「よしよし」とティタニアのやわらかな紫色の髪を撫でる。
するとティタニアは、嗚咽しながらボロボロと泣いた。
(さびしかったんですね……初対面ですけど、これがわたしにしかできないことなら、しばらくこのままで……)
◇◇◇
「はぁ……はぁ……はぁ……天才的な頭脳の、リソースを、肉体に使えば……ぜぇ、はぁ……これぐらいの、ことはっ、この、悪念のインディヴォードならばぁっ……!」
洞窟の入り口で、しゃがみこみ、呼吸を整えるインディヴォード。
全力でサーヤを追いかけ、二十分ほど遅れてここに到着したのである。
彼はおぼつかない足取りで、よろよろと奥に進む。
「ティタニア様ぁ……どうか……はぁ……ご無事、で……っ」
しかしその最奥で彼が見たものは、想像していたものとは全く違っていた。
いや、最初はこう思ったのだ。
(ティタニア様、子供に我慢できずにあの針で殺してしまったのか……)
しかしすぐに、ティタニアが泣いていることに気づく。
(な……胸を借りているのか? しかもあの少女……いや女装少女、ティタニア様に触れて平然としている! バカな、そんなことが……)
ティタニアには触れることはできない。
それは魔王軍に所属する人間ならば、誰もが知る常識であった。
その常識すら覆す、正体不明の子供。
明らかに危険だ。
勇者などよりも、遥かに――
(ティタニア様は、あの子供の持つ力で何かされたに違いない。あのお方が敗北した今、動けるのはこの悪念のインディヴォードのみ!)
今ならサーヤの背中は無防備だ。
絶好の殺害機会――これを逃す手はない。
インディヴォードは岩陰から飛び出し、鋭く伸ばした爪を、サーヤの背中に突き立てようとした。
だがそのとき、彼は奇妙な“声”を聞く。
『……ハハハ……ハハハッ……!』
(なんだ……笑い声? しかも、野太い男の……)
同時に、インディヴォードは足元からかすかな振動を感じる。
耳をすませば、ゴゴゴゴ――と地鳴りめいた音も響いている。
『ガハハ……ハハハハッ……!』
『ギャハハハハッ……!』
近づいてくる笑い声。
大きくなる地鳴り。
「な、なんだぁっ!? なにが近づいてきているのだぁっ!」
これにはこらえきれず、インディヴォードは思わず声をあげた。
その直後――ドゴォオッ! と地面を突き破り、何かが地中から飛び出してくる。
炎を纏った、2メートルをゆうに超える半裸の大男。
そして、その相棒である赤いコウモリ――イフリートとノーヴァであった。
「うわあぁぁああああああああ――!」
しかしインディヴォードはその二人の姿を見ることはなく、衝撃によって吹き飛ばされ、意識を失ってしまった。
一方でイフリートたちも彼を吹き飛ばしたことに気づかず、
「ガハハハハハッ! ノーヴァ、どうやらまたどこかに出たようだな!」
「ギャハハハハッ! そうダナ、イフリート! でもどこに逃げようといっしょダゼ!」
「ああそうだな、もう笑うしか無いな! ガハハハハッ!」
「ギャハハハハハッ!」
もちろん彼らの背後からは“アレ”が追ってきている。
二人は笑いながらも、洞窟の奥に向かって全力疾走した。
「なっ、イフリートじゃーん! あんた死んだんじゃなかったワケ!?」
「おぉ、ティタニアか! しかもその少女は――」
「少女ではなく女装です!」
「えっ、そなの……?」
「そうか女装か! ガハハハハッ! よくわからんが面白いヤツだな!」
「ギャハハハハッ! しかしこりゃ、巻き込んじまったみてーダナ!」
「巻き込むって、何のことよ。つかあんたら、なんでそんなボロボロに――」
「いいから逃げるぞティタニア、女装娘! おそらくあいつにはお前の毒も効かん!」
「あいつ……?」
「来るゾォオオオオッ!」
ノーヴァの声が洞窟に響き渡る。
するとすぐ後ろの地面が盛り上がり、巨大な腕が、イフリートたちを捉えるべく伸びてきた。
一番近くにいたノーヴァは間一髪で避ける――だが、目の前にあるのは行き止まり。
このままでは“次”で捕らえられてしまう。
「なんですか今の!」
ティタニアから解放されたサーヤは、その“腕”を見ていいしれぬ恐怖を感じていた。
もちろんイフリートを始めとした三人も恐れおののいていたが、サーヤの感じたものとは微妙に異なる感覚である。
「説明はあとだ、とにかく洞窟を掘り進んで逃げるぞ! うおぉおおおおおお!」
「ギャハハハハッ! 合流してもやることは変わらネーなァ!」
炎のスペルと腕力を駆使して、重機のように洞窟を掘り進め、逃げるイフリート。
ノーヴァも自らがまとう炎でそれをサポートする。
「なにがなんだかワケわかんないんですケドー!」
「わかりませんが、とにかく逃げたほうがよさそうです。いきましょう、ティタニアさん!」
サーヤはティタニアの手を引いて、イフリートたちの後を追う。
あまりに自然に手を握るものだから、ティタニアはこんな状況だというのに、嬉しそうに赤くなって「う……うん」と乙女っぽく返事をした。




