020 はじめてのおさわり
「ふーんふふーふふーん♪ ふーんふふーふふーん♪」
フレイグに剣を渡し、ごきげんなサーヤ。
特に用事もなかったので、彼女は高速スキップで町中を散歩していた。
道行く人々は、あまりに早い彼女の速度に反応できず、その姿を視認することすらできず、またサーヤ自身も後ろのほうで宿屋が破壊されたり、星が貫かれたりしているのに気づかないでいた。
「あの、そこの――」
「それにしても、勇者さん喜んでくれてましたね。ファフニールさんやニーズヘッグさんともお友達……もとい師匠になれましたし、結果オーライというやつです!」
数秒に一周のペースで町を巡るサーヤ。
同じところをぐるぐる回っているのだが、そのたびに――
「あの、そこのっ」
道端にいる占い師風の男が彼女に声をかけようとしている。
しかしあまりのスピードに、音がサーヤに追いついていない。
「そこのぉっ!」
よほど重要な話でもあるのか、かなり必死である。
もちろん周囲の人々にはサーヤの姿が見えていないため、ただの不審者でしかないのだが――
「お嬢さぁぁぁぁんっ!」
叫ぶ男。
「お嬢さんじゃありません、女装です!」
ピタリと止まるサーヤ。
「……じょ、女装?」
戸惑う男。
「はい、女装です!」
無い胸を張るサーヤ。
「……」
「えっへん」
(……まあ、止まってくれたからいいか)
深く考えず、そう納得することにした男。
ローブを纏い、深くまでフードを被った彼の顔は、サーヤからは見えない。
道端に椅子と机を設置し、机の上には水晶玉を置くといういかにもなスタイルからして、占い師であることは間違いないのだろう。
もっとも、普通に見ればどこからどう見ても胡散臭いのだが――警戒心の低いサーヤは疑わない。
「あー……おほん。女装さん」
「はい、女装さんです」
「あなたに非常に強い金色のオーラが見えます。おそらくこれから、あなたの人生においてもっとも幸運な出来事が起きるでしょう」
「ややや、そうなんですか! それは楽しみです。じゃっ!」
「あ、待って! まだ! まだ終わってないから!」
「……そうなんですか?」
「私はある人から命令されて、その金色のオーラをまとった人に、この手紙を渡すよう命じられてきました」
「お手紙……なんの変哲もない、ただの手紙ですね」
「私のいないところで開けてください。あなたに、人生で最も大きな幸運が訪れることでしょう」
「おおぉ、この手紙にそんなパワーが……!」
目をキラキラと輝かせて、陽の光に手紙を透かすサーヤ。
男はそんな無邪気な彼女を見て、フードの下でほくそ笑む。
(くっくっくっ、ちょろいものだな。貴様が勇者と繋がっていることはすでに把握済みだ。勇者も、貴様のような子供を人質に取られれば、今までのように好き勝手はできまい! くくく……完璧だ……あまりに完璧だ……! これで、インディヴァードの仇も取れる!)
フードを被った男の名は、悪念のインディヴォード。
少し前に敗北し、今は帝都の地下牢に捕らえられている邪念のインディヴァード、その双子の弟である。
そして彼と同じく、四天王の一人、死毒のティタニアの部下であり、魔王軍幹部でもあった。
(その手紙に導かれある場所に行ったとき、それが貴様の最後だ。今回は以前の作戦のように甘くはないぞ。なにせ、ティタニア様じきじきのご出陣だからな。恐怖し、畏怖し、そしてティタニア様の毒に苦しめられて、無惨に死ね! くくくくくくくっ!)
手紙を持って離れていくサーヤ。
そんな彼女を見て邪悪に笑うインディヴォード。
しかし彼は、今になってようやく気づく。
「そう、あの無力な少女……もとい女装に抗う術は――ん? いや、待てよ。あの子供……なんで、あんな速度で移動していたんだ?」
音速を超え、魔王軍の幹部クラスでなければ視認すらできない速度でスキップしていたサーヤ。
あまりに自然すぎて違和感を覚えていなかったが、冷静に考えると――いや、普通に考えてもあれはおかしい。
常人のソレではない。
「そういえば、星域術式が破壊されたとき、近くに勇者はいなかったという噂を聞いたな。イフリート様が敗北したときも、同じだった。勇者以外に、勇者を超える力を持つ何者かが存在するのではないかと……」
さすがにここまで不自然なことが続けば、魔王軍の中でも話題になる。
それでもフレイグがあそこまで自信満々に『夢の中の俺が戦っていた!』と言っているので、魔王軍もそれを信じていたのだが――
「まさか……あの子供が……」
だとすると、危険だ。
ティタニアは毒のスペルを得意とし、謀略に優れている。
しかし、単純な戦闘能力ではイフリートに劣ることは認めざるをえない。
そんな彼女と、あの子供が二人きりになれば――
「おい、待てさっきの子供っ!」
インディヴォードが声をかけるのと同時に、手紙の内容を読んだサーヤは地面を蹴り、シュバッ! とその場から姿を消す。
「くっ、行ってしまったか。だが人間の速度ならまだ追いつける!」
彼もすぐさま跳躍し、サーヤを追ったが、
「どこだ……いた、あそこ……ってマジで速いなおい!」
すでに彼女の姿は遥か彼方。
もはやインディヴォードでは追いつけない距離であった。
「待ってくれぇっ、それは違うんだ! 考え直す! 作戦を練り直すから、ちょっと待ってぇっ! あぁ……遠い……遠ざかっていく……なんなんだあの子供はぁっ! いやだぁ……兄弟揃って降格されて左遷なんてやだあぁぁぁぁあああっ!」
悲痛な叫びは、虚しく響くだけ。
サーヤの耳に届くことはなかった。
◇◇◇
『おめでとうございます! あなたは1億人に1人の抽選に当たり、1億金貨を手に入れました!』
『この手紙を手にしたあなたは、とても幸運です。決して嘘や詐欺だとは思わないでください、全てが事実です』
『しかし1億金貨を手に入れてしまうと、人生や人間関係が壊れてしまう可能性があります。絶対に、他人に喋らないようご注意ください。喋った瞬間に、当選の権利を失います』
『ところで幸運なあなた、1億金貨はとても重たいです。運ぶのが大変なため、直接取りに来てもらう必要があります。ここに書かれた場所まで、できるだけ早く来てください』
サーヤは一歩一歩があまりに大きく、空を飛んでいるようにしか見えない跳躍で、目的地まで移動する。
その道中、インディヴォードがたしなめたと思われる手紙に再度目を通していた。
「1億金貨……1億金貨ですかぁ……んへへ。冒険者にとって大事なのは、お金を稼ぐこと。報酬を手に入れればランクだってあがっていきます。つまり、お師匠さまに命じられた“一人前の冒険者になる”という試練は、お金を稼ぐことなのです! 1億金貨もあれば……『よくやったわね、サーヤ。さすが私の弟子だわ!』って褒めてもらったり……セレナさんも『なんて大金なのー!』って喜んでくれるでしょうし、ファフニールさんやニーズヘッグさんもきっとわたしを褒めまくってくれるはずです! 勇者さんもわたしをリスペクトしてくれるかもしれません! うふふふ、そんな大金が当たるなんて、わたしはなんてラッキーなんでしょうかー!」
彼女はその手紙が魔王軍により書かれたものとは知らずに、上機嫌に帝国の空を駆け抜ける。
そしてものの三分ほどで目的地に到達し、記された場所にあった洞窟に足を踏み入れた。
「とうちゃーく! こんにちはー、サーヤが1億金貨の受け取りにきましたよぉー!」
片手をあげながら、陽気に声を反響させるサーヤ。
しかし反応はない。
ひとまず奥に進んでみる。
すると、ほどなくして行き止まりにたどり着き、そこで岩の上に腰掛ける人影を発見した。
「あなたが、わたしに1億金貨をくれる人ですか?」
恐る恐る声をかけるサーヤ。
その女性は――年齢二十才手前ぐらいだろうか。
紫の長い髪をサイドテールに結わえており、派手な化粧を顔に施し、耳と唇、そして舌にピアスを開けている。
上着のシャツは胸元が開いており、首から下げられたネックレスが、谷間付近でチャラチャラと自己主張していた。
(なんだか独特の雰囲気をした人ですね……)
帝都でもあまり見ない格好をしている上に、明らかに好意的ではない鋭い視線を向けられ、ちょっぴり不安なサーヤ。
すると女は口を開く。
「予定よりめっちゃ早く来ちゃってるんですケドー。インディヴォードのヤツ、なに考えてるワケ? ウチに子供のお守りとかできるワケないってのにぃー」
「あ、あのぉ……」
サーヤがおずおずと声をかけると、女は立ち上がり彼女に近づく。
「ったく、しかたねーな。なら、勇者クンが来るまであんたには眠っといてもらうから。ま、もう二度と目をさますことはないケドね」
「えっ?」
そして手を伸ばし、頬に触れた。
「ウチ、四天王の死毒のティタニアってーの。触っただけでみんな例外なく死んじゃうから、死毒。あんたは、これで終わりってワケ」
ティタニアは口角を釣り上げ、ニタァと笑う。
サーヤは不思議そうに彼女を見上げて、自分の頬に当てられた手を、ぺたぺたと触った。




