第74話 「ぽんぽんいたいいたい」
終盤首位との決戦となれば、否応なしに気合も入るものだ。
「オゥラァイ!ガリ!アイガーリ!アガリ!ワサビ!ヘイラッシャイ!」
野々香のポジションはライトであったが、とりあえずまずは声をたくさん出してみた。
ちなみに「アイガーリ」はI got itのことで、メジャーから流れて来た「自分が取ります」の掛け声文化である。
「姉さん、今日やけに声出すな……」
「明らかに言う必要のないこと言ってるんだが」
今日は守備でも集中を切らさぬよう、絶対にミスをしないよう、そう心がけていた。気合のおかげか、守備機会ではミスなく無難にこなす。
ところが、気合を入れ過ぎても空回りするのが野々香のよくやらかすパターンだ。
2-2のまま迎えた6回表。的場と樹が倒れ、ツーアウト、5番野々香の打席。
前の打席では同点に繋がる二塁打を打った野々香は、この打席でもきちんと相手投手のボールを見て、しっかり打ち返す。
「集中、集中……!」
インローに来たボールをうまく腕を畳んで右方向へ返すと、打球はライト線に弾んだ。
二打席連続安打に歓声が沸く。
この時、ライトがやや左寄りに守っていたため追いつくのが遅れ、処理にもたついたのを野々香は見逃さなかった。
走塁で大事なのは純粋な足の速さももちろんあるが、相手の隙を見て先の塁を陥れる緻密さ、小賢しさも重要だ。
野々香は経験から目線の運びや状況判断は得意なのである。
ならば、ここは走力の不足を判断で補うチャンス!
まして状況はツーアウトランナーなし。多少リスクを負っても可能ならば二塁を陥れる事に意味がある場面だ。
野々香は、迷わず一塁を蹴った。
……が。
「おい、無理だ、行くなーっ!」
ベンチから声がかかる。が時すでに遅し。
一瞬ながらもたついたライトからは完璧な返球が二塁に送られた。
パン!
と、ボールを受けたグラブのいい音がして、野々香がセカンドベースに到達する前に、グラブが無情に振り下ろされた。
「おおおおおお!」
だがそれでも野々香は諦めない。カンだけで左足を曲げて下ろされたグラブをかいくぐると、無理やりな体勢のまま左足を軸に回り、ベース裏へ回り込んだ。
しかし、セカンドもそれを見てすぐさまグラブを方向転換する。
「アウトー!」
野々香も上手くベースに触れたが間一髪、タッチが早かったか。ベンチと客席からため息が漏れる。
「あいつ、無茶しやがって……」
野々香が鈍足を気にしていた事を周りも理解はしていたが、それはやむを得ない男女差だと思い、首脳陣は改善を考えていなかった。
いやそもそも、それを言ったら160km投げてる女子が規格外なのだが。
どうにか回り込む動きを見せたが、惜しくもアウトになった野々香は、土を払いながら立ち上がると、
「おい、あいつこっちに向かって何かやり始めたぞ」
急に妙なポーズを取ってベンチにアピールを始めた。
両指を前で合わせた状態から、ぐるっと四角を作るような所作を示し、下で再び両指を合わせる。
「なんじゃろ、あれ」
「わ、わかりましたぞ!あれはリクエスト!リクエストのやつです!」
「ねぇよ、リクエスト!二軍には!」
尾間コーチがジェスチャーの意味を理解する。
気合が空回ったもののタッチのタイミングに納得がいかなかったか、野々香は唐突にリクエスト要求を始めた。
しかし監督が叫んだ通り、二軍にリクエストはない。
無理だぞ、と言う意味で×字のジェスチャーをベンチは送る。
野々香が首を傾げた。
そののち肩を竦めると、改めて両手を前で合わせる。
「え、何あれ、あいつまだやんの」
「なんか今度はちょっとポーズが違うね」
今度は両手をハートの字を描くようにぐるっと回し始めた。最後に右足をちょこん、と曲げて手でも小さなハートを作る。
「あーっ!わかりましたぞ!あれは……萌え萌えキュンですぞ!!」
再び尾間コーチが読み解く。経験者は語る並のメガネクイーっぷりで読み解く。
「客にケチャップを注入するっていう、あの!?」
「樹くん、なんか違うよ……?」
「いいから帰って来い、スリーアウトだアホ!」
樹と助守が守備の準備をしながら「戻れ」のジェスチャーを返すと、野々香は渋々ベンチへ帰って来た。
ちなみにタッツの守備陣は、攻守交代なのでとっくに引き上げている。
「えー、二軍ってリクエストないんですかぁ?」
ベンチに戻ってグラブの用意をしながら、野々香は小林監督と尾間コーチにぼやく。
「今更!?そりゃあ、二軍が使うような球場にそんな設備ないところも多いし」
「リクエストないなんて、恋するウサギちゃんが泣いちゃいますよ」
「そもそもワンプレーにそこまで手間かけてもしょうがないですからな、二軍は……」
「残念。上手くタッチ避けられたと思ったんだけどなぁ……」
空回りはしたが、これでも真剣にチャレンジしたつもりらしい。野々香は心底悔しそうだった。
そして、萌え萌えキュンのシーンは「またタッツ戦で面白いことが起きた」「かわいい」などとネットでネタにされていた。
試合は、そのシーンの後やけに張り切っていた樹のホームランで勝ち越し、3-2で勝利した。
二戦目。今度は投手・野々香の日。
この日も野々香は投内連係、ゴロやバント処理を重点的に練習し、試合でもミスがないよう心がけていった。
投球の方は手を抜いた、と言うわけではないが、打たせて取るピッチングを重視して、1失点のみに抑える。4回の2打席目でツーランを放ち、自らの援護点により逆転に成功すると、そのまま6回まで丁寧に投げ抜いた。
しかし、6回裏の打席。
ホームランを警戒した投手がインコースに投げた球が、手元を狂わせ大きくシュート回転した。
2-1の僅差で追加点も欲しい場面、さらに諸々小さいプレーに意識を強く持ちすぎていたせいか、野々香はこれを打ちに行ったまま体を引き損ねる。
「あ痛ッ!」
内側に切れ込んだボールは、野々香の左わき腹に思いっきりぶつかった。
「デッドボール!」
野々香の異世界仕込みの勘の良さは、ビーンボールにも強い。
打者として本気で抑えないといけない相手だと認識された野々香は、これまでインを突いてデッドボールになりそうな球を何度も投げられて来たが、その都度避け続けていた。攻撃を避ける、という点でも通常より優れた野々香は、被死球がほとんどない。先日変な死球は受けたが。
しかしプレーに集中力を割きすぎたか、ここで初のまともな死球を、しかも腹部に食らってしまった。
さすがにこれはベンチも観客も騒然だ。
監督やトレーナーも思わず駆け出し、選手達も樹たち含む一部は慌ててベンチを飛び出している。
何せ史上初の女性選手、姫宮野々香だ。ここまで来て死球による怪我で退場、離脱と言う事になればそのダメージは計り知れない。
興奮したファンたちの怒号飛び交う中、うずくまった野々香の元へ監督とコーチが辿り着くと、
「痛くなーい!!」
笑顔で立ち上がった野々香が、右手を上空に突き上げ、ポーズを取った。
そのままぐるぐると腰を捻り、体を回し、問題なく稼働することを確認すると、周囲があ然とする中さらっと一塁へ歩き出す。
「いや、ちょいちょい!」
小林監督が慌てて野々香に声をかける。
「いくら何でも平気すぎでしょ!まともに当たったけど、今の」
あっ。そうだった。
野々香は気付く。
一般的には、多少頑丈でも、脇腹にボールが当たって痛くないはずがない。
今の野々香はいくらなんでも頑丈過ぎたのだ。
「っ、うぅ~っ、ぽんぽんいたいいたい」
慌てて痛がる素振りに戻る野々香。
「いいよそういう茶番!」
唐突な上にわざとらしすぎて、監督にも即ばれてしまった。
「あ、あはは、当たり所が良かったみたいで、本当に大丈夫です。チェンチェン大丈夫」
実際、多少衝撃はあったものの、本当に大丈夫だった。この程度、森のボアー(イノシシ型の魔物)の突進に比べたら全然だ。
監督はまだ悩ましい表情で、
「代走を出すから下がりなさい、すぐ病院へ行った方が良い」
と言ってくれた。プロとして、体を真剣に案じてくれているのだろう。
しかし。
「ごめんなさい、監督。首位攻防戦のこの場で……出来れば、下がりたくないです。勝ちたい」
野々香は退かなかった。
もちろん想定される以上に野々香が頑丈であり無事であるのだから、当然だが、大事な試合でこそ学べることも多い。
簡単に交代と言う訳にはいかなかった。
「終わったらすぐ病院行きます。せめて、打席にだけでも」
体を動かして無事をしっかりアピールしつつ、真剣な表情で懇願する野々香に、監督もついには折れた。
「投手は、交代するからね。体に違和感があればすぐに言うこと!」
そう言うと、そのままコーチ達を連れ、ベンチへ戻って行った。
ベンチでも不安そうに見守る選手たちはいたが、審判がコールをし、プレーは再開される。
このデッドボールによるニャンキース側の士気上昇、タッツ側の士気低下は著しかった。
試合は7番鈴村のホームランで野々香を歩いてホームに返し、そのままの勢いで5-3で勝利。タッツに2連勝したニャンキースは、いよいよ首位に2ゲーム差まで肉薄した。
そしてさらにこの日、6回を投げた姫宮野々香はついに、初の女性投手にして、女性初の二桁勝利も記録。
二軍投手の中では、この時点で最多勝。リーグ唯一の10勝投手となった。
姫宮野々香
投球成績 20登板 139回 33自責点 143奪三振 防御率2.14 10勝3敗
打撃成績 打率.285 22本塁打 72打点 出塁率.348 OPS.922
ニャンキース
53勝44敗7分 3位 首位とのゲーム差2.0 残り25試合




