第73話 「あいつは仲間だ」
「……は?」
まさかの報告だった。
椎菜はひとまず学校へ戻り、帰宅をして、野球部の反省会に参加すると、その直後。
自身の転移魔法にて異世界へと再び飛び立ったと言うのだ。
「どうして、止めなかったの」
あまりに衝撃の報告に、野々香はさすがに平静でいられない。
勇者一行で転移の魔法を習得しているのは椎菜だけ。椎菜抜きにあちらの世界へ行く事は出来ないし、椎菜だけは彼女の意思一つでどちらの世界にいることも出来る。
つまり。
「帰って来ないかもしれないって、ことじゃないの」
その可能性をわずかにでも頭に浮かべたら、落ち着いてなどいられない。野々香は珍しく、はっきりと憤慨していた。
「安心してくれ、それはない」
「なんでそんなことが言える!わからないじゃない!」
「まずは、落ち着いてくれ。話を聞ける状態に気持ちを整えて欲しい」
思わず画面を見たまま立ち上がって拳を握りしめていた野々香だが、学駆の言葉でいったん深呼吸をする。
まだ、学駆は事実を説明しただけだ。それに関わる質問・指摘は、詳細を聞いてからでなければならない。
「すまん、いきなりこんなこと言われたらそう思うのも無理はないよな」
一言目の衝撃は学駆もわかってのことだ。だから、まずは謝罪を入れてから、説明を始める。
「まず、異世界に飛んだのは光矢園の事とは関係がない。これはまた別の厄介事なんだが、向こうからの連絡を受け取ったんだそうだ」
"忘れ路の祠"。
リルイ・キルイと言う双子の精霊の力によって、向こうからこちらの世界へ思念波を送る場所だ。
送られた思念がどう作用するのかは不特定だそうだが、野々香が家族に「もう二度と帰れない」と別れを告げた際は、夢という形で伝わっていた。
「お前にも、お前自身じゃなく他人からのメッセージで伝達を試みていたらしいんだが、身に覚えは?何かを伝えようとしてきた人とか、体が勝手にお前の元へ動き出した人とかいただろう、気付けよバーカ魔法もない世界の無能窓際勇者。って王様がお怒りだったそうだ」
「えぇー……?言われてみれば、あったようななかったような。あと誰が窓際勇者だふざけんな」
しかし、気付いたとてどうしろと言うのか。ワタクシ異世界人デス、来訪シテ下サァイなどと言われた事はおそらくない。
……ない、よね?
いや、あったわ。直近にいたわ、解説のシャーマン尾坂東さんだわ。
と野々香は思いつつ、
「いやわかるかーい!」
としか言いようがない。
「まぁ、最初のうちは帰って来い無断欠席勇者が、待遇に不服なら食費半額補助付けてやるからよー、とか適当な事言ってちゃんと繋がるか試してただけみたいだけど」
「イタズラ電話じゃん。誰がそれで帰るかってんだあんなブラック国に」
「ほんとそれ」
野々香たちが帰還を強く願った理由の大半は、召喚した王国、特に王様の腐れっぷりだ。
予算枠を理由に本来なら不要な野々香を召喚して、手助けどころか不要な進捗伺いと監視にのみ人員と手間を割き、邪魔ばかりした挙句、魔王討伐の後も勇者という旗印を国興しのために使い倒す気だった。
勇者に見捨てられる程酷い扱いをしたくせに、つくづく譲歩がケチ臭い。非の打ち所しかないブラック王である。
テンプレ文句だが、今更気付いてももう遅い。
「でも、今回はこっちの世界に関わるような緊急事態らしい」
「えっなにそれこわい」
こっちの世界に関わる。
それはまたとんでもない話だ。
野々香たちが巻き込まれて討伐したのはあくまであちらの世界のみの事件であり、あちらの世界のみを支配しようとした魔王である。
せっかく帰って来たのに、大切な故郷にまで侵食されてはたまらない。
契約違反だ。労基案件だ。
「ってことで、連絡つかずに業を煮やした王様が椎菜の方に夢で伝言したと。どちらにせよ椎菜を経由しなけりゃ俺たちはあっちに行けない。お前と、南もまだ試合があるし、俺は部と学校のことでまだ諸々仕事がある。だから手が空いてるのは僕だけなので、一応行って来ます。とのことだよ。黙っていなくなったわけでも、傷心旅行でもないのでそこは安心しろ」
理屈としては、通っている。
今、数日間も異世界で過ごせるのは椎菜だけだ。
「……それ自体が椎菜ちゃんの言い分だし、仮にきっかけがそうでも、今の様子じゃ必ず帰って来る、なんて思えないんだけど」
「言いたいことはわかる。けど、何があっても夏休みの間に帰るって言ってくれたし、俺もそこはめちゃくちゃ念を押したから。それに」
学駆も心配していないわけではない。だが、それを疑い過ぎてもキリがないのだ。
「あいつが逃げない理由が、理屈で一つ。そもそもそんな報告自体が要らないだろう。本気で逃げたいと思って転移魔法を使えば、俺たちは絶対に行方を追えない」
それは確かに筋が通っている。何らかの理由でもうここにいられない、と思ったなら、勝手にどこへでも転移してしまうだけでいい。
逆説的に、嘘の事情も言う必要がない。王からの呼び出しがあったと言うのも、本当なのだ。
「そんで、信頼の理由がもう一つ。あいつは、お前に顔も見せずにいなくなったりは、しないよ」
「……そう、かな。あたし自身では何とも言えないけど」
「簡単には納得も確信も出来ないのはわかるよ。でも俺は、信じた。あいつは仲間だ」
「……わかった、そうだね。椎菜ちゃんは大切な仲間だし、勝手にいなくなるような子でもない」
ひとまず、野々香は納得する。
しかし、そうなると。
「何が起きたかは椎菜ちゃんの報告待ち、か。物凄く嫌な予感しかしない」
「俺もだ」
「あとせっかく帰って来たのにちょくちょくアンテナ張られてスパムが受信されると言う事実に震える」
「……俺もだ。今回の件で椎菜にとって無駄足や迷惑なだけだったら二度と聞いてやらねぇ」
これまで接触に気付くことすらなかったので、基本的に過剰な邪魔は入らない事にはなるが、いちいち意識させられるのは鬱陶しい。
面倒な上司が朝晩問わず電話をかけてくるようなものだ。
「電話といえば。学駆ってアリサちゃ……南くんとは話せた?」
椎菜も心配であるが、南も同様に心配の種である。
野々香もあれから一度、優勝した南に祝いの連絡をしたのだが。
「一応嬉しいって言ってはいたけど、やっぱり浮かない顔でさぁ、何があったのか聞いても、言えないごめん、としか言ってくれなくて」
おそらく、椎菜と南の間に、周囲からはわからない何かがあったのだとは推測出来る。
しかし、それを具体的に把握する術はない。
「俺も話したけど、似たようなもんだ。けどまぁ、光矢園も終わって落ち着いたから、前よりは話せるだろうって。野々香の試合も観て勉強したいって言ってたし、協力できる事があればするとも言ってくれた」
光矢園が終了すれば、野球部は事実上の引退である。
とはいえ、優勝校の四番として何本も本塁打を打った南は、ほぼ間違いなくドラフト指名があるだろう。
「念のため進学の可能性は考えてるみたいだし、そうなると勉強も野球の練習もみっちりで、結局忙しいだろうけどな」
「南くんもチームメイトかライバルになるかもしれないってことだもんね」
それも一つの楽しみである。かつて魔王を倒した仲間の三人が、プロ野球の世界で鎬を削る。
実績や物珍しさを抜きにすれば、現時点で最も不利なのは野々香だ。
ニャンキースには申し訳ないが、光矢園で活躍した選手と二軍球団での選手では、指名確率が断然違う。そのためにも、ニャンキース優勝と言う功績は重要な要素なのだ。
これ以上、向こうの世界に邪魔されたくない。
「ふと思ったけど。最悪また勝手なタイミングで召喚されることにならない?」
そもそも最初に"勝手なタイミングで召喚"されたことから始まった学駆と野々香の異世界旅行なわけで、それはいつ発生してもおかしくはない。試合中なんぞに呼び出されたら終わりだ。
「あぁ、それはないから安心していいよ」
しかし、何故かそこには学駆が自信満々の否定をかぶせて来た。
「召喚には予算に関わるレベルの金がかかってただろ。呼んでも勝手に帰っちまう奴には、あの王は予算なんか絶対割かないよ」
「あっ、超納得した」
最初に野々香が召喚されたのは、学駆と偶然一緒にいたから。ついでに巻き込まれたものである。
その際、王は無駄な費用で大幅に予算オーバーしたと嘆いていた。
だから、椎菜さえいればいつでも帰還出来る、すなわち完全なムダ金になる野々香たちを召喚することは、二度とないだろう。
しかし、そのついでに呼んだもう一名が皮肉にも勇者となり魔王討伐を果たしたのだから、本来なら感謝されてもされたりないくらいなのに。ぷんすか。
野々香と学駆は、ひとまず今後はイタズラ電話が来た場合は共有する方針と、鬱陶しい連絡に対しての対策会議も必要だね、と言う何とももやっとする結論を出して、その日の通話を終了した。
8月下旬。
いよいよ残り試合数も少なくなり、優勝争いの焦点も絞られてくる時期。
ニャンキースは再び首位タッツとのカード、二連戦を迎えていた。
二軍の優勝争いと言えば普段はさほど盛り上がるものでもないが、今シーズンは野々香と言う女性選手の存在、ニャンキースと言う新参チームの快進撃もあいまって、注目度と盛り上がりは近年でも随一だ。
ニャンキースの成績は現在51勝44敗7分け、貯金が7。タッツとはまだ4ゲーム差ある。このカードを二連勝することは、逆転優勝への必須事項と言えるだろう。
そして、優勝争い、シーズン終盤が近づくと言う事は、同時にプロ入りの可能性も近づいていると言う事だ。
野々香は、悩んでいた。
このままでいいのだろうか、と。
現状投球と打撃においての貢献度には自信がある。
投球においてはまだ変化球の精度が甘いし、球種もスライダー、カットボール、ツーシームが最低限程度に使えるだけ。
それでも、最速165km、問答無用で押し切れるだけのストレートがある。試合に一軍選手たちがチラホラ紛れて来る事もあるので敵なしとまでは行かないが、今のままで充分通用している。
打撃面でも、本来であれば安定感を欠くタイプの荒いスイングを見せているが、何せ命がけで敵を撃ち抜いた経験がある。
まだ勘でどうにか当てている、と言う状況ではあるが、打低環境の現代野球においては充分と言っていいだろう。
問題は、守備走塁だ。
以前にも三塁打を狙って余裕のアウトになってしまったり、先日の同じくタッツ戦でも、珍プレーとして扱われてイジられてしまったワンプレーでのダブルエラーがあった。
もちろん限界はある。それはわかっている。
それでも、これらの改善がならなければ、一軍は厳しい所だ。もし仮に試合に出られるようになっても、この守備・走塁で数試合打撃で結果を残せなければ……あっという間に二軍落ち、しばらくはまた修行の身。と言うことになる。
「もう少し、頑張らないとねぇ」
先日の学駆との話し合いでも、わずかばかりそう言った話をする時間があった。
自分より若い選手達の活躍を見れば、やはり自分も、と思ってしまう。
「いやぁ、短所を埋めるってのはお前には合わないだろう。大体お前アホじゃん。何も考えない時が一番うまくいくじゃん」
身も蓋もない言い回しにちょっとばかりふんぬー!となったが、それが正論なのもわか……らないでもない。
「でも、確かに実戦で経験とか、試しが出来るのは今のうちだけではあるな。やれることをやってみる、ってのはいいんじゃないか」
学駆は言うべきことははっきりきっぱり言うが、それでも意思を否定はしない。
「そうだよね……よし、守備と走塁でも頑張る!次の課題にしよう!」
そうして野々香は、タッツ戦に決意をもって臨むのだった。




