第71話 「光矢園編⑨」
試合はロースコアながら、藍安大名電のペースで進んでいる。
8回で3-2と言うのは際どい勝負ではあるものの、元から投球術と堅守にて3~4点を守り切るスタイルだ。
この状況は、きちんと試合のペースを握っていると言える。
8回裏、9回表は両チーム共に無得点。
試合はそのまま、9回裏、浦山実業の最後の攻撃を残すのみとなった。
椎菜はここまで丁寧に安定した投球で、球数も92球と決して多くない。四球の少なさとテンポの良さは長いイニングを投げる上でも重要な能力である。
当然、9回裏も椎菜は続投することになった。
二番から始まる攻撃を、まずはカーブ、スライダーから入り空振り。1球ボールからの4球目を打ち上げさせて、セカンドフライ。
三番はスライダーを空振りしたが、2球目に投げた直球を叩かれ、ライト前へポテンヒット。
得点は3-2、一死一塁。
ホームランが出れば逆転サヨナラと言う場面で、この二人の四度目の対戦が行われる。
四番ー、浅利くんー。
光矢園特有のくん付けコールと共に、彼は打席に現れた。
……最後の勝負。
椎菜はまたも険しい表情で南を見つめると、彼は少し気圧された様に一歩引いたが、その視線を振り払い、打席に立った。
椎菜の初球は外へ逃げるカーブ。これを南はフルスイングで空振り。
続いて内に低く沈むシンカー。これもフルスイング、空振りをした。
元から積極的にガンガン行くのは南の性格だ。これまでも今日の1打席目も、いきなり直球を強引に引っ張ってホームランにして来ている。
ならば、と3球目はもう一度外に外れるカーブ。南はこれを悠然と見送った。
4球目も外へのボール球、スライダー。一瞬ピクリ、としたが、見送りボール。
カウント2-2となって、南は一旦打席を外し、息をつく。
「椎菜さんの投球は、同じ速さの球が似たようなコースから変化したりしなかったりするのが特徴だけど、攻略法は配球のクセの方なノ。バッテリー二人とも正々堂々の気持ちが強いのか、パターンは読みやすいノ」
ミーティングでの明華の言葉を思い出しながら、南は打席に入る。
何かを呟いた。
「キャッチャーの勢木君は、2ストライクから1球外すクセと、5球に1回は必ず直球を投げさせたがるクセがあるノ」
構えた南を見て、椎菜も何かを感じたのか一瞬眉を跳ね上げたが、そのまま投球動作に入る。
「最初の2球は直球狙い、空振りした場合は1球待てばボール球が来る」
1打席目のホームランは、半ば当て勘ではあるが、理論に基づいたヤマ張りだった。
それも、ストレートであれば弾き返せる、と確実に言えるだけのパワーがあればこそ、であるが。
「そこからは賭けだけど、4球目か5球目、どちらか。4球目が変化球、ボール球であれば、ほぼ確実に5球目は……」
カッ……
「ストレートなノ」
キィーン……!!
椎菜の決め球"ドラゴニックスカイ"は右打者の内側を抉ってこそ本領を発揮するボール。
もちろん左右関係なく投げる事は出来るが、左打者にはわずかに分が悪い。左打者の内を突きすぎるとボール球になってしまうのだ。
最後の球は148kmを計測する、普段より速いストレートではあったが、それがストライクを欲しがった分わずかに甘く入った。
それを強引に引っ張った南の打球は、それでもインを突いた直球だった分振り遅れ、詰まったようにも見えたが。
信じられないパワーだった。
上がった打球は高い弾道でライト方向へ飛ぶ。飛ぶ。飛ぶ。
「行くな……行くな……」
「超えるなーっ!!」
無限のように感じる長い長い滞空時間に、打球を見送るしか出来ない布施が呟き、三瀬が叫んだ。
まだ、ふらふらと飛び続ける打球がようやく落ちてくる。
そう思った時、既にライト・的場は、それ以上ボールを追う事が出来なくなっていた。
フェンスにぶつかる。
そして、祈るようにもたれかかる。
その的場をあざ笑うように、ボールは上を過ぎて行き、はるか先の観客席に、落ちた。
「ホームラーーーン!!」
起死回生の逆転サヨナラツーランホームラン。
会場は、浦山実業ナインは大きく沸いた。
南がダイヤモンドを一周すると、ホームを踏んだ瞬間、歓喜の輪が出来る。
ガッツポーズを見せる南を、ナインが、ベンチが手荒い祝福で出迎えた。
藍安大名電3-4x浦山実業。
試合、終了。
「イッツゴォーーーーーンヌ!!!」
観客席で野々香が叫ぶ。
「トゥートゥーピッチからグッバーイ!痛烈・一閃!だから私はこの男を神様と呼んだ!!」
「言ってみたかったこと片っ端から言ってるだけだね!?」
最後は実際、神様と呼んだ事があるので嘘ではない。らしい。
「いやぁ……まさかこんなことになるとはちょっと思わなかったなぁ……椎菜ちゃん落ち込むかな」
かつての仲間同士の対戦とはいえ、ここまでほぼ椎菜側のフォローをしながら見ていた野々香からすれば、この結果は少し残念な気持ちがある。何より、椎菜がここまではほぼ完璧な投球、打撃を見せていただけに、1球に泣く展開でショックを受けていないかは心配だ。
「なんだかずっと喋ってたのでつい話し込んでたけども、お嬢さんは涼城選手のお友達か何かで?」
尾坂東さんが今更ながら当たり前の質問をしてくる。
球場観戦と言うのは割とオープンな感覚になれる場所で、気付くと見知らぬ隣人とハイタッチしてましたなんてこともあるにはあるのだが、高校野球の観戦で、きっぱり個人を応援するような人は珍しい。
友人知人、家族辺りと思われるのが自然だろう。
「あたしは……」
しかし、言いかけた所で自身が受けたインタビューを思い出す。
現状、椎菜の家族ですなどと答えれば、正体は特定出来てしまうのだ。
高校野球好きのおじさんともなれば、ああいうインタビュー記事は細かいところまで目を通している可能性がある。
念のため、野々香は名乗るのをやめた。
「なに、名乗るほどの者じゃあござんせん、しがない流浪の浪人ってやつで」
「……それも言ってみたかっただけだね?」
「そうでござるな」
言ってみたかっただけは確かにその通りだが、ひとまず正体は誤魔化した。
「まぁ、今は内緒ってことで。付き合ってくれてありがとうございました。尾坂東さん」
「こちらこそ。ただ、一つだけ、いいですかな?」
「はい?」
「伝言です。お願いだから、こちらへ帰って来るように……と」
「誰からだよ!どこにだよ!シャーマンネタ怖いよ!お腹が鳴いても帰らないよ!」
整列が行われる。
歓喜の勝利チームと共に、藍安大名電ベンチの方は負の感情が渦巻く。落ち込む者、泣く者、慰め合う者、様々だ。
一斉に一礼を済ませると、次は対戦校との握手や称え合いが始まる。
しかし。
椎菜は他の選手達と握手を済ませた後、ただ泣いているだけにも見えない、複雑な心情の渦巻く顔を南に向けると。
なんと、その手を握ることなく背を向けた。
真っ先に行われると思われた最後の勝負の立役者……浅利南と、涼城椎音の握手は、行われなかった。
南も、そこまでの歓喜の表情を一転、曇らせると、かろうじて椎菜に聴こえるかどうかと言う声で、
「ごめん……」とだけ呟いた。
その様子を心配そうに見つめながら、野々香は尾坂東さんに挨拶をして、客席を後にした。
藍安大名電野球部、初出場。
光矢園戦績、準々決勝敗退(ベスト8)。




