第60話 「現実世界のデバッファー」
後半戦最初のカードはトリトンズ。
現在最下位のチームなので、確実に勝ち越し、出来れば3連勝でいきたい相手だ。
しかしさすがに勢いだけで連勝は続かない。既に7連勝中で後半戦を開始したニャンキースだったが、2戦目を3-5で落とし連勝は8でストップ。
3戦目の日曜、野々香の登板日だったが、内野安打やポテンヒットが重なり6回で3失点。2-3のビハインドのまま野々香は交代を告げられた。
「状態、状況が悪いと見れば代えますからね」
野々香自身、状態は悪くはなかったが、飛んだ所が悪く……と言う事は往々にしてある。
野々香は静かに頷くと、ライトの守備に入った。
いよいよ、後半戦は守備にも挑戦していくことになる。
だから降板したからと言って集中を切らしてはいけない。チームを負けさせないために出来る事をする。
さすがに投球後で少し疲れはあったが、ライトスタンドから届く応援と励ましの声が心地よかった。
7回二死一二塁。声援に後押しされるように、野々香は上がったフライに素早く飛び出すと、フェンス際の強い当たりをジャンピングキャッチ。追加点を防いだ。
9回表、有人が「姉さんのお返しだ」と言いながら内野安打で出塁すると、楠見が繋いで一死二三塁。
樹がしぶとく食らいついてセンター前タイムリーで同点。
なお一死一三塁の場面で、野々香の最終打席。相手投手は半ば満塁策と取れるような高目のボール球を2つ続けて投じて来たが、それならばと野々香は高目の球に的を絞り、見送ればボールかという高さを強引に力で上空に持ち上げた。
高々と上がったフライは思った以上に伸び、左中間深くへ。
渋く勝ち越しの犠牲フライを上げると、ホームインした楠見を出迎えハイタッチ。
「自分のフォローは自分でする。いいね、戦い方が上手だ」
「へへー」
先輩からお褒めの言葉をもらった野々香は、2人でチームメイトとハイタッチしながら、満面の笑みでベンチに戻った。
2-3で敗戦責任投手としてマウンドを降りた野々香が、自らのバットで勝利打点を上げる。
試合は4-3でニャンキースが逆転勝利した。
翌週。
「うぇぇ。いたよ、おい。嫌な奴が飯食ってるよ」
「飯は食ってないだろ」
「物の例えだよ」
「いるに決まってんじゃーん野々香チャーン!」
「僕は野々香じゃないよ。鉄平だよ」
「そんなウソついて照れんなよぉ、会いたかった!会いたかった!」
「ノー」
地味な障害は1週間後に出現した。
2カード目の相手はサルガッソーズ。茶渡実利の所属チームだ。
この男、ニャンキース側から見ればファンを良くも悪くも盛り上げた形にはなるのだが、当然サルガッソーズ側としてはあんな宣言、何も面白くない。茶渡の選手評価は上がるはずもなく。
「いやぁ、そんなに居たいならそのまま二軍にいろって言われちゃってさぁ、良かった良かった」
「どこらへんが良いんだよ……」
呆れた顔をしながら、樹はそっと野々香の前に立って茶渡との距離を置かせる。有人と助守もそれにならった。
「なんだよ、おもんねーな。取って食いやしねぇっつの。警戒すんなよ」
「生憎と、おめーほど警戒が必要な男は自分以外見た事がなくてなァ」
有人が前に出て茶渡に絡んで行く。当初の下心濃度で言えば有人は濃い方であったが、謎のシャワー室事件以外、すべき配慮はしている男だ。幸い、ニャンキースのチームメイトは、予めこの3人が周りにくっついた事で野々香が女子的な危機にさらされた事は少ない。
むしろ野々香が自分から危険に飛び込んで行くので困惑している。主に樹が。
だが、野々香はこれでも胸襟を開く相手はちゃんと選べる感性はある。なにせ、冒険者ギルドとか言う組織もまぁまぁ無法で無遠慮な場所だった。金髪碧眼前髪ファサーのイケメンっぽい何かにドヤ顔勧誘された事もあるし、金髪碧眼の息子がいるのにメイドと浮気したとか言うクソ親父にも絡まれた。
「近寄っちゃいけない男」への嗅覚はそれなりに育っている。
その嗅覚によってこの茶渡実利は危険度マックスだ。声すら失う絶望味のスープだ。
「わりーが、ウチのお姫様には1歩も近づけねェよ。せいぜいホームランで樹を追い抜くまで頑張ってみな。いや、何なら頑張ることすら許されずに干されてくれていいぞ」
目つきや髪型、風貌から同属性の雰囲気はある有人は、茶渡に積極的に絡んで行く。挑発的であるが、こうして前に出て喧嘩を売ることで野々香に余計な事をしないように気を使っているのだ。
お姫様、と呼ばれるのは少しばかり不本意であるが、この場合有人の気遣いは受け取っておくべきだと野々香は思い、黙っておく。
「チッ、やっぱチームで会うと邪魔が多いな。野々香チャン、またプライベートで会お」
「会わないよ。帰りはサヨナラバスに乗るよ」
妙なご挨拶のおかげで、意味もなくチームに緊張が走る試合となってしまった。
幸いと言うべきか、今回の三連戦では先発日がないため投打の直接対決はないのだが、その分自力でねじ伏せる事が出来ないとも言える。
本当にこの際干されてくれたら有難いのだが、一軍で素行不良で出場機会を失うことはあっても、二軍でまでそんな扱いをするわけにもいかないのだろう。
しっかりスタメンで出て来た。
「オラッシャア!」
そして、いきなりホームランを打ちよった。
だからどうした、と思えばそれだけの話なのだが、どうにも野々香が無駄に気持ちを揺さぶられている。
しかも向こうさんは意識してもおらず、良く言えば一途に叫んでいるだけなので、とにかく気にするだけ負けの状況を作られている。
気が散る、と言うのは案外厄介なデバフだ。
今ではやったら怒られるが、昔はキャッチャーの位置からバッターに向けてぶつぶつ呟くと言う「ささやき戦術」と言う物を得意とした捕手もいる。
これが、異世界ではちょっとだけ椎菜が得意とした戦法だった。
彼女は魔法の威力がない代わりに速射性と魔力量を利用して、とにかく敵の耳元や敵陣の真ん中に小さい火炎・爆発魔法を乱打するのだ。まるで耳打ちをするように。
その一瞬、気を散らした瞬間に飛び込んでザクリ。
主体となる戦場以外に気をそらす、と言う点ではあのスタイルに近い。
マジカルタンクシーナちゃん(野々香が勝手に命名)のささやき戦術、などとはしゃいでいたのを覚えている。
……いかん、こんな男と椎菜ちゃんを同列に並べるのは失礼だった。
などと野々香が思考を巡らせる間に、ボール球を連発する投手を打ちあぐね、初戦の野々香は2三振2四球。
別に茶渡のためにやっているわけではないだろうが、相手チームからしても野々香の攻略法は四球上等のボール球勝負が基本となったようだ。
こうして打席で考え事をしている時点でも、勝負としては負け。
事実、ろくにストライクを投げてこないのに二度も三振をしてしまった。ボール球を振らされているのだ。
初戦はそんな形でチームが回らず、0-2で完封負けを喫した。
そしてそのまま、野々香の勢いを削ぐ事でチーム全体の力も削ぎ落したサルガッソーズ。
ニャンキースはここで痛い連敗を喫し、1勝2敗と負け越してしまった。
姫宮野々香
投球成績 16登板 116回 25自責点 112奪三振 防御率1.94 8勝3敗
打撃成績 打率.291 18本塁打 63打点 出塁率.355 OPS.928




