第45話 「光矢園編 ①」
涼城椎菜、17歳。当時は、シーナ、15歳。
とある国の厳しい家庭環境の中で育ち、心も体も束縛され自由のない生活を送る。自身の家名はもはや思い出したくない。
その束縛からの解放、そんな内心の希望を聞き入れたとばかりに、15歳で異世界に召喚。
しかし逃げ道と思われた異世界もまた、決して彼女に優しくはなかった。
まともなコミュニケーションの取れなかった彼女は異世界でもしっかり浮いてしまう。魔王と戦う使命を受けるどころか、役立たずとして、王にも、一緒に召喚された仲間にも諦められ、ろくに路銀も持たされぬまま街へ放り出された。
元から着ていた服や所持品を売った金で最安値の装備だった魔術師用の黒ローブを購入。かろうじて食いつなぎつつ、ギルドの冒険者として魔法を習得しながら魔物を討伐して、経験と報酬を得る生活で数ヶ月を過ごして行く。
幸い、自身に魔法の才能自体はあったようで、ひとまずはそれで安定し始めていた。
満足に食事出来る生活ではないため細身だったが、美少女と呼べるほどの容姿を持っていた彼女は、少しずつパーティーに誘われる事も増え、チーム戦闘も経験し、会話も最低限はこなせるようになった。
王の性格に難のある国ではあるし、国民やギルドの人たちはシーナに優しいと言うわけではなかった。しかし、虐げたり悪意をぶつけられたりすることはなく、公平ではあった。
ある日、シーナは同じく勇者候補を名乗るパーティーから「クーラーキャッスル」攻略に誘われる。
魔王の幹部「氷のヤクター」は、城下町付近に拠点を構える厄介な相手で、討伐は急務とされていた。
そこで、彼女は三度めの裏切りを受ける。
圧倒的レベル不足と準備不足のまま突入したパーティーは、ヤクターに歯が立たず敗走。
敗走と言っても幹部であるヤクターが簡単に逃してくれるはずもない。仕方がないので、あらかじめ最後の手段として用意していた囮をヤクターに突き出した。
そう、シーナだ。
ヤクターは美少女を氷漬けにして飾る壊れた趣味の持ち主であり、その氷像候補としてシーナは選ばれた。
この趣向を知っていたパーティーメンバーが、最初から逃走する場合の囮として声をかけたのだ。
氷漬けのまま死を待つのみとなり、絶望と諦めが支配したまま意識を失ったシーナ。次に意識を取り戻した時、かろうじて聞こえたのは「こんな子、ほっとけるわけないでしょ」と言う声だった。
それから、氷の城と共に凍てついてしまったシーナの心に再び温度が戻るまで、とにかく言葉を、誠意を尽くしてくれたのがアリサと大泉学駆、そして姫宮野々香だ。
「僕はあそこで一度死んで、生まれ変わったようなものです。だから、この日本で最後まで皆さんと、野々香さんと共にありたい」
そして彼女は生きる道を、目標を見つけた。
恩人である学駆の教育の元、恩人である野々香と共に戦える場所。
「僕もなりたいんです。プロ野球選手、涼城椎菜に」
「ははっ、人数の足りない弱小野球部は大変だねぇ」
完全に噛ませフラグのセリフを吐いて、相手校・鏡影学園のキャプテン・熊戸明悟が高笑いをしながら椎菜の顔をいやらしい目つきで眺めている。
じろじろと見られるだけでも不快だが、この視線は明らかに別の興味を椎菜に持ったのだろう。
「こーんな可愛い子に頼らないと試合も成立しないなんて……いやほんと可愛いな?ずるくない?お前らこの子と野球出来るだけで勝ち組じゃない?なんか後ろの方にいるマネージャーも結構可愛いし」
椎菜のフォロー役としてマネージャーになって貰った野々香の妹、法奈の方にも熊戸の視線が向く。
「おう、勝ち組だから負け組のお前らはおとなしく負けを認めて帰ってくれていいぞ?」
チームメイトの三瀬龍二が、椎菜の横に並んで熊戸の挑発に反撃する。
三瀬は高校2年にして180cmを超えたガッシリ体型のキャプテンだ。青みがかった短髪に太い眉、濃い顔をしている。元々は孤高気取りのエースピッチャーだったが、椎菜が入ってからは色々な意味で彼女にほれ込んでしまい、現在は控え投手兼外野手と言う立ち位置の男だ。
試合前の挨拶にしては随分空気の悪いものになってしまった。しかしそれを熊戸は気にするでもなくさらに椎菜に追い打ちをかける。
「君さぁ、野球するようなキャラじゃないでしょ?うちが勝ったら野球部やめて俺んとこ来てよ、俺の専属マネージャー的な奴。色んな意味で」
ニヤニヤと笑みを崩さないまま絡みついて来る熊戸に、両校メンバー同士がにわかにざわつき始めた。
面倒だな。
子供たちのバチバチに敢えて口出しはするまいと思っていた学駆は、収まりがつかなそうな気配に割って入ろうと1歩前に出たが、わずかに早く反応を示したのは椎菜本人だった。
「構いませんよ」
凛とした声音は、大声を張ったわけでもないのに、不思議とざわつく男子の中でも綺麗に通り熊戸の耳を叩く。
「あなたの様な、試合に真剣に打ち込まない方に、僕たちが負けるはずがありませんから」
あっ。スイッチ入っちゃった。
学駆は瞬間的に察知し、今度は前に出る足を逆側、味方側に踏みかえて椎菜の方へ。
ヘタな事を言う前に止めておこうとしたのだが、それも一瞬遅く、声はそのまま放たれた。
「5回コールド、パーフェクトゲームで下してあげましょう」
「おいおーい、盛りすぎですよ椎菜さーん」
もう手遅れとなってしまった学駆の制止は、何の意味もないツッコミとなって虚しく通り過ぎて行った。
ついでにこの後、学駆はムカ着火スイッチがオフれない椎菜に「学駆さんなら止めようと思えば止められたでしょう、風の祝福が泣きますよ?」とさらなる追い打ちをかけられた。
言うてな、こっちの大人はそんな魔物バトルみたいに行かんねん。とっさにどっち止めるとか判断むずいねん。と、そっとため息をつく学駆さんだった。
予選第一試合、対・鏡影学園。
先発、1番ピッチャー、涼城椎菜。
長い黒髪をそのままにユニフォーム姿に身を包んだ椎菜は、普段の落ち着いた物腰と違って凛々しさがある。
藍安大名電のユニフォームは黒地に白のトゲが散りばめられたようなデザインだ。
ここでも彼女はイメージ通り、黒と白に身を包んでいる。
マウンドに立っても投げても、投げた後でもちらほらうるさい野々香とは対照的に、その佇まいは「静」のイメージ。
「おーおー、左のサイドスローかよ。まっ、女子がやりそうな小手先のスタイルだよな」
この時点で、椎菜は「姫宮野々香の友人」として光矢園出場を求める署名運動を行っていたことで、一部ではある程度有名であった。
当然、高校野球の情報をちゃんと追えば名前が出てくる状況だ。
しかし、競技と言うのは「やる」のと「観る」のとでは少し世界が違う。皮肉な事に野球部やプロ選手は四六時中野球ばかりしているだけに、案外野球を取り巻く事情に疎い者がいる。
プロ野球を観ている素人が誰でも知っているような選手や事例でも、高校球児・プロ選手が知らなかったりするのだ。
今回の鏡影学園の野球部も、残念ながら椎菜の活動をあまり知らなかった。
名前程度は見た事がある者もいたようだが、プレイ内容まで確認されていない。
人員不足からお情けで出場してきた数合わせの女子。
……高校野球を取り巻く女子への厳しさを考えればその発想にも至らないはずなのだが、彼らはこれまた事情に疎かった。
少しでも情報を追いかけていれば、練習や他校との練習試合において、厳しい環境の中でも周りを黙らせ、肯定させられる程に圧倒的な彼女の姿を確認出来ていたはずなのだ。
故に。
「ストライーク!バッターアウト!」
出て来た先頭の3人は、判で押したようにストライクをスイングし、あっという間に三球三振を喫した。
それまで9球、椎菜は一つもボール球を投げていない。
三者連続三球三振。「イマキュレートイニング」で、初回を終わらせていた。
「なっ、なにあれ……?」
彼女のボールは、今時の高校球児としては飛び抜けて速い方ではない。
140km出るか出ないか、と言う所か。
しかし、それを捉えることは誰も出来なかった。
「まず、1回」
椎菜は呟くと、そのままベンチに戻り、すぐ初回の打席の準備を始めた。
熊戸明悟さんの元となった人物はさすがにわかりやすすぎますね。




