第25話 「敗戦」
うれしはずかし始球式を経て、周囲の空気も野々香の気持ちも、さらに変化を起こし始めていた。
まず何より認知度が大幅に上がった。公式SNSのフォロワー数も5桁にのぼり、にゃんキースタジアムに入る観客数も昨年比で倍増と言えるくらいまで増えている。すっかり有名人だ。
そんな中、貴重な経験を経て熱気も冷めやらぬまま、翌日すぐに新幹線を飛ばして大阪で先発登板を務めた野々香は。
「あっ」
カーン。
「回れ回れー!」
「ふたついけるぞー!」
「セーフ!」
5回に大炎上して5失点、1試合で7失点と盛大に燃え上がっていた。
「あっれー……?」
姫宮野々香、女性初の敗戦投手。2勝1敗、防御率4.00。
4回までは2-2の同点、そこそこに良い勝負だった。
気合も入っていた、と思う。
5回裏、先頭へ微妙な判定の四球を与えてしまった。微妙と言うか、正直ストライクだった。
まぁ、そんなこともあるよね。切り替えたつもりが、次の打者もまずい流れが続く。
続いて打ち取った当たりがセカンドショートレフトの真ん中くらいにポトリ、と落ちた。
うぅーん、と言う所でさらに、次の打者のバントを野々香自身がうっかりつかみ損ね、犠打失策。これで無死満塁、最悪の場面でやらかしてしまった。
こうなると悪い流れは無限地獄のように野々香を、チームを苦しめる。
続いての打球も高目の球を打ちあぐねただけのものだったが、高ーーくバウンドしたボールは全員次の塁に進む直前くらいにやっと、ファースト樹の元へ落ちてきた。2-3。
さらに似たような内野ゴロが続き、三塁走者が帰って2-4。1死二三塁。
ここで満塁策を取った。冷静に考えるとこの場面で満塁策もどうかと今になって思うが、監督も助守も野々香も錯乱気味だったのだと思う。
「逃げるが勝ちなので、プランAで……」とか作ってもいないプランを勝手に製造していた。どこかのスポーツサブスクみたいに退会出来なくなる迷子プランだった。
さらにさらに内野ゴロで、2-5。2死二三塁。
そして、自責点にならなくなったツーアウトから、うっかり浮いた球をフェンスまで持って行かれて、仕上げ。2-7でかろうじてスリーアウトを取ったところで、野々香は降板となった。
もうとっとと降板させてはどうだったのか、と言う説もあるが、ニャンキースも投手事情は苦しいのだ。ちょっとやそっと炎上したとてなるべくアウトを取ってくれないと困る、で、この展開である。
投手が打たれすぎで試合を壊してしまった時、責任持って必要なアウトだけでも取って来るまでそのまま続投させることがある。
いわゆる「晒し投げ」と言う奴だが、今回はほぼそうなってしまった。
こうなってしまった原因はいくつか考えられる。
ひとつ、移動疲れ。
移動して試合をすると言うだけなら時間的余裕はまぁあったが、横浜→大阪間の移動からデーゲームは準備時間が足りな過ぎた。
ひとつ、不運。
さすがにまともな当たりもろくにないまま3失点はつらい。そんな日もあると思えばそんなもんだが、あまりにツキがなかった。
ひとつ、エラー。
バント処理をもたついたのはただのミスだ。野球のちょっと不思議ルールの一つなのだが、投手が自身の守備機会……バントやピッチャーゴロ等でエラーした場合、他野手のエラー絡みの失点と同様に、投手の自責点にならない。今回は、記録上最後の二塁打は「野々香とかいう野手」の責任と言う判断になり、自責点は5点と記録された。
しかし自身のエラーのせいで自責点が2減っても何も嬉しい気分になれない。いっそ自責を付けてくれと言いたくなる完全な自滅だった。
そして最後のひとつは。
「気合入れ過ぎて空回ったぁ?」
「たぶん……」
選手寮近くの焼肉屋。
このたび、「初の敗戦投手となった姫宮野々香を慰める会」が樹、有人、助守らによって主催された。
さすがに野球選手たちなので肉のなくなる速度は速い。反省会トークもテーブルの網の上では箸とトングと肉が高速展開で動いている。
そんな中、何が悪かったかを思い出しながら野々香はそう結論づけた。
北仁屋もそうだが、1つ上の世界を見てしまうと焦りが生じる。それが良い方向に行けばいいが、ただ単に焦ってしまっただけなのは良くなかった。もっと上手く抑えよう、と言う欲目が生じたスキなのだろう。
そういえば、あちらの世界でも強敵に挑む直前に経験値モンスターに釣られて、ガン無視していた鳥にざくざく突かれて一時帰還、なんてこともあった。シーナのローブが良い感じに食いちぎられて興奮した。あれはいいものだった。
「そんなに凄かったか、本瀬さんは」
「そらもうアレよ」
「どれだよ」
「結果見たらわかるでしょ……って、観てないか、そういえば」
野々香が始球式をしたのは17:55頃。チームは13時から試合だ。試合はさすがに終了してるとしても、間に合うとは思えない。
しかし有人がそれに「いや、観ましたよ。みんなで」と反応した。
冷静に考えたら観られたら観られたで若干恥ずかしいんだが、しかも全員で雁首揃えて。
「姉さんがマジで可愛すぎたので鼻血吹いて倒れたっすよ、樹が」
「なんだその無理やりな捏造!?」
樹の反論に有人はケラケラ笑う。
「さすがに鼻血は吹いてなかったけど、顔真っ赤だったよね樹くん」
助守も思い出し笑いをこらえられない様子で同調した。
「そんなこたぁいいんだよ!こいつの格好とかじゃなくて本瀬さんとの対戦の話だろうが」
「顔真っ赤で草ァ」
その時のことをいじられて再び顔を赤くしている樹に、追い打ちをかける有人。
まぁ、可愛いと思ってくれたのならそれはそれで有難いことだ、とひっそり野々香は喜んでいる。
対戦に関しては、泣きの1球であったため真っすぐを投げるしかなかったと言うのはある。それでも、完璧に打たれてしまった。つまり、現状一軍のホームランバッター相手に速球を待たれたら、スタンドまで運ばれると言うことだ。
「みんなはあれ観てどう思った?」
開幕してから……いや、キャンプからずっとあれやこれやと慌ただしく、選手同士で戦術論などを話し合う機会があんまりなかったように思う。そういえば、初勝利時の祝勝会も流れてしまった。この際、良い機会だ。
野々香はトングで肉をポイポイ網に放り込みながら尋ねてみた。
「ストライクの取れる変化球が欲しいよね」
助守は野々香のボールを受けてくれている分的確だ。元々課題であるが、どうにもまだ変化球の精度が安定していない。
ボールになる変化球も必要ではあるが、変化球を投げる=ボールなので見極められる、に近い現状は改善の必要がある。
「球が高ぇよ。あればっか続けてたら俺だって放り込むぞ」
樹は事実、紅白戦で簡単に野々香の速球をスタンドに叩き込んだことがある。
そう、基本的に野々香の投球は高目が多い。そっちの方がコントロールしやすいことと、パワーのない打者には変に低目を拾われるくらいなら高目で押し切ってしまうほうが良いと思ってはいるが、レベルが上の打者には通じないと言うことか。
音堂コーチからも言われて指導は受けていることだが、どうしても高目、速球に頼り過ぎると歯止めがきかなくなるのが今の改善点だ。
「でもさ、俺だって放り込むって言うけど樹くん、実際一軍のホームランバッターに遜色ない打力があるってことじゃない?」
と、不意に助守が疑問を投じて来た。
そう言えばそうだ。ここまで野々香がホームランを打たれたのはセの本瀬、パの北仁屋と、樹のみ。もちろんまだカード一周すらしていないので参考までだが、打撃を見ても一軍選手、しかも長打のあるバッターとして優秀な選手ということになる。
「そういえば樹くん、なんでドラフト指名漏れたの?これだけパワーあって、どこで何してたの」
前にもちらほら疑問になっていたことを、野々香は聞いてみることにした。
一軍を目指す上で何かの参考になるかもしれないし、周りの人も言っていたが、これだけホームランを打てる力があってどこも獲得しない、というのは考えにくい。何かあったのだろうか。この男に足りていない物があるなら、知っておかねばなるまい。
「女だって1点を除けばそれはお前にもそのまま返してやりたいんだが」
「あっ、あたしはほら、なんか、ここではないどこかから誘惑に打ち勝って、空が青空であるためにサバイバルしてきた春を愛する人というか」
監督にも前に似たような事言ってただろ、その嘘だらけの誤魔化し。と樹は冷ややかな反応だ。
どちらにせよ、樹は深く追求しようとは思わない。元から何の情報もなかったし、女だと言う理由で機会を失っていた可能性は高い。どうせ降って湧いた突然変異のような女だ。実は異世界人です、みたいな返事が来てもきっと驚かない。
「……簡単な話だよ、素行不良ってやつだ。入団テストで絡んだ時も、そんなんだっただろ」
「俺様の美技に何たら~とか何とか言ってそうだったね」
「自虐に追い打ちかけるのやめてくんねぇ?」
「おもしれー女って言ってくれてもいいよ?」
「微妙に否定しにくい自賛もやめろ」
少しだけ迷う間があったが、樹はふっとため息をつくと、
「……まぁ、ありがちな話だろうよ」そう前置きして、自身の事を話し始めた。




