第21話 「誰がための祝勝会」
「おっ、野々香!おめでとう。お邪魔してるぞ」
ニャンキース初勝利のその夜。
いつも通りの感覚で通話を繋いだら、いきなり学駆の後ろに野々香の家族がいた。
学駆がいるのがリビングの入口辺りだろうか、後ろに父・昌勇と母・陽代がソファに座ってバンザイしたり拍手したりしていて、画面横から妹の法奈がひょこっと顔を出して手をひらひらーっと振る。
テーブルにはおびただしい数の料理が並んでいて、缶チューハイの数と昌勇の顔から「出来上がり」の量が見て取れる。
「な、なにをしてはりますのんか」
「何って見りゃわかるだろ、祝勝会だよ。何せ初勝利だしな」
試合が終わって、喜びに浸るのも束の間、その後帰り道で報道陣に囲まれたり、出待ちのファンにも囲まれたりして、試合に加えさらにその対応の疲労も重なり、ようやく20時ごろ。
本当はチームメイトと一緒にどこかのお店で盛り上がろう、と思っていたのだが、想像以上の周りの反応にゆっくり集まれる状況にもなく、やむを得ず祝勝会は後回しに。
定期報告……いや、今日は顔が見たかっただけ、一緒に喜びを分かち合いたいだけ。
そんなつもりで、学駆との通話を繋げた野々香の前に広がった光景がそれだった。
「……誰の?」
「いや、お前のに決まってるだろ」
「そこに私はいません」
「泣かないでください」
えっ、なにこれ寂しい。野々香は瞬間的に襲われた寂しさに硬直した。
試合は平日の真っ昼間である。大事な試合なので有給取って観に行きたいとまで言ってくれた家族の申し出を野々香は断った。
さすがに学校のある学駆や法奈まで休ませるのはしのびないし、静岡は日帰り出来ない程遠くはないが、近くもない。
まして試合はこれから何度もある。
世の中には息子の初勝利を願って毎先発試合観戦のために有給を取って、その上で息子は先発ローテーションを守って何試合も好成績を残したと言うのに、初勝利するまでに10回くらい有給休暇を減らしてしまったご家族などもいる。
勝利投手と言うのは運や巡り合わせにも左右される。今回あっさりと勝利をあげたのも、味方の得点あってこそだ。
だからもっと都合の付く日や、立派に成長した日に観に来てくれたらいい、今は仕事や学業に集中して。と言う事で、今回は観戦を見送り。家族も学駆も普段の生活に励んでいたのだが。
「勝ったんならお祝いはしなきゃ、って陽代さんが言うもんでさ。お呼ばれしちまった」
主役不在で向こうで勝手に盛り上がってるのを生中継されるのは思ったより寂しい。
ビジターで優勝して、ホームに残ったせいでビールかけに参加出来ない選手とか可哀想だなと思っていたが、こんな感じか。
やむを得ない残業で遅れて、どっと疲れた顔で飲み会に行ったらもう他の人出来上がってました、みたいな。そんな感じか。
「なんだ、浮かない顔だな野々香……そりゃそうか」
「うん。かえって寂しいんだけど」
「ごめんねお姉ちゃん、こっちだけはしゃいじゃって」
そう言いながら法奈が学駆の肩口に手を置き、肩から顔を出すようにして現れた。
なんか距離近くない?
「その距離感の見せつけ方はえぬてぃーあーるか?えぬてぃーあーるかな法奈ちゃん?」
「えっ何で急にそんな目ギラギラして被害妄想爆発してるの」
「1人より2人に増えたら安心だし心配がないな?」
「物騒なこと言わないでよ!?学駆くん……、あ、大泉先生。元々ちょくちょくウチ来てたじゃん。そんな目くじら立てなくても、そのうちお兄さんになる人でしょ?」
以前は学駆くん、と呼んでいた法奈であるが、大泉先生と言い直したのは、学校で教師と生徒としての絡みもあるからか。
そのうちお兄さんになる人、とか急に言われると野々香もなんか照れるもんがある。悪い気はしないけど。
そういえばそうだった、野々香は元々学駆を家に良く呼んでいる。家族ぐるみのお付き合いとか言う奴は大学の頃から時々行われていて、一緒に食卓を囲んだ事も多い。
けれど、こうして自分不在で盛り上がってる姿を見ると……どうしてか不安になった。
「なんかすっごい寂しい!羨ましい!なんでそっちで勝手に盛り上がってるんだよぉ!」
「はは、何言ってるんだ野々香、勝てば盛り上がるのは当たり前だろう。お父さんとっておきのレモンが浮く奴開けちゃったぞ」
「くっ、飲みたい」
「お母さんも調子に乗っていつもの老舗お寿司屋さん頼んじゃった。ほら武田さんとこの」
「くっ、食べたい!」
「お姉ちゃんの試合映像が見られるとこネットで見つけてさー、中継流しながらめっちゃ盛り上がってたんだよ」
「くっ、混ざりたい……!」
「ま、まぁほら、雰囲気だけでも味わって行けよ。ホラ主役のためにケーキも用意したんだぜ、おまえ食えないけど」
「ぐぬーっ!!」
野々香の寂しさと怒りが複合して、それはついに爆発した。
「なんなん、疲れて帰って来て、やっと喜びを分かち合う時間とか思ってたのに!ニンジンぶら下げられた馬の気分だよ!ぐぬぬだよ!最高にぐぬぬだよ!キングぐぬぬーだよ!!」
「よくわからんがユーアーマイスペシャルだから安心しろ」
「うるさいよ!くそぅ、今からそっち行くから待ってろみんな」
「お前明日も試合だろーが……」
親元を離れて働く、と言うものはこういうものなのか。
異世界で親元自体は離れていたが、全くもって事情が違い過ぎてそんな気分にはならなかった。
勝った日におめでとうが出来ないのは、思った以上に心の穴が大きい。最終的に地元にFAしたがる選手とかはそういう理由もあるのだろうか。
野々香は通話画面越しに一人で大騒ぎしながら、何となくそう思った。
「と、とりあえず待て、通話を切るな。ちゃんとここからお前に送れるごほうびも用意してやったから」
ひと通り野々香のぐぬぬタイムが落ち着くと、学駆から改めて申し出があった。
「さんざん主役不在の盛り上がりっぷりをちらつかせておいて、何があるって言うのかね」
初勝利の余韻もどこへやら、野々香はすっかり不機嫌モードだ。と言っていじけて通話を切ったところで単に完全な独りになってなおさら寂しいだけな気がするので、余計にタチが悪い。
しかし、その不機嫌モードは、直後にかけられたたった一声により、ぐるっと一変する。
「あの、野々香さん……お久しぶりです」
「ほぁ!!」
柔らかい微笑みとともに画面に登場した黒髪の少女を見て、野々香の不機嫌モードは急速に終わりを告げた。
「し……シーナちゃん!?」
「はい、シーナです。野々香さん、初勝利おめでとうございます」
画面越しに丁寧にお辞儀をする、一人の少女。
「ふおおおおおおおお!!」
途端、野々香は叫んだ。喜びのあまり叫んだ。
心の中のおじさんが目を覚ました。それは覚まさなくていい。
「ありがとう、久しぶり!シーナちゃんも呼ばれてたんだ?」
「はい。野々香さんの初戦、凄く楽しみにしてたんですよ。それで、学校で学駆さん……大泉先生と一緒に経過を見ていたら、おうちからお呼ばれがあったので。僕も来ちゃいました」
身長156cmくらい。華奢な体つきに肩より少し先まで伸びたツヤツヤの黒髪。凛としてそれでいて柔和な、品を感じさせる瞳。静かだけど存在感のある通る声。以前見た質素な黒いローブではなく法奈と同じ紺のブレザーに身を包んだ少女、涼城椎菜が、涼やかににこやかに、佇んでいた。




