第十六話 南蛮の風、少年の夢
天正五年(1577年)──。
日向を追われ、伊東義祐は
豊後の大友宗麟のもとへ身を寄せた。
伊東祐兵をはじめとする家臣団は
わずかに残った従者とともに宗麟の庇護を受け、三百町の地を与えられた。
ある夜、宗麟の居館で行われた評定にて。
「島津の勢いは止まらぬ。だが、伊東の地をこのまま奪わせるわけにはいかぬ」
宗麟の言葉に、祐兵は頭を垂れた。
「我らに再び、日向を踏むことが許されるのであれば……命、惜しみませぬ」
◇
天正六年(1578年)初春。
大友家は三万を超える大軍を編成し、日向奪還の兵を起こす。
祐兵はその先鋒の一人として、門川城に進軍。
家臣の長倉祐政、山田宗昌らも従い
耳川を越えて石ノ城で挙兵した。
門川、潮見、山陰の諸城では
かつて島津に投降した旧伊東家臣らが再び伊東方に呼応し
土持親成の縣城を攻める。
その知らせが、宗麟の本陣に届いた。
「祐兵殿の軍、見事に働いておる」
宗麟の口元には珍しく笑みが浮かんでいた。
四月十五日──。
松尾城に籠った土持親成は
行縢へと逃れる途中で捕らえられ、斬殺された。
伊東方の士気は高まり、大友軍は日向北部を制圧。
島津軍は耳川以南に退いた。
その中、石ノ城では祐兵、祐政、宗昌ら六百名が守りを固めていた。
六月、島津義久は忠長を大将に、七千の兵を日向へ派遣。
「石ノ城を落とし、耳川を取り返せ!」
七月八日──。
島津軍は総攻撃を開始した。
激戦の最中、副将・川上範久が討死し
総大将・忠長も左肘を射抜かれ重傷を負った。
「ここまでか……引け!」
島津軍は五百を超える死傷者を出し、ついに撤退。
石ノ城を守り切った祐兵に、大友義統から感状が届く。
「汝、家名を挽回し、見事なり」
祐兵は手紙を握りしめた。
「まだ……まだ、終わりではない」
その夜、祐兵は城の庭で一人、木彫りの弓を手にしていた。
背後から万千代がそっと声をかける。
「殿。あの石の上で……我らは、かつての誇りを少しだけ、取り戻せた気がします」
「うむ……だが、これからが本番だ。日向は、まだ戻ってはおらぬ」
飫肥の地は、まだ遠かった。
だが、風が吹き始めていた。
それは、南蛮の香を含んだ新しき風──かつて祐兵が夢見た、民と共に築く国の風である。




