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第十二話 伊東崩れ その一

元亀三年(1572年)晩夏──。


木崎原(きざきばる)の敗戦から数日、伊東祐兵(いとう すけたか)はわずかな兵を連れて、小林城(こばやしじょう)へ逃げ延びていた。


城の石垣に腰を下ろすと、風に混じって血の匂いが鼻を突く。


焼けた木々の残り香と、死者の影が町にも戦場にもまだ漂っていた。


「我らは……敗れたのだ」


口に出すと、その重さが胸に突き刺さった。



阿虎(おとら)が静かに祐兵すけたかの傍らに現れる。


彼女の頬にも、涙の跡があった。


祐安(すけやす)様、祐信(すけのぶ)様……みな……」


言葉を継げず、肩を震わせる。


「まだ終わっておらぬ」


祐兵すけたかの声はかすれていた。


「終わらせてはならぬ……我らが命を賭しても、伊東の名を残さねば」



しかし、木崎原(きざきばる)での大敗を契機として、伊東義祐(いとう よしすけ)の勢力は急速に衰退していく。


天正四年(1576年)、伊東四十八城の一つ──高原城(たかはるじょう)島津義久(しまづ よしひさ)の三万の兵に攻められた。

城主長倉祐政(ながくら すけまさ)の叫びは届かず、義祐は援軍を出したものの、一戦も交えることなく水の手を断たれ、ついに高原城は開城した。


その翌日には、小林城(こばやしじょう)須木城(すきじょう)を治める米良矩重(めら のりしげ)が義祐への遺恨から島津に寝返る。


さらに、近隣の三ツ山城(みつやまじょう)野首城(のくびじょう)岩牟礼城(いわむれじょう)までもが相次いで島津に帰属。


野尻(のじり)青井岳(あおいだけ)──日向の西境が逼迫する。



野尻城主・福永祐友(ふくなが すけとも)は、義祐よしすけに何度も援軍と対応を訴えたが、側近たちに握り潰されてしまう。


栄華を誇った義祐よしすけは、すでに民や前線の声を聞かぬ存在となっていた。


「殿、現地は危機にございます。早急なる対応を……」


忠義の家臣たちの進言も、義祐よしすけは冷笑で返すばかりだった。


「そなたらは騒ぎすぎじゃ。都を模す城下の整備こそ、今の我が務めよ」


かつては家臣の声を聞いた男が、今はその忠言を遠ざけ、自身に都合の良い者のみを近づける。



伊東祐兵(いとう すけたか)は、父の変わりゆく姿に胸を痛めながらも、必死に再起の道を探っていた。


「もはやこの家は崩れつつある。だが、私が立ち止まれば、すべてが潰える」


阿虎(おとら)は祐兵の膝に手を置いた。


祐兵すけたか様……この風が変わらぬうちに、動くべきです」


祐兵すけたかは力強く頷いた。


「飫肥を、取り戻す」


その言葉には、決意と共に悲しみが滲んでいた。



夜の都於郡城(とのこおりじょう)

義祐よしすけの寝所にて、祐兵すけたかは父と静かに語らっていた。


「……わしの夢は、京を日向に再現することだった」


「父上、それは夢ではなく……幻でございます」


義祐よしすけはしばし沈黙し、やがて祐兵すけたかを見た。


「そなたが……前に出よ」


「承知しております。されど、伊東の名は、夢ではなく民のためにございます」


義祐よしすけは静かに頷いた。

「わしは後ろより見守ろう。民とともに歩む伊東を──そなたに託す」


その夜、都於郡とのこおりに風が吹いた。

それは、かつての栄華を吹き消し、新たな命を揺らす風だった。

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