第十二話 伊東崩れ その一
元亀三年(1572年)晩夏──。
木崎原の敗戦から数日、伊東祐兵はわずかな兵を連れて、小林城へ逃げ延びていた。
城の石垣に腰を下ろすと、風に混じって血の匂いが鼻を突く。
焼けた木々の残り香と、死者の影が町にも戦場にもまだ漂っていた。
「我らは……敗れたのだ」
口に出すと、その重さが胸に突き刺さった。
◇
阿虎が静かに祐兵の傍らに現れる。
彼女の頬にも、涙の跡があった。
「祐安様、祐信様……みな……」
言葉を継げず、肩を震わせる。
「まだ終わっておらぬ」
祐兵の声はかすれていた。
「終わらせてはならぬ……我らが命を賭しても、伊東の名を残さねば」
◇
しかし、木崎原での大敗を契機として、伊東義祐の勢力は急速に衰退していく。
天正四年(1576年)、伊東四十八城の一つ──高原城が島津義久の三万の兵に攻められた。
城主長倉祐政の叫びは届かず、義祐は援軍を出したものの、一戦も交えることなく水の手を断たれ、ついに高原城は開城した。
その翌日には、小林城・須木城を治める米良矩重が義祐への遺恨から島津に寝返る。
さらに、近隣の三ツ山城・野首城、岩牟礼城までもが相次いで島津に帰属。
野尻と青井岳──日向の西境が逼迫する。
◇
野尻城主・福永祐友は、義祐に何度も援軍と対応を訴えたが、側近たちに握り潰されてしまう。
栄華を誇った義祐は、すでに民や前線の声を聞かぬ存在となっていた。
「殿、現地は危機にございます。早急なる対応を……」
忠義の家臣たちの進言も、義祐は冷笑で返すばかりだった。
「そなたらは騒ぎすぎじゃ。都を模す城下の整備こそ、今の我が務めよ」
かつては家臣の声を聞いた男が、今はその忠言を遠ざけ、自身に都合の良い者のみを近づける。
◇
伊東祐兵は、父の変わりゆく姿に胸を痛めながらも、必死に再起の道を探っていた。
「もはやこの家は崩れつつある。だが、私が立ち止まれば、すべてが潰える」
阿虎は祐兵の膝に手を置いた。
「祐兵様……この風が変わらぬうちに、動くべきです」
祐兵は力強く頷いた。
「飫肥を、取り戻す」
その言葉には、決意と共に悲しみが滲んでいた。
◇
夜の都於郡城。
義祐の寝所にて、祐兵は父と静かに語らっていた。
「……わしの夢は、京を日向に再現することだった」
「父上、それは夢ではなく……幻でございます」
義祐はしばし沈黙し、やがて祐兵を見た。
「そなたが……前に出よ」
「承知しております。されど、伊東の名は、夢ではなく民のためにございます」
義祐は静かに頷いた。
「わしは後ろより見守ろう。民とともに歩む伊東を──そなたに託す」
その夜、都於郡に風が吹いた。
それは、かつての栄華を吹き消し、新たな命を揺らす風だった。




