#ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた #書籍 #小説
ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。
原田まりる 著
定価:本体1,400円+税
発行年月:2016年09月
判型/造本:46並製
頁数:376
ISBN:978-4-478-06965-3
内容紹介
ニーチェ、サルトル、キルケゴール、ショーペンハウアー、サルトル、ハイデガー、ヤスパース!あの偉大なる哲学者たちが、現代的な姿になって現れ、高校二年生の主人公アリサに、“哲学する“とは、何かを教えていく小説。
(ダイヤモンド社のHPより)
彼氏と思っていたら身体目当ての二股だった。かなりよくある。
いきなりエッチを拒否した女子高生が彼氏の既読無視にブチキレ、京都の縁切り神社として有名な安井金比羅宮に行ったことから物語は始まる。
ちなみに筆者鴉野も16センチの仙人一本歯下駄履いて鞍馬山に登りに行ったついでに訪れたことがある。夏場でも冷気を感じる場所だが悪意ある呪いを抱くにはもったいない場所で悪意を良縁にするにはいいところだと伺った。ぶっちゃけ行かなければ知らなかったことだが。
あれ? それを教えてくれたヒト、誰だったっけ? んん?? あの辺に筆者の知人はいないぞ?!
ま、まぁ詳しく思い出すとホラーになりそうなので余談を続けると偶然結婚式を行っていた花嫁さんがすげーきれいな人だった。やはり安井金比羅宮は良縁の神社である。
本編だがそうやって安井金比羅宮にお祈りをした彼女は悪縁を断ち切り、良縁を祈った。
するとニーチェ(自称)がやってきた。ファ?!
『祝福できないならば呪うことを学べ』
自分がフラれても好きな同性の先輩が嬉しそうなら祝福しなければならないと悩んでいた彼女にニーチェは明るく言い放つ。なんならそこの木に藁人形打ち付けようぜ! 神社が困っているからマジやめてください。
理性で誰かを祝福したいとおもっていると思い込んでいる、思い込もうとする自分。
それは理性ではない。誰かが与えた、社会を維持するための社会道徳に準じているに過ぎない。
抑圧された自分を一度解き放ち、本当に自分の気持ちかを問い直してみよ。
別に悪事や復讐をせよというわけではない。しなくてもいい。したら逆に不利になることもある。ただ、自分を縛る思い込みや思いこまされたことから解放されるために今一度考えるのだ。
17歳の彼女が『素の、もとからもっていた自身』ならば、次々現れる実存主義な哲学者たちは『人生の過程で出会う思想や宗教、友人知人や家族の影響』の具現化だろう。
京都の各観光スポットを舞台に彼女と、彼らの出会いと会話、そして別れが描かれる本作は人間はそうそうもとは変わらない事、変えてしまうならば洗脳に他ならないこと、自分で考えること、人生に意味などないが意義を見出すのは自由であること。自由ということは苦痛をもたらすこと。不自由な故に人間は迷いを断ち切れることなどをビターに描く。
それはただ一過性の幸せを描くエンディングより、きっと幸せ。
幸せも苦痛も永劫回帰。ならばこの人生という旅路に「己を危険に晒すのだ!」。
不幸も絶望も笑って乗り越えられる、超人へと少女はすすむ。
……ところで原田まりる先生。哲学の道が出るなら西田幾多郎先生や鈴木大拙先生が出ないのはなぜでせうか。
(※『歎異抄』と思想的にかぶることも多いし、たぶんややこしくなるからだと思われます)
人は知識を追い求めるか、これ以上の変化を拒むもの。
知識の雑食には自分と向き合う自由への恐怖に屈さない勇気が必要。
あなたの『17歳のわたし』にはきっとその心があったものと信じます。




