#91 巨人と話してみよう
薄暗い闇夜であっても、圧倒的な迫力を醸しだす石斧の存在は、はっきりと知覚できる。
巨人の三つの目が、暗がりにいる小さな小鬼族たちを睨んだ。次の瞬間、腕の筋肉が躍動し石斧を猛烈な勢いで振り下ろす。
“勇者”の号を受ける巨人が、その膂力にものを言わせた一撃。小鬼たちに、圧倒的な破壊力をもって迫りくるそれから逃れるすべはない。
――それが、ただの小鬼族であったならば。
そこにいるのはフレメヴィーラ王国最強の愚連騎士団、銀鳳騎士団が長たるエルネスティ・エチェバルリアとその一の弟子、アデルトルート・オルターだ。
彼らは目配せすら必要なく、すでに銃杖をその手に掴んでおり、魔法演算回路には魔法術式の展開を終えている。
いったい何度使ってきたことかわからないほどに、慣れ親しんできた魔法現象。それはもはや、思考と同速度で実行可能だ。
大気が集い、圧縮される。高い圧力を得たそれは、術式の導くままに指向性をもって解放され。
“大気圧縮推進”の魔法が、エルとアディの体を弾き飛ばした。
直後、彼らのいた場所へと巨斧が叩きこまれる。
巨人の武器らしく人間の身長を軽く超えるそれは、爆発的な威力をもって大地を抉った。夜のしじまに、鈍い爆発音が轟く。
「ぬぅっ!?」
勇者のもつ三つの目は、伊達ではない。
攻撃が辿りつくより一拍早く飛び出し、逃れていった小鬼族の姿を、その視界の片隅にしかと捉えていた。
彼は思わず目を見開く。その驚愕を、地面から吹きあがった土煙が遮った。
「小鬼ごときが、我が一撃をかわしただと!?」
彼は勇者――その集落において最強たる号を冠する者である。
“たかが”矮小なる小鬼族ごときが、その攻撃をかわして見せるなどと。目の前の事実が、ひどく彼の癪に障った。
ギシリと歯を鳴らすと、そのまま腰を低くし一気に走り出す。
土煙を突き破り、暗闇へと逃れんとする小鬼族めがけて一足飛びに間合いを詰めていった。
憤怒の相を浮かべた巨人が走り出すのを待たず、エルとアディは身をひるがえしていた。
「ううむ、納得いきませんね。僕たちは小鬼族とやらではないのに」
「ああ、もう! そんなの後回し! それより、どうするの!?」
巨人は歩幅も大きく、ただ走っているだけで恐ろしい速度が出る。
大気圧縮推進の魔法を駆使し、弾丸のごとき速度で疾駆する二人めがけて、今にも追いつきそうになっていた。
「一度、退きます。森へ!」
二人は勢い緩めぬまま、闇の広がる木々の合間へと駆け込んでゆく。
巨人も勢い落とさぬままそれに続いた。しかし、森へと飛び込んでしばしもしないうちに立ち止まる羽目になっていた。
「ぐっ!? おのれぇっ!」
夜の森に逃げ込んだ“小動物”を追うのは、彼の眼をして著しく困難だ。それもあのような速度で動く小動物ともなれば、不可能と断言して差し支えない。
彼は、森の暗闇を睨んで狂相を浮かべていた。暗闇を走る小動物が立てる微かな音も、木々のざわめきの中に紛れてゆく。
「……この我から逃れるとは。いかに小さきといえ、侮れぬというか?」
彼はしばらくの間、険しい表情のまま森を睨みつけていたが、やがて首を振ると集落へと戻っていった。
勇者が戻ってくると、そこには音を聞きつけて起き出してきた巨人たちが待ち受けていた。
その中央にいるのは、“魔導師”である四つ目の老婆だ。
「勇者よ、かような夜分に騒がしい。いったい何事か」
「魔導師。数匹の小鬼族が、何やら嗅ぎまわっていたのだ。恐らく、ルーベル氏族の眼であろう」
「なんと……!」
巨人たちの間に、ざわめきが湧き起こる。
四つ目の老婆は目を閉じ沈思していたが、しばしの間をおいて口を開いた。
「……小鬼族と。他に、奴らを飼うような氏族がいるはずもなし。よもやそのような眼に頼ろうとは、情けないことだ。して、その小鬼どもはいったいどこにあるのか」
「恐ろしく脚が速く、逃がしてしまった。……勇者の号を受けた我が身、なんたる不覚」
勇者は膝をつくと、一つを残し目を閉じた。ぎしりと、その手の中で石斧がきしむ。
老婆は首を横に振った。
「過ぎたるを見つめすぎるでない。穢れの獣の死を、いずれ知られるは必定であった。しかしルーベル氏族めが、小鬼族を使ってまで動き出そうとは。それほどまでの大事であったか……」
「魔導師。ルーベル氏族めが眼を閉じたままなどありえぬ。ここにいるのは、小鬼族だけではなかろう」
勇者の言葉に、老婆も頷き返す。
小鬼族がこの場にいるならば、それを操る者もまた、近くにいる。ルーベル氏族の巨人が森のどこかに潜んでいる、彼らはそう確信を持っていた。
「愚かなり。ルーベル氏族めが、焦っておる。……皆のもの! 遣いを立てよ。近隣の氏族に、伝えねばならぬ」
「魔導師、しからば!?」
勇者と老婆の話し合いを囲んでいた巨人たちが、低く鳴動する。
「もはや、眼は開かれた。ルーベル氏族めが動き出す前に、諸氏族を集め賢人の問いを啓かねばならぬ。猶予はない。皆、備えを」
老婆の言葉に、巨人たちは雄たけびをもって応えた。それは森を揺るがし、仰天した鳥たちが一斉に飛び立つ。
その狂騒に追われるように、小さな人影たちが森の中を駆け抜けていったのだった。
その夜を境にして、巨人の集落はそれまでとは雰囲気を一変させていた。
「狩りの支度を!」
「鎧を整えよ! 問いにて勇を示すのだ!!」
食料を得るために狩りに出ること自体は、普段と変わりがない。しかし、その動きが目立って活発になっていた。
狩り集めた獲物の量は、普段の数倍まで増えている。
加えて、いつもならばあまり狙わない種類の魔獣を積極的に狙うようになっていた。
例えば堅牢な甲殻を備え、巨人たちを上回る巨体を持つもの。
圧倒的な耐久性を誇り、狩るためには相当量の労力と忍耐を要する。狩りの手間の割に合わないような難敵だ。
そんな相手に対し、巨人たちは徒党を組んで粘り強く攻撃を加えてゆく。
極力、甲殻を傷つけず。その隙間やわずかな弱点を狙い、時間をかけて攻めたてる。
圧倒的な巨体を誇る魔獣もいつしか弱り、やがて大地を揺らして倒れていった。
「ようし、引けぇ!!」
掛け声に合わせて、巨人たちがそろって荷を引っ張る。並べた丸太のうえに魔獣の巨体を乗せ、魔獣の毛を編んで作った強靭な綱を張って曳くのだ。
いかに巨人たちが力に優れるといえ、大隊級を超えるような魔獣の巨体を運ぶのは、いかにも困難だ。
森の中を、巨人たちの勝鬨と莫大な重量をもった死骸を運ぶための掛け声が駆け抜けてゆく。
カエルレウス氏族の集落は、もとよりそう大勢がいるわけではない。
大半は狩りに向かっているわけだが、その中でも少数は、別れて違う方向へと進んでいった。
それらは狩りとはまた違う荷を携え、数日から数週間ほど戻ってこない。森の中に暮らす、別の氏族に対する遣いである。
賢人の問いを啓くためには、少なくとも六以上の氏族を集めることが必要となる。
巨人たちは、比較的小さな氏族を中心として遣いを回していたのであった。
「大猟だ! さぁ皆、もうひと踏ん張りだ!」
狩った獲物が、集落へと運ばれてくる。
巨人たちは、男女の別なく総出で狩りに出ていた。そうして次は、やはり総出で獲物を捌きはじめる。
鼓動を止めた魔獣は、強化魔法の支えがなくなり脆くなっている。そのため解体するのは容易だ。
巨人たちは手慣れたようすで甲殻をはがし皮を剥ぎ、ついで肉を切り分けていった。
皮は鞣され、肉をそぎ落とした骨が並べられる。肉はその日の糧となるものをのぞいて、残りは干し肉にされた。
大抵の場合はその日に狩った獲物を食べるだけの巨人たちにとって、保存食を作る理由は多くない。
そのうちのひとつが、この賢人の問いへの備えだ。
彼らは黙々と獲物を加工し、そうしてあらかたを片付けると、次は甲殻や革を手にそれぞれ自分の天幕へと戻っていった。
狩りの間も身に着けていた、彼らの鎧や毛皮。それらを、新たに狩り集めた素材で強化するのだ。
古くなった部分を交換し、甲殻と皮革を重ね合わせて耐久性と柔軟性を持つ装甲を作りあげる。
魔獣の毛を縒り合わせた糸を張り、時には魔獣の腱を糸代わりにして素材を縫い合わせていった。
大隊級魔獣の素材を加えて、それらの鎧はいっそう強固になっている。
彼らが手ずから狩り集めた獣の素材を使った鎧は、百眼に認められ彼らに大いなる力をもたらしてくれるのだ。
そうして、着実に準備は進められてゆくのだった。
夜が明け、ボキューズ大森海を朱の光が照らし出してゆく。
森に暮らす様々な動物たちが、ねぐらから顔を出して活動をはじめていた。小さな魔獣たちが立てる、囁くような物音が木々の間に満ちる。
その穏やかな旋律を耳に、エルネスティは目を開いた。
すぐさま視界に飛び込んでくる、生い茂る葉々の重なり。彼は、森に点在する大木の上にいる。
エルは大きく伸びをすると動き出し、ひょっこりと縁から顔を出して木の下の様子をうかがった。
そうしているうちに、彼が起き出したのに気付いたアディも、もぞもぞと動き出す。するりと腕を伸ばし、木々の下を探るエルにしゅるしゅると抱き着いてゆく。
「……えるくん……なにか、あった?」
「近くには、特になにも。鳴報鳥も、寝たままですしね」
寝ぼけまなこで会話する、彼らがいる場所。
それは、木の枝や葉を集め編んで作られた鳥の巣のような場所――というか、本当に鳥の巣そのものであった。
ただしそのど真ん中に居座るのは、翼を広げれば一〇mは下回らないであろう、巨鳥だ。当然ながら、決闘級魔獣の一種である。
こともあろうに彼らは決闘級魔獣の巣に入り、魔獣自身を枕代わりにして今まで寝ていたことになる。
無謀と表現することすら憚られるような行動だが、もちろん彼らも何の理由もなくこのようなことをしでかしているわけではない。
この巨鳥は魔獣の中でも穏やかな性質をもった種であり、しかも人間を餌としない。
さらに面白い性質を持っており、己の脅威とならない存在はまったく気にしないのだが、少しでも脅威を感じると敏感に反応する。
その際に強烈な鳴き声をあげて同族へと警告するため、鳴報鳥の名がついたのである。
そういった性質を逆手に取ったエルたちは、この魔獣を警報装置兼、羽毛枕として利用していた。
鳴報鳥の巣には、彼らの降下甲冑までもが持ち込まれている。
いくらかの控えめさをもって巣の端のほうに置かれているものの、そこには幌布がかけられておらず、いつでも乗り込めるように準備されていた。
いかに魔獣が利用できるとはいえ、彼ら自身も備えは怠らない。
そうして彼らが寝起きの微睡みに包まれていると、鳥の魔獣がわずかに緊張を見せた。寸前までうとうととしていたつぶらな瞳を開き、せわしなく首をめぐらせはじめる。
それを見た二人は、再び巣の縁から顔をのぞかせた。
木々の間に見え隠れする、巨大な人型の影。それを認めた二人は、そろそろと首を引っ込めた。
「うーん。巨人たち、ずっと森を動き回ってるわね。やっぱり、探してるのかな?」
「だとすれば、執念深いなどというものではありませんが……。むしろ魔獣ばかりを狙って倒しています。なにか、狩りの頻繁な季節に出会ってしまったのかも知れません」
ううむ、と腕を組んで悩むものの、明確な答えなど浮かぼうはずもなく。
以前の調査はさしたる収穫をもたらさなかった。彼らに、巨人たちの事情を知るすべはない。
しかしどのような理由があるにせよ、巨人たちが活発に動き回っている状況というのは面倒が多かった。
いくら広い森の中とはいえ、いつどこで出会ってしまうとも限らない。出会えば、また問答無用で攻撃されることだろう。
「状況が見えない、こういうのはよくないですね。とにかく手札が足りない」
巨人が通り過ぎてゆくのにあわせ、鳴報鳥が緊張を解いてゆく。
労うようにエルが翼をなでると、巨鳥はちらりと一瞥を送っただけですぐに興味を失ったように目を閉じた。我が道をゆく生き物である。
「さて、そろそろ相手の手札を奪うことも、考えないといけませんね」
「巨人たちをどうにかしないと、色々と面倒だしねー」
これからどのようにするのか。二人は巨鳥を背もたれにしながら、色々と案を出し合っていた。
そこから、少しだけ離れた森の中のこと。
そこには三つ目の巨人、勇者が常の通り、堂々と歩んでいた。
その号を受けるがゆえに、彼は狩りの時には常に先陣をきる。
彼の三つの瞳が木々の間をめぐり、そしてそこに獣の痕跡を見出した。以前のように小さな者たちの跡を見つけるのは困難だが、獲物となる魔獣のものならば容易い。
巨木の根元に散らばっているのは、糞だ。
それを落としたものは当然、頭上にいる。頭を上げた巨人は、そこに木の枝を編んだ巣を見つけ出した。
「鳴報鳥か……良し」
彼は、それに住まう魔獣のことを知っている。巨人にとっては食いでのない獲物だが、その羽根はよい飾りになる。
賢人の問いに臨むにあたり、鎧を飾り立てるのは重要だ。堅さばかりが鎧の価値ではない。
勇者はそう思い、その辺に転がっている岩石から手頃なものを掴んだ。
突然、鳴報鳥がカッと目を開いた。間髪入れず、その嘴から迸る大音量の“警報”。
けたたましい鳴き声を間近で浴び、エルとアディがひっくり返る。その間にも鳴報鳥は翼を開き、ためらいなく巣から飛び出した。
直後、飛来した岩礫が猛速で巣をブチ抜いてゆく。
それは進路上にある枝葉を貫き、まっすぐ穴をあけている。馬鹿馬鹿しいほどの威力だ。
「アディ!」
いまだ耳鳴りの収まらない状態だが、エルとアディは強引に動き出していた。
アディは巣の中に残された降下甲冑に飛び乗ると、すぐに起動。近場の枝へと飛び移る。
「投擲、ですか。この森で道具を使うものなど、そう多くはありません」
睨みつけるように地上を探せば、すぐに目に入る。鳴報鳥が飛び去った方向を忌々しげに睨みつける、巨人の姿が。
「エル君との憩いの時が! こいつは、見逃さなくていいよね?」
「ええ、これもよい機会です。ちょっとお話にいきましょう」
アディがむっすりと言えば、エルはさっぱりとした笑顔で応じる。
直後、彼らはふわりと枝から飛び降りていった。
「相変わらず敏い鳥だ。離れて狩るのは難儀よな」
甲高い鳴き声が遠ざかるのを見送りながら、三つ目の勇者は舌打ちを漏らす。
鳴報鳥は、その特徴的な鳴き声によって同族に危機を伝える。しばらくの間は警戒心を増し、容易には狩れなくなることだろう。
そうしてしくじったものは仕方ないと、巨人が歩き出そうとした時のことだ。とすりと、軽い音が彼の耳に届いた。
すぐさま周囲を見回し、やがて彼は枝の上に立つ小さな人影を認める。
「……なんと、小鬼族め! このようなところに隠れていたとは」
その瞳を爛と輝かせ、勇者の口元が笑みの形に歪む。
同時にエルは、ある事実に気付いて目を細めていた。
「その声、聞き覚えがあります。どうやらいつぞやと同じ巨人のようですね。これは縁あることだ」
「まったく僥倖なり。我が失態と再び巡り合おうとは。雪ぐは、この時をおいてあらず!」
巨人の全身に、気迫が漲る。狩りのためではなく純然たる戦いに向けて、力を蓄えてゆく。
「小鬼族。飼い主の眼を離れたが運の尽きだ」
「わからない人ですね。僕たちは誰かに飼われているわけではないと、何度も言っているではありませんか」
物怖じせずに言い返してきたエルを見て、勇者は笑みを消す。
ゆっくりと間合いを測りながら前進しつつ、枝の上を睨みつけた。
「ずいぶんと口ばかりよく回る。“はぐれ”とでも言うつもりか? ならば何を嗅ぎまわる必要があろう」
「少しあなた方のことを、知りたかっただけですよ」
「解せぬ。そのようなこと飼い主にでも聞けばよい。だが……もはや余計な言葉、吐くこと能わず」
慎重に間合いを詰めていた巨人が、最後の一歩を踏み込んだ。
同時に振るわれた石斧が、枝を粉微塵に破砕する。
先んじて、エルは空中に飛び出していた。入れ替わるように巨人を飛び越そうとする動きを追って、石斧が跳ね上がる。
空中のエルが、大気圧縮推進の魔法により強引に軌道を捻じ曲げた。
再び石斧は空を切り、無意味に大地へ食らいつく。
「我が一撃を、尽くにかわすか! 小鬼族が、なかなかどうしてやるものだ。だが!」
「まったく、巨人というものは! その言葉は飾りですか!?」
巨大な魔獣を軽々と倒す威力をもつ石斧も、小さくすばしっこい相手を狙うのには明らかに向いていない。
しかし、すでに数度攻撃をかわされているにもかかわらず、巨人はまたも石斧を振り上げた。
踏み込みと共に繰り出される攻撃を、再びエルがかわす。
だがエルは、その時違和感を覚えた。何かがおかしい――すぐに、原因に気づく。巨人の三つの瞳が、彼の姿を捉えたままなのだ。
巨人はただ瞳を多く持つだけではない。それにより視界が広く、かつ動体視力にも優れている。
獲物を睨んでいるということは。
「!!」
空を切っていたはずの石斧が、生き物のように軌道を捻じ曲げ、三度エルへと襲い掛かった。
エルはすぐさま大気圧縮推進を用い移動するが、恐るべきことに、その後を追って石斧までも軌道を変えてくる。
勇者の頬を、笑みが押し歪めた。
彼は石斧を振るときに、わざと力を抜いていた。そうして勢いを抑えることで、石斧を複雑自在に動かして見せたのだ。狙うは、獲物が移動した後に生まれる隙である。
いかに勢いがないといっても、それは巨人にとってのこと。エルが石斧に当たれば、無事に済むはずがない。
これだけ重量のある巨大な石斧を自在に振り回せるのは、巨人の膂力あってこその芸当だった。
石斧が、唸りを上げてエルへと迫る。
迫りくる大質量を前にして。彼はいったい何を思ってか、銃杖を正面に構えた。
か細い銃杖で、巨大な石斧を受け止めるつもりなのか。それはただの自暴自棄としか思えない。
それでも彼は、石斧へとむけて銃杖を振り――瞬間、そこに大気の爆発が起こった。荒れ狂う暴風にあおられて、エルの体は木の葉のように吹っ飛んでゆく。
集められた大気は緩衝材の役割を果たし、さらに彼を間合いの外へと逃がす。
「真空衝撃……久しぶりですね、これも」
そのまま空中でくるりと身を翻すと、彼は大気衝撃吸収の魔法をつかってふわりと地面に降り立った。
「なにぃ……っ!?」
その光景を前に、さしもの勇者も我が目を疑った。
ただすばしっこさによって攻撃をかわすのは、まだわかる。しかし圧倒的な巨人の攻撃を正面から受けながらなお、生き残って見せるとは。
それは、勇者のもつ小鬼族への先入観を、粉々に砕く威力をもっていた。
石斧を持ち上げることすら忘れ、巨人は一気に破顔する。
「なんと……はは! あれをかいくぐると! 小鬼よ、我は詫びねばならぬ! 貴様は、小鬼族にありながら勇者と呼ぶに相応しいつわものであった。ならば我も勇者として恥じぬ戦を! 百眼よ、ご照覧あれ!!」
彼は、認めた。認めざるを得なかった。これはただの小鬼族ではないと、侮ることなく技を尽くすに足る敵であると。
故にこそ、三眼位の勇者(フォルティッシモス・デ・ターシャスオキュリス)は、それまでとはがらりと構えを変える。
「……本当に、自分勝手ですね。まったく意思の疎通が成り立たない。いいでしょう、ならば意地でも言葉を聞かせましょう」
対するエルは、ついにある種の諦めの境地に至っていた。
話が通じるのならば、粘り強く交渉するつもりだった。彼の能力をもってすれば、攻撃の回避はそこまで難しくない。
しかし、目の前の巨人は何かを勝手に納得し、さらに戦意を高めている。とても話が通じるような雰囲気ではない。
そのような戦闘狂に話を聞かせる手段は、ひとつだ。
「巨人。戦いの前に一つだけ、お願いがあります」
「戦いの最中に喋るは流儀にあらず……が、小鬼相手か。良かろう、最後の言葉になる。よく考えよ」
石斧を肩に担ぎ上げ、三つ目の勇者が傲然とエルを見下ろす。
巨人同士の戦いであれば、言葉とは戦う前に交わすもので、戦いが始まった後は無用になるものだ。
しかし相手は巨人に曰く小鬼族。強者の余裕か、矜持の問題か。三つ目の巨人は一言くらいは聞く気になったようだった。
それに頷き、エルはごく気軽に口を開いた。
「場所を、変えましょう」
「……なに?」
言葉を許したのは巨人である。あからさまにいぶかしげな様子で返すのは、彼の矜持にかかわる。
それでも、次の言葉は彼をして仰天するようなものだった。
「あなた方の集落へゆき、皆の前で戦いましょう」
エルの言葉の真意を掴めず、巨人は返す言葉に詰まる。さしもの勇者も、戦意を疑問が上回っていた。
「このような無駄でしかない戦いは、一度で済ますべきです。さぁ、案内してください」
耳を疑うような言葉を聞き、勇者は初めて、この小さなものの姿を正面からしっかりと見据えた。
小鬼族は巨人と似た姿を持っている。ただ、簡単に踏みつぶせてしまえそうなほどに小さいだけだ。
そんな大きさはどうあれ、これは“勇者”だ。それは、勇者自身が認めた真実である。
「良かろう。勇者同士の問いは、広く認められなければならぬ」
考えていた時間はわずかなもの。勇者は、重々しく頷いていた。
しばし後。集落にいた巨人たちは、早々に戻ってきた三つ目の勇者の姿をみて訝しんだ。
「三眼位? どうしたのだ、手ぶらで戻るなどと。狩りの最中に眼を閉じていたのか?」
怪訝な様子で問いかけるも、それは勇者の返事によって大きな驚きへと、とってかわられる。
「賢人の問いをかわす。見届けよ」
「なんだと!? まだ遣いも出しておらぬ。いったいどういう……!?」
慌てて勇者の相手の姿を探した巨人たちは、やがて恐ろしいものを発見した。
勇者の後ろ、そこには小さな人影が、まったく怖気づきもせずについてきていたのである。
巨人たちの理解が追い付かない。彼らは唖然とした表情を浮かべたまま、恐る恐る勇者に問いかけた。
「まさか……賢人の問いとは、そこの小鬼族とか!?」
「左様」
「愚かな!? 眼が曇ったか、三眼位!!」
「否。これは勇者と呼ぶに値する。その真は、この後の問いにより明らかとなろう」
巨人たちは、勇者の突然の錯乱を目にして、戸惑いを浮かべたまま視線をかわしあった。
これほどまでに頑なな勇者を、いったいどのように説得できるものか。そんな恐ろしく微妙な空気の中に、救世主が現れる。
それは、派手な飾りに身を包んだ四つ目の老婆、四眼位の魔導師である。
老婆は巨人たちの前に出ると、勇者をひたと睨み据えた。
「勇者よ。話は、聞いた。まこと、その小鬼が問いに値するか」
「我が眼に懸けて」
勇者は膝をつき、一つを残して目を閉じた。
その姿を見、言葉を聞き、老婆が唸る。勇者の言葉は、巨人族にとって最上位の誓いの言葉だ。
彼が、どれほど揺るぎない確信を持っているかすぐに知れた。
「そこまでいうならば、もはや口をさしはさむまい。あとは百眼に問うのみ……」
「いいえ、待ってください。あなたたちだけで、勝手に話を進めないでください」
異論は、まったく予想外のところから飛んできた。
老婆は、皺に埋もれた目を見開いて、言葉の出所を見やる。
巨いなる者たちに囲まれながら、平然と悠然と、欠片も怖気づくことなく佇む小さな存在。
巨人たちの誰もが、この憐れなものが口を開くとは思っていなかった。
いったい勇者がどのような気まぐれをもって賢人の問いを啓くと言い出したのかわからないが、なんにせよ小鬼族はただ潰されるだけの存在であると、信じて疑わなかったのである。
だがそれも、この瞬間までのこと。
「これは、決闘です。ならば僕は、この戦いの勝利に要求します」
巨人たちの表情が、一気に曰く言いがたいものへと変化する。
彼らの勇者を相手に、この小さなものは――勝利するつもりで、喋っているのだ。
「良かろう、言うがよい」
「勇者よ!?」
「あれは、小鬼族にとって勇者に違いない。ならばまさしく、百眼へ奉じる問いとなろう。その勝利には、報いが必要だ」
巨人たちの視線が、勇者とエルの間をせわしなく行き来する。
目の前の事態は、誰にとっても全く想像外の方向に突き進んでいた。
多数の氏族を集め、広く賢人の問いを啓こうというこの時期に、いったいなぜこのようなことになっているのか。
ただ一人、勇者だけが泰然と立ちはだかっている。
「僕が戦いに勝利した時は、あなたは僕の言葉を聞きなさい」
「なんだと?」
さりとて、意外に過ぎる要求を聞いて、彼すら怪訝な表情を隠しきれないでいた。
「まったく事情は存じませんが、何をどれだけ説明しても違うと言って聞きはしない。あなたたちも言葉をもつものならば、ちゃんと話し合いくらいして見せなさい」
「……その程度でよいのか? 勇者同士の問いであるぞ」
困惑する勇者とは対照的に、エルは胸を張って頷いた。
一部始終を見ていた老婆が、皺に埋もれた四つの瞳を細める。
この小さな勇者は、ルーベル氏族が飼いならしていた小鬼族とはまったく違う。幻獣の助けなく巨人と戦おうとするなどと、前代未聞だ。
ならば。老婆たちが思っていた状況と、何かが違うのかもしれない。
そんな疑問を押し隠し、老婆は厳かに告げた。
「……支度は、ととのった。これより百眼に奉じ、賢人の問いを啓く。勇者は、名を!」
正式に、決闘の始まりが告げられる。
瞬間、巨人たちの雰囲気が引き締まった。問いが始まった後は、もはや疑問が挟まれる余地はない。
勇者は大きく息を吸うと、石斧を地面に突き刺し胸を張る。
「我はウィルトス・フォルティッシモス・ターシャスオキュリス・デ・カエルレウス! 百眼よ、ご照覧あれ!!」
そうして、愛用の石斧を抱え上げた。
相手が小さな小鬼族だからとて、なにひとつ容赦するつもりはない。そんなものは無用だ、この小鬼は巨人を相手にまったく怖気づかないのだから。
「僕の名はエルネスティ・エチェバルリア。ただの、騎士団長です」
その証拠に、小さな刃を両手に持ちながら、ひたと勇者に睨み返してくる。
そうして、互いの名乗りを合図として、二人の勇者は同時に駆け出した。




