番外編④ーイザベルー
『……ル、イザベル……大きくなったら……ぼくと、けっこんしてくれる……?』
初めて出会った時、リオネルはいつもおどおどして、周りの目を気にするような少年だった。
公爵家の跡継ぎなのに、勉強や剣術は苦手で、家の中に引きこもっていることのほうが多かった。それを心配したストラッツェ公爵夫妻が、王宮に連れていって王子の話し相手になるように命じた。
リオネルとオーティスの付き合いはそこから始まっていた。
オーティスは誰にでも優しく、気遣いができる性格のおかげで、リオネルともすぐに打ち解けていた。そこへ、公爵令嬢の私が現れた。
人見知りの激しいリオネルはオーティスの背中に隠れ、ろくに目も合わせてくれなかった。それでも会うたびに声を掛け、少しずつ距離が縮まっていくのを感じた。
──けれど、リオネルが事故に遭ってからすべてが変わってしまった。
横転した馬車から放り出されて重傷を負ったと聞かされた時、私はそこまで重く考えていなかった。リオネルが元気になったら、お見舞いぐらいは行ってあげようかなと思った。まさか、生死をさ迷うほどの大怪我だとは思いもしなかった。
幾度となくリオネル宛てに手紙を書いたが、返事はこなかった。寂しさが募っていくと、リオネルから手紙が届いた。見舞いに来ても大丈夫だという知らせだった。
私は久しぶりにリオネルの元を訪れた。
まだ薬品の臭いがする部屋で、リオネルはベッドの上に座っていた。顔中にガーゼが当てられ、腕から指先にかけて包帯が巻かれていた。私は事故の大きさに声を失っていた。
しかし、それ以上に私を見つめてくる目が、いつものリオネルとは違っていた。
『見舞い、ありがとう。……その、お前のこと教えてくれないか?』
力強い声に、自信に満ちた瞳──そこに、私に告白してきたリオネルはいなかった……。
★ ★
「──アキ、調子はどう?」
熱中症で倒れて病院に運ばれ、二日足らずの入院を経て退院した。
会社は有休なるものを取って休んでいる。自宅はこじんまりとした(人の住む部屋とは思えない)部屋で、一日ごろごろしながら過ごしている。
そこへ、母親が食べ物を持ってやって来た。
幼馴染みが連絡したせいで、両親が病室に飛び込んできたのは記憶に新しい。
彼らにもまだ親心が残っているとは思わなかったが、それ以来母親は毎日のように連絡してきた。そして、数日に一度は部屋に訪ねてきた。
アキの記憶を辿るに、両親に対してあまり良い思い出はなかった。だが、ここでは専属のメイドもいなければ使用人もいない。一人で暮らしていくには不便を感じて、使えるものは使うようにした。
「私はもう平気だから」
冷たくあしらえば傷ついた表情を浮かべる。娘の死を間近に感じて、過去の行いを悔いているのか。
けれど、いくら後悔したところで本物の娘はもうこの世にいない。今いるのは、娘の皮をかぶったまったくの別人だから。
それに、アキはそれ以上に傷ついてきたはずだ。彼らは幼い心に耐えがたい孤独と、どうすることもできない虚しさを刻みつけた。
アキの母親は「また連絡するわね」と言って、帰って行った。記憶の中では大きく見えた背中が、妙に小さく感じた。
私はベッドの上に寝転がり、天井を見上げた。
実の母親に見捨てられ、家族に疎まれ、好きな人には愛されず、周囲からも嫌われてきた自分が、最後にたどり着いた場所がここだ。
自身の末路にしては悲惨さや絶望感はなく、むしろすべてから解放されて清々しい気持ちになっていた。
あれほど執着していたオーティスのことも、今では驚くほどすっきりしている。
「不思議なものね」
諦めがつくと、こんなにも簡単に手放せるのだから。
多くのものを失ったはずなのに、二度と戻りたいとも思わない。こちらの世界で本当の自分を知っている人は誰もいないのに、寂しさや虚しさも感じなかった。
「そういえば、一人だけいたわね……」
あの日、私の知るリオネルがいなくなったと気づいた時──私は、過去のリオネルを記憶から消した。忘れようとしたのだ。母親が出て行った時と同じように。
変わってしまったリオネルは、以前とは真逆だった。あれほどオーティスの後ろに隠れていたのに、堂々と肩を並べて歩くようになり、強引で、乱暴で、苦手なタイプだった。妙に世話焼きなところも。それでいて、肝心なことは何も言ってこないところも。
ただ、私たちの付き合いが途切れることはなかった。
──オーティスがいたから。
私の傍に残っているのは、もう彼しかいないと思ったのだ。禁呪に手を出してでも、オーティスの心が欲しかった。永遠に変わらない心が。
それも無駄だと気づいたときは、すべてを失った後だった。
愛されないなら、死んでも構わないと思ったことが、その通りになってしまった。そして命が尽きる瞬間、どうせ死ぬなら私の知るリオネルの元へ送ってほしいと願った──。
「……アキ?」
横になっている内に、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。肩を揺すられて瞼を開いた。
すると、目の前に心配そうな表情で覗き込んでくるナツキの顔があった。
「ごめん、勝手に入って。チャイム鳴らしたんだけど、出なかったから……。またアキが倒れているんじゃないかと心配になって」
「……心配症ね、寝てただけよ」
素っ気なく返したつもりなのに、ナツキは頬を掻きながら「そっか」と顔を綻ばせた。
私は起き上がって、床にちょこんと正座するナツキと向かい合った。
……そういうところは、まったく変わっていない。
ナツキは交通事故に遭ってから、事故前の記憶がほとんど残っていないと教えてくれた。と言っても、失ったのは子供の頃の記憶だ。それに引っ越したばかりで、生活には支障がなかった。
アキと遊んだ記憶も、アキを好きだった気持ちも、アキにひどいことをしてしまった記憶も、事故に遭った理由も、すべて忘れてしまっても困らなかったはずだ。
「でも、ずっと誰かに謝りたいっていう気持ちはあったんだ。……それで、事故に遭った場所から昔暮らしていた場所を巡って、その内に少しずつ思い出して」
ナツキはアキの実家にたどり着くと、私の居場所を聞き出したようだ。おかげで私はアキの体で一人虚しく死なずに済んだわけだ。
「もういいわよ、許してあげる」
ナツキの話を聞いた私は、彼を許した。
──正確には、ナツキと入れ替わったリオネルを。やらかしたのはナツキであって、リオネルではない。
しかし、目の前の彼はリオネルだった頃の記憶を無くし、ナツキの記憶はすべて自分のものだと思い込んでいるお人好しだ。
背負う必要なんてないのに、子供の出来事なんて忘れてしまえばいいのに。
リオネルといい、ナツキといい、そこは似ているのかもしれない。
しばらく、私の世話をしたいと言ってきた時も。緊張した面持ちで頼んできた彼の顔は、初めて出会った時のリオネルそのものだった。大きくなったら結婚してほしいと、今にも泣きだしそうな顔で告白してきた本物のリオネルだった。
「馬鹿ね、……本当に、馬鹿だわ」
「それでもアキの傍にいたいんだ。今離れたらもっと後悔すると思うから」
何もかも失って、残ったのは私を覚えていない幼馴染み。寂しさが込みあがる一方で、それでも一緒にいたいと言われて胸が熱くなる。
広い屋敷の中でぽつんと取り残された時、誰かに大丈夫だよと言ってほしかった。
構ってほしかった。見てほしかった。傍にいてほしかった。存在を認めてほしかった。私はここにいると、泣き叫びたかった。……たった一人だけでも、私を愛して欲しかった。
けれど、それは自分自身や、他人を傷つけてまで手に入れるようなものではなかった。
本当に馬鹿なのは、私の方だ。
「……ねぇ、ナツキ。週末、実家に帰ってみようと思うんだけど、一緒についてきてくれない?」
「僕で良ければどこまでもついていくよ、アキ」
一方的な感情だけでは、相手に何も伝わらない。
言葉にしなければ伝わらない気持ちもあって、時にはぶつかることも必要なのだと気づいた。アキも私も苦手とするところだけど、どんなことがあっても味方でいてくれる人が一人でもいると、無敵になった気分だ。
「こっちは大丈夫だから、安心してアキ──私も貴女を大切にするわ」
嫌われ者の令嬢は、もうどこにもいない。
番外編を読んでくださりありがとうございます!
皆さまの応援のおかげでコミックスの巻数を伸ばしていただけることになり、本日更新のep12(4)までの内容が③巻に収録されます。
藍原先生の容赦ない描写をお見逃しなく!
また大人verのナツキ君も楽しみにしていてください!
原作小説も引き続き更新していきますので、お気に入りはそのままで!!
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