嫌われ者令嬢を愛した者たち④
誰もが驚愕の色を浮かべて振り返った。
メイドの告白が正しかったとしても、到底信じられるものではなかったからだ。
「まさか、実の妹に毒を盛ったの……?」
私は震える唇で思わず漏らしていた。
彼らは仲の良い兄妹だった。オーティスに執着していたイザベルが、フィオーナに嫌がらせをしていたときも、兄フェランドが真っ先に駆けつけて妹のフィオーナを守っていた。
今回の裁判に関しても、彼が一番に開廷を望んだと聞いている。しかし、それは目の前で毒を盛られたフィオーナを目撃しているからだと思っていた。肉親を苦しめるイザベルを、殺したいほど憎んでいた彼のことだから。
けれど、彼の目的は妹を守ることではなく、最初からイザベル本人だとしたら。
いつ目覚めてもおかしくないフィオーナがすべてを証言する前に、イザベルの死刑を求めていたのだとしたら。
そして、本当にイザベルの処罰が決まれば、フィオーナは家門と王太子の婚約者という立場を守るために口を閉ざすだろう。
そうなれば真実は闇に葬られ、次期王太子妃を毒殺しようとした希代の悪女は処刑される──。
何もかも作られた物語の上で踊らされている気分だった。
ヒロインをフィオーナが、悪女をイザベルが。舞台の上に立って、それぞれの役柄を演じさせられているようで吐き気がした。
そこへ変化が生じたとすれば、イザベルにまったく別の人格が憑依してしまったということだ。また、リオネルにも前世の記憶がある。
「──お待ちください。兄である私が、王太子殿下の婚約者でもある妹に毒を盛るなど……。家門を破滅させるような行いをすると思いでしょうか?」
フェランドは落ち着いた様子で立ち上がると、同情を買うような表情で皆に訴えた。
付け加えれば、彼は王太子付きの護衛騎士で、伯爵家の跡取りでもある。そこへ、いずれ王妃となる妹を持つ兄になることを考えれば、彼には輝かしい未来が待っていた。
そのため、そのような愚かなことをするはずがないと言えば、メイドの証言は一気に信用を失った。
「そもそも、公女様はこれまでにも妹に酷い仕打ちをしてきました。たとえ殿下への気持ちがなくなったとしても、フィオーナへの恨みや嫉妬が完全に消えたとは思えません」
これまでの行いこそ、イザベルを犯人だと決めつける決定的な証拠だと答弁するフェランドに、彼の周囲は同意するように頷いた。
やはり皆に嫌われてこそイザベルなのだと、悔しさが込み上がる。
再び厳しい目が向けられると、今度は別の者が国王に対して発言を求めて立ち上がった。
「我が娘の言動により、これまで不快な思いをさせてしまったことについては謝罪する。ただ、一部誤解があるようなので、この場を借りて弁明したい」
そう言って声を上げたのはグラント公爵だった。
傍聴席から「何を今更」「良いわけが……」という囁きが聞こえてきたが、彼に直接反論する者はいなかった。それは国王も同じで、公爵の発言を渋々許可した。
「では、証人をここへ」
公爵が兵士に手を挙げると、扉が開いて別の証人が入ってきた。今回の証人も女性で、修道服に身を包んだシスターだった。
イザベルの記憶を辿って彼女との接点を調べていると、公爵が紹介してくれた。
「随分昔のことですが──この者は、愚かにも王宮の金に手をつけ、オーティス殿下のお命まで奪おうとした女です」
証言台に立って神に祈りを捧げるように両手を組んだ女性に対し、公爵はそう説明した。
すると、突然知らされた事実に一瞬静まり返った後、一気に騒がしくなった。
私は反射的にリオネルを見ると、彼はこの事態を把握しているようだった。だが、当事者であるオーティスは前のめりになって、驚きを隠せないでいた。
それもそのはずだ。彼女は横領事件で捕まった時から、死刑の判決が出ていたのだから。生きているはずがなかった。
「これは限られた者しか知らない事実です。そして事件当時、娘のイザベルもその場に居合わせました。イザベルは殿下を助けるため、襲ってきたこの者と殿下の間に飛び込んで負傷しました。──それで間違いないな?」
「……はい、公爵様の言葉に相違ありません。私は昔、大罪を犯しました。ですが、公女様を傷つけるつもりは、ありませんでした」
公爵が事件の説明をして、女性が証言している間、オーティスは無様なほど動揺していた。
横領事件は彼女本人が引き起こしたものだが、襲撃事件に関してはオーティス自身が依頼して行われたことだからだ。それが明るみになれば、今の立場が悪くなるのは明白だ。
しかし、オーティスの横で厳しい表情を浮かべたものの、落ち着いている国王を見ると、彼もまたこうなることを知っているようだった。
もしかしたら、すでに国王と公爵の間で知らない取引が行われていたのかもしれない。
「これらを知っている者は、この場にもいるはずです」
あくまで犯罪に手を染めた女性がオーティスの命を狙い、そこにいたイザベルが怪我をしたという内容だけが語られた。
公爵の話を信じられない者たちが真偽について囁き合っていると、公爵の近くに座っていたストラッツェ公爵が「私が証人になろう」と手を挙げた。
と、それを皮切りに数名の上級貴族が、真実であることを証言した。最後に、公爵は国王に向かって軽く頷いた。
「うむ、グラント公爵の話は真実だ。公女は身を挺して我が息子を守ってくれた……。だが、王子が狙われたとあれば混乱を招くと思い、今日まで隠しておった」
国王が認めると、騒がしさは波が引いていくように消えていった。だが、オーティスは「しかし父上、あの女は死刑になったのでは!」と声を上げていた。
自分の命が狙われたのだから、落ち着いてもいられないだろう、と──本当の真実を知らない者の目にはそう映ったはずだ。しかし、それこそがオーティスの企てたものだと知る者には、彼の姿が滑稽に見えた。
そんな息子を制すると、国王は続けた。
「子を持つ父として、保身に走った己が恥ずかしい。改めて、息子を守ってくれた公女には感謝する。今も昔も、公女は王室の危機を救ってくれた英雄だ──」
息子の失態を隠すためとは言え、国王自らそこまで言葉にするとは思っていなかった。
私は熱くなる胸元を押さえ、椅子から立って「身に余るお言葉です、陛下」と、腰を深く落とした。
これによってイザベルがオーティスに執着していたのは、過去のトラウマによるものだとか、公女は自分の評価を落としてでもオーティスを守り続けてきたのだ、などと語り始める者が現れることになる。
私はただ、イザベルの名誉を取り戻せただけで嬉しかった。
「……公女様、私のせいで怖い思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。貴女のお父様が、愚かな私の命を救い、神に仕えることを許してくださいました。これからも、私は貴女の幸せを願うと共に、罪を償って生きていきます」
よく見れば、彼女の顔や手に古い傷跡が刻まれていた。罪は罪だが、頭を下げて謝罪してくる彼女を見ていると、受けた痛みが少しでも和らいでくれることを願ってしまった。
「……なぜ、こんなことが……っ!」
イザベルが公女としての立場を取り戻すと、マウロ伯爵家は追い詰められた。
最初からこの事実を知っていれば、下手な小細工はしなかっただろう。
「私を騙したのか、公女! 貴女は何度私を弄べば気が済むんだっ!」
その時、フェランドが狂気じみた顔で叫んできた。先ほどまで堂々としていた彼は、計画を台無しにされて怒り狂っていた。
嫌な予感がしたのは、他の者たちも同じだった。国王が「あの者を捕らえよ!」と命じると、兵士がフェランドの拘束に動く。
しかし、次の瞬間フェランドは兵士の帯剣していた剣を奪うと、傍聴席を乗り越えて私に向かってきた。悲鳴や怒号が響き渡り、目の前の光景がスローモーションで流れていった。
その中でも冷静でいられたのはなぜだろう。
『今度こそ、絶対に守るから──』
守ると約束してくれた言葉がふと浮かんできた。
だから、大丈夫だと思ってしまった。
「アキっ!」
そう呼んでくれるのは、この世界でただ一人。
フェランドの振り上げた剣が私に向かって下ろされた瞬間、強い力で体を引き寄せられ、すぐ近くで剣同士がぶつかり合って火花が散った。
「なんで逃げないんだよ、お前は!」
同じく兵士の剣を奪ってきたリオネルは、自分の背中で私を庇うと、フェランドの剣を受け止めた。
「だって貴方が言ったんじゃない、絶対に守るって!」
「……っ、そう言ったけど! ああ、いいや! 後で話す!」
確かに今はそれどころではない。私は駆けつけてきたグラント公爵やダミアンに囲まれ、身の安全は確保された。
けれど、フェランドと剣を交えるリオネルは苦戦していた。相手は怒りで我を忘れ、本気で殺しにきているのだ。一瞬でも気を緩めれば危険だ。
「く……っ、さすが王太子付きの騎士だけある!」
リオネルは周囲に危険が及ばないように戦っているせいか、動きがぎこちなかった。
毎朝、剣術の訓練をする彼の姿を見守ってきたから分かる。伸び伸びと剣を振るうリオネルの姿を見るのが好きだったから。
周りの兵士たちも剣を構えるが、下手に手を出すことができず焦りを滲ませていた。私もまた、力任せに剣を叩き込まれているリオネルを見て、何かできることはないか辺りを探った。
刹那、スカートのポケットに小さな膨らみがあることに気づいた。これだ、と思った後は早かった。ポケットから取り出したぬいぐるみを鷲掴み、フェランドの顔めがけて投げつけていた。
「おまっ、人が贈ったぬいぐるみをっ!」
「それより早く!」
フェランドは顔にぶつかってきた小さな物体に視界を奪われ、一瞬動きを止めた。
直後、私が指を差して叫ぶと、リオネルはフェランドの剣を弾いて奪うと、彼の目の前に剣先を突き付けた。
武器を奪われ、成す術を無くしたフェランドはその場に崩れ落ちた。戦意を失ったフェランドに、兵士たちが飛び掛かって取り押さえる。
緊迫していた現場が安堵に包まれると、体から力が抜けていった。リオネルは近くにいた兵士に剣を渡すと、踵を返してこちらへ向かってきた。
先ほどのこともあって、叱られるかもしれないと冷や汗が流れる。
けれど、傍までやってきたリオネルは深い溜め息を吐きながら、私の肩に額を載せてきた。
「はぁ……やっぱり、お前が好きだ。好きすぎて、どうにかなりそうだ……」
「──リオ……っ!」
予想に反して、いきなり告白してきたリオネルに、私の方がどうにかなってしまいそうだった。
周囲の反応もあって、恥ずかしさで顔が爆発するかと思った。私は逃げ出したくなるのを堪え、代わりに腕を伸ばしてリオネルの胸元に顔をうずめた。
「……そういうのは、二人だけのときにしてよっ」
人が多すぎるところは好きではない。人の目に晒されるのも苦手だ。イザベルのおかげで慣れてはきたが、それでも中身は私なのだ。
照れながら返すと、リオネルは顔を離して驚いた表情を浮かべていた。
「いいのか……? 本当に、その……」
「今訊くことじゃないわ」
「でも後になってお前の気が変わったら」
自信なさげに言ってくるリオネルに、私は呆れた。自分はあれだけ積極的だったくせに、いざ私のほうから反応すると、弱気になるのはなぜだろう。そんなに信用がないのだろうか。
「そんなことは起こらないと思うけど」
後はリオネル次第ね、と曖昧に返してやれば、リオネルは悪態をつきながらイザベルの細い体を力いっぱい抱き締めてきた。
「くそっ、こんな場所じゃなかったら今すぐプロポーズして、さっさと結婚式を挙げるのに!」
その前に婚約が先だが。今のリオネルに何を言っても無駄そうだ。
嬉しさに打ち震えたリオネルの振動が、私にも伝わってくる。抱き締められた温もりに、頭の芯まで痺れるような感覚がした。
これまで感じたことのない「愛」で、全身が満たされる。
私の求めていたものが、ここにあった。
──その時、強い衝撃がリオネルを通じて襲ってきた。
「あ……」
何が起きたのか、すぐには分からなかった。
ただ、私の背中に回っていた腕が下りて、リオネルが一歩後ろに離れると、血に染まった剣が彼の腹部を貫いていた。
「アキ……俺、きちんとお前に……」
「……え、リオ、ネル……? 嘘、なんで……」
最後まで言い終わらない内に、リオネルの体が傾く。私は咄嗟に両腕を伸ばすが、受け止めきれず一緒に倒れ込んだ。
視界が開いた先では、剣を手放したオーティスが立っていた。彼は虚ろな目で、自分自身が何をしたのか理解できてないように見えた。けれど、イザベルの姿を見た途端、薄笑いを浮かべた。
「イザベル、これで邪魔者はいなくなったな。──君が愛するのは私だけだ。そして、嫌われ者の君を愛してやれるのは、私だけなんだ」
リオネルの腹部に深く突き刺さった剣を通して、真っ赤な血が床に広がっていく。それはイザベルの白い手を濡らし、私は自身の両手を見下ろしてわなわなと震えた。
やっと本気で愛してくれる人と、一緒になれると思った。
苦い過去より、幸せになる未来を選んだ。
……あと少しだった。
けれど、手に入れたと思った瞬間、それが砂のように指の間から零れ落ちていく。
私と、イザベルには、最初から縁がなかったモノのように。
「いや……、やだ、リオネル……っ、リオネル、いやあぁあぁっ! ダメ、こんなの……私を、ここで一人にしないでっ、リオネル……っ、────……、ツキ君っ!」





