嫌われ者令嬢と語られる真実⑥
予定のない午後は、読書をしたり、リオネルの訓練を見学したり、周辺を散策したり、まったりとした時間を過ごした。
イザベルを意識することなく、私でいる時間が長くなっていくと、彼女の存在が薄れていくようだった。
翌日──私は馬に乗せられ、リオネルと共にユヒ湖へやって来た。
初めて目にしたときも感嘆の声を漏らしたが、改めて一望すると青く透き通った湖に心が洗われる。感動して動けなくなっていると、リオネルが「大丈夫か?」と声を掛けてきた。
「ユヒ湖にはいくつかの言い伝えがあって、一番語られているのは、その昔──好き合っていた男女が身分違いを理由に引き裂かれそうになって、この湖に身を投げたらしい。ユヒ湖は元々瘴気に汚染された湖沼で、村人たちも近寄らない危険な場所だったようだ。ただ、その話を知った水の女神が二人のために涙を流し、瘴気は浄化されてこの美しい湖になったっていう話だ」
「美しい景色に悲恋物語は決まりなのかしら」
「幸せな物語じゃ誰の記憶にも残らないからじゃないか? 実際のところ、その言い伝えのおかげで若いカップルや新婚夫婦の観光が急増したのは確かだ」
いつ、誰の口から始まったか分からない話は、そのまま後世まで語り継がれている。今となっては真実かどうか知る術もない。
「自然の力でこの景観を作り出した湖に失礼だわ」
それが作り話なら尚更、いいように使われてしまっているということだ。とはいえ、私たちもまた他の観光客から見れば同じだと思われているのだろう。
「せっかくだからボートにでも乗るか」
リオネルに手を引かれるまま、私はボート乗り場に案内された。見渡せば数組の若いカップルがボートに乗って楽しんでいる。その一方で、湖の周辺を巡回する兵士の姿も目についた。
すると、先にボートへ乗り込んだリオネルが手を差し伸べてきた。私は周囲の視線を気にして一瞬躊躇したものの、彼の手を取った。
私たちとは違い、恋人同士で訪れている彼らは目の前の相手に夢中で、他のことなど眼中にないように見えたからだ。
「今も泳げるよな?」
「……乗る前から転覆前提で訊いてこないで。ボートが楽しめなくなるわ」
「悪い、今のは意地悪だったな」
念のために確認してきたのだろう。けれど、リオネルは珍しく自分の非を認めて謝ってきた。
どんどんイザベルの記憶にあるリオネルから遠ざかっていく気がする。過去、どれだけ遡ってもリオネルと泳いだ記憶はないのに、なぜあんな訊き方をしてきたのか、私には分からなかった。
揺れるボートに恐ろしさを感じたが、リオネルと向かい合うように腰を下ろすとボートが安定した。リオネルはオールを漕いでボートを進めた。
水面を割って滑るように走り出したボートに、私は船縁から顔を出してその光景を眺めた。乗り心地は良いとは言えないが、慣れてくれば恐怖心も薄れ、周りを見る余裕も生まれてきた。
「危ないから、あまり身を乗り出すなよ?」
「また子供扱いして」
以前だったらその言葉を素直に受け取ることはなかっただろう。けれど、今ならリオネルが本気で心配して言ってきてくれているのが分かる。
ボートに誘ったのは失敗だったか、と思わせてしまうほど、彼のイザベルに対する気持ちは本物だった。
私は水面に映る自分の顔を見下ろした。
そこには自分とは何一つ似つかない美しい少女がいた。性格の問題さえなければ、誰からも愛され、社交界でも人気者だっただろう。
刹那、ボートの進みが鈍くなって顎を持ち上げた。
「お前、また余計な……いや、それよりせっかく来たんだから、少しだけでも楽しんでくれよ」
どこか懇願するように言ってきたリオネルに、既視感を覚えずにはいられなかった。
遠い昔、イザベルではなく私の奥底に閉じ込めた思い出の一部。
お節介な幼馴染の幼い顔が浮かんできて、私は眉根を寄せた。
「リオネル……貴方、ここへ来てから少し変よ?」
「なんだよ、急に」
自覚があるのか、最初は笑って誤魔化していたリオネルも最後は顔を背けた。
「ううん、貴方の誕生日パーティーから変わったわ」
正確には、イザベルになった私がオーティスへの執着を止めると伝えたときから、リオネルもまた大きな変化があったに違いない。
「そういうお前だって……」
「私は──」
複雑に絡み合っていた関係がイザベルの死と、私の憑依によって断ち切られたものの、より混乱を招く事態となってしまった。
それを説明しようにも、信じてもらえるかどうか。仮に信じてもらえたところで、イザベルの死と私の存在を素直に受け止めてくれるとは思えない。
考えれば考えるほど言葉が見つからず、私は閉口した。
沈黙が流れるとボートが完全に停止して、二人の間には言いようのない静寂が訪れた。周囲にあったボートもなくなり、自分たちだけが取り残されたような感じがする。逃げ場のない場所に、不安が押し寄せてきた。
その時、リオネルは辺りを見渡しながら口を開いた。
「……あの言い伝えのおかげで観光客が増えたのは良かったが、逆に物語と同じ行動をするカップルがいて大きな問題になっているんだ」
「同じって……まさか」
言いかけて私は恐ろしくなって口を噤んだ。
物語の通りなら、仲を引き裂かれそうになった恋人たちが、この湖に身を投げているということになる。賑やかな市場やしっかり整備された観光地に、とてもそんな問題を抱えているなんて見えなかったが、湖を巡回する兵士が多かったことを思い出してゾッとした。
「どうしてそうなったのか、この湖で一緒に死ねば、お互い生まれ変わって幸せになれると信じられている。おかげで、駆け落ちしたカップルの自殺の名所にもなっていて街は迷惑しているところだ」
「生まれ変わって……」
アキのままだったら、ただの迷信だと呆れていただろう。
一緒に身を投げたところで、生まれ変わるかも分からない。それに前世の記憶がなければ、どうやって相手を見つけ出せるというのか。
ただ、愛する人と引き裂かれそうになって追い詰められたカップルが、最後にたどり着いた答えがそれだったのだ。言い伝えにすがりついて死を選ぶ道しかなかったのだとしたら、やはり悲しい物語だ。
そして、すべてを否定することはできなかった。
現実離れした話に普通なら聞き流すところも、他人事ではなかったからだ。
「イザベル──お前は信じるか?」
「…………」
それまでイザベルを気遣う余裕さえあったリオネルは、弱々しい声で訊ねてきた。
灰色の薄い瞳が、水面に反射した光を映してゆらゆらと揺れていた。
「もし俺が、前世の記憶を持ったまま今の場所で生きて暮らしているとしたら、お前は──」
信じるか、信じないかと訊かれたら答えは前者だ。
リオネルの前にいるイザベルもまた、イザベルの仮面を被った別人なのだから。
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