嫌われ者令嬢と語られる真実④
「なぁ……もう機嫌直せよ」
そう言ってくるやつの大半は自分が悪いと思っていない。むしろ、ギスギスした雰囲気にうんざりしている。人の楽しみを奪っておいて、あんまりではないか。
宿を後にした私は、リオネルが乗ってきた芦毛の軍馬に乗せられ、森の中を駆け抜けてきた。
初めて乗る馬は漫画のように「うわー、素敵!」なんて思う間もなかった。ジェットコースターに乗った感じだろうか。遊園地なんて行ったこともないから分からないけれど。
休憩に立ち寄った泉で、馬から降ろされた私はへたり込んでしまった。
生まれたての子鹿のように両足に力が入らない。
リオネルの後ろで振り落とされまいと、必死にしがみついてきた両腕も痛い。明日には確実に全身筋肉痛だ。
「イザベル、休んだら行くぞ」
「……リオネルなんか嫌い。馬に蹴られるといいわ」
ただ、地面に座り込んでも問題はなかった。汚れても良いようなズボンとブーツを履かされたのだから。
普段のドレス姿だったらとても地べたになど腰を下ろせなかった。どうやら事前にしっかり計画されていたようだ。
ついイザベルの調子で文句を言うと、リオネルは複雑そうな表情を浮かべた。同時に、それでこそイザベルだという顔もされて、私は顔を背けた。
結局、またリオネルの手を借りて立ち上がり、馬に乗って森の中を抜けた。
そして辿り着いたのは、青い湖のある街だった。
「ユヒ湖で有名なルーアナ街だ」
「わぁ、綺麗……っ」
リオネルの背中から顔を覗かせた私は、目の前に広がる光景に感嘆の声を上げた。
空をそのまま写し取ったような湖の水面は、太陽の光を浴びてキラキラと輝き、ルーアナ街は美しい湖の景観を損なわないように、白い建物が並んでいた。
壁には花や小動物などが描かれ、一枚の風景画を見せられているような気分だ。
街に入っていくと早速小物や装飾品を取り扱った露店が観光客を誘惑し、大通りはお洒落なレストランやカフェ、ブティックの店が建ち並んでいた。
「せっかくだ、少し街を見て回るか」
馬繋に馬の手綱をくくりつけ、近くにいた少年たちに給金を支払って馬の世話を頼むと、リオネルは私の手を取った。
自然と繋がれた手に顔が熱くなる。
「昼食がまだだったな」
「……朝食もよ」
ぼそりと呟くとリオネルは吹き出すのを堪え、屋台が並んだ市場へ案内してくれた。
市場では新鮮な野菜や果物が陳列し、屋台では獲れたての魚を焼いた香ばしい匂いが漂っている。
何度もこの街に訪れているというリオネルは、お勧めの屋台で鹿肉の串焼きと野菜のパイ包みを買ってくれた。お詫びのつもりだろう。
二人はユヒ湖が見えるベンチに腰を下ろし、私は人目も気にせず串焼きとパイ包みを頬張った。
女将さんの手料理も美味しかったが、こっちはこっちで負けていない。何より外で食べているという開放感が、最高のスパイスになっていた。
「腹が満たされて機嫌も直ったようだな」
「また子供扱いして」
「口にソース付けたまま、それを言われてもなぁ」
屋敷では絶えず人の目があって、美味しい料理も満足いくまで堪能することができなかった。それだけに、周りを気にせず食べられる食事に羽目を外してしまったようだ。
慌てて口についたソースを拭こうとしたが、それより早くリオネルの手が伸びて親指で拭き取られた。
汚れた親指はそのままリオネルが舐めて「俺もこっちの味にすれば良かったな」と言ってくる。
私は羞恥と怒りでわなわなと震えたが、こんなことで声を荒げればまた子供扱いされそうで無理やり呑み込んだ。
幸いにも、美しい景色と美味しい空気のおかげで心はすぐに落ち着いた。
「リオネル、そろそろ教えてくれない? なんであの宿にいたの?」
並んで座るリオネルは、私の二倍はあった食事をぺろりと平らげて、満足そうに腹を撫でた。
それを横目に確認した私は、気になっていたことを訊ねた。
首都を離れるのは前々から決まっていたが、本格的に準備を始めたのは数日前のことだ。リオネルたちが計画を立てるにしても、随分日が短いように思う。
すると、リオネルはこちらに顔を向けることなく、組んだ両手を膝に置いて前かがみになりながら話した。
「実は……グラント公爵から相談を受けていたんだ。近頃、そっちの公爵家を嗅ぎ回っている輩がいると。それが俺の誕生日パーティーがあった直後だと考えれば、犯人の狙いは明白だ」
「──私、なのね」
イザベルの反応を確認するように、リオネルは視線だけを向けてくる。
狙われていると聞かされて内心穏やかではないが、私は落ち着いていた。
イザベル本人なら違っていただろうが、首都から離れた今、他人事に思えてならない。けれど、イザベルを取り巻く環境はそうもいかなかった。
「確証を得るために、イザベルには公爵家の紋章が入った馬車で堂々と移動してもらった。そしたら案の定、お前の乗った馬車を追ってくる者がいた。すぐに襲ってくる気配はなかったが、こちらも見て見ぬ振りはできないからな」
対策は取らせてもらった、と話すリオネルに、私は何も知らず浮かれていた自分を恥じた。
その一方、皆がイザベルのために行動してくれたことに驚きを隠せなかった。リオネルに関しては、危険も顧みず単身で動いてくれていた。
「教えてくれたら良かったのに」
「お前が気兼ねなく休めるようにしてほしい、と公爵からも頼まれていたしな」
「……公爵様が」
今まで誰かに想われることも、心配されることも、気遣われることもない生活を送ってきた。憑依したイザベルだって、同じ環境下にいたはずだ。
しかし、イザベルは彼女が考えているよりずっと皆から嫌われてはいなかった。
いや、むしろ──皆から愛されていたのだ。
イザベルが知ろうとしなかっただけで、目を閉ざさなければ、耳を塞がなければ、酷い仕打ちを受けることも、死ぬこともなかっただろう。
そして何より、それら全てを別の人間である私に奪われることもなかったはずだ。
自分だけはイザベルを大切にしようと思っていたことが滑稽に思えてくる。今ではイザベルを一番不幸にしているのは自分ではないか。そう考えたら乾いた笑いしか出てこない。
その時、湖から湿った冷たい風が吹いてきて肩が震えた。
すると、目の前にリオネルの手が差し出された。拒む機会は幾度となくあったのに、好意を寄せてくる手を振り払うことができなかった。
「日が落ちてきたな。うちの別荘に案内する」
彼だけは──リオネルだけは、イザベルになった私でも受け入れてくれそうな、そんな気がしたから。
……ううん、違う。
そうであってほしい、と自分が強く望んでしまっていたのだ。
再び馬に乗って街中を抜け、丘を登ると白い館にたどり着いた。
一等地に建てられたストラッツェ公爵家の別荘を見上げた時、私は目を瞠った。
壁に描かれていたのは見覚えのある葉ばかりだった。紅葉に銀杏木の葉……イザベルの記憶ではこの世界に「秋」という季節はなく、それらの植物や木は存在していなかった。
それなら目の前にある壁画はどういうことなのか。
ただ、浮かんできた疑問をどう訊ねて良いか分からずにいると、馬から降ろされて館の中に案内された。
「使用人は最小限にしたし、ここなら静かに過ごせるはずだ」
玄関ホールに足を踏み入れると、五人の使用人が出迎えてくれた。
それぞれ違う仕事服を見るに、本当に最小限の使用人たちしかいないのだろう。
館の中は落ち着いた朱色を基調に、和洋風な大正ロマンみたいな雰囲気がある。
ますます疑心は募っていくが、館に着いてからも隣から離れようとしないリオネルを見て、私は最も気になったことを訊ねた。
「ねぇ……貴方もここに、泊まるのよね……?」
「当たり前だろ。お前の護衛は俺だからな」
リオネルにとっては今更な質問だったようだ。
しかし、ストラッツェ公爵家の別荘で過ごすことも、その間の護衛をリオネルが引き受けてくれたことも知ったのは今なのだ。イザベルだったら完全に怒り狂って別荘から出て行っていただろう。
それとも事前に話せば断られると思ったのか、リオネルの中ではまだイザベルの印象が強いのかもしれない。
リオネルの気持ちを知ってしまった以上、以前のような振る舞いはできなくなっているのに。
だからこそ、余計意識してしまうのだ。
「その、私たちまだ婚約してないし、私は街の宿を借りたほうがいいんじゃないかしら……?」
「それは、早く求婚してこいっていう意味か……?」
「な……っ」
私の言葉に一瞬面食らったリオネルは、けれど、すぐに違う解釈をしてその場に片膝をついた。
手を掴んだまま跪くリオネルに、私は声にならない声を上げる。
周りにいた使用人からは「おおっ!」と拍手が起こり、異様な盛り上がりを見せた。
「ち、違うわ! そうじゃなくて、変な噂が立ったら貴方だって困るでしょ!?」
「何が困るっていうんだ?」
慌てて否定するも、言いながら自分の言葉の過ちに気づく。
──そうだ、困るはずがない。
リオネルはずっとイザベルを慕い続けてきたのだから。むしろ噂が出回ってくれる方が、彼にとっては都合が良いのだ。
それなのに自ら焚きつけるような真似をしてしまい、顔から火が出るほど恥ずかしくなった。全力でその場から逃げ出そうとしたが、繋がれた手が離れることはなかった。
その代わり、リオネルは口元を緩めてゆっくり立ち上がった。
「──冗談だ。護衛をするのに俺たちの部屋は近くにしたが、取って食べたりしないさ。お前が嫌がることは絶対にしない。それに、話したいこともあるしな」
先程より真剣な眼差しで見下ろしてきたリオネルに、私は頷くことしかできなかった。
その後はメイド長に引き継がれ、別荘で過ごす部屋へと案内される。
湖を見渡せるテラスの付いた豪華な部屋に胸を踊らせるも、リオネルの冷たくなった指先と切なげに揺れる灰色の瞳が気になって仕方なかった。





