8話
——狭い所は気分を落ち着かせてくれる。
母さんがおかしくなった時は、よく押し入れの中に隠れていた。
怒鳴り声や物に当たり散らす音を聞きながら、自分がどこか違う世界に行く妄想をしたものだ。
そして時間が経ち、母さんの俺を呼ぶ声がしたら押し入れから出て、泣いて俺に謝る母さんを抱きしめてこう言うのだ。
『大丈夫だよ、僕はどこにも行かないよ』
と。
そんな生活を"あの日まで"ずっと続けたせいだろうか?
俺は成長した今でも、日常生活で狭い場所を求めるようになってしまっていた。
そう、それが"ロッカーごっこ"の誕生へと繋がったのである。
ロッカーに入っている間は誰も俺を見ない、誰も俺を触らない、誰も俺を傷付けないから。
——だから俺は、今日もロッカーへと向かうのだ。
◇◇◇◇◇
「え、俺の趣味?」
「はい、緋色さんの趣味を教えてください」
朝食も食べ終わり、俺と青山さんは学校に行くため二人で家を出た。
結構早めに出発したのでまだ人通りは少なく、俺達の歩く足音だけが静かに響く。
そんな道中でのこの質問である。
だが唐突にそんな事聞かれても『はいコレです』といった回答をすぐ出来るほど、俺に趣味らしい趣味はない。
まぁ強いて言えばロッカーごっことゲームくらいか。
……でもロッカーごっこは言ったら困惑されそうだし、無難にゲームだけにしとくか。
ホント俺ってば気配り上手(意味不明)
「んー、まぁやっぱりゲームとかかなぁ……」
「なるほど、ゲームですか。趣味はゲーム、と」
「それは?」
何やらメモ帳のようなものに俺の回答を書いている青山さん。
「ふぇ? あー、えっとですね……私思ったんです、こうやって一緒にいるわりに緋色君の事何にも知らないなって……だからこうして緋色君の好きなものとか、嫌いなものをこれにメモして緋色君をもっと理解したいな、なんて……えへへ……」
「えぇ……(困惑)」
いちいちメモをとる必要性もそうだが、何故俺の事など知りたいのだろうか?
こんな何の変哲もない人間の情報を知ったところで、何の得にもなりはしない。
まだ使用済みのオッサンのパンツのほうが使い道がありそうだ。
嘘だ、そんなものは燃やすか即刻捨てる。
汚物は消毒、はっきりわかんだね。
「えっと、じゃあ次は好きなアーティストですかね。緋色君は普段どんな音楽を聞くんですか?」
「音楽ねぇ……俺、そんな曲とか聴かないからなぁ……うーん……あっ」
俺は少し悩んだ後に、とある曲を思い出す。
「思い出したんですか?」
「うん、結構良い曲なんだよ。なんなら一緒に聴いてみようか? ほら、イヤホンあるからさ」
「……」
スマホにイヤホンをさして片方を自分に、もう片方を青山さんに差し出す。
が、彼女は黙ってそれを見つめるばかりで受け取ろうとしない。
一瞬不思議に思ったが、すぐ理由に気が付く。
「あっゴメン、人のイヤホンとか使いたくないよね。じゃあイヤホン外して━━」
「だだだだ、だだだだ、だだだだだだだ大丈夫です! 全然気にしないです! むしろ……いえ、はい聴きましょう! すぐ聴きましょう!」
突然、打楽器みたいな音を発した青山さんが、俺の手からイヤホンをかっさらい、彼女のその綺麗に整った耳へと装着した。
恍惚とした表情で、これがアイアイ?イヤホン~とか聞こえるが何の事か分からなくて何も言えない。
というか純粋に、彼女のその勢いに俺は言葉を失っていた。
控えめにいってドン引きしていた。
あのタレがかかった豚肉のジューシーさがたまらない。
それはトンテキ(食べたことない)
「緋色君?」
「……あ、あぁ。えっと、じゃあ曲流すね」
まぁ気にしたら負けだ、と思って気を取り直す。
多分イヤホンさすのが好きなんだろう(名推理)
二人でイヤホンを使っているため、自然に互いの距離が近くなり、青山さんのほうから何やら視線と熱い吐息のようなものを感じる。
まさか、もう片方のイヤホンまで狙っているとでもいうのか。
そんな落ち着かない気持ちでミュージックアプリを開いて再生ボタンを押すと、聴き慣れた曲が聴こえてきた。
「……」
「……」
前奏が終わり、歌が始まるとひたすら同じ単語を繰り返す。
「……」
「……」
一瞬違う単語が出たと思うとまた同じフレーズの繰り返し。
うーん、相変わらず最高だぜ。
「………え、えっと、なんていうか個性的な歌ですね……曲名はなんていうんですか?」
「うん、これは『フ⚫️へッ⚫️ッヘ』っていうんだ」
「だ、題名も個性的なんですね……」
青山さんからイヤホンの片方を受け取り、スマホをポケットにしまう。
「どう? なんだかクセになる曲でしょ?」
「え? あ、はい……そ、そうですね?」
……すぅー……なんだか青山さんの反応が薄い。
おっかしいなぁ……個人的には凄く好きなんだが……。
「……」
「……」
ヒュー……
生暖かい風が、沈黙した俺達の間を通りすぎていく。
「……はい、では次の質問いきましょう! 緋色君の好きな食べ物を教えてください!」
「お、おう……そうだなぁ、俺はやっぱり——」
こうして俺達二人きりの登校は、なんだかよく分からない空気のまま幕を閉じた。
そして後日、青山さんがこの曲にドハマりする事など、この時の俺はまだ知る由もなかった。




