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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
終巻 くちなしさんの、カミバナシ

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6話 禁書

  

「梔子、ちょっといいか?」


 久しぶりの梔子屋敷は半年前と変わりなかった。

 この庭は誰が手入れしてるんだろう。まさか南戸がしてるわけもないだろうから、聞くだけ野暮ってもんか。


 門の前に停めてあった自転車に鍵を挿し込みながら、見送りに来てくれた梔子に声をかける。

 監視カメラは音声までは拾わないはずだ。

 でも一応、首をかしげた梔子にだけ聞こえるように小声で。


「南戸のやつはああ言ってるし、たぶん間違ってないだろうけどさ。おまえはどう思うんだ? あいつひとりに任せたほうがいいとおもうか?」


 すぐに首を横に振る梔子。

 即答ってことは、梔子も不満に違いない。


「おまえはどう考える?」

『私は』


 と梔子がメモに書き走ろうとして、途中で止める。

 迷ったわけじゃない。メモをしまって俺の手を取った。

 てのひらを指でなぞる。


『心配』

「……だよな」


 南戸の予想はほとんど外れない。

 だが、万が一ということもある。あいつだって完璧じゃない。油断もする、苦手なものもある。今回のことだってあいつの予想を超えたからこそ、俺の意識と南戸の視力の、半年という時間を失ってしまったんだ。


 つぎも万が一ということもある。

 ……いや。


「俺にはどうしても、あいつひとりでどうにかなるとは思えないんだ」

『うん』


 ならばどうすればいいか。

 南戸は詐欺師。あくまで詐欺師だ。

 鬼神と対峙することはできても、退治するのは専門じゃない。怪奇を遣うことはできても、その程度は限られているんだ。

 それがやっと身に染みて、俺はようやく南戸の背中を見ることができた気がする。


 ……とはいえ、南戸にくらべてしまえば俺なんて遥かに対処力がないだろう。

 だから、まずは知識が必要なんだ。

 南戸みたいな怪奇全般にかんするものじゃなくていい。


 今回だけでいい。

 鬼神という脅威を消すための知識(ペン)が必要だった。


「……でも、どうすればいい」

『私にまかせて』


 梔子はそんな俺の心中を察してくれる。

 俺が困ったとき、一番に助けてくれるのはやっぱりこの少女だった。


『力になるから』



 口 口 口 口 口



 春の風にもようやく慣れてきた。


 快晴の空から照りつける太陽は、四月下旬にしてはすこし暑い。

 週末に大型連休がはじまるから、気温もテンションをあげて仕事をがんばってるんだろう。すこしくらいサボってもいいんだぞ高気圧。誰も咎めない。


 かくいう俺は学校をサボっていた。まあ半年もサボってたんだ、いまさら数日休んだところでたいして変わらない。

俺に否があるとすれば俺だけじゃなくて梔子もサボらせたことだろう。


「もー、ちょいっ!」


 握力を全開にして、自転車のペダルを踏む。

 そこそこな勾配がある上り坂。後ろに乗った梔子が腰にぎゅっと抱き着いているが、できればもうすこし離れてくれ。今の俺はたぶん汗臭い。


 坂を上りきると、見えたのは一面緑の高原だった。

 俺たちの街から自転車を漕ぐこと二時間、森のふもとにあるだだっぴろい高原が目の前に広がっていた。


「……で、どっちに行けばいいんだ」


 俺たちの横を車が通り過ぎていく。

 梔子が指さしたのは高原の真ん中を突っ切るバイパスではなく、森へと続く横道だった。

 俺は梔子のナビどおりに人の気配がなさそうな森の中へと自転車を進める。


 額に滲む汗も、あがった息も、不快だったのはさっきまで。

 太陽を覆い隠す木々のなかに入れば涼しいものだった。

 思ったより平坦な道をすいすいと進み、高原から逸れてどんどん森の奥へと入っていく。本当にこんな山奥にあるのかと疑問に思った頃、行き止まりにつきあたった。


 鬱蒼とした森のなかに、一軒の灰色の四角形が建っていた。

 コンクリートの家だった。窓は小さく、ベランダもなにもない。

 機能性なんて削ぎ落としたかのようなただ武骨な建物が、自然に囲まれて毅然と建っていた。


「……ここだな」


 梔子は頷いて、自転車から飛び降りる。

 俺が自転車を泊めているあいだに、鍵を取り出して躊躇いなくドアを開ける梔子。

 重たい音を立てて開いた扉の奥には、もう一枚の小さな扉。

 電子ロックで守られていたその扉を開くと、なかは予想通り真っ暗闇だった。


 なにも見えない。

 訝しんでいると、梔子は壁にあったスイッチを手探りで押した。

 ガゴン、となにかが外れるような音。


 なにごとかと思えば、部屋がすこしずつ明るくなる。見れば天井付近の壁にあった小さな窓が、電動で開きはじめていた。

 俺はポカンとその様子を眺めているだけだった。


 しばらくすると、建物全体の窓が自動で開き、外からの光を取り込む。

 いや、それでもまだ薄暗い。あくまで換気のための窓なんだろう。

 

 窓が開き切ると、梔子がまた壁のスイッチを切り替える。

 こんどは天井や壁についていた蛍光灯が輝きだした。


「おお……」


 ここで俺はようやく、感嘆の声をあげた。

 書庫だった。


 鉄の棚がずらりと並び、大きな梯子がかかっている。そこに所狭しと並べられていたのは本。数えるのも億劫になるようなたくさんの本だった。


『ここが両親の書庫』


 俺はいままで、梔子の家族についてなにも知らなかった。


『私もどれが参考になるか、わからないけど』

「わかってるよ」


 俺は梔子の頭をぽんと撫でて、書架を眺めはじめる。

 梔子の両親はなぜ家にいないのか。いままで考えてこなかったその問いの答えは目の前にあった。


【黒死病という名の魔法】

【呪怪目録】

【新訂アムラリアス経典】


 梔子の両親は本狂い(ビブリオマニア)だった。

 なぜ育児を放棄し、一人娘を詐欺師に預けたまま海外に行ったのか、このまえ初めて聞いた。珍しい本を集めるために世界中を回り、集めた本は日本に――梔子に送る。梔子は本が届くと書庫に納める。

そんなふうにここ数年は過ごしてきたらしい。


 ここには滅多なことでは見られない本が数多くあるらしい。なかには本物の魔導書(グリモワル)や、読むどころか所持することすら許されていない禁書、焚書扱いになったはずの歴史書など、俺ではその価値を類推することもできないタイトルが、見上げるほどの書架に並んでいる。


 ぜんぶで数万冊はくだらないだろう。

 その光景に圧倒されながら眉間にしわを寄せていたけど、正直、背表紙を見ただけではなにが役に立つのかわからない。


「よし、適当に見てみるか」

『うん』


 俺と梔子は、手当たり次第にそれらしき本を掴んで流し読みをし始めた。

 日本書の棚にあったもののほとんどは、古書か近代に出版された本だ。近代本ならそれなりに読めるけど、古書はいまいちわからん。


 もっとちゃんと古典の授業受けてればよかったな、と思ってると梔子がそういった類の本をすいすい読んでいく。

 そういや、いつも古典ばっかり読んでたな。

 俺は古書をあきらめて近代の本を中心に探すことにした。


 神と戦う方法。

 鬼を消す方法。


 そんな都合のいいものがほいほいあるはずもなく、俺と梔子は没頭して日が暮れるまで読み漁るのだった。






 次の日も、その次の日も、俺と梔子は書庫に通った。


 目当ての本はなかなか見つからない。

 ただでさえ現代の本なんてなくて読みにくいのに、そのほとんどが枕にしても安眠できそうな厚さなのだ。一冊目を通すだけでもかなりの時間がかかる。


「準備が整い次第、鬼神を殺す」


 そう言っていた南戸。その準備とやらが整うまでそう時間もないだろう。限られたタイムリミットのなかで、俺は自分なりの手段を見つけなきゃならない。


「……にしても、くそっ」


 ただ読むだけじゃない。

 本が重くて肩が凝る。

 目の疲れ、肩の疲れ、連日の本探しでほとんど寝てないから眠気もだ。まさに三重苦。

 ついついぼやきたくもなる。


「ったく貴重な本ってのはなんでわざわざ重たく作るんだよ。とくに表紙とかこんな分厚いのいらねえだろ。表紙の方が分厚いんじゃないのか? ステーキでパン挟んでるようなもんだな」

「まったく、ツムギはわかってないッスね」


 いきなり聞き覚えのある声が、入口から聞こえてきた。

 なんの遠慮もなく、書庫に入ってきたのは白々雪だった。その後ろには二日前の俺とまるっきり同じ反応で書架を眺める澪もいた。


「……なんでおまえらがいるんだ」

「梔子さんから聞きました。むしろなんでウチらを誘わないんスか? 水臭いッスよツムギ」

「何臭くてもいいから帰れ。これは俺の問題だ」

「じゃあ、わたしたちの問題でもあるよね?」


 白々雪の後ろからひょっこりと顔を覗かせる澪。


「事情は聞いたよ。南戸さんの助けになりたいんだよね? 梔子さんの個性を取り戻すために必要なんだよね?」

「ああ。でもおまえらは――」

「関係ないッスか? じゃあ、ウチらが友達のために(・・・・・・)何かしたいって思うことも、ツムギには関係ないんで引っ込んでてください」


 なんだよ仏頂面で。

 白々雪に睨まれて、俺は負けじと言い返す。


「これは俺と梔子と南戸が巻き起こしたことなんだよ。梔子のためにってのはわかるけど、それは俺の役目だからおまえらはいいんだよ」

「ツムギくんはバカなの?」


 澪にまで呆れられる。

 ため息交じりで、澪は言う。


「わたしたちは友達の――ふたりのために(・・・・・・・)何かしたいの。梔子さんのために何かするのがツムギくんの役目なら、ツムギくんのためになにかするのは誰の役目なの? それが一番できるのは、誰だと思う?」

「……それは……」


 言葉に詰まった。

 俺のために、なんかいらない。

 そう言おうと思った。

 でも、言えなかった。


「それは……」


 一番できるのは誰か。

 そんなこと考えなくてもわかる。

 ここには大量の本があって、もちろんドイツ語の本だって多い。

 どう理屈と感情をこねくり回しても、俺がこの二人に何か言うことなんてできなかった。


 こいつらの好意を素直に受け取れないのは、俺がひねくれてるから。それだけなんだ。

 自分の力だけで何かを成すなんてこと、できるはずもないのに。

 俺はふたりに背を向けてから、小さくつぶやいた。


「……じゃあ、頼む」

「うん。まかせてね」

「ツムギはほんとにツンデレッスね」


 うるせえ。

 とはいえ、それからは早かった。

 澪はドイツ語や英語の本を中心にどんどん読んでいく。慣れているのか脳のつくりが違うのか、俺や梔子とは比べ物にならないスピードだ。


 それより舌を巻いたのは白々雪だった。


 俺はこいつのことを侮っていた。侮りすぎていた。

 見たものを忘れない絶対的な記憶能力。それはなにも経験や知識だけじゃない。見たものや聞いたもにに関しても同じだったことを失念していた。


 白々雪は速読の極みだった。


 本を開いたかと思うと閉じて、次の本へ。白々雪にとってはそれだけでよかった。たとえどんな時代のどんな言語でも、一度見てしまえば文脈と単語の知識を組み合わせてその言語体系を理解してしまう。完璧に理解してしまうのだ。


 まさに生きる図書館。


 俺と梔子が二日かけてもすこししか進まなかったのに、白々雪はたったの半日でほとんどすべての本を読み終えてしまった。


「いやあ、興味深い本ばかりでしたね。いずれきちんと熟読させてもらいたいッス」


 書架すべての本にひととおり目を通し終わったのは、日も暮れて月が空に煌々と輝き始めた頃だった。

 さすがに三日間ぶっ続けの格闘は疲れたのか、梔子も目元を抑えていた。俺も気力と体力を使い果たして床に仰向けに寝転がっていた。


「……で、なんか参考になるものはあったのか」

『なかった』

「わたしも見つけられなかったな」


 梔子と澪は首を横に振る。

 で、肝心の白々雪はというと。


「そもそも禁書扱いになるような啓蒙的書物が大半だったッスからね。ツムギが求めている知識や対処法っていうのは日本各地の伝記になら残っていそうッスけど、そういうのはここにはないッスからね」

「……なかったか」


 どうやら空振りに終わったらしい。

 落胆してしまうのはしかたないだろう。これだけの本なら、と正直期待していた。


「役に立てなくて申し訳ないッス」

「わたしも、ごめんね」


 バツが悪そうに頭を下げるふたり。


「いや、すげえ嬉しかったよ。ありがとう」

 

 笑みを浮かべてみたものの、たぶんぎこちなかったと思う。

 実際問題、ここで手詰まりだった。


 ……やっぱり俺は、南戸みたいにはできなかった。

 問題に直面しても、知識がない。対応力がない。

 誰かのためにと思って動いても空回る。

 うまくいかないことばかりだ。


「……遅くなる前に帰るか」

「そうッスね」


 のろのろと立ち上がる。

 白々雪、澪、梔子が書架から出て行く。俺は最後に見ていた本を書架に戻そうとして、ふと、違和感に視線を止めた。


 書架の端に、背表紙になにも書かれていない本があった。

 ここはさっき梔子が読んでいたところだ。わりと近代になってからの日本書のようだ。

 つい手に取る。

 表紙も無記。中表紙を見てみると、そこには小さく書かれてあった。


【チギリ】


 千切り……いや、契りか?

 カタカナで書かれていたから詳しくはわからない。ただ中表紙の下に赤い文字で《禁》と押印されていたから、間違いなく刷られた時代では禁書扱いだったのだろう。


「ツムギ、なにしてんスか? いくッスよ」

「あ、おう。なあ梔子、一冊だけ借りていいか?」

『大丈夫』

「ありがと」


 本を鞄のなかに忍ばせて、書庫を出た。

 俺は自転車だが、白々雪たちはタクシーで帰るらしい。まあ自転車で二時間かけてくるような場所に徒歩でくるはずもない。梔子もそっちで帰らせるつもりだ。


 タクシーを待っているあいだ、白々雪がなにやら不満そうにしていたので声をかけてみた。ぷるんとした芳醇な唇を必要以上に尖らせていたから、すこし気になったのだ。


「どうした」

「そろそろ良いッスかね?」


 なにがだ。

 主語を省略するのは白々雪の悪い癖だが、このときばかりは俺も甘かった。

 こいつの好奇心を、こいつの思考力を、俺は見誤っていたのだ。


「いままで何回も何回も我慢してきたんスけど、そろそろ限界ッス。事情は聞かせてもらって、ツムギがなにをしたいのかも理解したッス。ウチも鬼神なんてものに堕ちた神様には正直この世から立ち去ってほしいッスから」

「……ああ」

「理解しがたいのは梔子さんの保護者ッスよ。南戸って言ったッスよね。妙な知識を持ってツムギに色々吹き込んでいたっていう。ウチはそういう存在が一番信用ならないんスよね。そこまで有能で聡明な人だとすれば、なんで今回のことでツムギに協力を求めないんスかね? 何を考えてどう動くつもりなのか、ちょっと聞きたいんスよね」

「まあそうだけど……あいつと関わっておまえにいいことなんてひとつもないぞ」

「ウチはね、白々雪桜子なんスよ」


 白々雪は梔子の肩を掴むと、梔子の長い前髪に隠れた瞳をじっと見つめて、つぶやいた。


「気になるものを放置するなんて生来できないッス。だから梔子さん、その南戸とやらに……一度、会わせてください」


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