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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
終巻 くちなしさんの、カミバナシ

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3話 いもうとからのユメバナシ

  

 小麦粉

 卵

 砂糖

 ミルク

 バター


 何かを作ることは、組み合わせるということだ。


 材料、知識、経験、時間。

 それらが合わさることによって、すべては作られていく。


 もちろん久栗歌音も例外じゃない。

 生まれたときから面倒をみてきた妹だ。彼女の一挙手一投足を知ってるわけじゃないし、最近は知らないことも増えてきた。


 ただそれでも歌音という個性をつくってきたものは数多く知っている。知っているつもりだ。

 ときに直情的で、ときに鬱屈して、ときに呆れるほどの単純さ。


「イヤだよ。歌音、絶対にイヤだからね? だからそんなことしないよね?」


 怯えたように笑う歌音の心は嫌というほど理解できる。

 想像力が豊かで、妄想が得意な歌音。放っておけば死ぬまで空想に耽りそうな妹は、ときに誰よりも現実を見ていた。


 夢を夢にしないために。


 歌音は未来を見据えることができる聡明なやつだ。

 俺はそんな歌音のことが自慢だった。俺とは違い、まぎれもなく両親の血を色濃く受け継いだ妹。

 そんな誇れる妹だから、これからもまっすぐ生きてほしい。


 俺がどんな選択をしても、素直に歌音は言うだろう。

 俺のためだけを想ってくれるだろう。

 だからたぶん、俺とは一生理解し合えない。

 一番近くにいた兄妹だけど、一番遠い存在でもあるんだ。


「イヤだけど……でも、兄ちゃんは兄ちゃんなんだよね? それくらいわかってる。そんなツムギ兄ちゃんだから歌音は歌音でいれるんだ。だって歌音の大好きな兄ちゃんは、ツムギ兄ちゃんだけだから」



 口 口 口 口 口



「ほら、どんどんいくよ!」


 小麦色が宙を舞う。

 油が弾ける音が鳴る。

 香ばしい空気がキッチンいっぱいに広がり、そのたびに俺は右往左往と走り回る。

 鼻歌まじりに飛んでくるクレープの生地を、一つ残さず皿でキャッチする。


 なんの映画で観たのか知らないが、焼いた生地をフライパンで飛ばすなら、せめてコントロールできるようになってからにしろ。


 アイドルの始球式のような暴投を、ひとつ残らずキャッチャーグローブならぬ料理皿におさめている俺を誰か褒めてくないか。まあどうせ誰も褒めてくれないようなので自分で褒めることにする。さすが俺。ナイス俺。すり傷なんて気にするな。


「はい! これで最後ね!」


 ふわりと飛来する一枚のクレープ生地。


 くそう、しまった。

 すでに両手の皿には天高く盛られた生地がある。これ以上受けると崩れてしまうだろう。

 皿を素早くテーブルに置いて、空き皿で取るのはどうだ。

 ダメだ。時間がない。

 ならどうする。

 考えろ。考えるんだ久栗ツムギ。

 すべての生地を無駄にすることなく、この場をしのぐ方法を。

 急げ。生地はもう目の前だ。焼きたてのかぐわしい香りがもうそこまで迫っている。ていうかすでに目と鼻の先。

 どうする俺。

 よく考え――


「兄ちゃん! 味見!」

「はむっ!」


 とっさにくわえた。

 ふっふっふっ。

 顔面キャッチするフラグだと思ったか? 残念だったな。そんなことで火傷するような男ではない。そんなちっぽけな予想に収まるような小さな器じゃねえんだ、この俺は。

 ふふふ。ふふふふふ……


「兄ちゃん美味しい? 焼きたて」

「……ふふふ」


 俺は両手の皿をテーブルに置き、口からぶら下がってる生地をぱくりと口のなかに入れ、ゆっくりと咀嚼し呑みこんでから、キッチンにいる歌音に振り返り、


「熱ぃいいいいいいい!」


 悶絶した。

 バターの香ばしさ? 卵の濃厚さ? ミルクの甘み?

 そんなもん感じない。

 ひたすらに痛かったから。


「おはへ! あほはほは!?」

「アホじゃないよ。歌音だよ」

「ひっへふ! ひひはは、ひふ! ひふをふへ!」

「はい、お水」


 差し出された水を一秒足らずで飲み干す。

 いまのはヤバかった。

 なんというか、そう。


「……三途の川が見えた……」

「うそ!? パパ見えた!?」

「いや父さんは死んでねえからな?」


 そりゃあしばらく会ってないけど。

 まあとにかく、俺の口の中を犠牲にしてクレープ生地はすべて守られた。


 そんな俺の自己犠牲はどうでもいいと言わんばかりにスルーして、歌音はテーブルに果物やクリームを並べ始める。

 そう、これからが本番。歌音のクレープ教室だ。


「まずは王道からね。はい兄ちゃん」


 苺と生クリーム。

 悪態のひとつやふたつついてやろうかと思ったが、俺は無言で差し出されたクレープを口に運ぶ。なんて優しい兄なのだろう。日本アカデミーベストお兄ちゃん賞を受賞してもおかしくない。


「うまい」

「つぎはこれね!」


 チョコにバナナ。これまた王道。


「うまい」

「はいつぎ」


 ブルーベリーソースにバタークリーム。


「うまい」

「はいつぎ」


 抹茶アイスにあんこ。


「うまい」

「はい」


 パイナップルにメープル。


「うまい」

「はい」


 キウイにソルトアイス。


「うまい」

「はい」


 メロンにスイカアイス。


「うまい」

「はい」


 マンゴーにショートケーキ。


「うまい」

「はい」


 エビチリにソーセージ。


「うまい……って、わんこそばかコレ!?」

「え? クレープだけど?」

「知ってるよ!」


 なにかがおかしい。

 おかずクレープが先じゃないのか、とかそういう細かいことじゃないぞ念のため。


 クレープの試作会っていうから、てっきり相談しながら色々試してみるもんだと思ってた。俺も甘いものは嫌いじゃないしどんな組み合わせを作ろうかなぁとか考えて、すこしワクワクしていたんだ。

 それなのに!


「これじゃあ楽しくない!」

「歌音は楽しいよ? 兄ちゃんが食べてくれるの」

「ただ食べるだけでか?」

「喜んでくれるし」

「いまは喜んでない!」

「でも楽しいよ。兄ちゃんがたくさん食べる姿見るの」

「腑に落ちない!」

「楽しいよ。兄ちゃんがたくさん食べて苦しむ姿見るの」

「腑に落ちた!?」


 落ちたくなかった。

 鬼畜なのか。そうか歌音はこんなにも鬼畜な妹だったのか。

 お兄ちゃん泣いちゃう。


「ツムギ兄ちゃんに涙は似合わないよ。ほら、これで涙拭いて」

「クレープでどう拭けと!?」

「ほら、あーんして口のなかの涙を拭いて」

「それは水分という名の生命線だ」


 そろそろぱさぱさになってきた。


「いいから食べて」

「いつになく強引だな歌音」

「食べてくれなきゃ困るの!」

「なんでだ」

「こんなにつくった生地どーすんの!」

「俺に怒るなよ」

「だって兄ちゃんが両手に皿もって待ってるから!」

「調子乗って楽しんでたのは俺も反省してる」


 しかし眺めてみるとすごい量だ。積みあがった生地のタワーには威圧感すらある。

 とにかくだ。

 せっかく作った生地を使わない、なんて選択肢は歌音にないだろう。俺の腹が心配なところだが、できるかぎり協力するのはいとわない。


 ただし食べるペースは自分で握りたいのだ。

 俺は生地を一枚だけ皿にとって歌音に差し出す。


「それで歌音、俺に話ってなんだ?」

「たいした話じゃないんだけどね」


 歌音は並べられた具材から、なんの考えもなさそうに適当に生地に乗せて巻く。

 こんどは卵とハムとマヨネーズか。うまい。


「歌音さ、中学卒業したら留学したいって言ってるじゃん?」

「ああ。料理留学だろ? 母さんにも伝えたのか?」

「うん。一応」

「母さんはなんて?」

「応援はするけど、日本じゃダメなの、って」

「まあそりゃそうだろうな」


 まだ幼い娘を、わざわざ海外になんて行かせたくないだろう。

 でも、ちゃんと母さんと話せてるならよかった。今回は俺が首をつっこむようなものじゃないし。


「歌音のことはべつにいいの。大事なのは兄ちゃんのことだよ」

「俺の?」


 首をひねる。


「兄ちゃんってばもう高校二年生の半分終わるんでしょ? 将来のことどうするの? ちゃんと考えてる?」

「母親かおまえ」

「妹だよ!」

「それも知ってる」


 歌音が心配するのも無理はない。俺だって自分の兄が俺だったら心配するだろう。

 これから先、なにがしたいのかなんて言ったことがないから。

 歌音はクレープをもぐもぐしながら目を細める。


「まえに夢があるって言ってたでしょ? ほら、獏のとき」

「ああ、よく覚えてるなそんなの」

「覚えてたんじゃない。忘れてないだけ」

「白々雪かおまえ」

「歌音だよ」

「I know」

「愛納?」

「むしろ哀脳」


 で、話はなんだっけ。


「歌音はほんっとに心配なんだよ? 兄ちゃん、最近なんか変わったけど肝心なところはそのままなんだもん。兄ちゃんはなにがしたいの? どうなりたいの?」

「ふつうに大学進学だよ。母さんにはちゃんと話してるから、心配すんなって」

「そうじゃないの!」


 ぷぅ、とこどものようにむくれる歌音。

 まあまだ中学一年だから、こどもなんだけど。


「歌音が心配してるのはね、兄ちゃんがどうなりたいか、だよ?」

「……どういうことだ」

「歌音、いままで色々考えてたから」


 想像力。

 歌音には類まれ無いその才能があるのは知ってる。それを口に出して妄想することも多いし、いっそ小説でも書けばいいんじゃないかと思うときもある。


 だが、俺は気にしてなかった。

 歌音のその想像がちゃんと俺にも向いてるってことを、考えたこともなかった。


「歌音もバカじゃないから、さすがにわかるよ。澪姉ちゃんのときも、歌音のときも、兄ちゃんそうだったから」

「……おまえ」

「妖精みたいに羽が生えたり、獏に夢を食べてもらったりなんて……ふつうじゃないよね? なのに兄ちゃんは自分で動いて、どうにかしようとしてきたんだよね? たぶん歌音が知らないだけで、兄ちゃんはそういうことをずっとしてきたんだよね?」


 いまわかった。

 俺は歌音に考えさせないようにしてたんじゃない。

 俺が、考えたくなかっただけだ。


 歌音が俺と同じように、神とか妖精とかそんなもんに巻き込まれることを。ふつうの日常を送って欲しくて、考えないようにしていただけだ。

 とっくに、歌音は当事者なのに。


「兄ちゃんはどうなりたいの? きっと、歌音に獏をくれたお面のひとも、そういうことに慣れてるひとなんでしょ? 兄ちゃんはそういうひとになりたいの? ふつうじゃ助けられないような困ってるひとを、助けたいの?」

「それは……俺にもわからない」


 自問したことは何回もある。

 南戸のようにそれすら利用して生きるのは一つの方法だ。そこで金を稼ぐ生き方もあるんだろう。

 だけど、俺がそうできるとは思えない。

 できるとは思えないんだけど。


「兄ちゃんの夢って、そういうことじゃないの?」


 なりたくない、とは思わなかった。

 俺は梔子の力になってやりたい。梔子と同じようなやつも、どこかにいるかもしれない。

 もっと経験を積んで、それこそ南戸のようになれば、そういうやつらの力になれるかもしれない。


 たぶん、これはきっと誰でもできることじゃないから。白々雪と出会い、梔子と出会い、澪と出会い、南戸と出会ったからこそ、いまの俺がここにいるんだ。

 俺にしかできないこと。

 それに最も近い答えが、そこにある気がする。


「兄ちゃんには生きがいがないんだって、いままでずっと考えてたの。だから兄ちゃんは平和主義者で、のらりくらり生きてきたのかなって。だけど最近はそうじゃない。なにか生きがいが見つかったのかなって、歌音にはそう見えるから。だからそれを聞かせて欲しいかなって思ったの」


 俺の生きがい。

 俺の夢。


 たしかに俺にはいままでそんなものはなかった。

 流されるようにただぼんやりと生きて、無難に生きてきた。

 さすが俺の妹だ。よく見てる。


「……そうだな。そういう道もアリなんだと思う」


 俺は自分のためにしか動かないやつだ。

 自己犠牲とか、そんなもんはない。いままでほとんどなかった。

 だから今度は誰かのために動いて、誰かの役に立ちたかった。


 そこにあるのが自己満足でもいい。偽善でもなんでもいい。

 梔子の、白々雪の、澪の、南戸の、歌音のそういうところに憧れてしまったからだ。


 大切なもののために懸命に生きる。

 そういう姿が、まぶしいと思ってしまったから。


「まだよくわからないんだよ。俺がどうしたいのか、色々考えるけどな」

「なりたい自分はわかるのに?」

「そうだな。そうなる方法が、まだわからないってことかな」

「ふーん……そっか」


 歌音はすこし納得してくれたようだ。

 俺は歌音ほどまっすぐに生きることはできない。歌音は勇気があるやつだ。なりたい夢をかなえるために、最短距離で走ろうとするだろう。優柔不断なんてものはカケラも存在しない。


「でもまあ、そこはすこし安心かも」

「なんでだよ。悩まないほうがいいだろ」

「悩んだからこそ気づくものもあるんだよ?」


 にひひ、と笑う歌音。

 また妙に説得力のあることを。


「まったくツムギ兄ちゃんはまったくだよ。それに前にも言ったけど、悩むならひとりで悩まずに歌音に言うんだよ? ふたりで悩めば、悩みは前に向くんだから」

「わかったよ」


 肩の力が抜ける。

 歌音にとって俺は頼りない兄かもしれない。

 なんとなくそう思う。でも、それをわかってたら少しくらい甘えられる気がした。


 いずれ歌音が悩むときがくれば、俺だけは耳を背けずに絶対に聞いてやろう。


「……あ、兄ちゃんケータイ震えてるよ」


 テーブルの端にあったケータイが着信をつげていた。

 きほん年がら年中マナーモードだから音がなることはない。電話はほとんどこないからとくに不便じゃない。

 まあ、メールもほとんど来ないんだけど。


「友達いねえからな……俺」

「暗い顔して笑ってないで見なよ」


 歌音に苦笑された。

 新着メールあり。

 その差出人の名前を見た瞬間、背筋が伸びた。

 悪い予感が胸によぎる。


「……どうしたの?」


 歌音の心配する声は、かすかにしか聞こえなかった。

 俺は緊張しながらそのメールを開く。


「――っ」


 俺には知らないことが多すぎる。

 これがどういうことなのか想像すらできなかった。

 だからその文面を見たとき、迷いすら生まれなかった。ケータイすら放り出して自転車の鍵をひっつかむ。


 心が躍るなんてことはない。

 ただただ危惧や焦燥しか生まれなかった。



『 差出人: 梔子詞

  本 文: 会いたい』



 俺の日常が、遠のいていく気がした。



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