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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
5巻 おおうそつきの、ホラバナシ

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7話 噂

 

『ドッペルゲンガー』


 説明する必要もないくらい有名な怪談話だ。

 もうひとりの自分を見ると、見た者は近いうちに死ぬ。世界的な怪談で、もちろん日本でも多くあったと噂されている。作家芥川龍之介もドッペルゲンガーを見たというのは有名な話だ。

 ざっと調べたところだと、このあたり。

 事象例なんかはごまんとあったが、目を通す時間も必要もないだろう。


 大事なのは、それが梔子に起こったってことだ。


 いつもどおり朝の一番に教室に着いた梔子は、壊れたクラス展示と、そのなかで佇む自分自身の姿を見たという。クラス委員長が登校してくるとその姿は煙のように消え、それがドッペルゲンガーだとすぐに思い当たったらしい。


「なにか思い当たるふしとかあるか?」

『わからない』


 フランクフルトをちびちびと食べながら、梔子はかぶりを振った。


「そうか。俺や南戸に話せなかった理由は?」

『歪みは、歪みを生むから』

「……なるほど」


 類は友を呼ぶ。

 梔子が怖れたのは、自分が死ぬかもしれないってことだけじゃなかった。ドッペルゲンガーの話をすることによって、周りにも同じ現象が起こることを怖れたのだ。

 クラスメイトの信頼を失っても真実を話そうとしなかった。

 巻き込むことを怖れた。


「……なんつーか、梔子らしいな」


 梔子自身がクラス展示を壊したわけじゃない。そんなこと望むはずもない。

 最初からそう信じてやれれば、もう少し早く気づけたかもしれなかった。

……俺は梔子を疑ってないフリをしていただけだ。心の底では信じてなかった。

 鈍く、胸の奥が痛んだ。


『でも結局、久栗君を巻き込んだ。ごめんなさい』


 メモがすっと出てくる。

 梔子の表情は読み取れない。

 でも、なんとなくわかる。

 自分が死ぬかもしれない、と怖がっていたさっきまでの梔子とはどこか違っていた。


「……俺、そんな情けない顔してた?」

『情けなくは、ないけど』


 力なく笑うと、梔子は頷いた。


 ああ、こんなんじゃダメだ。

 このままじゃ梔子の力になるどころじゃない。後悔も疑念もなにもかも、ぜんぶ後で感じればいい。それよりはまず、梔子に起こったこの怪奇譚をひっぺがしてやらないと。


 俺は梔子が食べ残していた焼きそばを口の中に詰め込んで、無心に咀嚼する。

 口の中に溢れたソースの味を熱いお茶で呑みこんで、立ち上がる。

 腹ごしらえも終わった。

 自転車の鍵を取り出して、


「そんじゃ、行くか」


 きょとんとした梔子。

 問題はわかった。

 あとは原因と対策だ。

 こんなとき、詐欺師がいたらおそらくこう言うだろう。

『無様にも慣れてきたな、少年』と。



 口 口 口 口 口 



「――祭りってのは嫌いだ」


 開口一番、詐欺師はそう言った。


「日常の枠を超えた乱痴気騒ぎ。雑念や喧騒が正当化され、正常な判断力を奪う。倫理や理屈が緩み、さして魅力のない物が崇められる。特に信仰性のなくなった日本の祭り……アレは詐欺だぜ少年。気をつけろ」

「おまえが言うなよ。ふざけてんのか」


 散らかった部屋を梔子が片づけているなか、肘をついて寝転ぶ南戸を睨む。


「ふざけてなんかないさ。詐欺師を騙す詐欺師なんてごまんと溢れてるんだぜ。ほら、昔流行っただろそういうドラマが」

「だとしても、いま関係ないだろ」

「大有りさ。何も祀られない祭りにどんな意義がある? 文化祭という名のただのアバンチュールだろ? 考えても見ろよ久栗クン……この時代、文化を祭るためのものじゃなくなってるだろ? 祭りそのものが文化と化してるじゃねえか」


 それは、たしかにそうだが。

 そこになにか問題でもあるのか。

 俺が訝しむと、南戸は忌々しく吐き捨てる。


「『文化祭』っつう名をそこにつける矛盾が危険なんだよ少年。『学園祭』と呼称を変えた学校も多くあるのは知ってるだろうよ? 一部だけだが、そう呼び名を変えたのは賢明な判断だぜ。巨大な矛盾は歪みを生み、日常を変質させる」


 そりゃあ俺も何度もその片鱗を見てきた。

 虚構の神。

 信仰狂い。

 妖精。

 夢喰い。

 南戸の言うことが一理あることだってわかるし、そこに反論する気はない。

 文化祭の影響もあって梔子に異変がある、ってことかもしれないのはわかった。


「だから梔子にそれが起こっても不思議じゃないってのか? 梔子に原因があるとでも?」

「誤解があるようだが」


 と、南戸は肩をすくめる。


「アタシは梔子クンの心に問題があるとは言ってないさ。キミはいままでの経験から、そういうコトが起こるのは自分の心理的な面に理由がある可能性が高い、と推測するようになったんだろう? 言わなくてもわかるし否定もしない。心身ともに健常的な者に、怪奇譚は生じない」

「…………。」

「だがどんな者も被害者になら成り得るのさ。悪意の弾はどこからでも飛んでくる」


 南戸は手でピストルの形をつくると、その先を俺の眉間に向ける。

 バン、と撃つ仕草。


「キミは梔子クンにどんな現象が起こったのかを知り、そしてそれがアタシに相談するような内容だったからこそわざわざここまで来たんだろう? 梔子クンが自らその現象を生んだのか、果たしてただの被害者なのか……その推論は、アタシが話を聞いてからでも遅くないんじゃねえか? だとしたら、その殺気を抑えなよ少年」

「殺気ってほどたいしたもんじゃねえだろ」

「いやあ、たいした睨みっぷりだぜ。アタシが脆弱なら死んでたよ」

「ふざけろ」

「ノミくらい脆弱なら死んでた」

「ふざけんな」

「で、話してみな少年。梔子クンもそこに座りな」


 気づけば部屋の中は綺麗さっぱりと片付いていた。

 梔子はいつのまにか用意していた茶菓子を置くと、小さなドリンク剤を南戸の前に置いてから自分も座った。

 梔子が隣に座ると、なぜかすこし背筋が伸びた。

 そういえばこの詐欺師に面と向かって俺の推測を話すのは初めてだな。


「……単刀直入に言う。梔子は【ドッペルゲンガー】を見た」

「ほほう」

「文化祭の展示を壊したのはそいつだ。南戸、ドッペルゲンガーってのはどんなときに現れる?」

「どんなときでもさ、少年」


 おどける南戸。

 まるでサーカスのピエロのような笑みを浮かべて、言葉を並べる。


「ドッペルゲンガーって概念に統一性なんてねえのさ。精神を病んで見るときもあれば似たものを誤認した影響で思い込むときもあり、あるいは呪いや魔術なんかで造りだされる外的要素としてのドッペルゲンガーもある。さらにいえば、物質が所持する記号がおおむね一致すればそれは同一個体と呼べるときもある。人間でいえば一卵性双生児なんかがそうだろう? 自分が双子の片割れだと知らず、もう一人を見たときそれはドッペルゲンガーとなる。要は認識する側の問題(・・・・・・・・)なんだよ」

「つまり、原因はわからないと?」

「話を急ぐな少年。急いては事を過つってのは、夏にキミが体験したことじゃねえのか?」

「あ、ああ……すまん」


 お茶を飲む。

 思ったより喉が渇いていたのか染みわたる。

 一呼吸置いてから、南戸は俺の目をじっと見つめて続きを話した。


「ただこの瞬間において事は単純だろう。……久栗クン、キミはおそらく善良な人間か愚昧な人間かのどちらかということが明瞭となった」

「? なんだいきなり」

「そしてキミは、梔子クンがキミが考えているよりも聡明で怜悧な人間だということを想定していないことも理解した」

「いや、梔子は賢いのは知ってるけど」


 いい加減、首をひねるのにも疲れてきた。

 さっきから意味深なことばかりだ。

 そんな俺を、南戸は鼻で嗤う。


「本当か? ならなぜ、キミは梔子クンのサインを見逃す?」

「サイン?」


 梔子を見る。

 小柄な梔子は、俺の隣でおとなしく正座をしている。両手で湯飲みを持って熱いお茶をすすっていた。

 なにかサインを発しているとは思わない。


「物言わない梔子クンは、いつだってその行動で示すだろう。キミは梔子クンの変化を見逃すのは得意なようだな」

「変化っつっても……なあ」


 いつもの服装。

 いつもの髪型。

 いつもの無表情。

 ちらと目が合うと少しだけ頬を染めるのも、羞恥心を取り戻してからはいつもどおりだ。

 あと梔子といえば、古典が好きだが……。


「……『とりかへばや物語』?」


 そうだ。

 なぜ、あのタイミングでわざわざ新しい古典を読み始めたのか。また珍しい趣味だなと考えるだけでそこに意味を求めなかった。

 その古典は、梔子の鞄の横――畳の上に置かれている。


「教養のないキミにも教えてやる。『とりかへばや物語』ってのは、双子の男女を性別逆転させて育てるっつう話なんだよ。似たようなことを、どこかで聞いたことはないか?」

「あっ」


 ある。

 とてもすぐ近く、というか目の前に。


「ようやく気付いたか阿呆め。さっきアタシも軽く触れたが、一卵性双生児の双子は、外見が非情(・・)によく似る。遺伝子情報からほとんど同質ゆえそれも当然だろうが、とにかく根本的な部分でキミが気づいた怪奇にそっくりだろう?」

「……ってことは、つまり……」

「梔子クンは聡い子だ。感情を制御し論理で物を考えることができる。いの一番でアタシのことを疑っても、なんら不思議じゃねえんだよ」


 南戸を疑う。

 それは、梔子にとってかなりつらいことだろう。

 自分の一番近くにいる大切な存在。

 前に、梔子が俺にそう言った。

 近くにいるからこそ南戸がどういう人間かも俺以上に知っているはずだ。


 人を騙すことに長けた詐欺師。


「キミは大莫迦者だぜ」


 梔子は自分の考えを口に出すことはない。

 だから俺が気づくようヒントを出してくれていた。

 だが、俺は南戸を頼ってしまった。


「キミがなぜいつもアタシを疑わないのか不思議でならない。こういうことに長けたアタシなら、いままでのどんな事案の真犯人でもおかしくないだろうに。今回だって前回だってその前だって、キミはアタシを疑おうともしなかった。まったくもって愚昧な善良さだよ、ソレは。純朴な鈍さが魅力的なのはラノベの主人公だけだぜ?」


 ぐうの音もでない。

 だが、ひとつだけ。

 ひとつだけ南戸に言うべきことがあるとするとするならば。


「……征士郎。あいつが文化祭にいた」

「だろうな」


 やれやれ、と薄ら笑いの南戸。


「もう説明するのも面倒だよ。聞かなくても予想はつくな?」

「ああ」


 もしこの梔子の予想が当たっていれば、だが……。

 意図したにしろしてないにしろ征士郎に話を聞くべきだろう。

 あいつと話すのは苦手だし、正直に答えてくれるとは限らないが。


 不意に、ケータイが鳴った。


 澪だ。

 珍しい。あいつからの着信なんて今までなかった気がする。まだ文化祭の途中だし、なにか緊急の用事でもできたのか。

 南戸にすまんと断って、電話に出る。


「どうし――」

『ツムギくんまだ学校いる?』


 声がすこし不安げだった。

 澪の弱気な声は珍しい。切羽詰まっているような感じではなかったけど、少なくとも普段とは違っていた。


「いや、もういない」

『できればツムギくんに戻ってきてほしいんだけど……ムリ?』

「いますぐは難しい。あ、白々雪はどうした」

『わかった。白々雪さんいま水着コンテスト出てるよ』

「なんだとすぐ戻る!」

『……ツムギくん?』

「冗談だ。で、なにかあったのか?」

『ええと……』


 ガサゴソと移動するような音が聞こえて、澪が小声になる。

 まるで見えない誰かに聞かれたくないかのように。


『なんか変なの』


 まるで怯えるように。


『いろんなところで小さな騒ぎが起きてて……屋台のものが盗まれたりとか、壊されたりとか、展示品がイタズラされたりとか……それでみんなに聞いたら、今朝から妙な噂が流れ始めたって』

「……噂?」

『うん。いろんな人が悪事を働いてる自分自身を目撃してる、って。実際に怖がってるひとも多いみたいだよ』

「なっ」


 梔子だけじゃなかったのか。

 ……まさか、いや、しかしあり得ないわけじゃない。

 ってことは俺もここで悠長に話してる場合じゃない。

 前言撤回だ。なにが起きてるのか詳しく知る必要がある。


「急いで戻る」

『ありがとう。わたしはどうすればいいかな?』


 大人しく待っててくれ、と言いかけて止まる。

 このままドッペルゲンガーの噂と恐怖が広まればどうなるか。

 おそらく、事態がより混迷する。類は友を呼ぶんだ……そうすればさらにドッペルゲンガーが生まれ、よりこの騒ぎが大きくなるだろう。取り返しのつかないことも起こるかもしれないし、もう起こっているかもしれない。梔子のときのように。

 俺は詐欺師じゃない。そんなこと百害あって一利なし、だ。


「そうだな……澪はその自分自身を目撃したって人をなるべく多く探して、伝えてくれ」

『なにを?』

「この文化祭に変装のプロ集団が紛れ込んで、サプライズでイタズラして回ってるって」

『わかった……けど、そんなのでみんな信じるかな?』

「信じないかもしれない。でもそれでいいんだ。信じられないことを目撃したとき、人間はあり得そうな方(・・・・・・・)を信じたがるだろ? 事実よりも安心を求めるはずだ」


 俺はそう言って通話を切った。


「……ってことだ南戸、梔子」

「随分と詐欺師らしくなってきたじゃねえか」


 ニヤニヤ、となぜか嬉しそうにする南戸。


「ふざけんな」

「ふざけてないぜ?」

「ふざけろ」

「イヤだね」


 とにかく学校に向かわないと。

 澪の言葉を疑う余地はない。征士郎がなにかしたにしろしてないにしろ、あいつがいる以上は南戸がでしゃばるわけにはいかない。


『私も手伝うから』

「ありがとう。安心だ」


 詐欺師なんぞにはなりたくないけど。

 俺の学校の平和を乱すなんて、誰であろうと許すつもりはない。





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