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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
5巻 おおうそつきの、ホラバナシ

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6話 影

  

 窓の外から、賑やかなざわめきが聞こえてくる。


 文化祭は予定通り開催され、すでに屋台も始まっていた。校門から教室棟までずらっと食べ物屋が並び、そこに入りきらなかった屋台は中庭でも露店されている。

 図書委員の権限を利用させてもらって、俺は図書室の窓から中庭を見下ろしていた。むかいの教室棟の窓にもたくさん影が動いていて、あちらこちらにちらほらと一般客――だいたいは生徒の家族だろう――の姿も見受けられる。


 外と比べて静かな図書室の一番奥の席には梔子が座っていた。事情は、やはり話してくれないままだ。

 だがすこしは落ち着いたようだった。椅子に座って、ゆっくりとメモを掲げる。


『迷惑かけてごめんなさい』

「気にすんな。余計なお世話が趣味なだけだ」


 べつに文化祭で行きたいところもない。祭りが好きなわけでもなければ愛校心なんて殊勝なもんは持ち合わせていないし、自慢じゃないが友達は少ない。

 気軽な人間だから、こうしていられる。


「それより梔子、昨日から夜通し動きっぱなしだったんだろ? 腹でも減って――」


 言いかけたとき、梔子のお腹から小さな音が鳴った。

 くぅと控えめな主張。

 とっさに腹を押さえる梔子に、俺は苦笑する。


「だろうな……ちょうど屋台も始まったみたいだし、なんか食べ物買いに行くか」


 恥ずかしかったのか、いつも以上の無表情をつくったまま返事をしない。その頬はほんのりと朱色に染まっていた。

 まあ、この状況で堂々と屋台に行こうなんて思わないだろう。


「じゃ、なんか買ってくるよ。図書室は飲食禁止だから準備室で待っててくれ」


 梔子に鍵を渡し、図書室から出た。

 廊下を歩いていると、ちょうど突き当たりの階段をあがってきたのは白々雪と澪だった。なにやら口論をしながらだったから、姿が見えるまえに声で二人だとわかった。


「おうおまえら、こっちには展示も店もないぞ」


 俺を見てふたりは口論をぴたりと止めて、


「ほら、やっぱりここでしょ?」

「もはや凄いを通り越して怖いッスよ澪ちゃん」


 なにやら意味深なやりとりだった。


「俺に用か? どうした」

「ヒマなら一緒に文化祭どうッスか? 澪ちゃんもくっついてるッスけど」

「くっついてるのはあなたでしょ白々雪さん。ツムギくん、出歯亀つきなのはすご~く不満だけど、よければデートしませんか?」

「出歯亀なんて言葉よく知ってるッスね。いやあさすがッス」


 罵られてるのに感心する白々雪だった。

 澪が「当然よ」と胸を張ってるが、たぶん白々雪は褒めてるんじゃないぞ。むしろ貶してる。教えてやる気はさらさらないが。

 とはいえ、二人に付き合う気はない。


「すまんな。今日は梔子についててやるって決めたから」


 後ろの図書室を指さす。

 それだけで伝わったのだろう。

 澪が肩をすくめて、白々雪に一言。


「ほらね?」

「ツムギは絶対澪ちゃんを敵に回さないほうがいいッスよ。この子、(おそ)ろしいッス」


 なぜか神妙な顔で忠告された。

 よくわからんが、理解してくれたようだ。


「とりあえず屋台行くけど、そこまで一緒に行くか?」

「いんや、ウチらいまから軽音楽部のオープニングライブ行くんスよ。澪ちゃんがほら、徹底的な七方美人ッスからいろいろと約束してるみたいで」

「なによ。友達ゼロよりはいいでしょ」

「ゼロじゃないッス。三人います。ツムギ、梔子さん、歌音ちゃん」

「わたしは?」

「……友達のストーカー?」

「白々雪さん、友達少ないならちょっとは大事にした方がいいんじゃない?」

「仕方ないッスね。ストーカーの友達にしておいてやります」

「そんなんだから友達できないのよ」

「安心してください。澪ちゃんにだけッスからコレ」

「ハッ倒すわよ」


 また口論しながら階段を降りていくふたり。

 仲が良いのか悪いのかよくわからんやつらだ。

 俺もここでゆっくりしてるわけにもいかない。梔子の腹の虫がわめきだす前に買ってこないとな。






 予想してたより混雑してなかった。

 初日の昼前の時間ってのもあるのか、準備中のところもちらほらとあった。白々雪たちが行ったように軽音楽部のライブもあり、たしか体育館でも最初のイベントが開催されてるからか、並ばずに買えた。

 それでも屋台の通りは人で溢れていた。正門からずっと続くから、一般客の姿も多い。

 焼きそばとたこ焼きとフランクフルト。

 祭りの枕詞みたいなジャンクフードみっつを引っさげた俺は、特別棟に戻ろうと人のあいまをすり抜けていた。


「おっと」


 前を歩いていた女子生徒が不意に立ち止まったから、そいつを避けようと身をかわした。

 俺の目に飛び込んできたのは、煌びやかな着物だった。

 紫を基調とした上質な生地。あまり着物には精通してないからわからないが、一般人がそうそう着れるようなものじゃないってことはわかる。長い髪は(かんざし)で留めてある。絹のような白い首筋を見れば、そりゃあ女子生徒だって思わず足を止めてしまうだろう。

 美しすぎる外見に、抜群のスタイル。

 そいつは片手にりんご飴を持ちながら、俺を見て薄く笑んだ。


「ああ、君はいつぞやの少年じゃないか」

「……征士郎」


 とっさに名前が出てくるのは、たぶん俺がずっと警戒していたからだ。

 もちろん忘れてなんかいない。

 忘れたくても忘れることなんてできない、南戸の双子の弟。

 まだこの街にいたのか。


「ボクの名前、覚えててくれたんだ。つまり脈アリって解釈していいのかな?」

「男に興味はねえよ」

「生物学的にはね、男は男でも満足できるんだよ」

「心理学的に不十分だ。出直せ」

「これは手厳しいね。男はつらいよ」

「ってかなんでここにいるんだ? 一応、招待客しか入れないはずなんだが」

「フラフラ歩いてたらなにやら楽しそうな雰囲気じゃない? 受付のお兄さんにちょっとお願いしてみたら快く入れてくれたよ」


 あどけない笑顔。

 腰の帯に挿したパンフレット……嘘じゃなさそうだ。


「キミの学校だったんだね。ってことはあの胸の大きいメスもいるのかな?」


 胸の大きいメスて。

 白々雪のことだろうが、もちろん教える気はさらさらない。


「ここまで入ったならもう仕方ないけどな、うちの男子生徒に変なことすんじゃねえぞ」

「逆説的に、女性教師になら手を出していいわけだ?」


 悪戯好きの子どものような笑顔で、舌なめずりする征士郎。

 そんな言葉遊びがしたいわけじゃない。


「おまえの人生に関わる気はないけど、俺の周りには迷惑かけないでくれよ」

「この前で随分と嫌われたようだね」

「あれで好かれる要素があったと思うのか?」

「もちろん」

「自信あるな。どこにだ」

「そりゃあ外見さ。今日のボクも綺麗でしょ?」


 くるり、とその場で一回転する征士郎。

 周囲のやつらが見惚れる。少なくともいまの一瞬で、りんご飴とフランクフルトが五本ずつは落ちただろう。迷惑千万このうえない。

 客観的に見ればそりゃあこいつの外見は他人に好かれる大きな要素だが、


「美しさはつまるところ平行線だって前に聞いただろ。俺は平均台が好きだが、美しいからじゃねえ。安定してるからだ」

「安定か。ボクの真逆だね」

「つまりそう言うことだ」

「でもボクはむしろ嬉しいよ。好きの反対ってわけでもなさそうだ」

「言わなかったか? 俺はおまえが嫌いだ」

「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心でしょ?」

「好きの反対は嫌いだろ。無関心の反対が好奇心なだけだ」

「ベクトルの問題だよ。上っ面だけの感情の表裏じゃないんだ。好きの反対も嫌いの反対も、どちらも無関心にたどり着くものだとボクは思ってるよ。ま、正直そんなのどっちだっていいけどね」

「そうか。俺も議論する気はない」


 肩透かしを食らったような感覚だ。


「それよりいいのかい? お友達が待ってるんじゃないのかい?」

「……どうしてわかる?」

「一人で食べるならその量を一度で買う必要もないし、時間的にもあまり考えづらいかなってね。それに、キミは献身的な男の子みたいだからね……キミを待ってるのは、そうだね、この前キミのうしろに隠れてた髪の長い女の子かな? せっかくのお祭りなのに買い出しを一人でしてることを考えると、なかなかキミを使うのがうまい子なのか、キミが彼女の世話を焼きたいのかどちらかだね。キミのはっきりした性格を考えると後者かな? 関係性はフラットだけど、事情があって一緒には買い物できない……そんなところでしょ?」


 ……やっぱり、こいつは苦手だ。

 観察眼、推理力、そして俺の反応を見ながらの台詞運び。

 背中に冷や汗が流れ落ちる。

 南戸の弟ってのがよくわかる……もし敵として対峙したとき、俺じゃあ太刀打ちできないだろう。

 俺は笑みをひきつらせて、


「正解だ。そういうことだから俺は行くぞ。もう二度と会わないことを祈るよ」

「またいずれ、今度はボクのことをもっと知ってもらいたいな」


 ふざけろ。

 俺は逃げるように征士郎から遠ざかる。


 おそらく知れば知るほど恐ろしいやつだろう。南戸ほど真正面からねじ伏せてこないだろうが、その分厄介な相手だ。手のひらのうえで泳がされて踊らされる、そんな気がする。

 そもそも、あんな人間離れした外見の持ち主なんてひとりで十分だ。

 こんな人混みのなかでいられちゃ商売の邪魔にもなる。


 そう考えると南戸の言うとおり、南戸はそのあたりをわきまえてる。なるべく外に出ないように生活をして、周囲を乱さない。ここぞというときだけ周りを利用し、謀り、騙して解決する。

 征士郎にくらべて南戸のほうが幾分か俺の平和主義には優しいようだ。


 まさか、南戸のありがたみがわかる日がくるなんてな。

 苦笑する。


 屋台のある通りを抜け、中庭を歩く。

 ざわめきを背後にしながら特別棟の玄関を目指していると、中庭のさらに先――焼却炉のあたりに人影が見えた。


「……ん?」


 この学校には、木材建築を行える施設がある。

 簡易な家を建てたり、基盤の構造を作ってみたり、となかなか面白みのある授業らしい。そのためにたくさんの木材を消費するんだが、そうすると当然塵屑がでる。それを燃やすためにつくられた焼却炉なのでかなりの大きさなのだが、使用できるのは用務員のおっちゃんだけだ。

 だから処分するものは焼却炉横の納屋に放り込まれているんだが。


 その納屋の前に梔子がいた。


 図書室で待ってるはずの梔子が、納屋の前でぽつんと佇んでいた。

 遠くて表情まではわからない。その横顔がすこし下に向いてることだけはなんとか見えた。納屋の床あたりとじっと見つめる梔子。


 俺は特別棟に入るのをやめて、中庭を進んだ。


「そこでなにしてんだー?」


 声を張る。

 弾けるようにこっちを見た梔子。


 その表情はいつにもまして無表情だった。


 俺が近づいていくよりも早く、梔子は踵を返すとその場から離れた。

 逃げるような様子だったので慌てて追ったら、校舎の陰に飛び込んでそのまま消えた。足が速い梔子のことだから、本気を出せば俺なんかじゃ捕まえられないだろうけど、それにしてもどこか様子がおかしかった。


「なんだよ、あいつ……」


 おとなしく図書室で待てない理由があるのだろうか。

 梔子の影を見失うと、俺は納屋を覗き込む。

 文化祭で使われた木片のゴミがたくさん積まれていた。


 その床。

 木片の隙間に落ちていたのは、本の残骸。

 俺と梔子が展示するつもりだったものだ。


 俺は息を呑んだ。


 本は引き裂かれ、ズタズタにされていた。

 二度と修復できないよう念入りに破られたかのように、徹底的に踏みにじられて見る影もない。

 他の展示物よりもあきらかに損傷がひどかった。

 そりゃあ直せないわけだ。


「はぁ」


 ため息を吐く。

 やるせない気持ちになりながら、俺は納屋を後にした。

 

 中庭を引き返して、特別棟の階段をのぼる。

 梔子がなにを考えてるのかさっぱりだった。


 図書室に帰ってくると、すでに梔子は戻っていた。

 受付のカウンターで本を読んでいる。


『とりかへばや物語』


 はじめて見る古典だ。

 まるで何事もなかったように、じっとその本を読む梔子。俺がもどってきたことにも気づかないのか、ぴくりとも視線をあげようとしない。

 まあ、いいけど。


 そのまま図書準備室に入り、机に買ってきたものたちを置く。

 すでにパイプ椅子が用意されていて、そこで気づいた。


「……あれ?」


 おかしい。


 梔子はカウンターで本を読んでいる。相変わらずの古典好きだ。

 図書準備室は食事ができるように、机と椅子が準備されていた。さっきまでなにも準備してなかったのに。

 机の上にはポットと湯飲み、煎茶のパックも用意されている。

 ポットにはお湯。沸かされたばかりのものだろう。

 梔子のことだ、俺が買い物に行ってるあいだに手際よくやったんだろうけど、そう考えると帳尻が合わない(・・・・・・・)


 納屋に行くような時間があったとは思えない。

 

「なあ梔子」


 図書準備室から顔を出して、カウンターの梔子に話しかける。

 梔子はようやく顔をあげて首をかしげた。


「おまえ、外に出たか?」


 ブンブン、と首を横に振る梔子。

 嘘をついているようには見えなかった。


 つまりどういうことだ。

 俺は訝しみかけて、ハッとする。


「――まさか」


 考えて見れば簡単なことだった。


 梔子はクラス展示を壊そうとしたくなかったはずだ。

 でも、自分が壊したと言っている。

 事情は話そうとしない。


 それはなぜだ。


 行動には理由となる感情がある――と南戸は言っていた。梔子のなかの感情は、まだそう多くはない。

 ひとりで縮こまっていた梔子が感じていたのは、怯え……恐怖だった。


 心とそぐわない行動。

 自分がやった、という言葉。

 話せない事情。

 恐怖心。

 自分が壊した(・・・・・・)、という言葉。


 脳裏に閃いたのは、ひとつの怪奇譚。

 あまりに有名で、有名すぎるがゆえに思いつかなかった事象。

 似たような現象を、俺はすでに経験していたのに、だ。


 俺はすぐに書架を漁る。

 バッサバッサと本を取り出して中を見て、これは違うあれも違うと本を積んでいく。

 カウンターの梔子が首をかしげるなか、俺はようやくその項目を見つけた。


「もしかしてこれか、梔子?」


 俺は梔子にそのページを見せる。

 梔子は身を固くして、恐る恐るうなずいた。

 そこに書かれてあったのはどこの国にもある有名なオカルト。

 有名だからこそ、見る機会も多いはずだ。



【ドッペルゲンガー】



 入れ替え妖精(チェンジリング)とはまた違う。

 自分が別の自分を見る、という特異点。


 もうひとりの自分を見た者は近いうちに死ぬ。


 そう噂される、恐ろしい怪奇譚だ。



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