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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
3巻 ゆうとうせいの、コイバナシ

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恋話 <コイバナシ>


 妖精が去ったあとのことを、少し書いておこう。




 澪の記憶は、あるていど残っていた。


 最初から澪が妖精だったわけではなく、妖精であり澪でもあったわけだ。

〝入れ替え〟によって澪の意識が消えたのは、水晶壁の洞窟でこびと化したときだったらしい。俺の推理はやはり少し違っていたようで、なんというか、最後まで締まらなかったのは俺らしい。


 二体の妖精――〝海〟と〝修理屋〟に同時に憑かれていた後遺症はすこしだけあった。


「ねえツムギくん。恋人って、なんだろうね」


 真剣にそんなことを聞いてくる澪。心なしか顔も赤い。

 まだ妖精たちの気にあてられているようで、俺は「さあな」と短く答えておいた。恋だとか愛だとか、そんなものに答えなんてないんだろうけど、そこに答えを求めるようになるなんて、ひょっとしたら澪も本格的に興味を持ち始めているのだろうか。ストーカーと恋の組み合わせは……ちょっと恐ろしい。


「澪ちゃん! こっちくるッスよ! 海のもくずにしてやるッス!」

「そうだよ腹黒お姉ちゃん! 今日は波が高くて気持ちいいよ! 勝負しようよ!」


 膝まで海水につかり、ビーチボールで遊ぶ白々雪と歌音。ふたりとも相変わらず元気だ。

 パラソルの下、砂浜で座っていた澪は、


「ま、うじうじ考えてもわかんないよね! ――いまいく! あんたちなんか海のもずく程度よ!」


 勢いよく立ちあがり、ふたりにむかって駆けだした。

 その潔さは澪らしいというか、正直、ハッキリしていて好ましい。完璧な答えを求める姿勢は共感できないけれど、簡潔に答えを出せる性格はうらやましい。

 俺はねそべって目を閉じる。

 やっぱり澪は、澪のままだ。

 妖精に惑わされたのは澪だったが、妖精にも惑わされないのも、やはり澪だった。


 とそんな結論を纏めようとしたとき、俺のすぐそばで携帯が鳴った。

 鞄の中から取り出す。

 着信元は――南戸だった。


「……もしもし。いまさらなんだ?」

『なんだかんだと聞かれたら、答えてあげるが世の――』

「おいやめろ」


 それはやばい。さすがに。

 ずっと音沙汰がなかったというのに、相変わらずの女だった。


「――というかいままでなにしてやがった」

『すまないね少年。なんせ充電器が迷子でね。迷子センターに問い合わせようとしたけれど、どうやら梔子家にはサービスセンターも託児所もないらしい。いやはやどうしようか困っていたら昨日ふと思いついたのさ。自分で探せばいいんじゃないのか、ってね』

「ただの充電切れかよ!?」

『いやあ、家中ひっくりかえしてやっと見つけたぜ充電器。まさかそんなところにあるとは毛頭思わなかった。梔子クンも言ってくれりゃあよかったのに。いま家中が荒れに荒れててね。足の踏み場がないどころか足を踏み外して足がなくなる危険性もあるんだぜ? 梔子クンが帰ってきたらまずは家中を片づけてもらわねえとな、いやあ申し訳ない。途中からひっくり返すのが楽しくなって畳返しやちゃぶ台返しに興じてしまったぜ、まったく』


 こっちが奮闘している間になにしてんだ、こいつは。


「……で、結局どこにあったんだ」

『手の中さ』

「は?」

『究極の〝メガネメガネ……〟状態に陥ってたらしくてね、いやあ、まさかずっと握りしめてたなんて思わなかった。しかも三日もだ。灯台もと暗しなんて阿呆らしいと思っていたが、もと暗しならぬいと悔し、だぜ』

「おまえ……どんな茶目っ気だよ。完璧超人はどこいった」

『なに、ちょっとくらい欠点があったほうが魅力あるって言うだろ? どうだ、いまのギャップは。萌えたんじゃねえか?』

「ああ。怒りに燃えたよ。こっちは大変だったんだぞ?」

『だった、ってことは、アタシの出る幕はなかったってことか? つまり久栗クンがひとりで解決しちまったのなら……なんだ、アタシは今回蚊帳の外だったのか』

「そうだな。嬉しいことに今回はおまえの手を借りるまでもなかったよ」


 そう言えたのは、すこし爽快だった。

 こいつには、借りがたまりすぎてるしな。


『そいつは残念だな久栗クン。アタシの夢は、キミが返済不可能な債務を抱えて困り果てている姿を一目見ることなのに。……一歩遠のいてしまった』

「もうちょっとマシな夢を持て」

『マジな夢を持つ? アタシはいつでも本気だぜ?』

「ってのは嘘なんだろ?」

『嘘から誠が生まれることもあるって知ってたか? だがしかし、誠からは嘘は生まれない。そう考えると、誠と嘘、どちらかより有意義に使用できるものかキミの愚鈍な脳でもおのずと理解できるはずだが、どう思う?』

「……いや、わからなくもないがそもそも理解したくねえ」

『キミは詐欺師の才能は皆無だな』

「欲しくもねえよ」

『つまり、詐欺師に騙されやすいってことだがな。しょせん物は言いようだぜ? 本質を理解できずに否定すれば、おのずと思考の幅は狭まる。キミにそんな可能性を潰すような人生を送ってほしくはない』

「……いつもいつも鍛えてくれてありがとうな!」

『どういたしまして。いつもいつも騙されてくれてありがとう!』

「よろこべねえよ!」


 物は言いよう……なんて恐ろしい言葉だ。


「……てか、用が済んだなら電話、切るぞ」

『電話を切るのか? キミは自分の携帯電話もちものを大事にしない主義なのか、とんだ変態だな』

「通話を切るぞ!」

『まだだ。まだ主題が済んでないだろう? アタシが一番気にかけていることを、キミはまだ理解していないのか?』

「……ああ、そうだったな」


 俺は意識を横に向ける。

 パラソルの陰で、同じように座っているのは梔子詞。

 ひとりだけ水着姿ではなく、ワンピースを着ていた。

 なにやら俺が熱中症で倒れる直前に水着を着たらしいが、そのときの髪型が嫌だったらしく、水着を着ることすら拒否するようになった。恐怖か羞恥……そのどちらかが邪魔をしているのだろう。


『で、どうだ?』

「……さあな。あとで自分で確かめろ」


 俺は電話を切った。

 携帯電話を鞄にしまうと、梔子がじっとこちらを見てきた。その瞳にはなにか濁ったような色が浮かんでいるような気がする。なんだろう。

 梔子はメモを掲げて、


『電話、誰から? 女のひと?』

「南戸だよ。おまえの保護者」

『ああ。それなら良かった』


 なにがよかったのかはわからないが、安堵したようだった。

 今回は梔子の感情はあまり動いていないように思える。俺はずっと澪といっしょにいたから見てないだけかもしれないが、白々雪と歌音は初日からずっと遊んでいるだけだし、梔子の内面に変化があるようには思えない。

 この数日をとおして変わったことといえば、歌音が白々雪にたいしてすこし打ち解けたことくらいだろうか。


『久栗くん、今日はなんだか嬉しそう』

「そうか?」


 まあ、肩の荷が下りたのはある。

 妖精に振り回されたこの数日間で、ちょっとは澪のことが知れただろうか。澪がなにを求めて〝入れ替え妖精〟と変わってしまったのか、俺はたぶん、少しは理解したんだと思う。


 波に打たれてはしゃぐ澪を眺める。


 銀色の長い髪に、透きとおるような白い肌。

 バランスの取れた四肢に、青色のタンキニ水着。モデルのようなその姿には思わず見惚れてしまう。

 誰かを好きになる――そんなことを、本気でしてみたいのだろう。


 いつも笑顔の優等生は、そんな恋話を誰かとしたいのだろうか。あるいは恋わずらいをしたいのだろうか。俺にはそこまではわからない。けど、そういう気持ちを知りたいと思う女の子の心情を、まったく理解できないわけではないのだ。


「……優等生の本気の恋話、か」


 それは澪が日本にいるあいだに見ることができるのだろうか。見てみたい気もするし、見たくもない気がする。自分でもよくわからない複雑な気持ちになって、俺はごろんと寝転んだ。


 残り三日。

 この海辺の別荘で過ごす時間は、もう半分もない。せっかくの休暇にきたはずなのに心の底から休める気がしなかったけど、残りの時間は誰になんといわれようが休んでやる。


 平凡と退屈な日々こそが、俺の愛する日常なのだから――






「――これはどういうことか、説明してもらおうかしら、つむぎ





 いきなり聞こえてきた、聞き慣れた声。


 とっさに起き上がる。


 なぜか、梔子が正座して青ざめていた。


 ……いつからそこに立っていたのだろう。

 パラソルの陰から、その声の主を見上げた。


 シャツ、ジーンズ、サンダル。

 そんな定番中の定番な恰好をしていながら、そいつは圧倒的に煌びやかだった。

 化粧は完璧。

 スタイルも抜群。

 もうすぐ三十八歳になるはずの女性だとは、誰も思わないだろう。

 二十代にしか見えないその若づくりの顔は、むかしから生で見るよりもテレビ画面のむこうに見ることが多かった。


 俺は息を呑んでから、小さくつぶやいた。


「……母さん」


 ひとよんで〝鬼の歌姫〟。

 職業・歌手。芸能名は〝舞花まいはなククリ〟




 久栗舞華くくりまいかが、そこにいた。



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