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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
2巻 しらゆきひめの、ムダバナシ

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5話 アドバンテージ

本日2度目更新です。

 梔子屋敷には応接室が存在しない。


 むかしは応接室くらいあったらしい。だが部屋数がありすぎたうえ、南戸が居座ってからというもの家具も内装も道具もすべて散らかしっぱなしでぐちゃぐちゃになったから、梔子が生活しやすいようにすべて片づけた。その結果、どこが客間でどこが私室だったのかまるでわからなくなったらしい。

 梔子の両親はいまもどこかで遊んでいていずれ戻ってくるのだろうから、彼らの部屋はそのまま残している。だが客どころかセールスマンも来ないようなこの屋敷に、応接室は必要がなかった。

 だから俺は、また適当な空き部屋で梔子がお茶を入れてくれるのを待っていた。


「……でもなんでおまえがいるんだよ」


 あぐらをかいて正面を睨む。

 だらしなく座る甚平女が、けらけらと笑った。


「それは不毛な質問だぜ久栗クン。生まれてからいままで一度も死んだことがないから、アタシはるんだ」

「そうじゃねえよ。なんでここにいるかってんだ」

「前にも言っただろ? アタシはここの住人だ。つまりここを家にしているってわけだ。渡り鳥でもないんだから初夏になったら飛び立つなんてこともしない。もちろん暑いからといってスイカ割りにでかけたり流しそうめん大会にでかけたりもしない。おっと、海水浴を飛ばしたのはわざとだぜ。アタシは泳げないのが弱点なんだ」

「ふん、どうだかな」

「ほほう、わかっているじゃないか。もちろん嘘だ。泳ぎは得意中の得意だぜ。ただアタシが水着なんぞ着た日には、性欲を持て余したハイエナどもがむらむら群がってくるから危険なんだよ。この肉体はもはや兵器だぜ。どうだい久栗クン、ほんのわずかでも、見てみたいか?」


 と南戸が甚平の前をはだける。

 それほどふくよかではないが、程よい膨らみが見える。綺麗な肌。


「……やめろ」


 ……わかっている。こいつは悪女だ。最低な嘘つき野郎だ。根っからの詐欺師。

 なのに、くらっと来てしまう。

 顔も体も、描写してしまうと惹きこまれるほどにハイクオリティ。

 生物としての本能が、こいつに惚れるのが子孫繁栄の最短経路だと叫んでいる。遺伝子レベルでおそらく最良の女。

 ……だが、こいつは南戸だ。


「さっさと前を閉じろ。こんなところ梔子に見られたらどうすんだ」

「感心感心、会心だな久栗クン。私の魅了ボディの誘惑を拒否して、きちんと彼女のことを考える。それでこそ梔子くんの彼氏としての責務を果たした証明だ。褒めてつかわす」

「そりゃどうも」

「だがアタシとしては少し不服だな。いままで胸を見せて堕ちなかった男はいないんだが」

「俺の理性をなめるな」

「アタシの魅力をなめるなよ……うむ、デジャヴだな」


 まったくだ。


「とにかくアタシは不満だぜ? どれどれ、どうせお湯が沸くまで梔子クンが戻ってくることはないだろうし、ここはちょっくら勝負といこうか」

「いいよめんどくさい。勝負ならさっき澪と適度に遊んだから」

「適度に遊ぶのは社会人になってからだぜ久栗クン。若いうちは羽目を外すくらいでないと」

「嫌だ俺は羽目なんて外さない。いつでも既定の枠内に収まる人間だ」

「キミの意見は訊いちゃいないぜ。アタシが勝負するといえば勝負するんだ。ちなみに参考までに訊かせてくれるか。澪クンとの勝負はどんなものだった? スポーツか? それとも言葉遊びか?」

「……言葉遊びだ。禁止ワード勝負」

「なるほど、それは面白い。アタシとも一戦交えてくれないか」

「言葉遊びくらいならべつにいいぞ。羽目は外れないしな」

「よし決まりだ。なら久栗クン、禁止ワードを指定してくれ」

「俺が決めていいのか?」

「それくらいのハンデがないと、アタシが楽しめないんでね」

「じゃあ……『英語・和製英語』でどうだ」

「なかなか幅が広くて面白いじゃないか。じゃあいまこの瞬間から……開始だ」

「ちっ」


 とあっさり〝スタートの罠〟を越えた南戸は、禁止ワードにひるむことなく、


「ところで久栗クン、さっきアタシにどうしてここにいるのかと訊いたな? それはどういった料簡で、どういった含みを持たせた台詞だったんだ? まさか梔子屋敷に来てアタシに会わずに帰ることができるなんて甘い幻想を抱いていたわけじゃああるまい」

「なんだよ、おまえに用事がないんだから、べつに幻想でも夢想でもないだろ」

「相変わらず愚昧だな久栗クン。それはキミの都合だろう。そのキミの都合どおりに事が進むのは、キミの支配領域内だけでの話だ。キミが自身の家に梔子クンを連れて帰ったとすればその策略は滞らない。しかしキミは梔子屋敷に赴いた。ここはキミの領域内ではなく、アタシと梔子クンの生活領域だ。この環境でキミの希望が通りうるとでも思ったのか?」

「……いや、ふつう遠慮するだろ。仮にも俺が梔子の家に来たんだから。おまえが礼儀を知らないだけなんだよ」

「おやおや随分と邪険だねえ。ああ、そうか、なるほど。キミは梔子くんとちちくりあうためにここまで来たのか。それはすまなかったな気が回らなくて。ご苦労なことだ」

「ちげえよ」

「だがアタシがそれを認可するとでも思ったのか? 忘れたか久栗ツムギ、このアタシはいま梔子詞の保護者である! 詞がほしければ、このアタシを倒してからにするんだな!」


 立ち上がった南戸。拳を握り、ポキポキと関節を鳴らす。


「ほほう、倒したら貰っていいのか」


 俺もまた立ち上がり、関節を鳴らす。

 言っておくが、べつに南戸を倒してまで梔子が欲しいとかじゃない。

 南戸に負けを認めたくないだけだ。

 俺が立ちあがっても南戸はひるむことなく、ファイティングポーズをとった。


「万が一アタシを倒せたらの話だ。いや、万にひとつもあるわけがない。億が一……いや、兆が一だな」

「言ってくれるじゃねえか。だが、そのくらい調子に乗ってこその南戸だな!」

「わかってるねえ久栗クン!」


 ガシン!

 と拳がぶつかる。


「ははははっ! なんだなんだ久栗クン、そんなやわな拳でアタシに挑むつもりか!」

「そっちこそ、そんな速度で俺の拳を見切るつもりか!」


 ワタタタタタタ、と拳が乱れ飛ぶ。


「いいぞいいぞ久栗クン、もっとアタシの急所めがけて鋭い突きを出すがいい!」

「そっちこそ守ってばかりでいいのか! 俺の肩があたたまってきたぜ!」


 ホチャチャチャチャチャ、と拳が乱れ飛ぶ。


「くくくくくっ! 久栗クンが近接格闘術を習得しているとは思わなかったぞ!」

「むかし母親の命令でな! そっちこそ口だけの女じゃなかったみたいだな!」


 フヌヌヌヌヌヌ、と拳が乱れ飛ぶ。


「伊達に男どもを利用してきたわけじゃないからな! 身を守る術は最初に覚えたのさ!」

「ははははは! 騙すために強くなるとは、さすが南戸だ!」


 バシンッ!


 と南戸の右手が俺の右手を掴み、俺の左手が南戸の左手を掴む。

 ぐぐぐぐと競り合い状態になったとき、


「ひとつ訊くが、久栗クン」


 南戸が、享楽的な表情を消して、真剣に言った。


「……後悔してねえか?」

「なにをだ」

「梔子クンのことだ」


 その真剣な言葉に、なにが言いたいのかはわかった。


「してねえよ」


 だから俺は飾らずに言う。


「確かに俺はお前に騙された。梔子に騙された。まだ本気で信じてるわけじゃねえけど、俺がほんとうに梔子の純潔を奪ったのならその責任はとらせてもらうつもりだ。だが、そうじゃないにしても……」

「そうじゃないにしても?」

「……俺はもう、梔子詞の彼氏だ」

「合格だ」


 と。

 にやりと笑った南戸が、腕の力を抜いた。


「うわっ」


 前のめりになってしまう俺。

 とっさのことでつまずいてしまい、バランスを崩す。

 正面にいた南戸にぶつかり、そのまま倒れた。


「ってて……すまん南戸」


 押し倒すようなかたちになってしまい、とっさに謝った。

 しかし南戸は答えない。

 ニヤニヤと笑って、俺のうしろを眺めていて……


 まさか。


 俺が振りかえると、そこには戸をあけて、お茶をいれたお盆をかかえて立っている梔子の姿があった。

 じっと俺たちを見ている。

 俺は跳ね起きた。

 

 いままでの人生でもっとも俊敏に動いただろう。

 すぐに南戸から離れる。


「ち、ちがうんだ梔子、これは事故であって決して南戸の体に欲情して飛びかかったとかではなくて決してそんなことはなくて俺はただ南戸とおまえのことを話し合っていただけなんだよ信じてくれお願いだ!」


 すると梔子が首をかしげる。

 なんで話し合ってただけでああなるの? とでも言いたげだった。


「それには深い事情があってだな! まず俺が南戸がどうしてこの部屋にいるのか疑問に思ったところから始まり、南戸との口げんかになり、言葉勝負になり、なぜか格闘戦になり、そしたらいつの間にかこうなっていたわけだ! おい南戸! おまえも黙ってないでなんとか言え!」

「もうすこし早かったら邪魔が入らなかったのにな、残念だよ久栗クン」

「やっぱり黙ってろ!」


 くそ、ちょっとでもこいつに気を許すとすぐこれだ!


 とはいえ、慌てる俺とはうらはらに、梔子はいつもの無表情だった。

 さすがにここまで無反応だと、なんか傷つく。

 俺が狼狽していると、南戸が小さくつぶやいた。


「……ふむ。まだ嫉妬心は芽生えない、か……」

「あっ」


 そうだ。

 いまの梔子にあるのは、恐怖と羞恥。

 そのふたつでほとんど感情を成り立たせている梔子だ。こんな瞬間を目撃しても、なにも感じることなんてできない。

 それを感じるようにするために、南戸がいる。

 南戸は言ったではないか。『これからもよろしく頼む』と。

 ……すべてが南戸の掌のなかだったと、ようやく気づいた。俺がまったく役に立っていないことも。


「そう落ち込むな久栗クン。焦らずとも良いんだぜ。羞恥心を取り戻すのに一年もかかったんだ。ほかの感情だってそのうち取り戻してくれるさ」

「……そうだな」

「それよりお茶にしようぜ。さあさあ、今日はなにを用意してくれたのかね」


 と南戸はさっさと元の位置に座りなおす。

 梔子が南戸のまえにお茶と茶菓子を置く。

 南戸は配られた大福を見て歓声を上げてから、ぼうっと立っている俺に何度は視線を向け、


「ほらさっさと座れ。梔子クンが用意してくれたお茶はなによりも優先される。たとえ地球が滅びようとする瞬間でも、たとえ人類最後のひとりがアタシになったとしても、アタシは梔子クンのお茶をすすって茶菓子を食べながら滅びを待つ!」

「そんな状況ねえよ」

「あるさ。アタシは人類のなかで最優先に生存権を与えられているからな」

「どんなアドバンテージだよ」


 俺は呆れて座った。

 すると、南戸がにやりと笑って。


「アタシの勝ちだ」


 ……あ。

 完全に忘れてた。


 勝ち誇った南戸の顔を見て、俺は息をついた。

 どうやら俺は、まだまだ南戸に敵いそうにない。


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