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59 とりあえず解決

「オヤジ!」


 気絶したガーシュをどうしようかとアイリスたちが困っていると、そこにロシュがやってきた。


「ロシュ。どうしてここにいるのじゃ?」


「オヤジの気配を感じたから、慌てて飛んできたんだ。それにしても、これは一体どういうことなんだ……? オヤジは気絶してるし、さっきは何度も落雷があったし、それどころか急に夜みたいになったと思ったら、また明るくなったし……」


 色々なことが一度に起きて、ロシュは混乱していた。

 なのでアイリスたちは順を追って説明した。


 魔光石の力で天上世界の神となったことをガーシュが認めたこと。

 そのことが神意大教団の記録に残らないよう、ケイティとミュリエル、ついでに周りにいたアイリスたちを亡き者にしようとしたこと。

 落雷はガーシュの攻撃魔術であり、夜になったのはイクリプスの能力であること。

 そして戦いの末、こうしてガーシュを気絶させたこと。


「……なんてことだ。権力に名声……オヤジはいつからそんな神になってしまったんだ」


 ロシュはジェシカの背中に横たわる父親を見下ろし、信じられないという口調で言った。


「妾も信じられぬ……ガーシュはそんなものに固執する神ではなかった。何か理由があるはずなのじゃ」


 ミュリエルも深刻な顔で考え込む。

 かつてのガーシュを知っている二人にとって、彼の今の姿は、とうてい受け入れがたいものであるようだ。


「……あの。ところで、ロシュ様のお母様であるポルトフィーナ様も、天上世界の神になっていましたよね? ポルトフィーナ様も同じように、魔光石の力で天上世界に行ったのでしょうか?」


 ケイティが疑問を口にする。


「ガーシュの嫁か。ポルトフィーナは確か、また別の土地の守護神で、ロシュを生んだ後、ガーシュより一足先に天上世界に行ったのじゃったな。妾は直接会ったことはないが……ロシュよ。どうなのじゃ?」


「分からない……母さんはあたしが生まれてから五年後には天上世界に行ってしまったし、その間も、あたしを育ててくれたのはオヤジで、母さんとはあまり会ったことがないんだ。でも印象に残っている母さんは……気高い神だったぜ」


 ロシュがそう絞り出すように語ると、気絶していたはずのガーシュが不意に目を見開いた。


「ああ、そうだ。ポルトフィーナは気高い女神だった。私などとは違ってな!」


 瞬間、オーブが輝き、稲妻が吹き荒れた。

 アイリスは防御結界で全員をガードする。

 しかし、その隙にガーシュは上空へと逃げてしまった。


「あー、そっかー。あいつの魔力は吸ったけど、オーブの魔力は残ってたんだー」


 イクリプスは残念そうに言う。


 言われてみれば、ガーシュ本人の魔力など大したものではなく、雷を出すときはいつも、オーブの魔力を使用していた。

 つまりは、魔光石に依存した戦い方。

 まずは魔光石をどうにかしないと、ガーシュを倒せない。


「オヤジ!」


「我が娘ロシュよ。お前には私のこのような姿を見せたくなかったぞ」


「だったらやめろよ! いや、そもそもどうしてこんな……」


「どうして、か。それは単純な理由だ、ロシュよ。お前の母ポルトフィーナは、私などより遙かに強かった。人間の信仰心なしでも神の力を使えたほどだ。そしてお前を生んだあと、自力で天上世界の神になってしまった。私は好きな女に置いて行かれたのだ。追いかけようにも、私には力がない。努力したところで伸びしろはなかった。信仰心を集めようにも、あの程度の町の規模では、たかが知れている。だから諦めかけていた。そんなとき、当時の子爵が私に願ったのだ。シルバーライト男爵領のリンゴを全滅させてくれ、と。だがシルバーライト男爵領はミュリエルの土地。そこに手を出すには、まずミュリエルの力を封印する必要がある。私にはそんな力はなかった。だから魔光石を集めるように子爵に命じた。そして私は思いついた。大量の魔光石があれば、私はポルトフィーナを追いかけ、天上世界に行くことができるのでは、と。結果、願いは叶った。子爵の願いも、私の願いも。それで終わりのはずだった。なのにミュリエル。今頃になって復活するとはな……」


 ガーシュはミュリエルを忌々しそうに見下ろした。


「なんと、そういうわけじゃったか。妾はお主を真面目な神じゃと評価していたが……真面目すぎて恋に目がくらんだな。しかしガーシュ。別に妾が復活してもよいではないか。二百年前の真実が暴かれ、地上におけるお主の名声が落ちても、天上世界でポルトフィーナと暮らすことができれば、それで満足のはずじゃ」


「そのまま天上世界にいることができればな。しかし神々は天上世界から地上を監視しているのだ。私の悪名が広まれば、私が本当は天上世界にいられるほどの神ではないとバレてしまう。そうなったとき創造主様が私を天上世界に残してくれるかどうか……」


「ふむ。じゃから、そうなる前に妾たちを消してしまおうと……じゃが、今この瞬間も、天上世界の神々は見ているのではないか? もしそうだったら、妾たちを消しても結果は同じじゃ」


「あるいはそうかもしれない。だが、その可能性は低いだろう。なにせ地上は広い。丁度、今この瞬間を見られているとは考えにくい。しかし、可能性は時間とともに大きくなる。だから、早く片付けなければならんのだ!」


 ガーシュが吠えた、そのとき。

 空に黒い亀裂が走った。

 そして、声が聞こえてくる。


「いいえ、ちゃんと見ていたわ。ああ、なんて馬鹿な人。そんなことを心配していたなんて。あなたが魔光石で強くなったことを、私や創造主様が見抜いていないと本気で思っていたのかしら?」


 声の主と思われる麗しい女性が、空の亀裂から姿を現した。

 と同時に、手にしたムチでガーシュの体を縛り上げてしまう。


「母さん!?」


「ポルトフィーナ!」


 ロシュとガーシュが同時に叫んだ。


「あらロシュ。久しぶりね。もっとも私は、ときどき天上世界からあなたのことを見ていたけど。ちゃんと守護神をやっているみたいで偉いわ。ちゃんとしていた頃のお父さんに負けないくらい。それに比べて……ガーシュ。なんて悪い子かしら。お仕置きが必要ねぇ」


 ポルトフィーナは妖艶な笑みを浮かべ、ガーシュの頬をペロリと舐めた。


「や、やめろ……こんなところで……娘が見ているのだぞ!」


「お黙りなさぁい!」


 そう一喝すると、ポルトフィーナは何もない空間からムチをもう一本取り出し、ガーシュの背中に打ち付けた。


「ああっ!」


 ガーシュは痛みに顔をゆがめるが……その悲鳴はどこか嬉しそうだった。


「こ、これは……イクリプスの教育に悪いやつだわ! 見ちゃ駄目!」


「えー、なんでー?」


「何でもよ!」


 アイリスは妹の目を手で塞いだ。

 これでイクリプスに怪しい光景を見せずに済んだ。

 だがアイリスとて、まだ一歳にも満たない子供。

 怪しい光景を見てはいけないはず。


「誰か! 誰か私の目を塞いで! 私の教育に悪いから!」


「か、かしこまりました!」


 シェリルが塞いでくれた。

 これで一安心。


「ぷにに?」


 プニガミが「目を閉じればいいだけなんじゃ?」と聞いてくる。

 だが、見てはいけないと思いつつ、アイリスは興味津々なのだ。

 うっすら目を開けて、見てしまうに違いない。

 だから誰かの手で強制的に視界を塞いでもらうしかないのである。


「ケイティの教育にも悪いのじゃー」


「ボクは十五歳なので大丈夫です!」


「ギリギリの年齢じゃな……念のためにメガネを外すのじゃ」


「ああ、何も見えません! 返してくださーい」


 ケイティの裸眼の視力は、本当に低いらしい。

 メガネを取り上げたミュリエルが目の前にいるというのに、両手をさまよわせ、溺れているような動きをする。


「マリオン、あなたも目を閉じてなさーい」


「え、私は子供じゃないし!」


「いいから閉じるのよ」


「は、はーい……」


 こうして幼い少女たちが教育上の問題から視界を塞がれている間、上空からはムチ打ちの音と、甘い悲鳴が降り注いできた。


「まったくもう。人間に魔光石をあれだけ集めさせたっていうのは、結構凄いことなのよ、ガーシュ。なのに自分を過小評価したあげくに暴走するなんて。天上世界に帰ったら、創造主様に叱ってもらって、それから改めてお仕置きよ。そんなわけでロシュ。迷惑をかけたわね」


「え、待てよ、母さん。オヤジはこれだけのことをしでかしたんだぞ!? それなのに、あっさりと連れて帰られたら……」


「これだけのことって? 大したことないじゃない? 何千人も死んだりしたのかしら? 火山が噴火したりしたのかしら?」


「いや、そこまでは……」


 ポルトフィーナの言葉にロシュは口ごもる。

 言っていることのスケールが大きすぎた。

 それも冗談で言っているのではない。

 明らかに本気の口調だった。

 ポルトフィーナは本当に、ガーシュのやったことを『大したことない』と思っているのだろう。


「さ、流石は天上世界の神……人間のスケールとは違いすぎます……!」


 ケイティは感心した声を出しながら空を見上げる。

 だがメガネがないのでポルトフィーナがどこにいるのか分からないようで、明後日の方角を見ていた。


「ポルトフィーナよ。お主の夫のおかげで、妾はかなり酷い目にあったのじゃが。それに対する落とし前はないのか?」


「ないわよ。だってあなたはガーシュとの戦いで敗北した。だから封印され、信仰心を失った。そして今、ガーシュはそっちのアイリスとイクリプスに負けて、こうして私に捕まった。神々ってそういうものでしょう?」


 でしょう、と言われても。

 アイリスは本来魔族なので、まるで分からない。

 ミュリエルですら難しい顔で唸っている。

 ただ一人、ケイティだけが激しく頷いていた。


「歴史をひもとけば、古来より神々は争いを繰り広げています。もちろん、ミュリエル様たちのように協力し合うこともあります。神々の歴史は、面白いのです!」


「あなた、神意大教団の人ね? いつも私たちの記録をまとめてくれてありがとう。実は私たちもたまにあなたたちの記録を盗み見てるのよ? 結構助かってるわ。これからも頼んだわね。じゃ、そういうことでさようならぁ」


 ポルトフィーナはガーシュを連れて、空の亀裂の中に入っていく。


「ああ、それにしてもガーシュ。あなたったら私がいないと何もできないくせに、見栄っ張りでいつも私にいいところを見せようとして……私を追いかけて天上世界まで来ちゃったときは、本当にゾクゾクしたわ。ずっとずっと可愛がってあげるからね……」


 亀裂の奥から、何やら教育に悪そうな声が聞こえてくる。

 それがフェードアウトするとともに、亀裂は溶けるようにして消え、もとの普通の青空に戻った。


「……嵐のように現われ、嵐のように消えていったわね」


 気が抜けたアイリスは、プニガミの上に腰を落とした。


「済まない、皆……オヤジ以上に母さんがアレな感じだった……」


「いや、そこはロシュが謝るところではないが……うーん、一応、これで全て解決したということじゃろうか?」


「多分、解決したと思います……」


 そう言ってシェリルもプニガミに座り込んだ。


「私、疲れたー。チョコ食べたーい」


「はい、どうぞ」


「わーい」


「イクリプスはチョコさえあれば何でも解決なのね……私は今日一日、疲れが取れそうもないわ」


 マリオンが肩を落としながらボヤくと、ジェシカも同調してきた。


「私もよー。あのポルトフィーナって神様。ヤバかったわー。なんて言うか……アイリスちゃんと違って、絶対に手加減してくれなそうな感じね。戦ったら一秒も経たずに殺されそう」


 ジェシカの言葉を聞き、アイリスはなぜこんなに疲労感があるのか、合点がいった。


 アイリスとて、今まで何度か戦ったことがある。

 その全てに勝利してきた。

 しかし戦う相手の命を奪おうと思ったことは一度もない。

 むしろ積極的に避けてきた。


 だが、あのポルトフィーナは、命を奪うことを躊躇しないだろう。

 アイリスは彼女のことをほとんど何も知らないが、目を見れば分かる。

 あれは怖い神様だ。

 しかし邪悪なわけでもない。

 ただ存在している立ち位置が文字通り雲の上であり、地上の常識とかけ離れているのだ。

 あの目こそ、まさに神の目線。

 地上にいる神々とは、少々、格が異なるようだ。


「ぷにぷに」


「ん? そうね、帰りましょう。早くベッドでぐっすり寝たいわ……こんな長いこと真面目に活動するなんて、私にあるまじき行動だもの」

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