10話 お偉いさんの決断は必要なものだった
小谷さんに才女と呼ばれた渡部さんが険のある顔で俺に視線を向けてる。
「先ほど自衛隊のほうから連絡を受けました。
市街地で危険な攻撃を使用したため、いくつもの住宅が火災になったと報告が来てます。
なにか弁明することは?」
あまりにも真剣な表情をみせるため、逆に俺のほうが笑いそうになった。
「弁明? なんのことだ?
なんも間違ってない俺がなんでそんなことを言わなくちゃならないんだ」
「……以前に協議したとき、こちらの了承を得ていない場合は危険な攻撃、例えば燃える魔法などを控えるって約束したんじゃないですか?」
俺の言葉遣いに渡部さんは一旦目を見開き、すぐに落ち着きを取り戻して質問してくる。
「渡部さん、契約に基づくと重要施設以外は俺の判断で処分していいって書いてあったよな」
「ええ、確かに契約ではそう記載しました。
ただわたしたちがこちらへ戻ってから、芦田様との会議で先ほど言ったように、なるべく建物を保全するって契約変更に応じると約束しましたよね?
会議録も残ってますから出しましょうか?」
「ああ、それは否定しないよ。
だけど状況が許す限りって、会議のときに言ったはずなんだけど?」
「はい。確かに会議のときはそういう但し書――」
「その状況が許されないんだよ、わかってんのかあんたは!」
「――」
いきなりの怒声に渡部さんは椅子ごと後ずさった。
ここは事務室のちょっとした応接空間みたいなところ、周りには渡部さんの同僚たちが仕事に勤しんでるため、俺の大声を聞きつけた全員が一斉に顔を向けてくる。
「……悪い、大声なんか出して」
「……」
黙り込む渡部さん。だけど俺は自分の主張をはっきりと言葉にしなくちゃいけない。
「渡部さん、改めて申し入れる。
契約書通りでいいかどうか、変更したいなら現実に沿った明確な方針を俺にくれ」
「……それは前に――」
「市をできるだけ保全しつつ、ここにいそうな生存者をすべて救い出して、市を占領している全部のゾンビを排除しろってのは無理なんだよ」
「……」
黙り続ける渡部さんを見て、小さく吐息してから自分の思いを告げる。
「理想的なことを俺に押し付けるな。
先に片付けるべきことを選べ、それか政府に支援を要請しろ」
「無理を言ってるのは芦田さんじゃないですか、自衛隊が動けないのはあなたもよく知ってるんじゃないですか」
拳を強く握りしめ、静かな怒りを瞳にたたえてる彼女は思いっきり睨みつけてきた。
「俺ならできるとでも?」
「芦田さんは大阪城公園を取り戻した実績があるじゃないですか?」
「ああ、そうね、そうだよな。
――じゃあ、徳島城からゾンビを殲滅して、そこを拠点化すればいいんだな?
なーんだ、そういうことなら早く言ってくれよ。
さっそくだが明日からでも徳島城を落としてくるわ」
「……」
わずかながら体が震え出す渡部さん。
今の彼女は怒りに燃えて、それが言動にならないように自制心で抑えてるのだろう。
「……渡部さんが愛する市と生存してるかもしれない市民を思う気持ちはわかってるつもり。だからと言って他人にそれを押し付けないでほしい。
――契約書通りなら、今ここにいる地区はあんたたちが指定する重要施設以外は壊していいはずだ」
「ですからそれは会議のときに変更してほしいと申し上げました」
「ああ。それは聞いたし、こっちもできる限りの努力はしたいと自分なりに頑張ってきた。
公共施設以外に、市にとってはいくつもの重要な施設があることはここに来てわかったし、住まいになれそうな建物を救助した市民のために確保したい気持ちもちゃんーと伝わってきた」
「それなら——」
「——だからこそ俺も譲歩して、それはできるだけ保全するって約束をしたんだ」
「……」
「あんたも自衛隊から回してきた動画記録に目を通してるでしょう? そりゃ全部できたら一番いいというのは俺にもわかる。
だけどここにいるゾンビは強いし、自衛隊さんの安全も気を配らないといけない。
正直に話そう。渡部さんが望むようなことは今の俺にはできない。
そのために選んでくれって俺が言ってるんだ」
「……もし、もしもやはりこちらの方針に従ってほしいって言ったら?」
「それ以上は言わせないでくれ。
まだ双方に妥協する余地がある今、俺からはなるべくそういうことを口にしたくない」
契約書の最後に記載してある特例、乙が希望する場合は一方的に契約を破棄することができる。
決裂になることを言ってしまえば終わりになる。
まだ市ともなんらかの明白な関係を築けていない今、切り出したくないカードであることを俺は自覚してる。
――だからさあ、頼むからこの辺りで引いてくれ。頭が良いなら妥協することを覚えろよ、才女さん。
「――それなら芦田君は現況を打開するのに、どれを選択したほうが適切と思ってるのかな?」
聞き慣れない男の声に思わず渡部さんから視線を外して、男のいる場所へ目を向けた。そこには髪の毛が白く、温柔そうな表情でこっちを見てくる品の良いおじさんが立っていた。
「市長……」
横から聞こえてくる渡部さんの驚いてる声、どうやらこの人が賀島市長のようだ。
「これまでの資料は目を通したし、今の話も君らが見えないところで聞かせてもらった。
そこでだ、芦田君。君が打ちたい手を聞かせてくれないかな?」
「……お会いするのは初めてですね――初めまして、芦田輝です。
えっと、あいさつもしてないのにお騒がせしました」
「おっと、これは驚かせたようですまなかったな。
ちょっと双方の意見に相違があるように聞こえたのでね、でしゃばらさせてもらうよ。
——無線では何度かお話させてもらったが、会って話すのは確かに初めてだったね。
僕が市長を務める賀島だ」
「先は大声ですいませんでした。よろしくお願います、賀島市長」
「こちらこそ今後もよろしく。
――先の話に戻るけど、僕は一昨日にここへ帰ってきたばかりだ。
職員と自衛隊にあまり大ごとにしないでくれって頼んでおいたから、渡部君や佐山君たち、僕が帰ってきてることを知っている人が少ないのだよ」
「そうですか」
「芦田君の活躍はいつも耳にしてるのでね、これからも頼りにさせてもらうよ」
柔らかい物言いのおじさん市長だった。
前に小林さんが賀島市長は話の分かる人と教えてくれたし、無線会議でも無茶振りはしてこなかった。
担当してるのが渡部さんとは言え、もしこの人の支持がなかったら、契約が俺に有利内容で進められなかった。それを変更しようとしたのが担当者の渡部さん。
この市長さんなら、仲良くしたほうがいいかもしれない。
「それでだ。改めて芦田君の策を聞かせてほしい」
「はい。私の考えでは敵が密集する徳島中央公園を先に落としたいんです。
それでゾンビの数が減るんで、その後に時間をかけて、市内に潜むゾンビを掃討していけばいいと考えてます」
「ふむ……小林知事から聞いた和歌山の経歴だが、橋は封鎖しないのかな?」
「この地区に既存する南側の橋は開けた状態にして、そのほかは先に封鎖します」
市長は俺の話を聞きながら応接空間まできて、空いてる席に腰掛けた。
「南側の橋はなぜ封鎖しないことを説明してくれるかな?」
「封鎖するつもりはありますが、それはこの地区から大部分のゾンビを排除した後のことになりますね。
これまでの偵察と対戦でわかったことなんですけど、ここにいるゾンビたちって、不利の状態になると逃走し始めちゃうんですよ」
「……」
黙ったままの市長さんに俺は言葉を続ける。
「ここは市の中心部だけあって、ゾンビの数が多いんですね。しかもどうも徳島城一帯に集まる傾向にあるんですよ。
そこでまずはそこにいるゾンビに戦闘を仕掛けて、主力を撃破したいと考えました」
「ふむ」
「できるだけ多くのゾンビを新町川の向こうの地区へ追い落として、その後に南側の橋を封鎖します」
「ほう、なるほどね」
「最後の仕上げとして、自衛隊さんと一緒に市内の建物に残留するゾンビの掃討戦に移る予定なんです」
「ゾンビを排除するのではなく、追い出すってことかな?」
「同じく排除なんですよ、形は違うんですけど。
討伐する時間と手間を考慮しますと、逃げる習性を利用して、あいつらを追い出したほうが作戦を共にする自衛隊さんに危険を及ぼさないと考えたんです」
「そのための排除ということだね」
「とにかく今は安全な生存領域をできるだけ確保することが急務だと俺は思ってます」
目をつぶりながら話を聞いてくれてた賀島市長は、しばらくの沈黙ののちに大きく頷いてくれた。
「……わかった。それでは君の言う通りにことを進めようじゃないか」
「市長! まだ市民が――」
「渡部君、さきほど芦田君はちゃんと主張してくれたじゃないか。
これ以上は困難だから市としての方針がほしいとな」
異論を唱える渡部さんを賀島市長は温和な声で宥めた。
「いいか、渡部君。
少なくても我々はもう帰れないと思ったここへ戻れたんだ。
僕らができることは、現場で命をかけてゾンビを排除してくれてる芦田君と自衛隊に最大限の協力を惜しまぬことだよ」
「……はい」
「渡部君を初め、職員のみんながよく頑張ってくれてるのは、市長として本当に頭が下がる思いでいっぱいだ。
亡くなられた市民のことを思うと今でも心が痛む。だけど僕らは生きてる市民のために尽力せねばならん立場にある」
シーンとなる室内で賀島市長の言葉と気持ちが俺にも伝わってくる。
「とにかく僕らは自分たちの業務に専念して、市の立て直しを考えていかねばならん。力を貸してくれるかな」
「かしこまりました……」
「もちろん、一人でも多く市民を助けたい気持ちは僕にもある。
だけど現場で働く芦田君を含め、自衛隊も苦戦を強いられてるのが事実だ。日々危険と直面する彼らに、こちらの理想と責務を押しつけるのはいかんよ」
「……」
「同時に目的を果たすことが不可能な状況である以上、現場で動いてくれる人の意見を尊重して、今に最もすべきなことを決断するのが僕らの仕事だ」
「……芦田さん、本当に申し訳ありませんでした」
「いいえ。こちらこそ強い口調で怒鳴ってしまいました。すみません」
——言ったことは間違ってない。だけど渡部さんは謝ってきたし、俺も言い方に配慮できなかったのは悪いと思えてきた。話し合いって、本当に難しいな。
泣きそうになっている渡部さんを慰撫できるのは賀島市長であって、依頼を受けてる俺なんかじゃない。
俺ができることは自分の言い分をはっきりと口にすること。こっちが与えた選択肢を受け入れるかどうかは彼ら自身が決めること。
彼らの選んだ結果を受け入れられるかどうかは、俺が考えるべきことだ。
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