01話 冒険者は海からやってきた
生存者の視点から第2部が始まります。
海風が冷たさを帯び、これからますます寒くなっていくので、そろそろ集めてきた段ボール箱を断熱用に貼ろうと思った三好真彦は窓からの眩しい日差しに目をやる。
「まさくぅん、お昼はなにがいい?」
気が抜けるような声が背後からしたので、真彦は後ろへ顔を向ける。
割烹着姿の若い女性がカレー味と醤油味のインスタントラーメンの袋を持って、真っ直ぐに伸ばした腕で見せびらかすように昼食の候補をさし出した。
「お姉ちゃん、昨日の昼食も夕食もインスタントラーメンだったよな」
「うーん……そうなんだけど、パックご飯はほとんどなくなったし……
まさくんが好きなカレーは品切れだからしょうがないじゃない」
頬を膨らませて拗ねるそぶりをみせる女性は真彦の姉。
三好晴子はゾンビ災害の前に近くの大学に通っていて、親が購入したこのマンションで近隣する県立高校の二年生だった真彦と災害後の今も二人で住んでいる。
――第2次ゾンビ災害が発生したときに晴子は彼氏から一緒に避難することを求められた。だけど弟の真彦が心配だった彼女は弟が避難所ではなく、自宅に帰ったことを知った彼女は彼氏と離れて、弟がいるマンションの自宅に帰った。
自宅に立てこもると頑なに譲らない真彦に手を焼き、結局は通話で彼氏とケンカ別れとなった晴子は弟と家で避難することを選んだ。
しばらくの間は泣きに泣いた晴子だったが、友達から彼氏がほかにも女と避難してることをメッセージで知らされた晴子は、弟の真彦が作ってくれた1杯のココアミルクですぐに立ち直った。
結果的に元彼がいた避難所だった県立高校がゾンビの群れに襲撃され、避難所にいた人たちがゾンビとなったことを偵察に出かけた真彦から聞いた晴子は自分の幸運に胸をなでおろした。
弟の選択が姉を救った。
「まさくんはすごいわねえ。なんで避難所が襲われるって知ってたの?
予知能力なん?」
「避難所とホームセンターが崩壊するのはゾンビのテンプレだ!」
「あらそう、ゾンビにもテンプレートってあるのね」
弟がドヤ顔で叫んだことを晴子は理解することができなかった。首を傾げつつも彼女は優しい微笑みで弟の自慢に相づちを打った。
真彦は第1次ゾンビ災害後に食料品や水を買い集め、発注した太陽光発電システムや浄水装置などの設備を近くで借りたトランクルームに保管した。
ゾンビ災害が発生したとき、ほかの地域に比べて四国のほうはゾンビによる被害は比較的に少なかった。自宅がマンションの最上階にあったことが幸いし、真彦はアルバイトの経験を生かして、発電設備を屋上に取りつけ、雨水を溜めるためのタンクも設置した。
小説なんて現実じゃない、だけど小説で参考できることはある。
そう考えてた真彦は、長期籠城できるようにネットで災害時に必要な物資を調べて、裕福な実家からお金を送ってもらい、姉と二人で生き延びられるように努力した。
ネットが見れなくなって久しく、人が居なくなった書店から取ってきた本は暗記ができるくらいに熟読した。隣が空き部屋だったので災害後に壁をぶち抜いて、かき集めてきた物資や屋上から流れてくる雨水はそこに備蓄した。
そのうちに両親とも連絡が取れなくなり、いくら田舎とはいえ、さすがに今でも生きているとは思えなかった。
「また外へ食べ物を探してくるよ」
水は浄水装置があるためになんとか今でも飲用水は確保できるものの、保存食はほとんどなくなり、この冬を越せそうにないと真彦は覚悟していた。
「だめよ。前に襲われそうになったって言ってたじゃない」
手作りの槍を握る手を姉が抑えつける。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
息をひそめ、周りに気を配らせ、真彦は災害後でも食料品の収集に精を出した。
たまにゾンビや知らない人から襲われそうになったこともあったが、ゾンビが多い店には寄り付かない、車の出入りが激しい避難所から離れる、危なくなったらすぐに逃亡する。
慎重な行動を取る彼は少しずつだが確実に食料品や日用品を確保して、一日でも長く生きられるように努力を怠らなかった。
ある時期に真彦を驚かせる出来事が起きた。
見知らない男の集団がゾンビの群れに襲われ、その現場を目撃した真彦はゾンビの動きを観察しようと身を隠した。男たちは散弾銃をぶっ放し、ゾンビへペットボトルの水を撒いた。
そのままゾンビが蹴散らされるだろうと考えた真彦の目に、集団を後ろから襲撃しようとゾンビの群れが忍び寄った。
前にいるゾンビは囮かと不意に思った真彦の目に、今まさに襲いかかろうとするゾンビの異様さに気が付いた。信じられないことにゾンビが棒や板などの道具を持っていたのだ。
「ウォン」
吠えたゾンビ犬に目をやった真彦は、数体のゾンビが自分のほうへ駆け出す光景が視野に入った。慄く真彦はその場から全力で逃走し始め、後ろでなにが起きようとけして振り返らないと逃げることだけを考えた――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それはそうだけど、このままじゃ――」
「いいの、まさくんはよく頑張ったわ。
お姉ちゃんはまさくんのおかげでここまで生きてこれたの」
「……」
それ以上の会話は姉弟の間で続かない。
姉弟二人ともいつかは死ぬとわかりきってる。ただそれがゾンビに噛まれてゾンビになるか、食べ物を食い尽くしての餓死か、それとも自らの手で――
「……やっぱり行ってくるよ。
これだけ時間が経てばなにがあるかはわからないけど、最後まで頑張ろうよ。お姉ちゃん」
「う……ううぇーー
ごめんね、だらしないお姉ちゃんでごめんね。
まさくんのこと守っていかなくちゃいけないのに、まさくんに守ってもらってばかりなの……
お姉ちゃんを許してえうぇーー」
大粒の涙が晴子の目からこぼれ落ちる。
普通ならここは弟が姉を慰める場面なんだろう。
だが一年近くの日々の中でこれとよく似た情景が幾度なく繰り返してきたため、真彦には姉をあやすだけの気力が残されていない。
泣き崩れる姉を放っておいて、外の様子を確認しながら今日の探索するルートを決めるために、真彦はバルコニーに出た。
「お、お姉ちゃん……
――ねえ、お姉ちゃん!」
「うぇー……なあにグスン、まさくんスン……お腹空いたのスン……」
バルコニーで固まったままの弟にすすり泣きの晴子は返事した。
「ふ、船がこっちにくるっ」
「え! 本当っスン?」
弟の呟きに晴子は思わずバルコニーへ飛び出してしまった。
晴子と真彦が住んでいるこのマンションは新町川を見下ろすことができ、川沿いにはヨットが泊まれる施設があって、今日のように晴れた日は船が良く見えた。
災害後のしばらくの間、たまに海へ漁に出かける船はあったが、ゾンビが変化をみせてから待ち伏せされた漁船が続出し、ついには海へ行く船がほとんど見られなくなった。
それがどうだ。
今日は海のほうからこっちへ向かうクルーザーがエンジンの音を響かせている。
「来るなああ! こっちに来るなあ!」
「来ないで、ゾンビがいるわよ」
もちろん、生存者と出会えそうな機会に真彦たちはとても喜んでいる。
でも武装したゾンビの群れがエンジンの音に誘われて、川辺にある建物からぞろぞろと出てくる場面が晴子と真彦にはよく見えてる。
力一杯叫んでも、クルーザーを運転する生存者に聞こえないみたいようで、船がどんどんこっちへ近付く。
「来るなああ! 頼むから来るなあ!
ゾンビにやられるぅ!」
クルーザーの上で人の影が見え、しかもその人は晴子と真彦に向かって大きく手を振ってる。
「ゾンビだゾンビいい!
来るなああ!」
目の前で人がゾンビに噛まれるのは嫌だと思った真彦は泣きそうになって、喉がかすれるくらい声を張りあげた。
岸辺に近付くクルーザーを百体以上のゾンビが待ち構えてる。それが見えているはずなのに、クルーザーは接岸しようとスピードを落とす。
もはや晴子と真彦にできることはなかった。
二人は自分たちにも降りかかるであろうの惨劇から目を背けようとした。
接岸する前にクルーザーから二人が飛び上がり、岸についた瞬間にゾンビの群れへ長い棒のようなものを振り回した。
眼下でくり広げられる光景はまるで週に一度だけの鑑賞会で見たアニメのように、クルーザーからやってきた人たちは巧みに流れる技を駆使して、次々とゾンビの首を刎ね飛ばしていく。
「お姉ちゃん……」
「まさくぅん……」
「これ、現実だよな」
「ええ、そうみたいよ」
ボーっと見つめるだけの姉弟。
気が付いたときにはあれだけいたゾンビの群れが退却して、颯爽と風を切るように道を歩く二人の姿が見えた。
「こんにちはあ!
あなたたち、ゾンビじゃないですよねえ」
男の声がマンションの真下から聞こえてきた。
ハッと我に返った真彦が何度も頷き、晴子は嬉しさのあまりにまた大粒の涙を流して、真彦の手を強く握った。
「はいっ! ぼくとお姉ちゃんは生きてます!
頑張ってこれまで生きてきたんですっ!」
「そうかあ!
ところでえ、牛乳は飲みたくないか! 卵焼きもあるぞお!」
雑音のない世界で男からの申し入れは信じられないほどの嬉しい知らせだった。
見上げてる男はアニメで見たような鎧を着込み、手にするのはハルバードのような大きな斧だった。
それはまるで異世界から来た冒険者のように、アニメとマンガが大好きな真彦にはみえた。
主人公がゾンビを相手に無双で第2部のスタートです。
三好真彦(18):重度のオタク様。小説やネットの情報を使いこなして、一年近く籠城できる環境を作り上げた。
三好晴子(21):巨乳のポワポワお姉さん。料理がとてもお上手な天然お嬢様。ダメ男がお好みで男運があまりない。
ご感想と誤字報告、ブクマとご評価して頂き、とても励みになっております。誠にありがとうございます。




